新種の邪神族
出てきた大男は、【服を着た直立姿のシロクマ】と表現する他ない。
ウサギの耳以外は人間とほぼ同じである先ほどの受付嬢とは様相が違うが、彼もまた亜人なのだろう。
受付嬢がバルドレイの言葉を聞いてそれと入れ替わりで出てきたことから察するに、彼がこの冒険者ギルド支部の支部長なのだろう。
そのシロクマに対し、バルドレイが呆れを多分に含んだ口調で返す。
「誰がサメ男だ。これ以上俺のことをサメ男呼ばわりするなら、お前のことも【ガルドス】じゃなくて【シロクマ】って呼ぶぞ」
「そうしたら殴り飛ばしてやるから覚悟せい! ガハハ!」
「お前の馬鹿力で殴り飛ばされたら星まで吹っ飛ぶわ! やめろ!」
バルドレイは大柄な体躯に見合う大声の持ち主だが、ガルドスと呼ばれたシロクマの亜人はそれ以上にやかましい声の持ち主だった。
服の上からでもわかるほどの鍛え上げられた肉体は、俺の知るシロクマ以上の威圧感を見るものに与えている。
黒一色の瞳は、その口調やよく変わる表情がなければ無機質な印象を受けてしまうバルドレイと違い、哺乳類同士だからかわかりやすい感情がこもっているように見える。
俺を放置して仲よさげに言葉を交わす2人だが、ガルドスの方は自分が出てくることになったのがのっぴきならない事情があるからだということは承知しているらしく、上司と部下というより友人と交わすような挨拶もそこそこに、バルドレイに本題を尋ねてきた。
「それで、わざわざ依頼をサボってまでここに戻ってきた理由を聞こうじゃないか。何かあったのか?」
「ああ。結構深刻な問題がな。断じてサボりじゃねえぞ」
俺の存在には気づいているようだが、優先順位はきっちりしているらしい。
ガルドスは俺の存在をひとまず放置してバルドレイに何があったのかを尋ねる。
バルドレイはガルドスに対し、国境の街道を守る砦で起きた惨劇について、バルドレイが現場に到着してからエンズォーヌの眷属である海魔の邪神族を倒したことまで、一通りの事件に関する経緯を説明した。
ガルドスからは、俺と出会ったことと、エンズォーヌの眷属である海魔の邪神族を倒す場面を話した際に視線が向けられてきたが、冷静に口をほとんど挟まずに一通りの説明を聞いた。
「なるほど、砂漠の大陸に住まう邪神か………眷属ではなく、本体とは」
「魔族の古い伝承にも伝わるとかいう邪神らしいが、彼らの言う最後の襲撃も約100年前。ギルドの設立前だろ? ぶっちゃけ、新種と言って差し支えなかったぜ。しかも、俺でも対応できるかどうか怪しいのですら尖兵のな」
「お前でも手も足も出なかったというのは驚きだが………事態はかなり深刻なようだな」
「水際で防がねえとまずい。そこで、あいつなんだが………」
「うむ、海魔の邪神族を退けたというのは、あの魔族の青年か?」
ガルドスが、バルドレイから俺の方に視線を向ける。
カウンターから出てきて俺の前まで近づき、肩を叩いてきた。
「世話をかけたな、魔族の青年」
本人は軽く叩いた程度なのだろうが、かなり大きな衝撃が鎧を走った。
見た目通り、かなりの怪力の持ち主らしい。
亜人は魔族や人間に比べ、彼らの崇める龍神の加護により【気】という力を使うことに長けており、その気と魔力を合わせた強化魔法を駆使する。
そして、強化魔法以前に素の身体能力が両種族よりも優れているのである。
魔族にも人間にも気を扱うことはできないから、強化魔法を使えるものはいない。
しかし、亜人の崇める神は中立の神である龍神のため、秩序にも混沌にも偏っていない彼らは、己さえもその属性に変える、複雑な機構の兵器を作るなど、いわゆる達人の域に踏み込めるほど素質に恵まれているわけではないが、属性魔法も錬金魔法も扱えるという。
種族の能力に優劣をつけるとすれば亜人が最も優れている種族と言える。
話を戻す。
バルドレイとガルドスの会話を身近で聞いていた、この事件の関係者の1人である俺は、ガルドスが何に対して礼を言ってきたのかは判別がつく。
しかし、俺は殺人事件の犯人である海魔の邪神族を倒したくらいで、事件を未然に防げたわけでもエンズォーヌの進出している規模を調べることができたわけでもない。
事件はまだ、終わっていないのだ。
それに、俺は亜人たちに頼み事をする立場にある。礼を言われる資格はない。
ガルドスに対し、俺は首を横に振る。
「いや。バルドレイについては結果的に助けたに過ぎず、俺が海魔の邪神族と戦ったのは自衛のためだ。バルドレイはともかく、あなたに礼を言われる理由はない」
その言葉を聞いたガルドスは、大声で笑った。
「ガハハ! 何というか、いかにもな誤解を受けやすそうな好青年ではないか! バルドレイが手も足もケツも出せぬ相手を打ち倒すほどに腕も立つ! 実に良い!」
「意味わかんねえというか、下品な言葉を混ぜるなよ!」
バルドレイからツッコミが入る。
俺の言い方も受け手によっては怒りを買うものだが、ガルドスも別に意味で口が悪い。
それ以前にケツなど出したところで触手に貫かれるのが関の山だろう。手の方がまだマシだ。
「悪いが、頼みたいことがある。この事件に関して大きく関わっている邪神、エンズォーヌについてだ」
冗談であることは承知しているので、ここは深く突っ込まずに先を促したい。
俺の言葉に、ガルドスの目つきも鋭いものに変わる。
「ふむ、大方の予想はつく。その海魔の邪神たちの迎撃に力を貸せ、というのだろう?」
「話が早くて助かる。頼めるか?」
ある程度の対価は要求されるだろう。亜人の国をあげて迎撃をするならば、時間もかかるかもしれない。
何らかの要求があると思っていたが、ガルドスは俺の要請に迷うことなく頷いた。
「無論じゃ! 奴らの尖兵どもの情報も不足しているとあれば、動くのは迅速が良いだろう! ギルドで出せる冒険者をかき集め、すぐに国境の方面に向かわせよう!」
「………助かる」
何の迷いもない即決に思わず驚いてしまったが、そんな暇はない。
気を取り直し頭をさげると、ガルドスはすぐさま会って間もない、身分もはっきりしない、どう見ても怪しいだろう俺の頼みを聞き入れて、ギルドの職員たちに指示を飛ばした。
カウンターの奥から出てきた先ほどの兎耳の受付嬢の亜人に、すぐに亜人体の本国の方に情報を伝えるよう命令する。
「ティアレ! 本国の方にすぐに向かってくれ! 【海魔の邪神が魔族の国に対して動きを見せた、援軍を乞う】とな! ワシの名を使ってだ!」
「は、はい! ………邪神が出たんですか!?」
一拍遅れて、ティアレと呼ばれた受付嬢が驚きの声を上げる。
しかし、「急げ!」というガルドスの一喝を受けるとすぐさまカウンターの奥へと向かっていった。
疑問を抱くよりも職務を優先するべき事態であることを分かっているのだろう。
ガルドスの判断も素早いが、その命令に対応する職員たちもこうした事態になれており何を優先すべきかを分かっている様子がうかがえる。
続いてガルドスは他の手すきのギルド職員を集め、冒険者たちに緊急クエストという形の実質的なギルド支部からの所属する冒険者たちに対する緊急招集命令を出していく。
「可能な限り冒険者を集めろ! 費用は支部で、足りないければギルドの本部で、何ならワシの金も投入してかき集めろ!」
「…………………」
自費まで投入するという宣言に、俺は言葉を失った。
エンズォーヌは魔族の、邪神族に関してはこの世界の問題だが、それでも他人に対して普通はここまでのことをしてくれるだろうか。
ルシファードに大きな借金を背負うことになるかもしれない。
だが、彼ならば魔族を守るためには資金を惜しまないだろう。
お人好しはどこの世界にもいるらしい。
この場合、俺が立ち止まるわけにもいかない。
「………感謝する。対価は必ず払おう」
忙しいながらも、ガルドスはしっかり聞き取ったらしい。
背中を向けて職員たちに指示を出しながら、片手を上げて返事をした。
俺の隣にバルドレイが近づいてくる。
「ま、予想通りではあったな。あいつのことだから迅速に動いてくれるはずだ」
「………ああ」
次々にギルドにいた冒険者たちに緊急クエストが伝わっていき、続々とギルドから出発の準備に取り掛かっている。
その光景を見ながら、ここまでことがうまく運んだのもやはりバルドレイとの出会いが1番大きかったのだろう。
職員だけでなく、支部長とも親しい。
広い人脈と、彼らの言動に見られるバルドレイへの信頼の言葉。
魔族領に一度引き返すよりも、彼の言葉に従いラプトマに来たのは正解だった。
「とりあえず、すぐに作戦会議になる。ぶつかったあんたと、1番その存在について知っているだろう連れさんの話を聞かせてもらうことになるだろ」
「………グラヴノトプスを起こしてくる」
バルドレイからガルドスに対し、俺の連れの魔族であるグラヴノトプスがエンズォーヌに関する伝承を知っていることは伝わっている。
俺はグラヴノトプスを呼びに向かうため、一度ギルドから出て行った。
………しかし、なぜか引っかかる。
小さな違和感。
どうして、そんなに信頼されながら、あの時あの場所に到着したばかりだったのか。
徒歩の移動時間を考えたとしても、あの時刻なら………。
「………?」
妙な違和感が頭に浮かんだ気がする。
だが、今はそれどころではない。グラヴノトプスを早く起こして合流する必要がある。
こうなることなら、連れて入ればよかったと思った。




