シベリアンハスキー古賀
死後硬直について調べたので、あとがきに載せて置きます。
亜人たちの国境に到着したのは、シェオゴラス城を出発してからおよそ6時間が経過した頃だった。
魔族の足でも10日はかかる距離とのことだが、異世界人としての超人的な身体能力はそれを軽く走破して見せた。
さすがに中立国との国境とはいえ、騒ぎになるような真似はしたくないので、国境が近づいてきた頃に速度を落とし街道に入る。
もともと出発が夕暮れだったこともあり、周囲はすでに真っ暗となっている。
あれから大人しくしていたグラヴノトプスはいつの間にか眠りについており、錬金魔法で構成されている甲冑も消えていた。毛布をかけるついでに確認したところ、破片による傷跡も残っていない。
自業自得とはいえ、女性が素肌に傷を作りそれが残ってしまうというのは良いことではないだろう。ベルゼビュートから聞いたところによると、グラヴノトプスはまだ未婚だという。
これならば、帰還した際にルシファードたちに要らぬ疑いを持たれることはない。
「…………………」
耳をすませば、規則正しい寝息が人力車の中から聞こえてくる。
寝顔だけ見れば無害な印象を受けるが、実際のところはすでに3度も襲ってきている。
国境で問題を起こされるのは困るので、寝かせたままにしておく。
街道は夜ということもあり誰もいない。
この鎧の補助機能を借り受けて錬金魔法で作ったライトを首に提げ、それで道を照らしながら進む。
道中、獣か野盗でも襲われる危険性も考えていたが、ここまでの道のりは一気に駆け抜けてきたこともあって何事もなかった。
国境は壁のようなものが築かれているわけでもなく、小さな砦が街道に鎮座しているだけである。
あの規模では、多くても10人前後しかいないようだが………。
中立国とはいえ、国境にしては随分と手薄な警備である。
戦争をしている国からは難民が第三国に流入してくることが多く、不法入国者が犯罪に手を染めるようになり治安の悪化が進みやすいため、隣接する中立国の国境は警備が厳重になりやすいという例が元の世界では多かったものだが。
亜人の国の国境を通る際には、入国税がかかるらしい。
壁どころか柵もないような国境ならば、容易に関所を無視して通れそうではあるが。
ルシファードからある程度の金銭を借りている。
人間の国だけでなく魔族の国とも交流のある亜人の国では、魔族の通貨も使用可能とのこと。
この世界では種族的に対立している人間と魔族だが、中立国である亜人の国の中では同じギルドに所属し仲間となって協力しながら本国の対立関係とは無縁の共同生活をしているものたちも多くいるという。
亜人と言っても、俺たち異世界人の尺度から見れば彼らは人間というよりも魔族に近く、猫の亜人であったりトカゲの亜人であったり、何種類かの人種がある種族だという。
人間と魔族も多く住んでおり、国というよりも多種族国家と称する方が正しい形態をしている。
また、亜人の国は【連合】と称しているように、各民族の族長が統治する小国家の連合勢力となっている。とはいえ、魔族の国や人間の国とのやり取りに関しては族長達の投票で決定される連合の代表が務めており、俺たちの尺度で言えば小国家というよりも地方の自治権が大きい「合衆国」のような形態をとっている。
人間と魔族の両国にとって、中立国というよりも友好国のような関係にあるため、連合の法さえ守っていれば魔族だからと言って邪険にされることはないとのこと。
真夜中に国境を越えようとする者は珍しいと思うが、可能な限り早く人間の国に向かいたいので、このまま進む。
すでにシェオゴラス城の戦いから10日が経過している。最初の3日は意識も戻らなかったそうだが、前日には歩けるほどにまで回復したなどという情報も入ってきていたので、いつ全快してもおかしくない状況となっている。
できれば全快する前に決着をつけたいところではあるが、回復したとしてもその時は人間軍が動く前に殺す。
どちらにせよ、目的は変わらない。
篝火が焚かれている国境の小さな砦に近づくと、砦の入り口に人影が見えた。
警備の人員にしては、不自然である。道の真ん中に立ち、こちらに背を向けている。
そして、緑の草原から運ばれる草木の匂いに混じって、砦の方から血の匂いが漂ってきていた。
どうやら、何か問題ごとがあった様子である。
砦に近づいていくほどに血の匂いは濃さを増していき、それはシェオゴラス城の戦いで多く感じた骸の匂いとなってきた。
「…………………」
砦には、入り口に立っているあの人影以外に生存者の気配は感じない。
俺が砦に近づいてきたことで、その人影もこちらの存在に気づいたらしく、振り向いてきた。
「誰だ!?」
剣を抜き、警戒心を露わにしてくる。
こちらを向いたことで、外套により見えなかったその人物の外見が見えた。
おそらく、彼が亜人なのだろう。
2メートル以上ある長身、首にエラのようなものが見られ、まるで魚のような人のそれとかけ離れたトラ柄の肌と鋭い牙、青緑色の単色の目。
魚人。そう評するのがふさわしい、1人の男が立っていた。
そして、男の後ろには、篝火が照らす地面に複数の金属鎧に身を包む兵士らしき人影が地面を赤黒く濡らして倒れていた。
その死体はこの距離だと篝火の明かりだけでは詳細までは見えなかったが、金属鎧に覆われた身体に丸太で作った杭を打ち付けたような大穴が開いているという酷いものだった。
自殺、ではなさそうだ。
酷い死体ではあるが、大穴が開いているものの獣の類に食い荒らされた跡があるようにも見られない。
殺人事件の現場、と見て間違えないだろう。武装している国境の砦の守備兵を死体の惨状から見て非常に目立つだろう手段で襲うとは、かなり大胆な犯行だが。
「落ち着け。何があったんだ?」
魚人の向ける剣には血痕の類はなく、これほどの大量出血の死体を作り出すにしては返り血の跡見られない彼の服装が、殺人犯ではないことを物語っている。
このような現場に居合わせれば気が立つのは仕方ないだろうが、彼と争っても何も解決しないと思いひとまず落ち着くように説得を試みる。
剣を向けられても身構えたりせず冷静に声をかけてきたことで多少は落ち着いたらしく、魚人はひとまず向けてきていた剣を下ろした。
「………悪い」
「殺人現場の夜に見知らぬ相手が出れば気が立つのは当然のことだ。構わない」
「そりゃ、まあそうだが………」
男は剣を収め、砦の惨状の方に向き直る。
篝火にくべられている燃えている薪を1つ取り出して、それを松明の代わりにし手近な死体の1つを照らす。
うつぶせに倒れている猫のような耳が頭部に見られるその死体は、胸の中央部分を金属鎧ごと大きな穴を穿たれており、その中から人を殺すことを目的とするならば明らかに過剰な量の血を流していた。
「俺もさっき連合の方から来たばかりだが、この惨状だ。騒ぎにもなってなかったし、街に来ていた荷馬車が夕暮れにここを通った時は何もなかったって聞いてる」
「…………………」
俺も周囲を見渡してみると、地面に、壁に、大量の血痕が見受けられる。
首から提げているライトの明かりを壁にもたれかかっている別の死体に向けると、犬耳の亜人の兵士が同じく胴体に大穴を開けられて死んでいた。
眠りについている同行者を乗せたゴーレムを駐車させ、魚人の男が照らした猫耳の死体に近づく。
調べるまでもなく、息はない。
試しに手に触れてみると、腕までは死後硬直が始まっておらず、肘も曲げることができた。
「騒ぎになっていないとすれば、暗くなってからの惨状だろう。硬直は………」
首元に触れると、脈は感じず筋肉の硬直が進んでいる。
死後硬直は人間の場合、死後2〜3時間程度で始まり、半日ほどで手足まで、約1日で全身が硬直するという。
魚人の男の証言が確かなら、騒ぎになっていないことを考慮すると4、5時間前に起きた惨状だと思う。
獣に食い散らかされたような跡も見られないし、死体は武器を抜いている者も見られる。無抵抗というわけではなかったらしい。
亜人は彼らの崇める中立の神である龍神から【気】というものの扱いを学んでおり、それを魔力と組み合わせた強化魔法というものを扱える種族とのことで、その肉体は魔族や人間よりもはるかに屈強だという。
周囲を調べたところ襲撃犯側の死体がなかったので一方的に殺害されたとおもわれる。
強化魔法を扱う彼らをこれほど一方的に虐殺する存在。
先を急ぎたいのだが、魔族を守ると決めた以上、魔族の国に近い場所で起きたこの事件を放置するわけにもいかない。
俺は魚人の男に話を聞いてみることにした。
死後硬直
死後、筋肉に対する酸素供給が停止することで、ATP(adenosine triphosphate、アデノシン三リン酸の略)という物質が消費され、乳酸が生成されていき、筋肉のpH(水素イオン指数)が低下、それによって筋肉繊維のたんぱく質が結合し硬くなっていくという現象、だそうです。
(ウィキペディア参照)




