邪神リュインゴス
その邪神は、車ほどの大きさの巨大な紫色の毒々しい印象を受けるスライムである。
名前は不明だが、確実に海魔の眷属でないことはわかる。海魔の眷属ならば、知性があったとしても主人をあの様に言うことはないだろう。
そして、性格はともかく少なくとも勇者である夜刀を見たところ無傷で倒した点から、相応の実力を持つ存在と思われる。
それらを合わせた結果、導かれる仮説は、エンズォーヌとは別の邪神、である。
そして、その仮説は的中しているらしい。
目がないので本当にそうなのかは分からないが、おそらく睨みつけているだろうスライムの邪神が忌々しげに自ら名を明かした。
「クズが………エルダースライムを、このリュインゴスを殴るということがどういうことか、理解しているのか?」
エルダースライム。やはりスライムだったらしい。
そして、リュインゴスというのはおそらくこの邪神の名前なのだろう。
特に何かをこちらから言ったわけではないが、最初から自らを上とみなして情報を開示する姿から、傲慢な性格であることも見られる。
この手合いは勝手に自分から情報を開示していくだろう。
無言のまま薙刀を構える。
それを挑発と受け取ったリュインゴスは、無い口から怒号をあげてその粘体を触手状に伸ばしてきた。
「クズが! 死んで詫びろ!」
しかし、やはり遅い。
伸ばした先で変幻自在の動きをする厄介さがあるが、障壁を突破できないという点は先ほど確認済みである。
伸びてきた触手の先端を斬り払い、リュインゴスに向けて一息に間合いを詰めにかかった。
「てめえ!」
末端を切りつけられた程度ではダメージにすらならないらしい。
リュインゴスはすぐさま自らの形を変えて、それこそウニの様に全身から鋭いトゲを伸ばしてきた。
それを無視して突っ切り、本体に薙刀を斬りつける。
「そんなもん効くかよ!」
しかし、リュインゴスを切り裂いたが手応えらしい手応えは無い。
スライムというだけあり、殴る蹴るといった攻撃では傷つくことは無いのかもしれない。
単細胞生物の集まりの様なものと考えるべきか。
スライムの弱点は核だと、ゲーム好きの友人が言っていたが、それらしいものも見えない。
リュインゴスは薙刀に切られながらもすぐにくっついて自らの身体を修復し、そこから年代の塊を兜めがけて吹き出してきた。
至近距離から放たれた粘体の塊は、避けきれなかったことで俺の兜に直撃すると、爆発を起こした。
「ッ!?」
派手な爆発に対する驚きもあってその爆風を無防備に受けたことにより、飛ばされてしまう。
地面に叩きつけられながらもすぐに体勢を立て直して起き上がる。
直後、リュインゴスから無数の粘体の塊が投げつけられた。
「死ね、クズがぁ!」
「…………………」
それを見据えた俺は、地面に手をついて錬金魔法を発動させる。
シェオゴラス城ではベルゼビュートに、旅の途中では時折グラヴノトプスから錬金魔法を学んでいたことで、複雑なものは錬金魔法補助の鎧が必要だったが、壁の様な単純なものを作る程度ならば可能なレベルに錬金魔法を使いこなせる様になっている。
それを駆使して、俺は牢獄の床を壁にして身を守る防壁として展開させた。
壁に直撃した粘体の塊が無数の爆発を起こす。
破壊されても錬金魔法で修復しつつ、壁を維持しながらその攻撃を凌ぎ続けた。
それとともに床に錬金魔法で穴を掘っていく。
「クズが! 死ね死ね死ね死ね! 泣いて詫びても絶対許さねえ! この俺を傷つけたこと、あの世で後悔するがいい!」
爆発音とともに、リュインゴスの油断しきっているだろう声が聞こえてくる。
その声を頼りにリュインゴスとの距離を測りつつ、奴の死角になる背後に地下を通じて穴を掘って通路を作った。
そして、通路の作成が終わると同時に岩壁の修復をやめて、爆音や粉塵に紛れてその通路に降りて行った。
「ヒャハハハハ! 死ね死ね死ね! 下等種族がぁ!」
岩壁が破壊されてもなお、リュインゴスの攻撃は止まらない。
通路を進みリュインゴスの背後に出た俺は、今だに粘体の塊を投げつけているリュインゴスの背中を蹴りつけた。
「ブオッ!?」
手応えはなかったが、蹴りつけられたリュインゴスの背中がまるで鎧の触れた箇所が溶けた様に足の形になって穴が開いた。
「てめえ、一体どうやって!?」
動揺するリュインゴスに対し、その体を今度は殴りつける。
やはり抵抗らしい抵抗を感じず、その鎧に触れた部位がえぐれた。
「ぐあっ!? クズの分際で、ふざけるな! 離れろ!」
がむしゃらに触手状の粘体を振り回し始めるリュインゴス。
一方、薙刀の刃が効かなかったというのに、殴ったり蹴りつけたりすることによるダメージが出ているリュインゴスに対して、俺は1つの仮説が浮かんだ。
それを確かめるために、触手をあえて躱さない。
するとリュインゴスの身体は真紅の甲冑に触れた場所だけ綺麗に消えてしまった。
「ぐあっ!? な、何故だ………! 俺に物理攻撃は効かないはず!」
「………そういうことか」
動揺するリュインゴスの声に、俺は大体のカラクリを把握した。
おそらく、リュインゴスの身体は真紅の甲冑の障壁に飲み込まれて消失してしまったのだろう。
こちらは障壁に取り込んだつもりは無いが、その点は相性なのかもしれない。
俺は動揺して動きの止まっているリュインゴスの身体に腕を突っ込む。
「ぐあっ!? てめえ、何しやがる! クズが、魔族ごとき下等種族が、この世界の辺鄙な–––––––ギャアアアアァァァァ!?」
そして、やかましく喚くリュインゴスの口上を最後まで聞く必要も感じなかったので、早々にその体を真紅の甲冑に取り込んで溶解させて行った。
「や、やめろオォォォォ! 俺を、この俺を誰だと思っていやがる! エルダースライム、リュインゴス様だぞ! この下等な世界の辺鄙な種族風情が触れていい存在などでは、断じて! 断じて! 断じて触れていい存在では無いのだぁ! やめろオオォォォォォ………!」
そうして最後まで傲慢な態度を崩さなかったリュインゴスは真紅の甲冑に飲み込まれる形で消え去り、後には気絶している近衛だけが残された。
奴がこちらを最初から下に見ていたということもあるが、夜刀を追い詰めた敵にしてはあまり強いと感じない存在だった。
とはいえ、羽風との戦いでは苦戦したものの、リュインゴスとの戦闘の結果を鑑みるにこの真紅の甲冑で牢獄に囚われたことは幸運だったのかもしれない。
その牢獄を形成する岩壁にヒビが走り始める。
リュインゴスが倒された影響なのか。エンズォーヌがこれ以上はやる気が起きないと判断したのか。どちらにせよ、この牢獄が崩壊するようである。
あれだけ壊すなとわめいていた割には諦めがあっさりしている気もするが、このまま出られずに瓦礫に埋もれるのは本意では無い。
近衛を回収してこの空間からの出口を探すことにする。
とにかくまずは近衛を真紅の甲冑の障壁の中に保護するべく、倒れている近衛に近づく。
しかし、俺が近づくと近衛は突然目を開けて、雷をまとわせた拳で兜に殴り掛かってきた。
「ッ!?」
不意をつかれた攻撃に、直撃を受けてしまう。
しかも勇者であることを考えても、まるで鉄塊かコンクリートで出来ているような異常に重い一撃に、岩壁まで殴り飛ばされてしまった。
倒れこむまではなかったが、思わず膝をつく。
一方で立ち上がった近衛は、まるでエンズォーヌの駒とされていたあの時の羽風を相手にしているような、冷たい印象を受ける怜悧な瞳ではなく虚ろな意志の無い瞳を向け、無表情で立っていた。
おそらく、近衛もまた傀儡魔法によって操られているのだろう。
そして、崩壊する牢獄の中で立ちふさがったとすれば、エンズォーヌの目的に察しがつく。
「………どうあっても逃さないつもりか」
どうやら、近衛を盾にしてエンズォーヌは俺をこの崩壊する牢獄に閉じ込める算段のようだった。




