第86話 迷い、確認
───BNの基地内部の一室で、二人の男の戦いは続いていた。
穿真の拳を瞬く間に避ける愁、更には尋常じゃない速さで接近してくると的確に拳を振るっていく。
もはやその拳も人間のものではない、穿真が交わした拳は壁にぶち当たると容易く穴を開け、拳が体を掠るだけで血飛沫をあげた。
それでも穿真は必死に愁の拳を避けると、僅かな隙をついて自らの拳を突き出そうとする。
だが愁は体を瞬時に後退させ拳の範囲から離れる、するとそれを見た穿真はニヤリと笑みを見せると、躊躇いなく拳を愁へ突き出す。
たしかに穿真と愁のとの距離では拳は届かないはずだった、だが突き出された拳は手首から放たれると愁の胸部を直撃しそのまま部屋の壁にまで吹き飛ばす。
更に拳は勢いを増し部屋の壁を粉砕すると愁ごと隣の部屋にまで吹き飛ばした。
塵が舞い上がる中、穿真の放たれた右腕だけはまるで何かに吸い寄せられるかのように穿真の手首へ戻ってくる。
「卑怯とか言うなよ、これも立派な戦術だ」
あれだけの傷と出血をしていても、穿真は堂々と立ち愁の方へ体を向けていた。
しかし、それは穿真だけではなかった。吹き飛ばされたまま愁もまた口から血を流してはいたが、彼もまたしっかりと立ち上がっている。
「おいおい……今の拳を食らって何で立ってられるんだよ、ったく」
まだ戦いは終わらない、穿真は再び拳を構え愁が近づいてくるのを待っていると、それを見た愁もまた穿真に近づいていこうと一歩足を前にした。
だが愁は一歩踏み出した後足を止めると、思考が停止したかのように体が一切動かなくなる。
その様子に異変を感じる穿真だったが、またいつ攻めてくるかもわからない為身構えたままの体勢で口を開いた。
「ん?何固まってんだ……?」
穿真の呼びかけに答えない愁、穿真は恐る恐る動かない愁に近づいていこうとしたが突如愁の止まっていた足が動き始めると瞬く間に穿真の眼の前にまで接近してくる。
「てめっ───!?」
穿真の顔面向けて突き出される拳、だがその拳よりも早く一人の女性が愁の腕を蹴り上げると、体を回転させながら振りかぶり左手に付いてある鍵爪で愁の顔面を掻き切った。
顔を切り裂かれ顔から大量の血を噴出す愁、返り血が掻き切った女性に付着するものの女性は目を見開いたまま呟いた。
「お前、死ねよ」
容赦や情けなど無い、顔面を切られた事で愁は両手で顔を押さえると、その隙をついて葵は愁の足を横から蹴り上げると、体勢を崩した愁の懐に強力な膝蹴りを食らわせる。
口から血を吐き出す愁を見て葵は背後に回ると、愁の髪の毛を鷲掴み顔面を床へと叩きつける。
何度も、何度も……気付けば愁は何の抵抗もせずただ顔面を延々と床に叩きつけられていた。
「お、おい!もう止めろ!」
咄嗟の出来事に何が何なのか理解できず呆然と立ちつくしていた穿真だが、床に叩きつけられ続ける愁を見てようやく葵を止めにかかる。
だがその時、死んだと思っていた愁が葵の腕を掴むと一瞬でその場に立ち上がった。
そして掴んでいた葵を軽々と穿真目掛けて放り投げる。穿真は投げられた葵を受け止めるが、既に愁は部屋の壁に空いた穴に入り姿を消していた。
急いで愁を追おうと葵が走り出そうするが、穿真が右手で葵の腕を掴み放そうとしない。
「待てって!基地の中にはERRORがいるんだ、これ以上愁を追えば死ぬぞ!」
素直に言う事を聞いてくれるとは思っていない、仲間に仲間を殺されたんだ、取り乱して当然の事。
恐らく腕を振り解かれると思っていた穿真だが、葵は意外にも冷静な表情で立っていた。
「わかってる……」
葵の呟きと共に部屋の壁が崩れ落ちる、そして建物の外からはアストロス・ライダーがこちらに手を伸ばしていた。
「お前を艦に連れて行くまではな……」
───「うっ…あ……」
ダンの乗る機体手に包まれ運ばれるエリルとエコ、エリルは冷たくなっていくエコの体を必死に抱きしめていると、ふとエコの声が聞こえてきたような気がした。
「うあっ、う……ぐ、っぅ!!」
……気のせいじゃない、たしかに胸を貫かれたエコは声を発していた。
目を瞑り、額からは尋常じゃない汗が流れ出す、先程までは呼吸すらしていなかったというのに僅かな呼吸も今はしていた。
「ぎ、あが…い……ぃああぁあああぁあああ!!」
そして額に光を放つ丸い陣が浮き出てきた時、エコは目を見開き絶叫した。
全身が痙攣し激痛が走る、その痛みと苦しみに喉が張裂けるほどの声を出すエコにエリルは動けずにいた。
脳裏に聞こえてくる一人の青年の声、そう、逃げる事は出来ない、これは与えられた運命。
あの日あの時からエコを歳とる事なくなった、誰もが望む永遠の美、永遠の命が与えられた。
『君は本当に幸せ者だ───』
ふとエリルがエコの胸部を見てその光景に愕然とした。
出血が止まり大きく空いていた穴が見る見る塞がっていくと、先程まで空いていた穴は綺麗に消えていた。
エコは目を見開きながら涙を流し、その苦しさに肩を大きく動かし荒々と呼吸をしていた。
「私、は」
自分の胸元に目をやると、服に穴が空いているだけで体は何の異常も無い。
「生きてる……」
たしかに殺されたはず、だが今ここには無傷の自分がいる。
そしてその一部始終を見ていたエリルは震えるエコを優しく抱きしめた。
「うん、生きてる。だから安心して」
エリルの言葉に緊張の糸が切れたのか、途端に気を失うエコ。
だが先程とは違い、安心した表情を浮かべ静かに呼吸をしながら眠りについた。
───次々にBNの艦に各機体が戻っていく、赤城達にダン達、そして一番遅れて戻ってきた葵達。
皆が去った町は既に人型のERRORに埋め尽くされており、僅かに生き残っていた生存者も既にERRORの餌食となっていた。
町も基地も
「現在各町に同種のERRORを確認されている。民間人だけではない、軍人までもがERRORになっている。艦に避難させた民間人全員の検査をする必要があるな……」
無事町から脱出に成功したBNの戦艦の艦長室で紳は頭を抱えていた。
その紳のいる部屋の隅には壁にもたれ掛かり煙草を吹かすダンが立っていた、そして悩む紳の姿を見て面倒そうに口を開く。
「神が死んだ途端に各地にERRORか、こりゃ早めに開始しないとまずそうだな」
「時間が無い事などわかっている、NFの戦力に取り込めば後は作戦を開始するだけだ」
席を立ち上がり部屋から出て行こうとする紳、するとダンは紳が部屋の扉の前に立った瞬間口を開いた。
「紳、神とやらが死んでから俺は悪い予感しかしない」
足を止めた紳、部屋の扉が開かれてもなおダンの言葉を聞いている。
「お前さんも全てが上手くいくとは思ってないだろう?だがこの戦い……全て上手くいかなければ人類は消える」
その何時にもなくダンの重い言葉に紳は振り向くと、いつものような冷静な目でダンを見つめた。
「それは相手も同じだ」
そう言い残した後部屋から立ち去る紳、その後ろ姿を見てダンは加えていた煙草をポケットに入れている携帯灰皿に仕舞うと、また新しい煙草を銜え火を点けた。
「だからこそ、な……」
───BNの艦内、その休憩室では無事帰還した羅威と穿真、そしてエリルの三人が深刻な表情で話し合っていた。
「でけえ怪我なくて良かったなぁ羅威、まぁ機体はボロボロなっちまってたが」
そう言いながら穿真は包帯の巻かれた腕で頭を掻いていたが、その至る所に包帯が巻かれている穿真の姿の方が羅威にとってボロボロに見えた。
「俺よりお前こそ大丈夫か?包帯だらけじゃないか……それに、まさか愁がな……」
穿真の話を聞いて羅威はもう決めるしかなかった、愁を止めるには、愁を殺すしかないと。
愁に迷いが無いのなら、自分もまた迷いを消すしかないし、そうでなければ穿真にも悪い気がした。
今目の前にいる傷ついた穿真の姿は、恐らく本気で愁と殺しあった後なのだと。
「俺は丈夫な方だからな、安静にしてりゃその内よくなる。にしても俺が驚いたのはその愁が殺したはずの女の子が生き返ったって事だ、今でも信じられねえ、本当に生き返ったのか?」
そう言ってエリルの方に視線を向ける穿真に、エリルは顔を近づけて大きく頷いた。
「本当よ!何なら自分の目で確かめに行く?今医務室のベッドで寝てると思うけど」
「ああ、それは止めとく。今行くとあいつの邪魔になるからな……」
エコが無事だった事を聞いて一番驚き、そして喜んだのは間違いなく葵だった。
あの生気が無く虚ろな目をしていた葵が基地内でエコの無事を聞いた途端に顔色を変え医務室へと駆け出していったのだから。
「羅威、次に俺達の前に愁が現れた時、その時は……わかるな?」
「ああ、俺達が……この手で愁を───」
その時だった、突如休憩室の外から聞こえてくる女性の声が聞こえてきたのは。
「いけませんお嬢様、お戻りになってください」
外の様子が気になった三人は何事かと思い休憩室を出てみると、そこにはシャイラの制止を振り払おうとするSVのアリスの姿があった。
「そこをどきなさいシャイラ!誰も行かないなら私がゼストを探してくる!」
「行かないのではありません、行けないのです。今あの町はERRORで埋め尽くされています、今町に戻ればどれ程危険なのか、お嬢様もわかるはずです」
「その危険な場所にゼストがいるかもしれないのよ!シャイラはゼストを見殺しにするつもりなの!?」
怒りを見せながらも必死に涙を流すのを我慢するアリスの表情に、三人は何が起きたのか理解できた。
「お嬢様、辛いのはわかります。ですがゼスト様はもう……」
「何?死んだって言いたいの?機体が破壊されたからってゼストが死んでるとは限らないじゃない!」
アリスは知っている、分かっている、だが認めたくなかったのだろう。それはシャイラにもわかっていた、だからこそアリス自身に理解して認めて欲しかった。
「……わかりました、ですがお嬢様、貴方は今現在SVを纏めるお方です。あのような危険な場所に戻ってはなりません。ですので……私が一人で戻ります」
「えっ……?」
その意外な言葉にアリスだけでなくその場にいた羅威達も驚きを見せていた、シャイラは落ち着いた様子でまた言葉を続けるが、先程までのアリスの威勢は既に消えていた。
「それでよろしいですね、私があの町に一人で戻りゼスト様をお探ししてきます。それでは」
深深とアリスにお辞儀をした後、シャイラは一人機体の格納庫へと向かおうとする。
その去っていくシャイラを見てアリスは小さく口を開き手を伸ばすが、背を向けたシャイラには無意味だった。
「ちょっと待ったぁ!」
すると、話を聞いていた穿真が格納庫へ向かおうとするシャイラを止めようと穿真が立ちはだかると、その両横に羅威とエリルも立ち並んだ。
「どいてください、私は今すぐあの町に戻らなければなりません」
冷たくあしらうようにシャイラはそう言うと三人を避けて歩いていこうとするが、その前に羅威は立ちはだかった。
「駄目だ、あの町は危険すぎる。今行けば命は無い、そうだろ?」
そう言って羅威は鋭い視線をアリスに向けると、アリスは何かに気付かされるようにシャイラの元へ駆け寄り力強く腕を掴んだ。
「行かないで……」
無意識に口から出ていた言葉、その言葉に気付かされたのは紛れもない自分。
俯いていた顔を徐に上げ、涙を堪える目で必死にシャイラを見つめるアリスに、シャイラは言葉より先に体が動いた。
「……わかりました、部屋に戻りましょう。アリスお嬢様」
抱き締められたアリスは涙の零れ落ちる顔をシャイラの胸元に押し付け小さく頷く、それを見た羅威達はお互いアイコンタクトをとると、二人に背を向けその場を後にした。
───たしかにあの時エコは死んだ、でも今葵の目の前には安らかな表情浮かべ小さな寝息をたてるエコがそこにいた。
全身の力が抜け膝が床につくのがわかった。夢ではない、紛れもない現実、そしてこれ程まで嬉しい現実があっただろうか。
「エコ」
名前を呟きながら寝ているエコの頬に触れる葵、その温かく柔らかい感触は見る見る葵の顔を笑顔にしていく。
「生きてる!」
途端に寝ているエコを抱き上げる葵は、その嬉しさに笑い声をあげながらベッドの横でグルグルと回転しながらエコを抱き締める。
勿論そんな事をされて寝ていられる訳がないエコは目を覚ますと、同時にその回転の勢いに驚き放れようとするが葵の力に勝てるはずもなく回転され続けていた。
「エコ!お前生きてる、生きてるぞ!良かったな!良かったな!!」
満面の笑みで回転し続ける葵、だがその勢いは次第に治まっていくと、エコを抱き締めたままその場に座り込んでしまう。
「本当、良かった……無事で……本当に゛……」
声と肩を震わし、そのエコの小さな体を強く、そして優しく抱き締める葵の眼からは止め処なく涙が零れ落ちている。
優しく抱き締められる心地に、肩に落ちる温かい涙の粒、それがエコにとって何よりも生きている証拠に感じられた。
───俺が思うに、人は『死』を知るからこそ『生』の価値を知っている、それは『戦争』と『平和』に置き換えても同じだろう。
死を知らなければ生の価値などわからない、故に戦争が無ければ平和の価値などわからない。
人間同士の争いなら歯止めが聞く、子供だろうが大人だろうが、んでも化物だったらどうする?もう遅い、今更遅い、後悔した所で何も変わらない、逃げ場などない、今更平和を望んだ所でもう遅い。死は身近にある、足元まで来ている、自分だけは生き残る?自分だけは特別?いいや違う、虫けらのように死ぬ、誰にも悟られず、誰にも気付かれず、誰にも守られず死の恐怖を堪能に味わった後に……。
だが俺は違う、全てを理解した上で俺は戦っている、数々の世界に存在する社会で踊らされる人間達とは、違う……。
「俺は……何を今更考えているんだ……?」
もう既に先程考えていた記憶が無い、暗闇から視界が開けた所は木で出来た天井が広がっていた。
布団の中で寝ている自分に気付きゆっくりと起き上がる、そこは俺の予想していた場所とは遥かにかけ離れた光景が広がっていた。
障子に畳み、外を見れば木々が生い茂り花壇には花が植えられている。
空は快晴、心地よい風が俺の体をすり抜けていくような、そんな清々しい雰囲気だ。
……にしてもこの絵に描いたような和室で俺はどうして寝ているんだ、俺はたしか神と戦った後───。
「あら、目が覚めたのね」
この声……俺は徐に声のした方に顔を向けると、奴はそこにいた。
「かぐ、ら……」
何だ……こいつの勝ち誇ったような笑みは、こいつ、また何か面倒な事を絶対に企んでやがる……。
俺は逸早く自分に掛けられていた布団を取ると、自らの体を見て触って調べていく。
「ふぅ、どうやら爆弾は仕掛けられてないみたいだな。てめえ、何のつもりだ?」
「何?その態度、せっかく助けてあげたのにぃ、お礼の一つも言えないのかしら」
「助けた?絶対お前俺を利用する為に生かしてるだけだろ」
こいつの事だ、もう何してもおかしくない。それにこいつと一緒にいて面倒な事に巻き込まれなかった事など一度もない。
「酷い言われようねぇ、私は貴方を手伝ってあげようとしてるのに」
「なっ、手伝うだと?」
一瞬耳を疑ったがたしかに神楽はそう言って言葉を続けた。
「ええ、貴方が過去に戻れる手伝いを、ね」
過去に戻る……そうだ、俺は神を殺しミシェルを助けた。
それならもう、この世界に用は無いし、俺がこの世界にいつづける意味は無い。
神楽が何を企んでいるかまだわからないが、俺はこれで元の時間の世界へと帰る方法を見つける事に専念できる。
そして俺は過去に帰る。勿論その時はこの世界で約束した出来事を全て果たしてからだがな。