第75話 交渉、決断
───愁とフィリオの目の前に現れた青年は紛れもない本物のテトだった。
信じられない光景を目の当たりにするかのように、二人は驚いた表情を見せ突如現れたテトを見つめている。
そんな二人を見てテトは笑みを見せると、部屋の中央に置いてある椅子へと向かいそっとその椅子に座った。
「君達も座れば?立ち話は余り好きじゃないんだ」
すると二人の体は無意識にその場にあった椅子に座らされる、愁は席から立ち上がろうとしたが幾ら力を入れても体が動かない。
「テト……どうして貴方がここに……」
「交渉しに来たんだ、とっても美味しい話さ」
余裕の笑みを見せるテト、だが愁とフィリオは未だに強張り緊張している。
「交渉?私は貴方と交渉などしません!」
強がるフィリオだがそんなことがテトに通用するわけもなく、むしろの強がるフィリオの表情を見て楽しんでいた。
「へぇ、じゃあ第1MGはいらないんだね。せっかく僕が用意してきたのになー」
「っ!……それは本当ですか!?」
第1MGという言葉を耳にした途端その話にフィリオが食いつく。
そんなフィリオの予想通りの反応を見て、テトは楽しみながら話しを進めた。
「そう、今僕の手元には第1MGがいる。すぐにでも君達に渡せるよ?」
「本当ですか…本当に、第1MGを……」
「うん、僕の条件を一つだけ飲めば。渡してあげてもいいんだよ?」
そう言うとテトは立ち上がり、椅子に座ったテトの元へ向かう。
それを止めようと立ち上がろうとする愁、だが体は見えない力で動かす事が出来ない。
「無駄だよ、人間如きが僕の力に逆らえるとでも思ってるの?君はそこでじっと見てるといい」
テトはそっと手を出しフィリオの長く美しい髪に触る、フィリオは抵抗したくても体を動かす事が出来ずただただじっと耐える事しか出来ない。
そしてテトは体勢を低くしてフィリオと目の位置を合わせると、口を開いた。
「君が、僕に忠誠を誓うだけでいい。一生の僕の人形になります……ってね」
「そ、それはっ……」
「実に簡単な事じゃないか、君は自らの肉体を僕に差し出す。それで世界が救われるならむしろ光栄と思わないかい?」
震えるフィリオの頬をテトは優しく触れていく、だがそんな言葉を聞いた愁は黙ってはいなかった。
「ふざけているのかッ!?フィリオは絶対にお前になど渡さない!」
「それを決めるのは彼女自身、よく考える事だね……このままだと最後の世界もERRORの手によって落ちるよ?」
すると今度は黙っていたフィリオが口を開く。
「それでは逆にお聞きします、貴方はどうするおつもりなのですか。ERRORがこの世界を支配すればもう人のいる世界は何処にも無いのですよ?いずれ貴方もERRORに殺されるのです……!」
「別にそれでも良いよ、僕はこの百数十年存分に楽しんで来た。それに目的も果たしたしね」
「目的……?」
「そう、殺したんだよ。君が一番憎んでいる男、カイト・スタルフをね」
カイト……その名を耳にした時、フィリオが大きく反応を示した。
だがそれは愁も同じだった、多少名前は違うがカイトと聞けば『甲斐斗』が真っ先に思い浮かぶ。
「甲斐斗さんを殺した!?どうして、どうやって……!」
「簡単さ、生身の彼をこの手でズタズタに切り裂いたんだよ。実に無様な最後だった」
そう言うとテトは自信に満ちた笑みを浮かべ、そっと手の甲でそっとフィリオの髪を靡かせる。
「これで僕を止められる者は誰もいない、君も、ゼストも、誰一人!……僕には勝てない」
「甲斐斗さんが…死んだ?あの甲斐斗さんが……?あの人は幾度と無く修羅場を潜り抜けてきた人だ!そう簡単に死ぬはずがない!」
今まで愁は甲斐斗と話し戦う事で気付いていた、甲斐斗がそう簡単に死ぬような人ではない事を。
元々愁は甲斐斗を恨んでもいない。命の恩人でもあり共に戦った者。
だからフィリオが甲斐斗を殺すよう頼まれた時も、殺す覚悟は出来ていたが。心の奥底では甲斐斗の死を望んではいなかった。
愁の威勢と眼つきが気に食わないテトは手を伸ばすと、愁の髪を掴み勢い良く床へ押し付ける。
だが愁の眼はじっとテトを睨みつけたまま視線を逸らそうとはしない。
「ふふっ、力の無い者は実に無様だ……それなら次に会う時、カイトの首を持ってきてあげるよ。楽しみに待っているんだね」
愁を放すとテトは満足気に立ち上がりフィリオと愁に背を向ける。
「フィリオ、僕はこの男と違って力がある、それでも僕は君に選択させてあげてるんだよ?僕が本気を出せば君なんて簡単に連れて行ける。君の口から聞きたいね、僕の人形に、奴隷に……なるってね。また明日君の元に行くよ、それじゃ」
そう言ってテトは部屋の扉まで行くとそのまま部屋から出て行く。
テトは最後まで笑みを浮かべていた、逆にフィリオの表情は絶望と恐怖で青ざめ、微かに震えている。
まるで嵐が去ったかのように二人は無言のまま止まっている。
だが体に掛かっていた力が抜けると愁はすぐさま立ち上がり椅子に座っているフィリオの元に向かう。
「フィリオ、どこか怪我はっ……!?」
愁が驚くのも無理は無い、フィリオは泣いていた。声を出さずただぽろぽろと涙を零すだけで。
ずっと、じっと我慢していた。恐怖に慄く姿を見せまいと、必死に強がろうと。
だがそれも無理だった、全てを見透かすようなあのテトの瞳にフィリオは何も出来なかった。
「俺は……どうすれば……」
その涙を見て愁の目にも涙が込み上げて来る、自分の無力さを見せ付けられたからだ。
目には見えない力、力を持つものと持たないものではこれ程の差があるという事を。
フィリオを守る為にいるというのに、守る事が出来ないのであれば今ここにいる意味が無い。
もしフィリオがテトの条件を飲めば、フィリオはあの男、テトの元へ行ってしまう。
それだけは絶対に阻止しなければらない、その為にはテトに勝つだけの力がなければならない。
そうしなければ……フィリオが行ってしまうのだから。
如何する事も出来ない愁、すると突然扉が開き部屋の中にゼストと数名の銃を持った兵士が入り込んでくる。
「フィリオ!」
ゼストがフィリオの名を叫ぶがフィリオは俯いたまま顔を上げない。
兵士達はすぐさま部屋の内部を調べにかかり、ゼストは真っ先にフィリオの元へ向かう。
だが零れる涙を必死に我慢しようとするフィリオを見てゼストが驚きを見せると、すぐさまフィリオを抱きかかえ颯爽と部屋から出て行こうとする。
側にいる愁には目もくれず、愁はゼストに話しかける事ができなかった。
だが今ここで途方に暮れていても何も出来ない、愁はゼストを追うように部屋から出ると駆け足でゼストの後を追っていった。
その頃、フィリオの妹アリスの部屋ではシャイラにエコ、それに葵の三人が側についていた。
すると4人のいる部屋の扉が開いた途端、一斉にシャイラ達が開いた扉の方に向き身構える。
しかし部屋に入ってきたのはフィリオを抱きかかえたゼストと愁、そしてゼストは抱きかかえていたフィリオをすぐ近くにあったソファに座らせた。
「シャイラ、頼む」
ゼストの言葉にシャイラはフィリオの側に駆け寄りフィリオの手を握り目を瞑る。
「大丈夫です、何もされていません」
その一言にその場にいたフィリオと愁以外は胸を撫で下ろすが、まだ油断は出来ない状況だった。
「ゼスト様、現在兵士が付近を捜索していますが。まだあの男は見つかっていない模様です」
「恐らく見つからんだろな、奴の気配が消えている。しかし何故奴はこの建物に……」
「彼は……私と交渉しに来ました」
涙を拭き取り顔を上げるフィリオ、その言葉と表情にその場にいる皆の視線が集まる。
「第1MGと、私を…交換したいと……」
フィリオの言葉にその場にいた者誰もが凍りついた。
神を起動させる為の第1MGが、一番渡ってはいけない男の元にいるという事、そしてその第1MGと引き換えにフィリオを差し出すという事に。
「明日、彼はもう一度ここに返事を聞きに来ます。だから、私は明日……その交換に応じます」
信じられないような言葉が次々にフィリオの口から出てくる、理解が出来ても納得できるはずがなかった。
「フィリオ様!?何を仰っているのですかッ!そのような事はしてはいけません!」
すかさずシャイラがフィリオを止める、それに続いて葵も口を開いた。
「その通りだ!あんな野郎の所に行く必要なんて無い!」
「ですが、その方法でしか第1MGを取り戻す方法もありません。それに交渉を断れば……恐らく第1MGの命はありません」
フィリオは落ち着いた様子で淡々と喋り続ける、そして椅子から立ち上がりベッドに座るアリスの元へ行くと、そっと肩に手を置いた。
「神の復活は……アリス、貴方に───」
だがその手は簡単にアリスに叩かれた。
「嫌よッ!お姉様をあんな奴に渡すなんて、絶対に嫌!」
「分かってください、これしか方法はないのです。第1MG無しでの神の復活はリスクが大きすぎます、私一人の命で第1MGを取り戻せるなら、私は喜んで彼の元に───」
「嘘よそんなの……!お姉様だって本当は嫌なんでしょ!?なんで正直に言わないのよ!」
その場にいたラティス達の言葉を代弁するかのように涙を流しながら本音をぶつけるアリス。
それでもフィリオは本音を言おうとはしない、本来なら周りに助けを求めてもおかしくないのに、フィリオはそれをしなかった。
「アリス、明日にでも第1MGを使い神を呼び起こす準備に取り掛かってください。ゼスト、シャイラ、葵、エコ、愁。後はよろしく頼みましたよ」
そう言い残しフィリオはアリスに背を向けると部屋の出口へと向かう、アリスがそれを止めようと立ち上がるが、ゼストがそのアリスの腕を掴む。
「放してよ!お姉様が、お姉様が……!」
必死に腕を掴む手を解こうとするが、ゼストは決して腕を放さず、部屋から出て行くフィリオを見つめていた。
そしてフィリオが部屋から出るとゼストはアリスの腕を放す。
「どうしてなの!?どうして皆お姉様を止めないのよ!皆はお姉様が死んでもいいと思ってるの!?」
「そんなの……絶対に思って無い……」
エコの呟きにアリスが振り向くと、更に声をあげた。
「じゃあどうして!……嫌、嫌よ…そんな、なんで突然、お姉様が……」
頭を抱え込みその場に蹲るアリス、シャイラは側に駆け寄り声を掛けるが、今のアリスには全て言い訳にしか聞こえない。
「アリスお嬢様……フィリオ様は我々SVや……人類の為に自ら決断をしたのです」
「何が決断よ!ねえシャイラ、ゼスト!葵、エコ、愁!……お願い、お姉様を守ってよ、お姉様を助けてよ!それが皆の使命じゃないの!?ねえ、なんとか言ってよ…助けてよ……」
泣き崩れるアリス、そんな彼女を見て誰もが苦しんでいた。
フィリオを助けたい、だがそうすれば第1MGを失い神を起動させる事が困難になる。
そうなればERRORが人類を滅ぼし、結果的にこの残された最後の世界は終わる。
この場にいる全員が力を合わしたとしても、魔法が使えるテトの前では無力に等しい。
フィリオにはそれがわかっていた、だからこそ決断した、例えそれが本心でなくとも。
泣き崩れるアリスを見て愁はいてもたってもいられず、その部屋から出て行く。
廊下には兵士達の姿が見えるが、既にフィリオの姿は消えていた。
「フィリオ、俺は……っ!」
愁は走り出した、フィリオと話がしたいただその一心で。
アリスの部屋に残されたゼストも泣き崩れるアリスに背を向け部屋を後にすると、扉が開き部屋から葵が出てくる。
「ゼスト!お前はどうなんだ、本当にこれで良いと思ってるのか……?」
葵の問いにゼストは足を止めると、振り向きもせずに口を開く。
「……出発の準備をしろと皆に伝えておけ、1時間後NFの本部へと向かう。神を起動させる為にな」
それだけを言い残しゼストはまた歩き始めた。その後ろ姿を睨みつける葵だったが、ゼストの後ろ姿はいつもよりとても弱く、そして儚く見えた。
───愁は、一人フィリオの部屋に来ていた。
その部屋の窓際の椅子にフィリオはいた。灯りを点いてなく、薄暗い部屋の中に少しばかりの光が差し込みんでいる。
フィリオは夜空をじっと眺め、愁が部屋に入ってきても後ろ振り向きもしなかった。
「フィリオ、やっぱり俺には賛成できない、君を失いたくない!……もう俺には、君しかいないんだ」
偽りの無い本心をフィリオに伝えた。それに対してフィリオも本心を伝えてくれるのか、わからない。
「俺はフィリオを守る為に生きています、君が何て言おう俺は絶対に納得できないし、あんな男に君を渡したくない!お願いします、俺が必ず第1MGを取り戻します!だから……!」
愁の言葉にフィリオはゆっくりとその場に立ち上がると、後ろに振り返り小さく口を開いた。
「……思いは、時に虚しく、儚いものになります」
愁の思いはたしかに嘘じゃない。だがあの男、テトは……愁の力では敵わぬ敵だった。
体の動きを封じられ、何もする事が出来なかった。戦場では幻覚を見せられ、まともに戦闘すら出来ない。
「愁、最後にお願いがあります。聞いてもらえますか?」
「最後だなんて言わないで下さい!フィリオの頼みなら何でも聞きます、言ってください」
愁はそう言うと片足を跪き顔を下ろす、近づいてくるフィリオの足音が聞こえてくると共に愁は願い期待していた。
フィリオの口から助けを求める言葉を。覚悟は出来ている、フィリオを助ける為なら第1MGなど愁にとってはどうでもいい。今からフィリオを連れ出しこの場から逃げる事だって考えていた。
そして自分の目の前にフィリオの足元が見えてくると、何かを外す音と共にフィリオの着ていた洋服が足元に落ちていく。
「愁、顔を……上げてください」
無言のまま愁は顔を上げていく、白く透き通るように綺麗な足、徐々に顔を上げていくとフィリオの体全体が視界に映った。
下着姿でフィリオは愁の目の前に立っていた、それを信じられないかのように戸惑う愁に、フィリオはまた口を開く。
「明日、あの方の元へ行けば…私は肉体を弄ばされるでしょう……ですからその前に、愁…私の初めての相手に───」
フィリオはそう言ってベッドまで歩いていき、愁は跪いたままフィリオを見つめていた。
様々な思考が脳内を巡る、こんな時どうすればいいのか、何をすればいいのか、フィリオの為に今、自分が出来る事とは……。
愁に残された答えは一つ、それを選ぶしかなかった。
フィリオの思いを、分かってあげる事しか……。
───BNの行動は早かった、夜から既に行動を開始し今までにない大勢の軍隊を率いてNFの本部を目指す。
途中NFとの戦闘が起こるものの、BNの圧倒的な力に成すすべも無くNFの基地は次々に落ちていく。
BNは真っ直ぐNFの本部へと向かい、それは既にNF本部にも情報が来ていた。
進行速度から見て予測出来た、決戦の日が明日である事を。
BNの余りにも早すぎる行動に深夜にも関わらず数多くのNFの兵士達が基地内を慌しく走り回っている。
機体の整備に弾薬の補給、兵士達は寝ることなく明日への決戦に向けて準備を整えていた。
追い詰められる人類に、選択の余地は無い。