国境近くの街
その日の夕暮れ時。
疲れて眠ってしまっているグラヴノトプスを前に乗せて支えながら、街道をしばらく外れて進む。
そして空がすっかり茜色に染まる頃、人間の国と亜人の国々の国境近くにある街【フレイキュスト】が見えてきた。
街道に入り、速度を緩める。
日暮れ前というだけあり、街に近づくにつれて夜明け前にフレイキュスト入りを目指す人の数も増えてきた。
夢の世界に浸っているだろうグラヴノトプスは、馬型のゴーレムの方ではなく、俺の方に体重を預けている。
彼女の寝相によるものなのか、それとも信頼の証なのか。
可能ならば後者であってほしいと思いつつ、街の門を目指して進む。
全身鎧姿に身を包んだ俺と、額に角を伸ばしているグラヴノトプスは、脚に使っているゴーレムもあり一目で魔族であると判断されたらしく、物珍しいという視線を亜人たちから受けていた。
それでも、他種族に寛容な彼らには侮蔑的な視線や敵愾心のある視線はほとんどみられない。
冒険者のギルドカード、身分証を持っていることもあり、街にもすんなりと入ることができた。
グラヴノトプスをゴーレムの首の方にもたれかけさせて、馬型のゴーレムを引きながらギルドの支部を目指す。
国境に近いというだけあり、街の中には人間の姿も見られる。
グラヴノトプスは他の魔族に比べて容姿は人間に近いが、額に伸びる2つの角が目立つ。
これですぐに魔族であることが見破られてしまっているようだ。
しかしこの街の人間は魔族に寛容なのか、それとも本国の意向をあまり影響されていないのか、亜人たちと同じく魔族が珍しいという程度の目を向けるだけで、特にトラブルや敵意に見舞われることなく冒険者ギルドの支部にたどり着くことができた。
道の邪魔にならないようにゴーレムを止める。
ぐっすりと眠っているところ申し訳ないが、さすがに起こさないわけにはいかない。
「起きてくれ」
「………? ふぁ〜」
グラヴノトプスを起こして、馬型のゴーレムから降ろす。
半覚醒状態のグラヴノトプスは、ゴーレムグソクムシを抱えながら若干覚束ない足取りでついてくる。
グラヴノトプスを連れて、俺はフレイキュストの冒険者ギルド支部に足を踏み入れた。
間もなく日没ということもあり、ギルドの中は人が少ない。
どれも空いているカウンターの中から、適当に選んだ受付に向かう。
「いらっしゃいませ。御用件は何でしょうか?」
片眼鏡と理知的な雰囲気が特徴的な、くすんだ金髪の人間の男性職員が担当している受付である。
職員は、魔族が来ても利用者に偏見を持つことはないらしく、嫌な反応1つ見せずに淡々とした口調で出迎えた。
ギルドカードを提示する。
「ラプトマからきた。邪神族に関して新たな情報がある」
「………かしこまりました。こちらへどうぞ」
ストレートに用件だけを言うと、ギルドカードを確認しただけで余計な詮索をすることはなく、男性職員はカウンターから出てきてついてくるように言い、二階へと向かった。
その男性職員に続いて二階に上がる。
いくつか部屋が並ぶ中に案内され、そのうちの1つの部屋に通される。
中は応接室らしく、調度品やソファなどの高額そうな品々が並ぶ部屋だった。
「支部長をお呼びします。少々お待ちください」
そう言って、男性職員は部屋を後にする。
未だに舟を漕いでいるグラヴノトプスのこともあるし、ひとまず彼女をソファに座らせて俺もその隣に座った。
「…………………」
俺が隣に座ると、グラヴノトプスは俺の肩にもたれかかってきて、そのまま寝てしまった。
やはり疲れが抜けていなかったようだ。
「スゥ………スゥ………」
ツノが兜に当たっているが、彼女の無垢な寝顔を見ればその程度の不愉快など些事にしかならない。
グラヴノトプスが眠ってから3分ほど部屋の中を見渡して時間を潰していると、先ほどの片メガネの職員が出て行った扉が開かれた。
そこから姿を現したのは、何らかの書類の束を片手に抱える片眼鏡の男性職員である。
「お待たせしました」
「…………………」
さらにその後ろにもう1人、陶磁の様な生気のない白一色の肌に、黄色と黒のまだら模様の長髪が目立つ聖職者の着るような法衣に身を包んだ女性の亜人が入ってきた。
無言で入ってきた方の女性は俺に対して品定めをするような視線を向け、そして隣で寝ているグラヴノトプスにも目を向ける。
しかし、その立ち振る舞いには隙がなく、向かい合っただけでかなりの実力者であることがうかがえる。
俺ではなくグラヴノトプスの対面に腰を下ろす亜人。
その斜め後ろに扉を閉めてあとからついてきた男性職員が立った。
「アカギ氏、こちらの方がフレイキュストの冒険者ギルド支部長、アトラナート氏です」
どうやら、この女性がこのギルドの支部長らしい。
一礼をするが、アトラナートは俺を見向きもせずに隣に寝ているグラヴノトプスを熱心に見つめている。
魔族が珍しいのだろうか………?
好奇心の目にしては、微妙にその視線にこもる意思が異なる気もする。
相手の格を見定めているという視線にも見えないが。
一方で、俺のことは最初に一瞥してから完全に無視している。
魔族に興味があるというよりは、グラヴノトプスに対する興味かもしれない。
………寝顔は可愛らしいから、そういう趣味の持ち主にはたまらないかもしれないが。
しかし、ここには邪神エンズォーヌに関する報告をしに来ただけである。
彼女のことは宿で早く休ませてやりたいので、できるだけ手短に済ませるつもりだ。
とはいえ、無視されたままでは何もできない、
声をかけてみようかと思ったところ、アトラナートはグラヴノトプスから視線を外さずにぼそりと呟いた。
「可愛い………お持ち帰りしたい」
「やめろ、変態百合BBA」
そして、直後に丁寧で理知的な雰囲気の片眼鏡の男性職員から、その風貌に似合わない非常に口汚ない罵声が聞こえた。
それはおそらくアトラナートに向けられたものなのだろう。
ショックを受けたのか、時が止まったように動かなくなった。
そのやり取りを無言で眺めていた俺に、何事もなかったかのように片眼鏡の男性職員が書類を片手に本題を切り出す。
「アカギ氏、邪神に関する報告とのことでしたが?」
「………あ、ああ」
日常的なやりとりなのだろうか。
一瞬呆気にとられたものの、彼らの関係はそういうものだと判断してこちらも本題となるエンズォーヌに関する報告を行う。
「ラプトマにて、新種の海魔の邪神族による襲撃があった。正確には冒険者ギルドの既知情報に無い邪神であり、魔族の古い伝承にその存在が記されていた邪神だ。名はエンズォーヌ」
「エンズォーヌ………? 聞いたことが無い名前ですね。確かに、冒険者ギルドの情報には存在していない邪神です」
「ちょっとちょっと、何を支部長抜きで報告会を–––––––」
途中からフリーズ状態より復活したアトラナートが口を挟んできた。
しかし、片眼鏡は完全に無視を決め込んでいるらしい。俺の方も報告を続けることにする。
「エンズォーヌ自ら海魔を率いてラプトマを襲撃してきた。撃退には成功したが、ラプトマの冒険者ギルドと街に被害が出ている。幸い死者は出なかったが、ガルドス支部長をはじめとした負傷者が–––––––」
「あなたも何を支部長無視して–––––––」
「引っ込んでろ、変態。………どうぞ続けてください」
「へ、変態!?」
「………ガルドス支部長を始めとした負傷者が多数出ている。エンズォーヌは街とギルドに被害を与え亜人の戦力を削ぐことを目的としており、ラプトマの襲撃後はさらに国土深くへと去って行った」
「………なるほど。海魔の邪神というのは?」
「放置プレイ? 私を放置して、イジメようって魂胆なわけね。フヘヘ………それでも私は興奮するわよ。さあ、どうする気?」
「これだ」
海魔の邪神族の死体を宝物庫より出す。
「いやああああぁぁぁ!? ぬめっているのは嫌なのよ!」
騒ぐアトラナートは片眼鏡の職員とともに無視を決め込む。
「なるほど、見たことも無い存在ですが確かに、この世界と異なる魔力を感じます。邪神族と見て間違えないでしょう」
「他にも死体は保管してあるので、それの扱いはそちらに任せる。エンズォーヌに関する情報と対策も好きに進めてくれ」
「畏まりました。お急ぎでしょうか?」
話を早めに切り上げようとしていたことに気づかれたらしく、片眼鏡からそう尋ねられる。
俺は肩に寄りかかって夢を見ているグラヴノトプスを示して、頷いた。
「彼女を早めに休ませたい。緊急性の高い案件のため報告を急いだが、本格的なことに関しては明日にしたい」
「そうですか。分かりました」
物分りの良い片眼鏡は、今日の報告は証拠の提出で終わらせて、宿の紹介までしてくれた。
早めに休んでもらい、明日再度詳しい話を聞きたいという。
こちらとしてもその方が都合が良い。二つ返事で承諾し、眠っているグラヴノトプスを抱えて部屋を後にしようとする。
しかし、そこに待ったが入った。
「良い加減にしなさい、この犯罪者!」
扉の前に素早く移動したアトラナートが、通せんぼをしてきた。
しかし、犯罪者とは何なのだろうか?
疑問に思いつつも、ようやくグラヴノトプスからこちらに視線を移してくれた支部長に言う。
「邪魔だ。退いてくれ」
「むきー!」
短く伝えた要件に、地団駄を踏み出すアトラナート。
………何なんだ、こいつは? 子供か?
ガルドスに負けず劣らず個性の立っているアトラナートに困っていると、片眼鏡がやってきてアトラナートの首根っこを捕まえた。
「こっちに来い、変態。説教だ」
「えっ………?」
それを聞いた瞬間、立場が上であるはずのアトラナートの顔色が真っ白から真っ青に変わる。
「宿に向かっていただいて結構ですよ。ご迷惑をおかけしました」
営業スマイルを向けた片眼鏡は、そのままアトラナートを引きずって部屋を後にする。
「いやああああああああ! 誰か、お助けええええぇぇぇ!」
何というか、いる意味があったのか疑問を呈したくなる存在だったアトラナートの悲鳴がギルドの二階をこだまする。
その様子を見送った俺は、階段を降りて宿に向かうためにギルドを後にした。




