シーユーアゲイン有賀
海獣エンズォーヌ。
それは、砂漠に住まう海魔の邪神であり、砂に埋もれた地を魚が大海を進むが如く泳ぐ巨大な邪神である。
その出現は約300年前。魔王ルシファードが生まれるよりもはるか以前の時代のこと。
魔族領の南の海の彼方に存在するという、大陸を覆い尽くす砂漠地帯に住まう邪神である。
その全容は人の目に映せぬほどの巨大であり、世にも奇怪な異形の姿をしているという。
海魔というだけあり、海を渡ることもできるこの邪神は、100年周期で海を進み南の大陸より魔族の領域を脅かすという。
グラヴノトプスの先祖である鬼の魔族が100年前に戦ったという、魔族において伝説の存在となっている邪神である。
グラヴノトプスの先祖が戦ったという最後の襲来さえも、魔王ルシファードが魔族の統一国家を作り上げるよりもはるか以前の出来事であり、人間との戦争を担っている彼らには、邪神による被害が魔族に及んでいないこともあり伝説という認識しかないとのこと。
彼らが邪神族について触れなかったのは、人間との戦争という目先の脅威に対抗するのに全力を注ぐ必要があったからであり、また邪神族の対応については亜人たちに任せきりになっており彼らが対応してくれている間は俺に伝える必要がなかったからだという。
俺は女神が召喚した異世界人たち、勇者と戦うために召喚された存在だから、邪神と関わることはないと考えたのか。
俺が冒険者ギルド加入のために亜人の国に向かうことを話した際には、戦勝直後ということもあり失念していたのだろうとのことである。
………グラヴノトプスが邪神族について道中一切触れなかったのは、おそらく俺に対する恨みの感情があったからだろう。
異界の怪物と相対した時、この背中を狙うために。
どうせ「聞かれなかったから」とはぐらかされるだろうから、その真意については追求しない。
それよりも、こちらも目先の問題となっているこの邪神族の情報が必要だった。
「伝承によればエンズォーヌの眷属である邪神族は、海魔でありながら海ではなく砂漠に住まうっつうエンズォーヌの影響を受け、潮の香りがしないという特徴がある」
「聞いたこともねえ話だな………」
エンズォーヌに関しては、邪神について詳しい亜人であるバルドレイも初耳らしい。
彼女の先祖が戦ったという邪神。
グラヴノトプスも魔族の都市圏の者たちは邪神の存在に関わることさえ稀であり、知らないものが多くてもおかしくはないとのことである。
だが、殺人事件の犯人と目されるこの邪神と特徴は一致する。
グラヴノトプスの先祖が戦ったというエンズォーヌの襲来から、およそ100年が経過しており、動きを見せていてもおかしくないという。
眷属の襲来は、その前兆かもしれない。
しかし、眷族程度ですら邪神族との戦いに慣れている亜人の完全武装した兵士を一方的に屠ることのできる存在。
その本体ともなれば、この眷属相手にも夜陰に紛れていたとはいえ苦戦を強いられた身としては、その強さは想像に難くない。
天野 光聖よりも、はるかに魔族の脅威になり得る存在だろう。
現状の疲弊している魔族では、国を滅ぼされることになりかねない。
一度シェオゴラス城に戻り、ルシファードにこの事を伝え、迎撃の準備を進める必要がある。
「彼らに邪神族の襲来を伝えるため、一度戻る必要がありそうだな」
時間を消費してしまうが、俺の目的とは別に魔神との契約により魔族の守護の役目がある。
ここは私情ではなく、彼らの安全の確保が優先事項だろう。
一度魔族領に戻り、彼らにエンズォーヌのことを伝える必要がある。
ひとまず魔族領に引き返すことで方針を定めようとしたところ、バルドレイが待ったをかけた。
「いや待て、それには及ばない」
「………なぜだ?」
ことは性急を要する。
彼らの生態は得体が知れないし、エンズォーヌが住まうという南の大陸は決して短くないとはいえ海峡1つを挟み最も近くにあるのは魔族領である。
眷属がここまで侵入していることを考えると、いつ魔族の領域に被害が出てもおかしくはない。
現在の戦争により疲弊している魔族では、対応しきれない存在である。
早急に戻って魔族たちに知らせ、対策を練らなければならない。
それなのに、なぜ待ったをかけるのか。
バルドレイに待ったをかけてきた理由を尋ねると、彼は先にラプトマの街に向かうべきだと主張した。
「先にラプトマの街に向かう方がいい」
「事態は悠長に構えられることではない。お前には悪いが、俺は亜人よりも魔族の方を優先する」
「いや、そういう意味じゃねえよ」
先の戦いで俺がエンズォーヌの眷属を倒せるだけの力量があったから、亜人の立場としては魔族領に返すよりも亜人たちの国で冒険者ギルドの一員となり、亜人たちの国のために戦ってほしいから止めたのだと思ったが、どうやらバルドレイの考えは別にあったようである。
「邪神族どもの討伐なら亜人の方が詳しいし、外敵との戦いは俺らの領分さ。冒険者ギルドに話を通せば、戦争に加担することはできねえが邪神討伐ということでならこいつらに対抗できるだけの戦力を魔族領に送れる。邪神の眷属ってのは殆どの場合で馬鹿げた数が末端にいるからな。戦争で疲弊している今の魔族じゃ、単独で対峙するのは危険だろ?」
バルドレイがラプトマに向かうべきと主張したのは、援軍を募るためだった。
確かに、この眷属が何百体もいるとすれば、俺とグラヴノトプスが戻ったところで敵の数に押しつぶされる可能性がある。
人間軍との国境防衛に残存戦力のほとんどを用いている現状の魔族軍では対応しきれないだろう。
「………エンズォーヌの眷属は軍隊のごとく何百もの数が侵攻してきたらしい。確かに、俺様とテメエが戻ったくらいでどうにかなる相手じゃねえ」
グラヴノトプスも、バルドレイの意見に賛成のようであった。
彼女の話によると、先祖から語り継がれてきたエンズォーヌの伝承においても、かの邪神が率いた眷属の数は何百体もいたらしい。
誇張だとしても、この怪物の兵が100前後は最低でもいるとみていいだろう。
それでは確かに俺とグラヴノトプスがいても焼け石に水だ。多少遅れるとしても亜人の冒険者ギルドに応援を頼み、味方を募って向かった方が被害は少なく済むかもしれない。
亜人は戦争に対して中立の立場を守っているが、彼らにとっての怨敵である邪神族が相手となれば人間にも魔族にも手を貸してくれる。
意見は1対2だが、バルドレイの考えを聞いたことで俺の意見も冒険者ギルドを通して亜人たちに援軍を求めた方がいいという考えに傾いていた。
実質的に、意見は統一されている。
「そういうことならば、ラプトマに向かう方が賢明か」
ラプトマの街はこの国境の砦の近くにある。
たいした時間をかけずに援軍が得られるとなれば、先にラプトマの街に向かう方が賢明だろう。
「バルドレイ、案内を頼みたい。ラプトマの街に向かい事態を伝えてから、魔族領の方に戻る」
「応よ! 邪神が相手となれば、俺たち亜人も無関係じゃいられねえからな。存分に協力させてもらうぜ!」
すでに日は昇っている。エンズォーヌの眷属である海魔の邪神族の奇襲にも察知しやすい視界だ。
バルドレイに道案内を頼み、俺たちもラプトマに向かうことにした。
………ただし、何か違和感を感じる。
この事件、発端からして異質な点があったような気がしたのだが………。
しかし違和感は小さいものだった。
それよりも目先の魔族の脅威に対抗する方が先決である。
グラヴノトプスを人力車型のゴーレムに乗せ、俺はバルドレイの案内のもとゴーレムを引きながら冒険者ギルドの支部があるというラプトマの街に向かった。
タイトルを変更。
シリーズ【ハイファンタジー】に追加。
検索除外は3幕まで作成後に変更する予定です。




