第5話:改めて知る、最高の調味料
人間は食べなければ死ぬ。
思い起こしたように空腹感に苛まされ、セイジはこの世界の食事事情を思案する。
この世界に訪れてから彼が見た食材は、屋台の肉のみ。
店主自らがその場で火魔法を使い、調理していたのであった。
――こっちは狩猟なんてゲームでしかやったことないぞ……。
言葉の壁を乗り越えた矢先の懸念事項である。
心が段々と不安になっていくのをセイジは自覚した。
生命の危機に直面している、ということを、セイジは頭では分かっていた。
食事、言語、住居、貨幣、衣服。
この中で今セイジが持ち合わせているのは、身に付けている衣服のみ。
かつての世界での豊かな暮らしを思い出し、早くも挫けそうになっていた。
適当に過ごしていても、ある程度は生きていける祖国。
郷愁の想いに駈られたセイジ。在りし日の光景が即座に思い出されていた。
現実を認識した彼は、己の出来る事を考えた。
乳幼児のように、空腹を訴えること。彼が出来ることは皆無に近かった。
彼女と目が合う。今しかない、と彼は思った。
「腹減った、助けて!」
セイジは片手で自分の腹を叩きながら、もう片方の手で口にご飯をかき込む動きをしてみせた。
なんて厚かましくて情けないのだろうかと、非常に惨めになりながらも、やるしかなかったのである。
「ふふ」
分かってるって! と言わんばかりの顔で笑う魔女。
「少し待つ、良い?」
直訳した言葉を脳内で再翻訳し、了承の旨を返すセイジ。
去り際、彼へと微笑んでからキッチンへと向かうラフィアルーン。
その時の笑顔が、セイジには天使に見えた。
彼女が台所へ向かい、調理をしている音を聞きながら、彼は思う。
「意外と生活基準高いんだな」
先程までは狩猟が、と考えていた男である。
まともな料理や調理風景を、セイジはまだ見たことがなかった。
材料がどんなものなのかは皆目見当が付かなかったのだ。
だが、原始的で野性的な食生活になることは避けられそうだと、セイジは己の思いを改める。
少し経つと、二人の居る空間に家庭的な料理の香りが仄かに漂ってきた。
前の世界の実家で、彼が嗅いだことのある匂い。
セイジは空腹を訴える胃を宥めすかし、どんな料理だろうかと、期待で胸を膨らませていく。
――一宿一飯に加え、言葉の指導。この人には必ず恩を返さねば。
そう思う彼の目の前にあるのは、白いパンと、野菜スープの入った皿。
木製の匙。同じ素材で出来たコップに入った水。
間も無く、同じ物が木の食卓の上に運ばれてくるのであった。
置かれた料理と、魔法使いの女性を交互に見る。
見た目は口に合いそうだが、味は違うのかもしれない。
といった覚悟をしながら、男は事の成り行きを見守る。
まずは魔女が一食。匙でスープを掬って食べた。
礼儀作法とかは無いのか? と思いながら、彼女が食するのを眺めるセイジ。
食べていいよ? とばかりに、魔女の手が差し伸べられた。
――そりゃあいただきますとも。
ほぼ無自覚に、セイジの両手が動いた。
成人する前ぐらいから、手を合わせることなどすっかりやらなくなっていたのである。
それでもセイジは、この時ばかりは感謝の意を示そうとして両手を合わせてから、木匙に手を伸ばした。
単純に感謝の意を汲み取ったのであろう。
彼女はそれを見ても何も言わなかったが、嬉しそうに顔をほころばせた。
温かな野菜がセイジの口へと運ばれる。
野菜の持つ食物繊維と、塩や胡椒らしき調味料で味付けされた風味。
何の野菜かは分からない。
一見、レタスのように思えたが、抵抗を感じないまま咀嚼していった。
それらがセイジの口内へと優しく広がり、唾液を抽出させる。
スープの汁が、気付けば乾いていた彼の喉を潤す。
恐らく鳥肉であろう、木のスプーンと同じぐらいの肉を次に食べたセイジ。
一つ一つがそれなりに大きい肉。
セイジの歯や舌へ、その大きさは歯応えを僅かに感じさせた。
あまり噛まなくともすぐに溶けていった。
パンは全くと言っていいほど、味付けのされていない状態だった。
それでも、この組み合わせなら特に何もしなくとも合うようにセイジには思えた。
ふんわりと柔らかく、引っ張れば伸びそうな粘性を持っていた。
その食感だけでも十分に旨いと男には感じられた。
この世界に初めて来て食べた食事。
未知の出来事だらけで恐怖に苛まされていたところであった。
そこへ、かつての世界での野菜スープ。
それに、ブレーン味を彷彿させるパンをセイジは口にしたのであった。
どうかな? と、正面で食べながら彼を窺うラフィアルーン。
言葉こそまだ不鮮明であったが、何を言いたいのかはしっかりと伝わったのであった。
――今はどんな料理でも旨い。
空腹は最高のスパイスと言うが、理解の及ぶ食事が摂れたことへの幸運にセイジは感謝していた。
思わず涙ぐみそうになりながら、
「美味しい」
と、先日まで使っていた言葉で伝える。
――伝わってないよな、そりゃ……。
首を傾げ、徐々に曇っていく彼女の表情を見てしまう。
色んな意味で泣きそうになるのを堪えながら、先程まで学んだ肯定と称賛の言葉を言おうとした。
拙い発音だと伝わらない可能性を考え、全身を使って喜びを表す。
その慌てぶりを見たからか、はてはしっかりと伝わったからか。
良かった、とラフィアルーンは嬉しそうに微笑むのであった。
そこからは日常会話の練習を兼ねて、彼女の紹介が始まった。
この地で商売をやっていること。
魔道具と呼ばれる、魔法が込められた品物を取り扱っている、ということを説明された。
「魔法の……道具?」
ニュアンスこそ何となく分かったが、セイジの口から自ずと言葉が紡ぎ出された。
「魔道具、ちょっと高いけど、家の中にある。すっごく便利!」
聞き取れた言葉を組み立てていき、セイジは理解へと繋げていく。
――そういや、さっき見て回った時に色んな所にあったっけ。
頭の片隅で思い出し、共に食事を摂りながら魔道具についての説明を聞いていく。
魔法が込められた魔道具。
一定の決められた操作をすることで、効果が現れる。
魔力を注げば発動する仕組みが基本だと説明される。
物によっては、魔道具そのものが使用者の魔力を吸い取るのである。
そうすることで、封じられた魔法が発動するタイプもある、と。
「魔法が使えない人でも、魔道具は使える」
凄いよねー、と朗らかに語るラフィアルーン。
彼女に対して、男は恐怖心を堪えながら訊ねた。
「魔力、自分、ありません」
当然、魔法も使えない。そんな思いで己自身のことを説明していった。
魔法が日常的な世界なのに、魔法が使えない。
世界を異にすることで何か秘められた能力に目覚めたのではないのか。
そんなことを今頃になって確かめるが、セイジには何も感じないように思えた。
「んー」
ラフィアルーンが手にしていた木匙を皿の中へ置き、考え込むようにしてセイジを眺める。
なんとなくこの先の言葉を予測したセイジは、自分が傷付くのを最低限のものにしようと、
「下手な慰めは要らない」
と前の世界の言葉で牽制していった。
そんな彼の保身の言葉と心境を知ってか知らずか。
金髪の魔女は、日常会話の延長のように語った。
「セイジは魔力あります」
「マジで!?」
重大な事実が彼の耳を打った。
「え?」
「魔力、俺、ある!?」
魔法への期待。脳内にはその事だけしか存在しなかった。
セイジは己を律することが出来ずにいた。