俺に色を付けるなら君は何色を選ぶだろう?
【人物紹介】
榊木 雅玖
主人公。最近の悩みは友達が出来ないこと。何だかよく分からない能力使い。
乙宮 瑚都
本編のヒロイン。口癖は、肯定を意味する「そう」。無口だが話すと電波発言をする。
檜室 柊真
委員長じゃないのにあだ名は委員長。帰宅部代表の紳士。歩く伏線。
置き去りにされた感情には色があり、何故か俺には見ることが出来た。
これは気付いたら得ていた特殊能力で、いつから見えるようになったのかは定かではない。最近だったのかもしれないし、昔から見えていたのかもしれない。能力を得た時の記憶が抜けていて、それに関することも思い出すことが出来ないのだ。
だから俺は『感情の色を見る力』は、カミサマと結んだ俺との秘密と思うようにしている。
それであるが故に、このことを他人に暴露したことも無いし、これからも暴露するつもりは無い。
話したところで、誰も俺の特殊能力のことは信じてくれないに違いないだろう。唯でさえ、右手の指を立てるぐらいしかいない友人を、これ以上失いたくないものだ。
自分語りをすることはあまり好きではないからこれぐらいにしておこう。俺の名前やこの体質だって、通り過ぎる人々には何の関係も無いのだから。
7月終わりの炎天下。蝉の鳴き声が雨のように降り注いでいる。たっぷり汗を吸ったシャツは気持ちが悪いぐらい体に張り付いていた。明日から夏休みだと言われても莫大な課題の数とこの暑さにはうんざりとしてしまう。
一学期の終了式を終え、他人より親しい人とキャッキャウフフをする奴らーーー所謂リア充たちは教室で記念写真を撮りまくっていた。
「最近学校で幽霊が徘徊してるんだって」だとか「何それ、誰が言い出したん?」等と笑いのポイントがよく分からない会話にゲラゲラと談笑している。無論、俺は馴れ合う気はない為、その場を後にする。生きていくのに友人との交流は必須ではない。
そもそも終了式と言っても、明日から学校内で講習が催されるから、クラスメイトと顔を合わせる機会は山ほどあると思われるのだが。
やはり俺にはああいった人種は理解できないのであった。
「今日も暑いなぁ…」
滴る汗を拭いながら、校門を抜けるとまた不思議な色彩が目に映った。世の中には目に纏わる能力を主体にした作品が数多と存在しているが、俺のものは常に発動しており、自分の好きなタイミングで使用することは出来ない。
人の死相を見る訳ではないから別にどうってことはないのだが、視界の端にチラチラと色が見えるのは邪魔に感じてしまうものだ。
1人の少女が、校門傍に立つ青々とした桜の木の下で泣いていた。
色の正体は女の子の持つ本だった。辞書のような分厚い本で、そこから神秘的な青が、水の中のドライアイスのように揺らめいている。
物に例えるならば、ブルーハワイのシロップで作った金魚のゼリーのようだ。全く関係ないけどブルーハワイって、ぼっちでハワイ旅行に行って鬱になるってのを想像した。本当どうでもいい。
俺が見える色は何時もアバウトで混色ばかりだから、少女から漂う色はとても魅力的で、自然と目が離せなくなってしまった。
「あなた…誰?」
俺の視線を感じた少女は、涙に濡れた顔を上げた。
黒髪のセミロングから汗が零れ落ちる。異国の既製品人形のような端正な顔立ちで、気の弱そうな茶色の双眸をこちらに向けた。
「人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが常識だろう。お前こそ誰だ?見たこと無い顔だけど、この学校の制服だよな」
そう言い、女の子に歩み寄る。
まともに人と会話した事がないからこれが正しい返答かどうかは分からない。絶対違うと俺のシックスセンスは答えているのは気のせいだ。
「…わたしは乙宮。ここの一年生」
「そうか。俺の方が先輩だな」
先輩である俺の言葉を聞くことはなく、タメ口を改めない乙宮は、俺と目を合わせる。
「あなたの目、まるで死人」
「直球すぎ!?死んだ魚のような目とは言われるけど、そうじゃなくて?」
「…死んでる。死んでいるのはわたしも」
乙宮の電波発言に俺は首を傾げる。
まず何を言っているのかさっぱり理解出来ない。顔はかなり可愛いがこの調子だと、絶対にモテないと俺は確信する。
「死んでいてもわたしには見えない」
「なあお嬢さん、死んでるとか死んでないって一体何の話だ?」
「わたしと契約して」
突然、乙宮は右手を俺の目の前に差し出した。小指だけを突き上げている。
「俺が魔法少女になるのか?」
「違う。そっちじゃない。小指を貸すの」
残念ながら俺は男だから魔法少女になるのは無理そうだ、すまんな。魔法少年から考えてやっても良いけど…いや、やっぱり無しの方向で。
「小指を立てるサイン…あ、オンナか。それとも中国では無能者という意味合いがあってな。即ち俺は無能か。失礼なことに代わりないな」
「…指切り」
俺のボケにツッコミを入れることなく、乙宮瑚都はバッサリと切り捨てる。女子高生が小指を立ててオンナのサインをするシチュエーションは本当に謎であるが故に、ツッコミをするのも憚られていまう。だが、少しぐらい触れてくれないと俺でも傷付くよ?
「しかし契約って何するんだよ。俺に何をさせる気だ」
「あなたの感情の色を見る力で、わたしの父親の記憶を読んでほしいの」
「俺が見えるのは感情だけで記憶は無理だ」
「ほら、ビンゴ。やっぱ見えるのね。感情の糸を辿れば記憶は現れる」
乙宮は、俺の長い前髪を左手で持ち上げる。髪で遮断されていた視界がはっきりとして、湿った額に風が優しく撫でていく。
「あなたから見て、わたしは何色?」
「どういう意味だ」
「しらばっくれるつもり?」
隠せない、と直感が訴える。
この女は俺のこの能力を既に見破っている。力を手にしてから誰にも告げたことのない鎖が、目の前の少女によって千切られてしまう。
「君の色は分からないけど…その本は綺麗な青色だよ。きっと大切に使われていたんじゃないかな」
「そう。…父の遺品なの。これ」
俺の言葉を噛み締めたのか、古びた本を優しく撫でる。そして、満足そうに頷くと再び少女は小指を立てた。
「お礼はするから、契約。してくれる?」
「一応聞くけどお礼ってなんだ?」
「あなたがどうしてその能力を授かったのか、教えてあげる。あと、解除方法もね」
「よし、乗った」
「即答かしら」と乙宮は少しだけ笑みを浮かべた。
「わたしは乙宮瑚都。乙姫の乙に竜宮の宮。瑚都は珊瑚の都って書くの。あなたは?」
「俺は榊木雅玖だ。木に示偏の神に、また木。雅に王と久しいで雅玖だ。先輩とか上下関係気にしないで気軽に榊木って呼んでくれ…っても既にタメ口か」
「うん、分かった。榊木くん」
乙宮瑚都と指切りを交わす。柔らかい声で「指切った」と呟くと、もう泣き止んだその瞳をこちらに向けた。
「早速だけど、わたしの家に来て欲しいの。いいかな?」
着いた先は古めかしい二階建ての一軒家だった。扉が蝶番のものではなくてスライドで開くものである。乙宮が扉を開くと中から黴臭い、古い家の独特な薫りがした。
目をそっと閉じる。家の庭の、枯れた花壇や水が溜まって藻が茂る鉢からは、今にも切れそうな蛍光灯のような暖色が瞼の裏に映る。
「幽霊屋敷みたいでしょ?」
冗談交じりで彼女は言うが、俺には割とマジで霊がこの中にいる気配がした。人の気配はしないものの、それとは異なった人成らざる何かがこちらを見ている気がする。まるで映画の呪怨に出てくる家のようだ。
「なあ乙宮。どうして俺の目が一般人とは違うって分かったんだよ?今までこの件については誰にも言ったこと無いんだぜ?」
「ひみつ」
俺の前を歩く乙宮は静かに頷く。キシキシと鳴る木の廊下を通ると和室に案内された。取り敢えず、能力に関する種明かしは全てが終わってかららしい。
「わたしの父親、今年亡くなったの」
「…ということは、故人の記憶を見るってことか?」
「いや、完全に消えてはいない。ここにいる。訂正するとこの家にいるの。わたしが布団で寝ているとこちらを覗き込んでくることがよくあるから」
乙宮は「わたしのこと恨んでないといいけど」と付け加える。
それはつまり幽霊ってことなのか。というか結構やべーことに俺巻き込まれてんじゃね?この事件が終わったら『幽霊屋敷で女の子の父親の記憶読んできたったwwww』ってスレを某掲示板に立てるんだ…俺、霊体や呪いなんか無いって証明してみせるんだ…。
乙宮は立ち上がると隣にある台所からコップを2つ持ってきた。そして冷蔵庫から麦茶を取り出しガラスのコップに注ぐ。氷が水面に触れ、パキリと軋んだ音を鳴らして麦茶の海へ溶けていく。
「乙宮の父親って…つまり幽霊なのか?」
「多分ね。いたりいなかったり。わたしと会話は不可能。だから、置き去りにされた感情を読めるあなたに頼んだってこと」
「どうぞ」と差し出された麦茶を受け取り、それを一気に飲み干す。冷たい飲み物が喉を通って、火照った体が瞬時にその冷気で癒さられていく。
木目が浮かぶ壁には黄ばんだカレンダーが掛けられていたり、部屋と部屋を区切る障子は赤子が悪戯したみたいに破れている。和室自体は片付けられてはいるが、逆に言えば生活感を感じられない。蜘蛛の巣が張られていたり、擦り切れた畳の床下から鼠の気配がする。もっと悪く表せば廃墟のようだった。
「一人暮らしなのか?」
「そう。家事と学業、両立するの大変」
「だよな。俺も一人暮らしだから分かるよ。実家から近いところに俺の学力に合った学校が無くてさ。おかんとおとんに頼んでバスで通えるアパート借りてるんだ。寂しくないか?」
「榊木くんも、そうなんだ。わたしは別に寂しくないよ」
そう彼女は言っても表情は寂しそうだった。それに孤独を感じていなかったのなら、父親の古書を抱きしめて泣いたりはしないだろう。
「何か見えた…?色だとか、感情だとか」
「うーん。見たくて見えるものじゃないからな、これ。…家の中の物って勝手に触っても大丈夫?」
「いいよ。好きに見てって」
そう言われても、俺の瞳は平常運転である。どうしたら良いものか。
先程から気になっていたカレンダーにそっと触れた。絵柄の部分は西洋のトンネルの写真で、年月は今年の5月を指したまま止まっている。
西日で焼けてやや弧を描いた厚紙には、薄く埃が積もっていた。それを優しく指で払った時に、またあの瑠璃色が見えた。
「これ、乙宮の親父のか」
「そう。会社で貰って来たみたい」
深くて夜明け前の空のような綺麗な青。海の底へと突き落とされていく奇妙な錯覚までも感じる。古書の神秘的な青とは異なり、息苦しさが溢れ、見つめていることが禁忌であるかのように思えてきた。青色だけではない、水の気配を感じる。
「違ったら凄く失礼だから無視してくれ」
俺は冷房の効いていない部屋の暑苦しい空気を吸って、深呼吸を1回する。これだけ暑いと正常な判断が出来なくなりそうだ。
「親父さんの死因って入水自殺だったりする?」
乙宮は目をパチクリさせた。その勢いで慌てて麦茶を啜る。
「びっくりした。やっぱりその能力は本物なのね」
「ということはそうなのか。詳しく聞いても良いか?」
「いいよ。父の書斎に案内するから来て」
立ち上がり、廊下へと出る。彼女の後に付いていく。和室から出た角を曲がると階段があった。どうやら二階に書斎とやらは存在するらしい。
「父はね、2ヶ月前…今年の5月に突然消えたの。置き手紙も無しに蒸発したようにね」
「遺書も無かったのか?」
「そうね。わたし、少しだけ幽霊だとかそういった類のものが見えるの。会話は出来たり、出来なかったり。でもどんなに頑張っても父とは話せない」
所謂、霊感があるというものだろうか。俺の家系は霊だとかあの世のことを全く信じていない人種の塊だから馴染みがない。4つ離れた妹はオカルトが好きなようだが、彼女曰くあくまでエンターテインメントらしかった。要するにオカルトマニアな妹でも霊は信じていないのだろう。
2階のすぐ手前のドアノブを乙宮が捻る。重々しい音がして扉がゆっくりと開いた。
「入って」
闇の帳が下ろされたままの暗い部屋に「失礼します」と一礼。そして恐る恐る入室する。古本屋のような匂いと、湿った木の匂いが合わさった空気が俺を包んだ。そして、眩いぐらいの鮮明な青があちらこちらに散らばっていた。
「綺麗だ…」
宿主の死を感じさせないぐらいの想いの塊に圧倒させられる。視覚しか頼る手段が無くても、波の音や星の瞬く音が聞こえてきそうなぐらいだ。
「わたしにはただの散らかった部屋にしか見えないけれど…榊木くんには違った風に見えるのね」
「なあ、その…親父さんの…死体は見つかったのか?」
俺の問いに乙宮は首を左右に振り、
「捜索願いは出したまま。海ってことは分かるけど、何処の海かは分からない。そもそも自殺した理由が分からないのだもの。死体は恐らく魚たちの餌かな」
「そうか」
そう呟き、色の形を見る。触れることは不可能だが、読むことは可能だ。青の形を辿っていく。悲しさ、恨み、叫び、狂おしい程の愛情、様々な感情が流れ込んでくる。感情は苦しいのに、どうしてこんなにも色彩は美しいのだろう。締め付けられるような悲哀に目頭が熱くなってきた。
言葉に言い表せない、この感情を乙宮に話すのはまだ早い。
「だ、大丈夫…?ハンカチいる?」
「平気だ。少し驚いただけだよ」
心配してハンカチを差し出す乙宮の手を優しく払い、乱暴にシャツで涙を拭った。
「乙宮、明日の午後って講習入ってるか?」
「講習って学校の?わたしってまだ一年だし、学校の勉強余裕だから取ってない。榊木くんは?」
「ははっ、そう言えて羨ましいわ。俺は午前だけ。じゃあさ、明日終わったらお前ん家来てもいいか?」
「いいけど。何か分かったの?」
「うーん、取り敢えず海に行こうと思う」
「そう」乙宮は寂しげに笑う。詳しく追求しない辺り、何かを察したのだろう。
「今日はもう帰るよ。久々に人と話せて楽しかった。ありがとよ」と呟き、書斎から廊下に出る。
「ねえ、最後にひとつだけいい?」木製の扉を閉めると乙宮が独りごちるように小さな声で囁いた。
「わたしにあなたの目を見せて」
俺が肯定する間もなく、身長差が15cmもある小柄な少女は、俺の顔に手を添える。
「わたしは何色?」
顔と顔が今にも、くっ付いてしまいそうなぐらいに近づく。乙宮瑚都の瞳は澄んだ茶色だ。ただそれだけ。
それ以上のことは何も見えない。見えないはずなのにーーーー
路線バスが走っている。道路沿いには立派に咲き誇る桜並木。季節からして4月の初めぐらいだろう。時間帯は午前中か。路線バスが十字路を右折しようとした刹那、信号無視したトラックが正面から突っ込んできた。バスは大破し、周囲は阿鼻叫喚に包まれる。今ので6人死んだ。いや、もっとか?分からない。血の湖と破片が黒いコンクリートに模様を作り、ブレーキの焦げ臭い香りと共に溢れ出ていた。
「これは記憶か…?」
「なに?」
「いや、気にしないでくれ。今の君に、俺は色を付けられない。お邪魔したな、また明日来るよ」
小首を傾げる乙宮瑚都から、逃げるようにその場を離れた。乙宮家を出て、荒れた庭からその一軒家を見上げる。あの記憶は誰のものだったのだろう。
「うっわ…もう夕方か。何時間あいつの家に居たんだ…」
確か、乙宮瑚都と校門前で会った時はお昼過ぎだったはず。学校から乙宮家は歩いて15分程度の近距離。あのお化け屋敷にチキンな俺が5、6時間も滞在していたとは思えない。
精々2時間程度だろう。明らかに時間の進みが狂っている。
やはり、あの家の空間が現実とは乖離した紛い物だからなのだろう?
太陽が沈んで辺りに夜のカーテンが閉じていく。夕方でも夜でも無い時間、この時間を逢魔が時と言うんだっけ。
「明日は確かめなきゃならないことが沢山あるな」
田舎の山々が聳え立つ地平線が赤からオレンジがかった青になるのを見届けた後、俺は家路についた。
翌朝、眠たい目を擦っていつも通り学校へ登校する。俺が取っている科目は英語の一教科だけだが、講習期間は一コマが通常授業の2倍、つまり90分もある。正直休んでしまいたい気分であるものの、来年は大学受験生。そろそろ勉学とやらに真面目に取り組まなければならない時期だろう。いつまでも現実逃避していては駄目なのは分かっている。
疎らに混み合う下駄箱で上履きへと履き替えていると、突然背後から話しかけられた。
「おはよう榊木くん」
「…あ、おはよう」
ローファーを金属製のロッカーに乱暴に突っ込んで振り返る。根暗な俺にわざわざ声をかける人物なんて1人しかいない。
クラスで委員長的な立場にいる爽やかイケメンにして、唯一俺の話し相手である檜室柊真である。大体こういう奴はサッカー部に入っているという共通点があるが、檜室は珍しく、帰宅部だった。それに、タラシのように見えて彼女がいない点も意外だし、独り言が大きいというお茶目な属性も持っている。イケメンながら不思議な奴だ。
「昨日勝手に帰っちゃってどうしたんだよ?榊木くん無しのクラス写真なんて、おれは嫌だな」
「ほっとけ。自分がクラスに受け入れられていないことなんて分かってるから。それに俺が写ったら心霊写真になっちまう」
前髪を親指と人差し指で弄りながら目を逸らす。唯でさえ教室内では誰からも話しかけられず、孤立する幽霊状態の俺だ。
また、この長い前髪と背筋の悪さが合わさって、俺が写った写真なんて本物の幽霊のように見えそうだ。乙宮家が呪怨ハウスなんて馬鹿に出来ない。
「またまた冗談というか、相変わらず自虐ネタが上手だね。昨日、教室を去った後に校門前の桜の木の下にいたみたいだけど。1人であんな所で突っ立っているんだったら、おれたちと一緒にいた方が有意義なんじゃないかって思っただけだよ。余計なお世話だったらごめんね…ははは」
「ちょっと待て、俺が1人だった?」
聞き流せないフレーズに思考が停止。思わず檜室に質問する。
「どったの?まるで狐につままれたような顔しちゃって」
「いや、何でもないよ」
俺が引き下がると、タイミング良く檜室の友人らが下駄箱にやって来た。檜室はそちらの方向を見ると笑顔で彼らに手を振って挨拶をする。
「じゃあ榊木くん、おれは行くね」
「ごめん待って。最後に質問してもいいか?乙宮瑚都っていう高1の女子生徒知っている?お前、結構顔広いだろ?」
「うーん、分からないな。あ、丁度いいね」檜室はそう言うと彼の友人らに「乙宮瑚都って名前の後輩ちゃん、知ってる?」と質問をする。友人2人はどちらも首を横に振った。
「だってさ。力になれなくてごめんよ」
「こちらこそ引き止めて悪かった。じゃあな」
檜室に礼を言って手を振った。学校内で目立ち、交友関係が幅広いイケメンが知らない少女・乙宮瑚都。それに昨日の件だ。あいつは俺が1人で桜の木の下にいたと言った。これぐらいじゃ彼女を『アレ』だと決めつける証拠にはならない。でも心当たりが多すぎる。
俺の脳裏には、乙宮の瞳の奥に映ったあの路線バス事故の映像が過った。
「なぁ、やっぱこの学校って幽霊が出るらしいよ」「マジー?丁度夏だし肝試ししちゃう?」「やめとけって。根も葉もない噂だろ?」上履きに履き替えて、俺の前を笑いながら通過する男子生徒。校門前の桜の木の下で俺と会った乙宮は、初対面にも関わらずああ言った。俺の目付きを小馬鹿にした後に『死んでいるのはわたしも』と。あの言葉の意味は何だ?可能性は消えない。
学校を徘徊する幽霊ってもしかしてーーー
「乙宮瑚都のことか?」
もしあいつが成仏出来ないのなら、枷となっているのは父親のことだろう。あの子が父親の記憶の件で納得してくれるのなら、無力な俺はきっと助けになるのかもしれない。
だったら、俺がーーーー
「あいつの想いを満足させてやるしかない」
授業は全然集中出来なかった。
頭の中が乙宮瑚都の事で溢れていて、何かを考えようにも離れなかったからだ。幸い、授業はスローペースな上に自由席だったので、窓際の一番後ろの席で考え事をしていても目立ちにくかった。
影の薄い俺は、通常授業でも当てられることはないのだが。
教室から立ち去り乙宮家に行く前に図書室に寄っていくことにした。昼食を取りたかったのもあるし、やはり例のバス事故について調べたかったのだ。
俺の通う学校は田舎の進学校なだけあり、図書室が広い。飲食可能スペースも設置されている為、午後から講習の生徒がスマートフォンを触りながら片手でおにぎりやサンドイッチを食べている。
俺は過去の新聞を探す。無論、今年の4月に起きた事故の記事が載っているものだ。順番に探していくと直ぐに見つかった。その部分だけ広げて人の少ない自習机に向かい、じっくりと羅列した文字を黙読する。
「そういうことか」
誰にも聞こえない声で独りごちる。
「仏波ヶ淵学園行きのバス事故で6人死亡。そのうち学校の生徒は1人…なるほど、それで学校ではそれほど騒がれていないのか」
この学校の多くの生徒が利用する中で、学校関係者の死亡が1人しかいなかったのは、正に幸運と言って良いだろう。
なんて言ったって、予鈴前のバスは異常な程混んでいるからだ。この事故は発生した時間が朝早かったことが唯一の救いかもしれない。それでも大惨事なのは変わりないが。
死者の名前は出ていないけれど、俺が予想した通りにパズルのピースは繋がった。
だが、ひとつだけ納得が出来ないことがあった。事故はこの学校の近くで起きている。おまけに俺はアパートからのバス通学だ。4月初めの日、乙宮たちが新入生として高校に入学式する日、俺だってバスで学校に来ているはずだ。
なのに、どうして。こんなに最近のことなのに。
「俺はこの事件を覚えていないんだ?」
印刷した紙を畳んで鞄に突っ込む。スペースで、持参した朝食のあまりのパンを食べながら、この件についてひたすらに考える。
水無しで服用した薬が喉に突っかかった時のように、何かが俺の中で疼いていた。
学校から乙宮家まではバスでも行けるが、俺の住むアパートとは反対方向なので定期券が使えない。
やはり、一人暮らしであるが故に、交通費は節約したいものである。仕方がないので、馬鹿みたいに暑い炎天下の中、乙宮家まで歩いて向かうことにした。
真昼間でもお化け屋敷にしか見えない。
錆びた門をずらして、荒れ放題の庭を通り、きちんと機能しているのか不明なインターホンを押す。
音は鳴らなかったが、数秒待つと、中から乙宮瑚都が出てきた。今日は学校がないからか、涼しげなワンピースを着ている。肩の辺りが男子高校生にとって毒なぐらいえっちだ。
「汗凄い。…臭い」
「挨拶の前に悪口かよ!?」
「こんにちは?」
「ああはいはい。疑問形がすごーく引っかかるけどこんにちは。入ってもいいか?お茶くれ、脱水で死んじまう」
「入って」
入室許可を得て乙宮家に上がる。昨日と同じ和室に通された。乙宮はガラスのコップに麦茶を注ぐ。たぽたぽと底を打ち付ける音が心地よい。
「氷は何個?」
「1個でいいよ。ありがとう」
受け取り、一気飲みする。冷たさが脳にキーンと響く。
「昼ごはんは食べた?」
「ああ。パンだけだけどな。乙宮は?」
「わたしは食べた」
彼女が答えると「そうか」と俺は返事をする。
いただいた麦茶を飲み終えた俺は立ち上がった。
行動するのは早い方が良いと俺はおとんに教わったのだ。さっさと解決させて脳内を空っぽにしたい上に、薄気味悪い幽霊屋敷に長時間滞在なんてしたくない。
「お茶ご馳走さま。じゃあ行くか」
「行くって、海に?どこの海?」
「明日間湾だ」
明日間湾というのは、俺らが住む地域の東端に位置する海のことだ。隣町の山を越える手前にある。砂地の海岸がないため遊泳禁止だが、その反面に漁業が盛んで俺の祖父は引退前には漁師をやっていたぐらいだ。
「ここから路線バスで30分ぐらいだけど。あ、交通費大丈夫か?」
「お金は大丈夫だけど…」少女は表情を濁らせる。
「どうした?…バスが怖いのか?」
カマをかけてみる。乙宮は俺の言いたいことに勘づいたのか、濁らせた表情を普段通りに戻した。俺の一言で悟られないようにした彼女。『乙宮瑚都幽霊説』が、有り得るという可能性がまた高まる。
「全てを確かめたいんだ。俺と行こう」
「…うん。準備してくるから待ってて」
乙宮家の庭で待つこと数分。薄手のカーディガンを羽織り、リュックを背負った乙宮が出てきた。リュックから薄く青の色彩が滲んでいる。推測だが、中身は父親の古書だろう。その古書の中身も、今の俺には予想が付いている。
「待った?」
「ううん。それよりここ蚊がすげぇわ。いつバスが来るか分からないし、出発するぞ」
5分程度でバス停に着く。そこでまた10分程待つと、明日間湾行きのバスがやって来た。乗車し、二人分の運賃を入れる。
「え、わたし払えるのに」
「気にすんな。少しぐらい男らしいことさせろよ」
「…じゃあお言葉に甘えるわ」
運転手が奇妙な目をしているが、気にしない。
彼女の前でカッコつけたいイタイ彼氏だと思われてるのだろうか。まあ、明らかに陰キャなこの俺が、乙宮のような美少女と肩を並べているのは不釣り合いで変かもしれないが。
そのまま奥の席へと向かう。女の子とバスに乗るのは初めてだから、かなり緊張してしまう。恥ずかしくなって少しだけ間を空けて座った。おまけに汗臭いと言われて再びへこむのも嫌である。
「バス、人少ないな」
周囲の座席はちらほらと人が座っているものの、乗客はあまりいなかった。
「田舎だから利用する人がきっと少ないのよ」
話題が無くなる。無言のまま隣に並んでいるのは何だか気まずい。だからって女の子と何を話せば盛り上がるのか。もっと恋愛教授本を読んでおくべきだったか…?
それとも女の子と仲良くなるシミュレーションゲームをプレイしておくべきだったか…?
「乙宮は学校で、仲良くしてる子とかいるのか?」
「いない」
「即答かよ!?」
もしかして俺、地雷踏んだぁぁぁぁ!?!?
「いないし、友達なんていらない。1人だって生きていけるのをわたしは証明する」
「…はぁ。何だかお前に似た人、俺知ってるわ」
「じゃあ、きっとその人とわたしは、とても気が合うことに違いないかもね」
それが俺なんだけどさ、なんてことは言えない。
友達がいないというより、乙宮は美人すぎて友達が寄り付かないタイプだ。それに対して俺はとてつもなく空気が薄い。そもそも友達を作ろうなんて気はお互いにこれっぽっちも存在しないのだけど。
「そう言ってる榊木くんは、お友達いるの?」
「いねぇよ。あ、でも友達未満の関係でなら話す奴は1人だけいるわ」
「そう。意外ね。どんなひと?」
「クラス委員長じゃないのに委員長みたいな奴でな。イケメンでジェントルマンで独り言がでかいとか言われてる帰宅部員だ」
「きっと気遣いが上手なのね。榊木くんに話しかけるぐらいなのだから」
「俺馬鹿にされてね!?」
「馬鹿にはしてないけど」
乙宮はバスの車窓から外の景色を眺めている。遠くに海が見えた。夏の太陽をこれでもかというぐらい反射をして、キラキラと光っている。海の色が、青くて高い空の色を鏡のように吸い取っている。
「どうして昨日、校門前に立っていたんだ?あんな所にいたらお前の泣き顔をいろんな人に見られて恥ずかしいだろ」
「榊木くんを待ってたの」
海の方を眺めていた彼女は、俺の方へと顔を向ける。
「ずっと、あなたと話したかったから」
思考停止。パンクしそうな頭を捻っても答えは出てこない。これって口説かれているのか?
俺が脂汗をダラダラと流していると、相変わらず落ち着いた声で「もう着く」と言って停車ボタンを押す。
どちらにせよ終点だからボタンは押さなくても問題無いはずなのだが。彼女なりの気遣いとしておこう。
バスが止まり、スライドしたドアから歩道へ降りる。何処か懐かしさを連想させる潮風が強く吹き抜けた。
「やっぱりここは遊泳禁止なのね」
「当たり前だろ!?泳ぐ気でいたのか!?」
「着替え持ってきたのに」
「もう少し東海岸に行けば泳げないこともないが…漁船の邪魔になるよなぁ…」
「ここで泳ぎたかった」
「死にたいのか!?」
歩道にはフェンスが二重に設置されているが、その下は荒波が打ち付ける断崖絶壁だ。ここが自殺の名所兼心霊スポットであるのも頷ける。
他県から、死にたがりやオカルトマニアがやって来るらしい。本当に幽霊が出るかは謎だが、このフェンスをよじ登って、身投げをすれば、必ず死ねるだろう。俺が保証しよう。
バス停から少し歩いたところで、俺は止まる。乙宮がいる方へと振り返る。
「お前の親父、ここで自殺したんだよ」
「ここ?」
「ああ。色が残ってる。ここに来て確信したよ」
俺は錆びれた緑のフェンスに触れる。自ら命を絶つ間際の悲しい色の中で、見慣れた美しい青色がまだ薄らと残っていた。
まるで自分の存在証明をするように。
乙宮はまたあの寂しそうな表情をした。ビー玉を埋め込んだような綺麗な瞳には、零れそうなぐらいの大粒の涙を浮かべていた。
「乙宮、聞いてくれ」
深呼吸する。やって来たのだ、全てを答え合わせする時が。
「お前の父親は路線バスの運転手。4月7日の入学式の日、あの事故が起きた日に、死亡事故を起こしたバスの運転をしていた。で、父親が運転するからと登校時間よりも少し早く乗車した学園の生徒がいたんだ。それがお前だった。新しい日常を迎えるはずが、信号無視した飲酒運転のトラックがそのまま直進し、交差点を右折するバスに追突。車内中央に運悪く座っていた乙宮瑚都は死亡した。その生徒を除く5人の乗客も死亡。運転手と後部座席に座っていた乗客数人だけが生き残った。そして話はここからだ」
俺はそのまま続ける。
「娘の他に乗客5人を守れなかった父親は自主退職。最愛の一人娘もいなくなり、職を失った父親に愛想を尽かした母親は蒸発。乙宮夫妻は事実上離婚となった。一人、あの家で暮らすことになった父親は運転手でありながらも事故を回避出来なかった懺悔を毎日ノートに書くようになった。いや、毎日というより自分が死ぬまで、と言った方が明確か。それがお前の持ってる古書の正体だ。ただの古い本にしては色の想いが強すぎるから、変だと思ったんだよ」
「そう。…わたし、死んでるの?」
俺は自信を持って頷く。
「さっき話したイケメンジェントルマンの俺のクラスメイト、まあ檜室って名前なんだけどさ。そいつ、俺とお前が話してたとこ見てたらしいんだ。だけど、檜室が見たのは俺1人だけだった。それに学校を徘徊する幽霊の噂、父親のことが気になって成仏していない乙宮説が一番濃い。あと俺と初めて合った時、『死んでいる』と言ったよな?本当は気付いているんだよな、自分がこの世に存在しないってことをさ」
「…父は…父さんはわたしのこと恨んでいなかった?」
漆黒のセミロングを掻き乱す、一層強い海風が吹いた。乙宮は自分の死を否定しない。背負ったリュックから父親の古書、改め、分厚い日記帳を取り出し、その革表紙を愛おしいそうに撫でる。
遺書ではない、自分自身の愚かさと恨みを書き連ねた、彼の心の叫び声の権化だ。
「もちろん。乙宮の親父さんはお前を恨んでなんかいねぇよ。人の命を預かる仕事ながら、死亡事故を起こしてしまった贖罪とでも言った方が相応しいのかな。自殺はその罪滅ぼしだ。君のせいなんかじゃないから、その点は安心してほしい」
「そう。嬉しい。ありがとう。やっぱりあなたに頼んで良かった」
フェンスに設置された手摺に乙宮が寄りかかる。西へ傾き始めた太陽が逆光となって、乙宮の姿を神々しく照らす。
「ただ、榊木くんの言ってること、ちょっとだけ違う」
「…ちょっとだけ?」
「そう。歯車が噛み合わないはずよ」乙宮は目線を上に上げる。見つめるものは虚空だ。空を高く仰ぐ少女はそのまま続ける。
「あなたの友人、ジェントルマン檜室」
「変なあだ名付けるなよ!?あと、友人じゃないからね。檜室がどうしたのか?」
「どうして彼が独り言が多いって言われてるか知ってる?」
分からない。俺は沈黙する。
「話している相手が幽霊だから。彼はわたしと同じ体質の人間ながらも、わたしより霊感が強いはず。霊体と人の区別がつかないの。だから、何も見えない人からは独り言が多いように見える。社交的なのが仇になったのね」
「もし仮に檜室が見える体質だとしたら、何でお前の姿は見えなかったんだよ?」
「ただ単純に2年の教室から校門前が木の影になってるの。立ち位置的に見えなかっただけ」
「でも檜室はお前のこと知らなかったぞ?」
「だってわたし、学校行ってないもの」
「は?」
「わたし、不登校児。学校行っても家で勉強してる方が楽しいから行ってない。だから先輩たちは知らなかったのかも。あと付け足し。ジェントルマン檜室は事故の死者が誰か知ってるはず」
乙宮は両手で、俺の手を掴んだ。彼女の手は小さくて、それに白くて、触れたら壊れてしまいそうなぐらいだ。
そんな手で俺の手を導いて乙宮瑚都の頬へ誘導する。女の子の柔らかな肌の感触が俺の掌に当たった。仄かな血流を感じる。
「そもそもわたし死んでない」
「…ごめんなさいっ!」
「いいの。あなたは父さんがわたしのことを恨んでないのを証明してくれたから」
しかし、あの事故の犠牲者が乙宮でないのならば、うちの学生で誰が亡くなったのだろう?
そもそも朝早くに新入生は登校しないから、死亡事故に巻き込まれるなら今の2年か3年だ。2年生の俺が知らないのはおかしいから、上級生だろうか。乙宮曰く、檜室は知っているらしいが、顔の広さもあって、全く推測の宛にならない。
「契約。あなたの能力のこと知りたい?」
「教えてくれるなら知りたい」
「そう。…なんだ。わたし、もう榊木くんはとっくに気付いているのかと思ってた」
「だからそうやって話を自己完結するのやめてくれよ。マジで分からねぇから」
「わたしが言ったら能力が永久に解除されるかもしれない。それでもいい?」
俺は肯定する。
寧ろ邪魔だから無い方がいい。大体この能力のせいで至るところの記憶が飛んでいるのだ。授かった時期も、その時の記憶も、穴が空いたように抜け落ちてしまっている。この、感情を色にして見る能力を手放したら、きっと抜け落ちた記憶も戻るだろう。
いや、待てよ?
ーーーー記憶?事故で学校が騒いだことを知らないことって、まさか俺の能力と関係があるのか?
もう遅い。俺が思考を巡らせる前に、乙宮瑚都は運命の言葉を紡いだ。俺という人間の意識の幕は下ろされる。
「あなた、死んでいるのよ?」
能力発生条件:榊木雅玖の死亡
能力解除条件:榊木雅玖の霊体の消滅
続編はないです。




