非常事態
アトラナートがヘラトリウスを後にする。
そういえば、今朝に比べて静かだとは思ったが、食堂にウベワースの姿が見られなかった。
グラヴノトプスをナンパしているかと思ったが、彼女の部屋を訪れている様子はない。
報告のためのゴーレムを飛ばすなど色々と頼んでいたことをこなしてくれたグラヴノトプスは、すでに部屋にて寝ていた。
勇者達を監視しているゴーレムから彼女達の動向を探ったが、夜刀は1人でフレイキュストの街中を歩いている。他の2人は街の外にいるようである。
しかし、フレイキュストの出入り口や外壁周辺の監視をさせているどのゴーレムにも彼女達が街に戻った様子は見られていない。ヘラトリウスにも近づいていないらしい。
ひとまず、グラヴノトプスとの接触などはなかったことに安堵する。
捜索用のゴーレムをさらに3体追加して、もう一度街の周囲を探してみることにした。
しかし、ウベワースの行方がなぜか非常に気になる。
彼を放置すると何かあるような、決して見失ってはいけない相手な気がするのだが、その理由がなぜか分からない。
漠然としたものでなく確かな危機感のような感覚なのだが、理屈の上では彼は特に気にかけるような相手ではない。
しかしやはり気になった。
せめて動向くらいは知っておけばこの違和感も拭えるのではないかと考え、犬耳の亜人の青年にウベワースの行方を尋ねる。
すると、彼によれば昼頃、つまり俺がグラヴノトプスを訪ねていた頃に勤務を終えて帰って行ったという。
しかし、犬の亜人の青年はウベワースの住居を知らなかった。
「料理長ならば知っているかもしれません。あとで確認しましょうか?」
「いや、それはさすがに迷惑だろう。結構だ」
さすがに日が傾いてきて仕事を終えて帰ってきた冒険者達を迎える準備を進めている多忙な料理長に迷惑はかけられない。
理由がわからないならば、それは大したことではないのだろう。
そもそも、宿屋の料理人のウベワースに何を警戒する必要があるのだろうか。
そう判断した俺は、ウベワースのことを放置して夜刀の歩いている通りへと向かう。
だが、ヘラトリウスを出て通りを確認した時、路地に入っていく2人組の姿が見えた。
「あれは………近衛? それと………」
1人は黒い長髪と東洋系の冷たい目つきの顔立ちが特徴的な、先日会った3人の勇者の1人である近衛で間違えなかった。
確かに街から出て、そして戻ってきていないことを確認したはずなのだが。
そして、近衛と行動を共にしているもう1人は、トラジマ模様の魚人系の亜人。
「な、なんで奴が………!」
それは、見覚えのある、見間違えのないあの男の後ろ姿。
トラザメの亜人。
「エンズォーヌ………!」
バルドレイの姿をしたエンズォーヌだった。
街に奴が入ったなどという情報は、ゴーレムの監視網にはなかった。
なぜあいつがここにいるのかは分からないが、近衛と接触している時点で何かを企んでいる可能性が高い。
グラヴノトプスの次は、異世界人に何かを吹き込むつもりだろうか。
あの近衛がエンズォーヌの諫言に騙されるとは思えないが。
しかし、放置できる案件ではない。
2人を追いかけ、姿を消した路地に向かう。
路地を曲がると、そこには勤務を終えたはずのウベワースが1人で立っていた。
その顔には、彼のものではない、だが見覚えのある醜悪な笑みを浮かべて。
「エンズォーヌ………」
「ハッハッハッ! 待っていたぜ」
「待っていた、だと………?」
ウベワースはエンズォーヌだった。
だが、近衛の姿がない。
そして、奴の言葉の意味。待っていたということは、待ち伏せしていたということだろう。
誘い込まれたと判断して、薙刀を宝物庫より召喚し戦闘体制に移ろうとした直後、視界が歪む。
「なっ………!?」
「お前さんは牢獄行きだよ。罪状は、鬼っ娘魔族なんて美女をはべらせた罪だ!」
「訳が分から–––––––」
最後まで言い終える前に、目の前のフレイキュストの路地の姿がゆがんで消えていき、いつの間にかウベワースの姿をしたエンズォーヌではなく、洞窟の内部のような岩壁に覆われた場所で十字状の岩に鎖で縛られた羽風の姿があった。
「ここは………」
『………牢獄だつってんだろ!』
反響して元を識別できないエンズォーヌの声が響き渡る。
なんらかの手段で転移させられたらしい。
グラヴノトプスに連絡を取ろうとしたが、ゴーレムグソクムシと繋がらない。
「こいつは………?」
『ハッハッハッ! 気づいたみてえだな、魔神の使徒さんよ。ここは俺が用意した牢獄、外界と隔絶された世界だ。あんたの厄介極まる魔神の宝物庫も、ここじゃあ頼りにならない』
「…………………」
まんまと誘い込まれてしまったらしい。
グラヴノトプスと分断された上に、魔神の宝物庫も使えない。
手持ちの武装は障壁の性能を持つ真紅の甲冑に薙刀のみ。
今回は無策で待ち構えていたわけではなかったようだ。
「………それで? ここに永久に閉じ込めるというつもりか」
岩壁に近づき、殴る。
『無駄だ! その壁は異世界人でも–––––––』
しかし、1発殴っただけで牢獄の壁にはヒビが入った。
『異世界人にも………』
2発目。
さらにヒビが増える。
3発目。
破壊された。
『お前なんなんだよコンチクショウ! やめろ、壊すな!』
途端にエンズォーヌの声に余裕がなくなった。
………万全、というにはまだ不十分だったらしい。
今回の狙いは俺のようだが、まだ向こうはこちらの力量を図り損ねているようだ。
奴が牢獄と称する空間だが、なんらかの脱出の手口があるかもしれない。
エンズォーヌが慌てだしたところを見るに、ヒントはこの空間の外壁である岩壁にある可能性が高いので、さらに破壊しようと拳を構える。
『待て待て待て! これ作るのめっちゃ苦労したんだぞ! 少しは丁寧に扱えよ! 者共出会え、この乱暴な魔族に天誅を!』
しかし、させじと言わんばかりに岩壁と捕まっている羽風以外に何もなかった場所に、多数の海魔どもが出現した。
エンズォーヌの眷属である。
よほどこの牢獄を破壊して欲しくないらしい。
迫る海魔どもの触手だが、いい加減奴らの速さにも慣れた。
薙刀を振り回し、全てを届く前に切り捨てる。
『クソォ! 転移前に薙刀なんて取り出すなよぉ!』
「悪く思うな。恨むのならば主人を恨め」
切り捨て御免という感じに薙刀を振り回し、海魔どもを殲滅する。
残ったのは多数の海魔のむくろと羽風のみ。
「次はないのか? ならば壁を壊す」
『お前性格悪いぞ! 性根腐ってるぞ! そんなんだから魔神の使徒に選ばれるんだよ! なのになんでお前はモテるんだよ! 不平等だぞ! 暴力主義者め! 全身鎧とか格好つけてんじゃねえよ、変態! やーいやーい!』
「…………………」
油断ならない相手であることは承知しているのだが、やつの言動はやはりどこか憎めないというか、馬鹿げている点がある。
バルドレイは、短い間とはいえ世話になり付き合いもあった。どうにもやりにくいと感じる相手だが。
それはこの際関係ない。
やつの目論見が何であれ、ここを脱出する必要はある。
再び岩壁の破壊活動を行おうと拳を構えたところ、再度エンズォーヌから待ったがかかった。
『止めろつってんだろ! この壊し屋め、ならばあの異世界人ように用意していたこいつでお前を倒してくれるわ!』
勿体振る言動に付き合うつもりはない。
岩壁を殴りさらに破壊する。
『ノウ! タンマタンマ、ウェイトウェイト!』
岩壁を殴りさらに破壊する。
『俺の最高傑作をこれ以上壊すなや! どんだけ冷血なんだよお前!』
「お前の言動に付き合うひまがあるならば、ここを壊してでも脱出するだけだ」
岩壁を殴りさらに破壊する。
『テメエ、コンチクショウ! 紹介タイム省略、勇者よその魔神の使徒を自称する非常識な破壊野郎を倒すのだ!』
エンズォーヌが何かの指令をする。
無視してさらに岩壁を殴り破壊しようとしたが、殴りつける直前に突然背後から構えていた拳を掴まれ捻り上げられて、そのまま人間とは思えない力で投げ飛ばされた。
「!」
空中で姿勢を立て直し着地すると、いつの間にか拘束を解かれていた羽風が俺が先ほどまでいた壊れている岩壁の前に立っていた。
どうやら、彼女に投げ飛ばされたらしい。
敵対する理由がないのだが、エンズォーヌの言動から察するに、羽風は奴の手駒に落ちていると判断するべきなのだろう。
『ハッハッハッ! 目には目を、歯には歯を、魔神の使徒には女神の勇者を! というわけで、この勇者を我が盟友より教わった傀儡の邪法で俺の駒にしてやったわ! どうだ、参ったか!』
エンズォーヌが自信満々に長々と紹介する間、羽風は動かない。
確かに操られているらしい。
特に関係ないので、自慢する間は妨害してこないならと近くの岩壁を殴る。
『って、こらー! 少しくらい付き合ってよ、リアクション返してよ! 俺バカみてえじゃん! つか、壊すなってさっきから言ってんだろうが! やめろ! ええい、女神の勇者改め我が傀儡となった可愛いお嬢ちゃんよ、そいつの暴挙を止めるのだ!』
エンズォーヌのツッコミの後、命令を受けた羽風がつかみ掛かってくる。
合気道か。
投げ飛ばされると厄介なので、今度は掴まれる前に薙刀を振り回す。
だが、薙刀の刃が触れる前に羽風は自身の体を煙に変えて交わし、俺の体にまとわりついて三角締めを決めた状態で元に戻った。
「ぐっ!」
片腕と首を締め上げられ、倒れこむ。
どうやら、属性魔法しか扱わない勇者と侮っていい相手ではないらしい。エンズォーヌが自慢するコマだけはあるようだ。




