第68話 望み、騙し
荒野を走り終えたMDは森に来ていた、そこで甲斐斗は機体から下りると、MDがゆっくりと閉じていた手を広げていく。
そこには後ろからミシェルを抱きしめるアビアの姿があった。
「甲斐斗、久しぶりだねー」
「お前、なんで生きてやがる」
「えへ、なんでだろー」
可愛らしい笑みを見せて首を傾けるが、ミシェルを放そうとはしない。
───数回ほど、たしかにこの手で殺したはずの女が目の前にいる。
俺と同じ化物か、はたまた何かの魔力か?それともクローン?わからん。
とりあえず今はミシェルの安全を確保する方が先か……。
「ねー甲斐斗」
「何だ?」
「アビアをこーんな所に連れてきて、何するつもりー?」
こいつアホか……そもそも俺はお前なんてどうでもいい、ミシェルを迎えに来ただけなんだよ。
それなのにお前がミシェルに抱きついていたから今こうなっているが……。
「あのな、連れてきたくて連れてきた訳じゃないってのわかるだろ?」
「うそー、アビアにいやらしい事するつもりでしょー?」
「んな訳無いだろ!大体俺は女に興味無いんだよ!」
「えっ、あー。そうなんだ。甲斐斗って、そういう趣味なんだー」
だめだこいつ、何か勘違いしてやがる。というか、何でこんな会話をしているんだ俺は。
あいつのペースに巻き込まれるな、幸いにも今奴は武器を持っていない、隙を見てあの女を殺せば良いだけだろ。
「お前がミシェルを放せば命だけは助けてやる、抵抗するなら殺す、どうする?」
「じゃーさ、アビアの言うとおりにしてくれたら、返してあげてもいいかなー」
取引をするつもりか。だがそれで返してくれるのか?こいつにとってミシェルは必要な存在ではないのだろうか、少なくともあの男は必要としているだろ。
「いいだろう、望みを聞いてやる。だが必ずミシェルを返せよ?」
俺の言葉に女は頷いた、さて、どんな要求が来るのやら。
簡単な事ならそれでいいが、無理難題の事を言ってきたら殺そう。
「アビアにキスして」
「……は?」
満面の笑みで何言ってんだこいつは、前から思ってたが頭おかしいだろ。
「大人のキッス、アビアにしてくれたら返してあげるー」
俺を油断させる罠か?だがあの女の表情から見て本当にそうだろうか。いや、化けの皮を被っている可能性もある。
「本当にそれでいいのか?お前にとってミシェルは大事な存在じゃないのか?」
「別にー、ただテトが言ってたから探してただけ。興味なんて無いよー」
テト……あの男の名前か、たしかにあいつはミシェルで何かを企んでいそうだが。
「だがお前はテトに頼まれてるんだろ?返したらその男に殺されるんじゃないのか?」
「だいじょーぶ、アビアは不死身だよ?」
「何故だ?」
その問いに答えようとしない、もしかすると、こいつは俺に勝てないとわかっているのか?
ここでこいつがミシェルを渡さなければ俺は必ずミシェルを取り返す、そうなればこの女にメリットが無い。
上手く乗せられたというべきか?まぁいい、キスの一つや二つ、俺にとっては……簡単な事だ……。
「てか、なんでキス?」
「えへへ、アビアは強い男が大好きなの」
なに照れてるんだこいつ、変わった女だな、そんな理由だけでかよ。
「わかったよ、先にミシェルを返せばしてやる」
そう言うと女は簡単にミシェルから手を放し、軽く背中を押してあげた。
ミシェルはすぐさま俺の所に来ると、抱きついたままアビアの方に顔を向ける。
「ミシェル、帽子を深く被っとけ。俺がいいって言うまで被っとくんだぞ?」
言われた通りにミシェルは被っている帽子を目元まで深く被る、これで俺と女の姿は見られないだろう。
「よし、これでっ……」
ミシェルから目をそらし前を向いた瞬間、両肩に手を置かれ体勢を少し低くされると、唇と唇が触れ合った。
女は背伸びをしながら俺の両肩に手を置いてキスをしている、柔らかくて暖かさを感じるという事は、どうやら死人ではないみたいだ、が……何だ?体が、動かない?
両手両足が固まり、いくら神経を研ぎ澄ましてもピクリとも動かない。
これが奴の狙いだったのか?だが何の力だ、毒か?それとも何らかの力なのか?
女がゆっくりと口を離す、愛らしい笑みを見せ口を開く。
「アビアに見せて、本当の甲斐斗を───」
女の唇がまた触れると、半開きの俺の口に滑るように熱くて柔らかいものが入ってくる。
それでまた意識が揺らぐ、視界に段々、白い靄が広がって……。
「やめて!」
ミシェルの声だ、俺は薄い意識のまま横目でミシェルを見ると、帽子を深く被ったまま地べたに座り両手で頭を押さえていた。
「おねがい、やめ、て……!」
ミシェルが苦しがっている?どうして、ミシェルが……ッ!
「きゃっ!」
理由はわからないが、もしかすれば関係しているかもしれない。
俺は力を振り絞り、アビアを体から突き放すと、頭を押さえているミシェルの元に向かう。
くそっ、意識がまだはっきりしない、それに何なんだこの全身に広がる感覚は……。
その時だった、俺とミシェルの間に一枚の巨大な剣が突き刺さる。
「くっ、これは……」
上空を見上げれば、奴はそこにいた。
俺の目の前に降り立つ1機の機体、間違いなくあの男の機体だ。
そして胸部のハッチが開くと、案の定男が機体から下りてきた。
「やぁ、直接会うのは久しぶりだね。甲斐斗」
見つけられるのが早すぎる、道を複雑に走り森深くまで来たはずなのに……。
やはりアビアの作戦は時間稼ぎだったのか、恐らくアビアに発信機か何かを持たせていたな。
「僕の名を教えておくよ、僕の名はテト・アルトニア。かつて君が破滅まで追いやったアルトニアエデンの王子さ。まぁ、今はもう追放された身だけどね」
アルトニア家の人間?という事はSVの人間……ではないはずだ、葵とエコと戦っていたからな。
機体から下りたテトは笑みを見せながら俺の前まで歩いてくると、俺の付けた首元の傷に触れながら口を開いた。
「初めは信じられなかったよ、君があのカイト・スタルフだったなんて。そんな子供の姿になって、おまけに魔力も使えない身。本当に無様だ」
「黙れガキ。お前だってろくに魔法は使えない癖に……」
「子供に子供呼ばわりされたくない、こう見えても僕は100年以上生きている。それに力もあるよ、ほら」
そう言って奴が左手を俺に向け、軽く振り下ろすと、その動きに合わせて俺の頭が地面に叩きつけられた。
頭を上げようとしても上がらない、何故こいつが魔法を使えて俺が使えないんだ!?
「期待外れにも程があるよ、どうしたんだい、何もできないのかい?」
男は俺に近づくと、地べたに這い蹲る俺の頭に足を乗せ、踏みにじる。
痛みより遥かに上回る屈辱、今すぐ起きて奴の頭を吹き飛ばしぶち殺したいが、いくら力を入れても体が動かない……。
「そうだよね、できないよね。だって君の力は───」
俺とミシェルの間に突き刺さっていた巨大な剣が機体に引き抜かれる、ミシェルは未だに苦しみ震えていた。
だが奴は俺から足を上げると、そんなミシェルなど気にも留めず帽子の上から頭を掴み俺の眼の前に突き出した。
「この第1MGが封じているのだから」
な、何を言ってるんだこいつは……意味がわからない。
そんな俺の愕然とした表情を見て面白いのか、奴は不敵な笑みで俺を見ていた。
「驚いたかい?無理もないよね、今まで君の守ってきた者が、君の最大の敵だったんだから」
ミシェルが俺の敵?俺の力を封じていた?……信じられないし、信じるつもりもない!
「冗談は大概にしとけよガキが、ミシェルは俺の敵じゃねえ。そうだろミシェル」
恐怖で震え、苦しみ、目に涙を浮かべるミシェル。見ろよ、こんなか弱い子が、俺の力を封じる?敵?んな訳が無いだろ。
「実に哀れ、そして愚かだ。そもそも何故この世界では魔法が使えないのか、それはこの世界にいる『神』という名の兵器の力さ。この兵器が起動している100年前からこの世界では魔法が使えないんだよ。でも僕は使える、神ですら僕の強力な魔力を完全に封じる事は出来なかったんだよ」
「それが、俺とミシェルにどう関係あるっていうんだ?」
「それはね、君はこの世界にとってイレギュラーな存在なのさ。だからこの世界の秩序を守る『神』が君を放置する訳が無いだろ?だから生き残っている最後のMG、第1MGを君の元に向かわせたのさ。結果、君は第1MGと接触。そこで君は完全に魔力を封じられたのさ、でも君は一度、EDPの時に力を解放できたそうだね、その理由は僕にもわからないけど」
こいつの言っている話し、まさか本当なのか?たしかに話の筋は通っているようにも聞こえる。
だが知りすぎだ、何故こいつはこれ程の情報を知っている。こいつは一体・・・。
「甲斐斗、君が力を取り戻す方法は一つ。簡単さ、第1MGを殺す事だよ」
第1MGを、ミシェルを殺す?そうすれば力が戻るだと?俺の、力が?
「どうだい、やってみないかい?力が戻るんだよ、君の全ての力が。この子の命一つで」
そうだ、今までの俺は俺じゃない、本当の俺、それは……。
───「やるよ。だから……この拘束解け」
「ふふ、それでこそ君だ。さぁ、ご自慢の剣で殺せ」
テトが指を鳴らすと、動かなかった甲斐斗の手足が動き、ゆっくりとその場に立ち上がる。
そして剣を瞬時に手元に出すと、それを右手で握りしめた。
「くれぐれも僕に切りかかろうなんて馬鹿な真似はしないでね」
そのテトの言葉を聞いて、甲斐斗は不敵な笑みを見せ、剣を振り上げた。
「知らないのか?俺は馬鹿なんだよ」
怯えるミシェルに背を向け、剣先をテトに向けて飛びかかる。
だがテトもわかっていた、拘束を解けば襲いかかりに来る事も。
「知っていたよ、君が馬鹿な事ぐらい」
予想の範囲内の出来事に過ぎない。
左手を甲斐斗に向けて突き出し動きを止めようとしたテト、だが……甲斐斗の動きは止まらなかった。
「なっ!?」
剣を盾にし飛びかかった甲斐斗に、テトの魔法は通じなかった。
たしかに今の甲斐斗は魔法が使えない、しかし唯一あの剣を出す事は出来る。
その剣だけで、甲斐斗にとっては十分と力になる。
「───んてね」
驚いた表情から一瞬にして邪悪に満ちた笑みをテトは見せ、辺りに血が飛び散る。
右腕は剣を掴んだまま宙に浮き、剣先が地面に突き刺さる。
右肩から血が噴出し、その光景を甲斐斗は信じられないかのように見つめていた。
血飛沫の隙間から見えるテトの笑み、テトの握る剣は線を描くように機敏に動くと、腹部と両足を切り裂く。
肉は大きく切り開かれ、切れ跡からは骨が見える状態だ。
剣から逃れようと体を動かそうとするが、まるで空間が止めらているかのように体が動かない。だがテトは違う、たった数秒で甲斐斗の肉体を滅多切りにし。剣を高らかに振り上げると、一本の線が甲斐斗の左目を裂いた。
斬られた後からは血が噴出し、目玉から水晶体がはみ出ると地面に落ち、それをテトが踏みにじり甲斐斗の目の前にまで詰め寄る。
懐に入られたに気付いた時には、細長い剣が肺を破り心臓を簡単に貫く。全身に鮮血がほとばしると、口からは喀血が溢れ出した。
血で染まる視界にはテトの笑みしかみえない、そして次に見えた来た光景は、血に染まった曇り空だった。
「あ、ぐ……ぁ……」
もはや言葉にもならない、虫の息の甲斐斗はただ殺されるのを待つしかない。
「とてもつまらなかったよ、甲斐斗。君は僕の求めてきた君じゃない」
剣に付いた血を甲斐斗の左目に滴り落とすと、ゆっくりと剣先を甲斐斗の頭部の位置にずらす。
まだ温かい血が額に落ちる、とても綺麗な赤色だ。
「さよなら」
振り上げられた剣は、甲斐斗の額目掛け一直線に下ろされた。
甲斐斗の顔面に滴り落ちる温かい血液、だがそれは甲斐斗の血ではない。
「……何の真似だい、アビア」
はっきりしない視界でかすかに見えるアビア、剣の刃先を左手で握り締め、甲斐斗の額の直前まで来ていた刃先を止めていた。
剣を止めたアビアは右手に持つ鋭いナイフをテトに見せると同時に笑みも見せた。
「アビアにも遊ばせて、テトばかりずるいよー」
その表情を見てテトは小さく鼻で笑った、それと同時にトラディスカントが動きテトの後方に移動し、跪く。
そして握り締めていた剣をその場で消すと、恐怖に凍りつくミシェルの頭を掴み機体まで連れて行く。
「そうだね、後は君の好きにするといいさ。ただし……遊び終えたらその男の首を僕の所に持って来い、いいね?」
「はーい」
「帰るときはあの機体に乗ればいい、それじゃ」
テトは甲斐斗の乗っていたMDに指を指すと足を止めず歩いていく。
アビアが可愛らしい返事をすると、テトはミシェルを担いで機体に乗り込み、ハッチを閉めると、すぐさまその場から飛び発った。
その場に残された甲斐斗とアビア、機体を見ていたアビアがゆっくりと甲斐斗の視線を戻すと、腕を失い、目も裂けた血塗れの甲斐斗がアビアを見つめていた。
口から血が零れながら甲斐斗は口を動かす、微かな笑みを見せるように。
「見た、か……?これが、本当の俺だ……」
血は止まらない、全身から溢れ出る血は周りの草を赤く染め、地面に染み渡る。
「そーだねー。もしかしたら、それが本当の甲斐斗なのかもしれないね」
そうアビアが言うと、甲斐斗はまた小さく笑った。そして血と共に大きく息を吐いた。
「ああ……もう、限界だ。俺、よくここまで、頑張ったよ」
段々と甲斐斗の右目が虚ろになっていく、声も小さくなり、落ちついた様子でアビアを見つめている。
アビアはその姿を黙って見つめていた、表情を変えず、ただじっと。
「でも……結局、俺は……」
甲斐斗は震える左腕を少し上げ、その手を曇り空に向かって力無く伸ばす。
「何も、できなかっ────」
最後の言葉を言い終える前に、甲斐斗の腕は下りた。
目蓋も閉じ、首が傾く。もう呼吸すらしていない。
アビアは無言のまま甲斐斗の足元まで歩くと、その顔をまじまじと見つめる。
そして膝を地面に付き、両手を甲斐斗の顔に添えると、自分の体を重なるように前に倒し、目を瞑りながら甲斐斗に口付けをした。
誰もいない、二人しかいない森で、曇り空の下、ずっと、延々と……口付けを交わし続けた。