海獣エンズォーヌ
異変が起きたのは、グラヴノトプスが泣き止んだときだった。
トンッ………
唐突に突き飛ばされて、海魔と融合していたグラヴノトプスの身体から落ちる。
あまりにも突然な上に敵意など一切なかったので躱せなかった。
空中で体勢を立て直して着地する。
そしてグラヴノトプスを見上げると、彼女の上半身があった場所には何も残っておらず、ただ巨大な海魔が佇んでいるだけだった。
「何が–––––––ッ!?」
何が起こったのか。
それを把握しようとしたとき、海魔の巨大な触手が叩きつけられてきた。
とっさに回避する。
その触手の攻撃は、グラヴノトプスが繰り出してきたものとは違い、歪んだ憎悪からくるものではなく鋭く尖った無機質な殺意が込められていた。
その上、速さも重さも格段に強い。
目の前にそびえる存在は、グラヴノトプスが海魔と融合した存在ではない。
「何者だ?」
薙刀を召喚し、海魔に尋ねる。
しかし答える口も知性も見えない海魔は、さらに触手を叩きつけてきた。
それを薙刀で切り裂く。
触手からは赤黒い血らしき体液が噴き出るが、末端ごとに切られても痛くもないのか暴れることなく正確に俺に狙いを定めて振るわれてくる。
切ったところで埒があかないらしい。
敵の全体像を見るためにも、大きく跳躍してその攻撃をかわす。
直後、それを狙っていたように四方八方から触手が俺に狙いを定めて攻撃してきた。
「そうくるか………」
空中という回避ができない場所に上がるため、対策はしていた。
錬金魔法補助の鎧から、真紅の鎧となっている。
自身の魔力を直接この鎧を媒介にした【障壁】の形で展開できるこの鎧は、衝撃を逃す先のない空中で受ける攻撃も含めたあらゆる敵意を持つ干渉を俺の魔力が持続する限り跳ね除けるという機能を持つ鎧である。
そのため、現在の触手による攻撃はこの鎧によって跳ね除けられる形となっており、一切衝撃さえも伝わっていない。
上位世界の恩恵というやつなのか、魔法という存在が空想の産物でしかなかった世界の住人である俺ですら、この世界においては膨大な魔力を有している。
そのため、この鎧の障壁は容易く突破できるものではない。
苦もなく降り立つとともに、薙刀を振り回し叩きつけられてくる触手を切り裂いた。
赤黒い液体が撒き散らされ、多数の触手の残骸が落ちる。
体液を浴びてしまったが、この鎧の機能により弾かれ、被害は受けなかった。
海魔の触手が引き下がる。
無意味な攻撃だと悟ったのだろうか。
向こうが退くというのであれば、容赦をする必要はない。
グラヴノトプスがあの中に囚われてしまった可能性もある。
手早く片付けるべく、多数のテーザー銃を宝物庫より召喚して電撃弾を海魔に向けて斉射した。
––––––––––––––––––––!!
海魔が悲鳴をあげる。
そこにグラヴノトプスの声はなく、昨晩対峙したあの海魔の出したおぞましい鳴き声と同じものが響き渡った。
テーザーは有効らしい。
しかし次を撃てばいくら非殺傷武器でも危険なレベルである。
グラヴノトプスが囚われている可能性がある以上、危険は避けるべきだろう。
テーザーをしまい、麻酔弾を込めた銃器を召喚した。
その銃口をテーザーによってうまく動けなくなっているらしい巨大な海魔に向ける。
そのとき、海魔から声が聞こえてきた。
『止めろ、クテルピウスの使徒! この者がどうなっても良いのか!?』
その声は、聞き覚えのある声と海魔の鳴き声を合わせた声だった。
やはり黒幕はやつだったらしい。
そして、攻撃を止めるよう要求してきた海魔はまるで見せつけるようにその身体から触手に囚われたグラヴノトプスを出した。
「…………………」
気絶しているようだが、肌の色や髪の色、身体の状態を見る限り、囚われているだけで融合しているなどの様子は見られない。
人質として見せつけられる形となったが、彼女の無事を確認できただけでもよかった。
『ハッハッハッハッハッ! この海魔に傷をつければ、この魔族も巻き込まれることになる! 条件次第によっては、無傷で返してやろう』
海魔の声が響き渡る。
彼女の無事が確認できたのであればそれで良い。
逆に海魔の巨体や、彼女の身体を捕えている触手が防壁となってくれるだろう。
なるべく海魔の身体に狙いを定め、俺は躊躇いなく麻酔銃を斉射した。
『あいたアアアァァァ!? 待て待て待て! いやいやいや、なんで撃ってくる! 人質見えないの君!? てか、痛い痛い痛い! 地味に痛えぞ、これ!』
慌てふためく海魔が、痺れたこともあってか思わずグラヴノトプスを取り落とした。
『やべ、しまった!? つか、痺れてうまく動けねえぞ!』
グラヴノトプスを受け止める。
脈はあるし、体温も安定している。無事でよかった。
『タンマタンマタンマ! てか、寝ちゃったよ、海魔君!?』
そして、麻酔が効いたらしい海魔が倒れた。
何か喚いていたようだが、人質を盾にするにしては、海魔の身体が大きすぎるだろう。
それに麻酔なので、当たっても命に別条は無い。
言っている内容から、この海魔も本体とは別の存在であることは判っている。
感覚をつなげて操っていたようだが、触手を切られても平然としていた割に麻酔に慌てふためくあたり、拍子抜けな気もする。
それはともかく。
グラヴノトプスの安全を確保するため、俺は甲冑に気を失っている彼女を取り込んだ。
この障壁の鎧は、鎧の中に他者を取り込み障壁で外界から隔絶させることもできる。
本来の用途は敵を無力化するために封じ込めたりする目的で用いられるが、鎧の中は使用者の魔力によって作られる障壁によって守られるため、このように誰かの安全を確保するためにも用いることができる。
グラヴノトプスの安全を確保した俺は、改めて海魔と向き合った。
薙刀を構えて、その海魔を操る黒幕に話しかける。
「それは演技か? それとも素なのか?」
『いや、もっと尋ねることあるだろ!?』
返答はなぜかツッコミだった。
不自然な質問だっただろうか。
巨大な海魔はその原型がゆがんで行き、元の海魔たちの群れの姿に戻った。
返答は聞けなかったが、黒幕の見当はついている。
「逃がすか!」
すぐにゴーレムを動員し、黒幕に対する一斉攻撃を命じる。
俺の予想が的中しておりやつの正体が邪神本体であるならば、ゴーレムごときでは束になっても足止めも難しいかもしれない。
それでも、ここまで来て逃がすつもりは無い。
グラヴノトプスの復讐心を利用してこの街の惨状を作り上げた黒幕を捕えるべく、俺もその黒幕の元へと向かった。




