話数稼ぎ
ウツボの亜人は、幸いなことに骨折や記憶障害などはなかった。
思いの外元気な様子で、心配する近衛をよそに「慰謝料代わりに飯をたっぷり注文してくれよ!」などとのんきなことを言いながら厨房に向かっていった。
目覚めて最初に膝枕をしている近衛に対して「女神様………?」などとほざいていたし、足取りもしっかりしているし、大丈夫だろう。
亜人は強靭な肉体を持っている種族だ。人間や魔族より頑強であり、自己治癒能力も高い。
彼は今厨房で腕をふるっている。
罪悪感からか、近衛は元気に動いているウツボの亜人を心配しており、先ほどから落ち着かず何度も厨房に入る彼の様子をうかがっている。
そして視線を感じたウツボの亜人が顔を上げて目が会う度に隠れるように慌ててテーブルに目線を移すということを繰り返している。
そんな近衛の様子に腹の探り合いをしていた俺たちもすっかり毒気が抜かれる形となり、尋問の時間はいつの間にか終了してしまっていた。
そして、それはここに用がなくなったことを意味する。
こちらの正体が魔神の使徒であることを悟られず、彼女達の現状を把握することはできた。夜刀が無事だったことも確認できた。
本来ならばもっと多くの情報を聞き出すべきだろうが、穏便な空気となったこの場においてそれを続けることは愚策である。
夜刀は鋭い。俺を警戒している近衛もいる。尻尾を掴まれては、人間の国への入国が難しくなるだろう。
晩餐を共にして兜を外すつもりもない。
恋い焦がれる相手ともっと一緒に居たいと思う気持ちもあったが、何を優先するべきかは把握している。
それは心の奥底に封じ込めて、俺はウツボの亜人が料理を運んでくる前に退席することにした。
「おや? 何も食べないの?」
「連れが心配でな。俺はこの宿にしばらくの間、滞在する予定だ。知らぬとはいえ、不躾な目を向けていたことには謝罪をする。これは自由に使ってくれ」
そう告げて、テーブルに注文した料理の金額の3倍以上の金銭の入った袋を置いて食堂を後にする。
居場所は伝えた。何かあれば彼女達の方から以後は接触してきてくれるだろう。
しかし、グラヴノトプスは夜刀達に顔が割れていると聞いているから接触させるわけにはいかない。
替え玉を用意する必要がある。
警戒を促すために、後日グラヴノトプスを訪ねることにして、俺の方は偽装の準備に取り掛かり始めた。
翌朝。
一時の再会の後、夜刀達はウツボの亜人にと食堂に謝罪をしたのち、そのまま羽風を連れて街に出て行ったという。
その情報を提供してくれたウツボの亜人、ウベワース・ラットンに対して俺は深く頭を下げた。
「先日はいらぬ騒動で被害を出し、申し訳なかった」
「いいって気にすんな! 美しいお嬢ちゃんに膝枕させてもらったし、蹴られた不運を帳消しにしてお釣りが出る幸運に会えたし、店も儲かったからな! ハッハッハッ!」
随分と寛容で陽気な男である。
笑い方が誰かに似ているような感覚がわずかにあったが、該当する相手が記憶になかったので気のせいなのだろう。
ウベワースの視線は、俺から同席して大量にテーブルに並べられた料理を頬張っているグラヴノトプスに向けられた。
「にしても、羨ましいよな〜。あんな美人達と知り合いなのに、連れもめっちゃ可愛い嬢ちゃんじゃねえか! 魔族って結構異形が多いけど、嬢ちゃんはもろに俺のどストライクだぜ!」
「目移りが多いのだな」
「応よ! 美人を見たら目移りするのは男の性–––––––ボゲッ!?」
「サボってないで料理を運べ!」
調理器具を投げつける料理長からの叱責を受けて、ウベワースは業務へと戻って行った。
俺の方も席に座る。
とはいえ、グラヴノトプスの前で兜を取るわけにいかないので、料理に手をつけるつもりはない。
「食わねえのか? 美味いぞ、これ」
「結構だ」
ほれほれ、とスプーンを突き出されるが、拒否する。
しかし、俺が頑なに素顔を見せないことに何か理由があることを察してからというもの、グラヴノトプスは笑顔でこういうちょっかいをかけてくるようになってきた。
今回もわざとだろう。
俺を困らせたいのか、それとも挑発しているのか。
どちらにせよ、俺を弄ぶことに快感を得ているのは間違えない。
「おとなしく兜を取れば、食わせてやるよ?」
「………結構だ」
嗜虐的な笑みを浮かべていても、グラヴノトプスは美人でありその笑顔は魅力的だ。
そんな彼女に【アーン】をしてもらえる機会は、学友達が知れば喉から手が出るほどに欲しがっただろう。
その甘美を享受したい欲はあるが、やはりグラヴノトプスに素顔をわずかでも晒すことはできないため拒絶した。
「間があったな。本当は欲しいんだろ?」
「気恥ずかしい光景になる。頼むからやめてくれ」
グラヴノトプスは美味い飯が食いたくても食えないからだと思っているだろうが、周りから見れば違う意味になる。
………いや、それ以前に客観的に見たらこれは明らかにいちゃついているだろう。
「ならお嬢ちゃん! 俺にくれよ!」
「うるせえウツボ、失せろ」
「酷い!」
ウベワースが参戦してきた。
目移りの多い男だが、この状況に突っ込むその勇敢な姿勢には敬意を表したい。
「………後ほど部屋を訪ねる。気がすむまで楽しんでくれ」
「わかった」
ヘラトリウスの外には馬型のゴーレムが待機しているし、グラヴノトプスの手元にはゴーレムグソクムシもいる。
夜刀達が訪ねてくることがあってもすぐに連絡が取れるようにはなっているので、俺はウベワースの介入でスプーンを突きつけてくるのをやめてくれた隙に、グラヴノトプスに部屋を後で訪ねることを伝えて自分の借りている部屋へと向かった。
「ヨッシ! お嬢ちゃん、相席を–––––––ボゲッ!?」
「サボっとらんで働け!」
俺が去った席で、グラヴノトプスに対するウベワースのナンパと、それを遮る食堂の料理長の叱責が聞こえた。




