第8話:魔法への思い
――分かってたけど。
起き抜けの怠さと肌寒さを覚え、馴染みの薄い毛布を引っ張り上げる。
昨日までの出来事が夢ではないのだと、セイジは改めて思い知った。
朝からマイナス思考に陥る彼に、部屋の前に来た家主から声が掛けられる。
「おはよう、セイジ」
「……おはよう」
そのままのテンションで言葉を返す。
入るよー、という声の後に、扉の開かれる音が鳴った。
「大丈夫?」
様子を窺うように、セイジを覗き込みながら気遣うラフィアルーン。
「ああ、大丈夫」
全然大丈夫じゃない、と言いたい気持ちを抑えつつ、セイジは寝具から起き上がった。
「朝ご飯、作りました!」
「助かります」
声を掛けたラフィアルーンは、昨日の服に似た衣服を着ていた。
デザイン――刻まれた魔法式――がちょっと違うだけ、としかセイジには思えなかった。
朝食の準備が出来たことを伝えてから、部屋の扉へと向かっていく。
「冷たっ!」
床に下ろした足に冷たさを覚え、思わず足下を見ると、
「あ、室内用の靴、用意しました」
昨日はごめんね、と振り返って謝るラフィアルーンが床を指差す。
白い毛で覆われた履物が一足、彼女の履いているものと同じ物が置かれていた。
男はそれに足を通し、感謝の念を伝え、彼女の後をついていく。
「今日は時間が、たくさんあります!」
寝室から別の部屋へ向かう途中、魔女はそう宣言した。
「魔法、使いたいんでしょ?」
彼の心中を知ってか知らずか、彼女はさも分かっているかのように笑いながら話す。
目が覚めても前の世界ではなかったこと。彼女の言う通りであること。
「使いたい」
――帰れる方法は後で聞けば良いか。
未練が無い訳ではなかったが、現状で出来そうなことへの受け入れと期待。
魔法に対しての興味へ、心を委ねていった。
ラフィアルーンの後ろをセイジは歩いていった。
広めの部屋に入ったところで、いくつかの皿と容器が机に置かれているのを目にする。
「さっき作りました」
どうぞ、と手で促され、二人して椅子に腰を下ろした。
セイジは既に置いてある朝食を眺めた。
大きめのサンドイッチと牛乳、それに紅茶。
横にある果実はオレンジ、という印象を抱いた。
軽く焼いたパンに、薄く切った肉と野菜が挟み込まれている。
カップには白と、赤茶色の液体が注がれていた。
「ありがとう、いただきます」
彼がこの世界の言葉で述べると、
「どうぞー」
ラフィアルーンはのほほんと返しながら、パンに手を伸ばした。
セイジは元々、食事への関心がそこまで強くはなかった。
だが、今の彼はただ飯食らいである。
感謝の念に堪えず、彼は昨日と同様に両手を合わせてから食事を摂っていった。
「あ、飲み物は好きな方を……、んー」
魔女は、セイジが理解出来るような言葉を探しているようであった。
多分大丈夫と言ってから、セイジにとってはミルクに見える方の容器を手に取った。
口に入れると、前の世界のものより甘い。そんな味わいを彼は感じた。
「美味しい」
「良かった! じゃあ食べた後は魔法と世界のことを話します」
「お願いします!」
起床直後のテンションはどこへやら、顔をガバッと上げて言った。
朝食を味わうのもそこそこに、早々に食べてしまったセイジであった。
「子どもみたい」
待ちきれない様子のセイジを見て、くすくすと笑う魔女。
そんなことないと悪態をつくが、セイジ自身も胸中で同意していた。
オレンジと予想した果物は、彼の想像通り、甘酸っぱい柑橘類特有の味であった。
食事を終えた男女が裏庭へ出ると、太陽が壁越しに光を注いでいた。
地面の上に厚手の布が敷かれ、囲いの近くに標的が置かれる。
魔法練習用の為に、ラフィアルーンが物置から持ってきたのであった。
「じゃあ、昨日と同じです。魔力の流れから確かめて」
「分かった」
その上で二人は向き合いながら話す。
彼らは早速、魔法について試行錯誤していた。
昨日同様、ラフィアルーンが指導役で、生徒役はセイジである。
「魔力が少なくなると、苦しくなるから」
そうなったら言うようにと、言葉と絵で教えていく魔女。
全身を黒く塗られた男がセイジで、白抜きの女がラフィアルーンという、絵に描かれた男女。
クオリティは低いままであった。
「分かった。よろしく頼む」
その絵を見ない振りをしながらセイジは答えた。
「苦しい時、魔力をあげられるからね!」
魔力はたくさんあります、と続けて、魔女は紙に描き起こしていく。
歪な手が白い女から生え、黒い男の周囲に波打つ線が描かれるのであった。
眺めていると集中出来ないような気持ちに、セイジは踏ん切りを付ける。
己の中の魔力を確かめようと、彼は両目を閉じて片手を突き出した。
「魔法は、思いで生まれるの」
「思い、か」
「そう」
――イメージで良いのか?
男が脳内で考えていると、昨晩の出来事が思い出された。
水、液体。流れ、出す。
水について想像していくと、澄んだ空のような色合いの集まりを、自身の胸元に感じた。
セイジが水属性の魔力であるそれを意識し、どうにか放とうとしていく。
――出ろ!
ひと際強く思い込むと、セイジの体の周辺から水蒸気が放出された。
「うおおおお出来たああ!!!」
少しだけ眩暈を覚えるものの、水魔法らしきものの発動に成功したと喜ぶセイジ。
喜びと驚きに気色ばむ彼に対して、ラフィアルーンは、
「それは失敗」
と一言でバッサリと切り捨てた。
「え? これ駄目なの?」
ぼやく彼に、どうしたの? という表情を向ける彼女。
「え、ああ。どうなんだ、失敗なのか」
「うん。手から出てなかったよ」
そう言われた男は、全身から霧状の水が放たれたことを思い出す。
彼女の指摘通り、構えていた手から放出されていなかったことを思い返した。
――さっきの眩暈、魔力を使ったってことか。
失敗しても魔力を消費するのだと、セイジは気を引き締め、意識を研ぎ澄ませていく。
男は再び水について想起していく。
魔法を使うことを意識しながら水を思い浮かべていく。
セイジの胸の辺りに、再び魔力が集まっていった。
液体、流れ、と先程と同じく考えていたところで、
「手から、出す」
と言葉にして意識を傾注していった。
心臓から魔力が腕へと向かい、突き出した手の方へ流れていくのを確認する。
――いけ……、出ろ……!
「いけえっ!」
念じながら叫ぶと、セイジの手から水が勢いよく放たれる。
鋭い水流が的に直撃し、標的が音を立てて破砕していった。
「出来たああああって威力すごっ!? 頭いてぇ!」
目論見通り魔法を撃てた喜びから一転、魔力消費による頭痛がセイジを襲う。
「凄い、ちゃんと出来た! おめでとう!」
横で見ていたラフィアルーンは、諸手を挙げて喜びながらセイジを祝った。
「あ、ありがと! ラフィ……!」
ラフィアルーンさん、と口に出そうとしたところで、彼はその場に立っていられなくなった。
頭痛と眩暈、胃を圧迫するような気持ち悪さがセイジの身体へ広がっていく。
顔を顰める彼はその場に座り込み、何とか彼女へ感謝しようと見上げる。
「あ、苦しい? 待って」
腰を落としたラフィアルーンは、セイジを抱えるように手を回した。
「魔力あげるので、受け入れて!」
魔女の両手が淡く輝く。
受け入れってどうやるんだっけと思いながら、セイジは彼女のされるがままであった。
魔女が触れている腕と背から、魔力の波が押し寄せてくる。
セイジがそこへ意識を向けると、体内へと魔力が流れ込む様子を知覚した。
彼の体内にあった不快感が払拭され、セイジの眩みと頭の痛さが和らいでいった。
「ありがとう、ラフィアルーンさん」
「魔力、たくさん使うと危ないよ!」
感謝を告げられた魔女は、首を振りながら忠告する。
「気を付ける、すまん」
苦痛が消え、すっきりした心地でセイジは詫びた。
「うん。絵を描いておくので、頑張ってね!」
心配そうな表情を消し、微笑むようにラフィアルーンが話す。
絵は今後の解説用のもの、と付け足してから敷物に座った。
それを眺めた男は、再び魔法を扱う練習を重ねていった。