第3話:魔女との遭遇
聖志は目を覚ました。
薄暗い木造の室内と、透明な枠で覆われた燭台が、彼の視界に入ってきた。
ついで、己の身体が柔らかな生地と羽毛に包まれていることを悟る。
窓にはカーテンが備え付けられ、緩やかな風と光が入り込んできていた。
心地よさにぼんやりと身を委ねていると、今の状況への把握と理解の為に、彼の脳が動き出していく。
――どこだ此処は。何が起きた?
自分が倒れたことを忘れ、何か手掛かりがないか、周囲を観察する。
木の匂い香る部屋。カーテンこそあるが、電気製品が一切無い空間。
燭台、机と椅子、箪笥といった室内具が見受けられた。
違う世界に飛ばされた。有り得ないものを見た。
それらを思い出すと、男の胸が締め付けられていく。
「何で、こんな目に」
その考えだけで、彼の頭は埋め尽くされていた。
軽やかな音を立てて扉が開いていく。
ビクリとしながら振り向き、誰だ、と思わず問い掛けを放つ聖志であった。
彼が気を失う前と同じく、マントに覆われた魔女のような格好の女性が入ってくる。
――あ、起きた?
男の推測では、彼女はそのような言葉を喋ったように思えた。
彼女の歩みに伴って、金色の髪が微かに揺らぐ。
――この人が助けてくれたのか。
恐らく自身を救っただろうと聖志が思う。
仮装、過去の実在はともかく、彼の世界では典型であった魔法使いのような姿の女性。
なぜ助けてくれたのか、どうやって運んだのか。
ここはどこなのか。なぜ自分はこの世界に居るのか。
聖志は魔女へと元の国の言葉で問い質すも、言葉が通じていないことを思い出す。
必死な印象を感じたのだろう、彼女は明るかった表情を怪訝そうに歪める。
魔女が再び何かを喋るも、聖志にはやはり分からなかった。
双方ともに言葉が通じていなかったのである
「…………」
訊きたい事は口に出したと、聖志は思った。
困惑した女性を見れば、彼が何を得られたかは一目瞭然であった。
結局、二人は言葉の不通を再確認出来ただけであった。
それからして、女性は黒地の布に包まれた片手を前に出し、ゆっくりと動かしていく。
「落ち着け、と言いたいのか? この状況で?」
彼女の制止を、男は挑発としか受け取れなかった。
心に余裕が無かったからか、神経を逆撫でされたと思い込む。
不安と苛立ちの心情を隠せずにいた。
「落ち着いていられるか! 説明しろ! なぁ、早く!!」
――まさかお前が巻き込んだのか!? おい!
男は物凄い剣幕で相手を責め立て、女性へ詰め寄ろうとする。
しかし、魔女はその動きを止めて黙っていただけであった。
「これも魔法なのかよ! いい加減にしろ!!」
身動き出来ない男の全身から、怒りの感情が溢れ出す。
だが、どんなに喚き暴れようが、彼の体は微動だにせず、一切の変化が訪れなかった。
己の意思を通さない自分の身体に、聖志は強烈な違和感を覚えた。
金縛りにあったが如く、彼が力をどれだけ込めても、指一つすら動かせずにいたのだ。
彼の怒りが突き抜け、隙間の生まれた心に虚無感が訪れる。
魔女はというと、真紅の双眸で真っ向から見つめていた。
その視線を浴び続けた聖志は、その瞳をまるで魅入られるように覗き込んだ。
「分かったよ。そんな睨むなよ」
ここに来て、聖志の目にようやく理性の光が灯った。
それを確認した相手は、目元を微かに緩め、かざしていた手を下ろす。
不可視の拘束も併せて解かれ、男の身体に力が戻る。
一人身勝手に喚いた気まずさからか、気恥ずかしさからか。
聖志は彼女から目を逸らして俯いた。
のろのろと再び自己分析を始める、魔女と相対する男。
頭は多少痛むが、身体への異常は感じられなかったと結論を出した。
だが、聖志の心は余計に絶望へと駈られた。
一つのことに安堵した刹那、複数の心配事が、男の胸中へ浮かび上がる。
――前世で何かしたからか?
彼の脳が、この状況を作り出した原因への答えを模索する。
前世なんて考え、まるで死んで生まれ変わったみたいじゃないか、という感情が生まれていった。
彼の精神をマイナスへ振り分けていくだけであった。
怒りと混乱が治まった後、聖志に溢れて来るのは孤独感と涙であった。
「くそっ、なんで……誰か……!」
かつて居た世界。ゲームに、同好の志に囲まれ、毎日を楽しく生きていた日々。
頼れる恩人、愉快な知人、明るい後輩。
名も職業も知らないとはいえ、それなりの時間を共に過ごした仲間達。
生き甲斐を一気に失った喪失感が、聖志の胸中へと押し寄せてくる。
悲しみと恥ずかしさで、顔を上げることが出来ないでいた。
そうしていると、彼は女性の動く気配を感じた。
涙を堪える姿を見られないよう、視線だけで動きを見ていく聖志。
ゆっくりと寝台へ近付き、おずおずと腕の裾を触れる彼女。
――俺にどうしろって言うんだよ。
遠慮がちに掴まれた腕を、聖志は払う気になれかなかった。
しばらくして、彼の視線は伸ばされた腕の先を辿っていく。
その果てに、紅い瞳を伏せがちにした、申し訳なさそうな表情が目に入るのであった。
はー、と彼は溜め息を吐く。
その反応に対して、女性は僅かに体を硬直させた。
理不尽な出来事に、魔女に対しての当て付け。
そう捉えられたかもしれない、それでもいいと聖志は思った。
「……それで?」
今度はしっかりと意志を込めて見つめ返す聖志。
男の落ち着きを確認したのか、彼女もまた、表情を改める。
ひとつ気合いを入れると、少し待つように、といった行動を取る。
怒りが消失し、不安、孤独、絶望といった負の感情が、彼の心へと押し寄せる。
そんな風な心持ちになった男は、彼女の後ろ姿を追い縋るように眺める。
扉が閉められた直後、世界から拒絶された気持ちになっていくのであった。
彼が考えまいとしていた悲しみ、それが再びぶり返してきそうになったのを感じた。
小箱を片手に抱え、パタパタと小走りで戻ってきた女性。
その姿を見て、安堵するように男は息を整えた。
ここに来て人心地付いた彼は、彼女が何をしようとしているのかを推測する。
――魔法のある世界だし、翻訳機能がある道具か?
どうせ何も出来ないなら、せめて前の世界では有り得なった、この世界の謎に触れたい。
その思いから、聖志はやけくそのように言葉を放った。
「何でもいい」
斜に構えて開き直った男を見て、魔女がどう思ったのか。
小箱から取り出されたのは紙と筆、インク。
それらを見た聖志はふて腐れた顔を意図せず素の表情へと戻した。
ひどく現実的な物であり、原始的な方法で意思疏通を図ろうとしていた。