シュークリーム小沢
ここで冷静に惚けていればまだごまかせたかもしれなかったが、未だに襲い来る激痛が俺の思考を鈍らせてしまった。
これでは認めるようなものである。
そして、それをベルゼビュートは聞き逃さなかった。
「アカギ殿の魂胆は分かりませんが、廊下の隅に、そして貴殿の後ろに隠れている魔族の足元に血が垂れていては、さすがに何があったのかくらいはわかりますとも」
「………!」
そして、ベルゼビュートの慧眼がそんなことは初めから見抜いていたことを知った。
確かに、とっさのことで床に落ちた血痕とグラヴノトプスの手にある半ばから折れた剣に滴っていた血までは隠していなかった。
ベルゼビュートはグラヴノトプスが俺を恨んでいたことを知っていたのだろう。
ベルゼビュートの目が、俺からグラヴノトプスに向く。
「………ッ!」
その視線に、グラヴノトプスが息を飲んだ。
ばれてしまった恐怖、だけではない。何かの覚悟を決めた、そんな音だった気がする。
グラヴノトプスは、残った剣を俺の鎧の隙間があると見た首に突き刺そうとし、直後に躓いて俺を巻き込みその場に倒れこんだ。
「グッ………!」
その衝撃が傷に響き、思わずうめき声が漏れてしまう。
一方で、俺の上を巻き込んで盛大にこけたグラヴノトプスは、いつの間にか絨毯の一部がロープとなってその全身を拘束されてた。
「は、離してください、閣下!」
縛り上げられ宙吊りにされたグラヴノトプスが、ベルゼビュートに向けて抗議する。
それを無視して、ベルゼビュートは俺のもとに駆け寄り手を差し伸べた。
「アカギ殿、お怪我を?」
「いや………かすり傷だ」
鎧の胸のところだけを開き、突き刺さって折れていた剣の刃を引き抜く。
直後、それまでの苦痛が嘘のように消えてみるみるうちに体の穴が塞がって行き、痛みも引いていった。
「そ、そのようですね………」
異常な再生能力を目の当たりにしたベルゼビュートも、傷を見た直後は何かを言いたげになったのに、表情がすぐに引いていった。
驚いているのは俺も同じである。
もともと人より怪我の治りが早い体質だったが、さすがにここまで異常な再生能力はなかった。
この世界に来たことで得た超人的な強化が、このようなところにまで作用したのだろう。
その傷を負わせた張本人は、ベルゼビュートに抗議していた声を黙らせて、化け物のような回復力に顔を引きつらせている。
俺は怪我がなくなったことを確認してから、引き抜いた剣の刃先だけを握りつぶしてベルゼビュートに差し出した。
「これはご丁寧に」
グラヴノトプスが落としていた剣を手に、もう片方の手で俺の差し出した刃を受け取ったベルゼビュートが、何かの文言を唱える。
すると、不思議なことに折れていた刃はつながり、潰した刃先も尖り、本来の姿に戻った。
今のが混沌と創造、秩序すなわち自然になかったものを「創り出す」、魔族のみが扱える錬金魔法というやつなのだろう。
ルシファードからは、ベルゼビュートは錬金魔法にも精通していると聞いている。
剣の修理程度であれば、造作もないらしい。
そしてベルゼビュートは繋ぎ直した剣をしばらく見てから、剣に仕込まれていたものを見抜いた。
「ふむふむ………毒が塗ってありますね。それもかなり強力なものです」
「………ッ」
ベルゼビュートほどの魔族ならば、剣の修理はもちろん、仕掛けられている代物まで簡単に看破できるらしい。
あれだけ異常な再生力がありながら、刃が刺さっていた間は血が止まらずに流れ続けた原因は、血管を傷つけたというよりも毒によるものが大きかったのだろう。
そしてそれを瞬く間に修復してしまう再生力。
完全に人外のものである。
「…………………」
一方で、瞬く間に刃に塗られていた毒の存在を見破られたことで、宙づりにされていたグラヴノトプスの顔が青ざめて、抗議の声も出なくなっていた。
絨毯が変化して彼女の体を縛り上げているロープ、こちらもベルゼビュートの錬金魔法によるものだろう。当初抗議とともにグラヴノトプスがもがいていたようだがビクともしなかったので、相当頑丈な代物のようである。
すっかり大人しくなっていたグラヴノトプスは、刃に毒を塗っていた事がばれたことで、脅かすだけのつもりだった、事故だったと言った言い訳の余地がなくなり、本気で俺に対して殺意を抱いて襲撃したことが割れてしまった。もう言い逃れの余地はない。
ベルゼビュートが縛り上げられているグラヴノトプスに視線を向ける。
「………さて、一体どういう了見で使徒殿を襲撃したのか、話してもらいましょうか」
ベルゼビュートは口調こそ丁寧ながらも、その声は明らかに怒っている様子だった。
「閣下………これは………」
一方のグラヴノトプスは、言葉を詰まらせる。
しかし俺はグラヴノトプスをベルゼビュートに責めてもらうために突き刺さった刃を渡したわけではない。
グラヴノトプスをかばうように、ベルゼビュートの前に立った。
「待ってほしい、ベルゼビュート」
「………何のおつもりですか?」
襲撃してきた相手をかばうとは思っていなかったらしく、ベルゼビュートが若干驚いた様子でグラヴノトプスからこちらに視線を向けた。
「魔族の法に口を出すつもりはないが、この件については何も見なかったことにしてほしい」
ベルゼビュートに対し、俺は捻りもなく要求を簡潔に伝えた。
ベルゼビュートにはごまかしや嘘は通じない。そして、頭の切れる彼ならば、現状の魔族軍にとってこの将がどれだけ貴重な存在であるかを承知しているはずである。
多くの魔族に慕われているグラヴノトプスが、多くの魔族から嫌われている俺を襲い、そして彼女の方が厳罰に処されたとなれば、魔族の恨みの矛先はベルゼビュートにまで向かいかねない。
ルシファードも俺を擁護するだろう。誑かされている、王は偽物であるなどといった噂まで広まりつつある現在のルシファードの立場は危ういところにあり、堅固ではない。
この状況で、たとえ加害者がグラヴノトプスであっても俺が擁護されグラヴノトプスが罰せられるという事態となれば、魔族に内乱を招きかねない。
ただ魔族というだけでありその内面は人となんら変わりない、同じ感性を持つ存在だからこそ、そういう反乱が起きやすい情勢もまた似た傾向になるはずである。
そして、現在の状況は俺自身が招いたと言ってもいい。
恨まれるのは当たり前であり、グラヴノトプスにも俺を責める権利がある。
魔族がどのような法の元に国を作っているのか俺は知らないが、魔族の現状を考えればグラヴノトプスが俺を襲った件については握りつぶすのが最善だった。
それはベルゼビュートも理解しているはずである。
俺が止めたことで、ベルゼビュートにも俺が何を考えているのかが伝わったらしい。
グラヴノトプスの方に一度目を向けてから、ため息をこぼして口調を軟化させた。
「………ルシファードには知られたくない、ということですか。確かに、アカギ殿に危害を加えたなどと知られれば、グラヴノトプスは間違えなく厳罰に処されるでしょう。そうなれば、ただでさえ将帥の足りない我が軍の再建はますます遅れ、また先の戦役にて大巧を上げた者に罰を与えることがあればルシファードに対する求心力も減ってしまう、と言いたいのでしょう」
「ああ」
その言葉に頷くと、ベルゼビュートは困ったようなため息をこぼしてからグラヴノトプスの方を向いた。
「今回は不問に付し、王の耳には入れないでおきます。私としては使徒殿を害する真似をする咎は死罪こそがふさわしい、と言いたいところですが………使徒殿に言われては目を瞑る他ありません。ただし、次はないと思ってください」
その声は周囲の気温を下げると感じさせるほどの威圧感が込められている。
すっかり怯えたグラヴノトプスが弱々しく頷いたことを確認してから、ベルゼビュートは拘束を解いてグラヴノトプスを下ろした。
「後ほど使用した毒も渡してもらいます。受け渡しの用意をしておくこと、いいですね?」
「しょ、承知しました………」
俺に意識を向ける余裕もなかったらしい。
ベルゼビュートに対して目線を下に向けながら一礼し、グラヴノトプスは逃げるように去っていった。
それを見送ったベルゼビュートは、俺の方に向き直ると深く頭を下げた。
「アカギ殿の温情に感謝致します」
「気にするな。魔族軍に余裕がないことは、俺が召喚されたことが何よりの証明となっている。事情は把握しているつもりだ」
俺ほどではないと思いたいが、天野 光聖にも並の人間と比べるとそれをはるかに上回る再生能力があるとみている。
すぐにとはいかないとみられているが、いつ人間との戦争が再開してもおかしくはない。
その緊迫している状況の中で、有能な将を化け物のような自己治癒能力を持つ存在に対する傷害事件程度で死刑にしてしまうのは、愚策だろう。
ルシファードは隠蔽について引き受けると約束し、これ以上の襲撃があった場合を考慮して、俺を早々に貸し与えられている部屋に戻るよう言った。
俺が残ってもできることがあるわけではないし、次の襲撃までルシファードに隠し通せるとは限らない。
ベルゼビュートの言葉に従い、俺は部屋に籠もることにした。




