第65話 玲、レン
────目の前でお母さんが殺された時、私は必死に血塗れの体を揺すっていた。
まだ暖かくて、柔らかくて、でも、頭から血が出てて、動かなくて……。
その時だった……突然上空から戦闘機が落ちてきて、私達は簡単に吹き飛ばされた……。
───「いた、い……」
意識が戻った途端に全身を走る激痛、その痛みに耐えながらゆっくりと目蓋を開けると、戦闘機の残骸が辺りに散らばっていた。
「ママ……おにい、ちゃん……?」
玲は倒れている体を起こすと、土と爆風で薄汚れた服を着たまま少しずつ歩き出し、辺りを見渡す。
上空にはまだ戦闘機が飛び交っており、次々に爆弾が町に投下されていた。
「ひぃっ!」
けたたましい爆音に思わずしゃがみ込んでしまう玲、常に地面は揺れ、辺りに爆音が鳴り響く。
その恐怖にぽろぽろと涙を零しながらも玲はゆっくりと顔を上げると、必死に辺りを見渡し母と兄の姿を探した。
「ママ!……おにいちゃん!」
爆音の中声を荒げるが、そのか弱き声が人に届く事は無い。
もっと辺りを探そう……そう思い玲が歩き出そうとしたその時、物陰から一人の兵士が現れる。
その兵士は母を殺した兵士の隣にいた若い兵士だった、そして兵士は玲を見つけるとすぐさま玲の所に駆けつける。
「良かった、君は無事だったんだね。急いでここから逃げよう」
兵士も爆風に巻き込まれたのだろう、額からは血を流し片目が塞がっている。
しかし、その手には銃を持っていた。
恐怖以外の何者でもない、玲は怯えた表情で兵士から逃げようと一歩下がり兵士に背を向けて走り出そうとした。
だが兵士は素早く玲の腕を掴むと、その場に留まった。
「いやっ!いやぁッ!」
「待ってくれ、ここはもう危険なんだ。早く逃げないと……」
「たすけてママ!おにいちゃん!たすけて!たすけてッ!」
必死に抵抗するものの、兵士の手は玲の腕を決して放さない。
「今は君だけでも安全な場所に移さないといけない、ごめん……」
そう言って兵士はその場に銃を投げ捨てると、玲を引っ張り上げ両腕で抱かかえる。
そして兵士は走り出した、安全な場所を求め、荒れ果てた街中をただひたすら……。
───玲を抱かかえて走っていた兵士は自分の乗ってきた艦が見えると、すぐにその艦に向かって走り出そうとする。
だが兵士の足は急に止まると急いで物陰に隠れた。そして壁に隠れながら顔を出し、目の前に広がる光景を見てしまった。
助けを求めているBNの民間人達に手榴弾が投げ込まれ、集まっている民間人を一瞬で木っ端微塵に吹き飛ばす。
それだけではない、後ろ手に手錠された民間人が並列射撃で次々に殺されていた。
「そんな……こんなの、虐殺じゃないか……」
兵士はすぐさまその場から離れると、別の場所へと走り出す、人目につかぬよう細い道を延々と……。
そして、一人の兵士が無事艦に戻った時には、既に戦闘は終了していた。
町一面が焼け果て、次々に戦闘機や機体が艦に戻ってくる。
兵士に抱かかえられたままの玲はただ体を小さくして震える事しかできない、抱かかえていた兵士は誰にも見られないように艦の中に入ると、ある一室へと向かう。
幸い誰にも見つかる事なく部屋に入ると、兵士は力無くその場に腰を下ろし、抱かかえていた玲を放した。
玲はすぐさま兵士から離れると、逃げるように隣の部屋に向かう。
兵士はそれを見ていると、残った力を振り絞りながら立ち上がった。
「いいかい、絶対にこの部屋から出ちゃ駄目だよ。すぐ戻ってくるから……」
そう言い残して兵士は部屋から出て行く、部屋に一人取り残された玲は部屋の片隅で震えながら涙を必死に拭っていた。
いつも一緒だった母を目の前で殺され、いつも自分を守ってくれていた兄を失った。
もう誰も自分を守ってくれる人はいない、残ったのは、自分だけ……。
───泣き疲れた玲は一人部屋の隅で眠っていたが、ふと肩を揺すられ目を覚ます。
「どこか痛くない?大丈夫?」
自分を助けてくれた兵士が頭に包帯を巻き、片目に眼帯をした姿で部屋に戻ってきていた。
玲は小さく頷くと、兵士は安心したようにその場から離れる。
「良かった……でも一応医者が来るから。その時に何か体に異変があったら言うんだよ」
兵士はそう言って壁に掛けられた時計を見て時間を確認した時、部屋の扉が開き手に救急箱を提げた軍服を着た女性が現れた。
軍服を着た女性はすぐさま玲の元に近づくと、体を触り始める。
「どこか痛くない?」
先ほどの青年と全く同じ事を言う女性。
丁度その女性の手が肩の部分に触れた時、玲は一瞬だけ表情を歪める。
「ここが痛いのね、それじゃあ治そうか」
笑顔を見せる女性は玲の服を優しく脱がしてあげると、傷ついた肩の傷に消毒液を浸したガーゼを当てようとしたが、ふと玲の全身を見つめる。
その間兵士は隣の部屋に行ったまま戻ってこない。
「先にお風呂入って綺麗にしよっか、私が洗ってあげるね」
「バスタオルの準備は僕がしておくから、後は頼んだよー」
隣から聞こえてくる兵士の声に女性が返事をすると、玲と一緒にバスタブへと向かった。
そこで玲は体を綺麗に洗ってもらい、バスタオルでお湯を拭き取ると、もう一度消毒液をしみこませたガーゼをとり出し傷に当て始める。
「これで良くなるからね」
兵士はまた笑顔を見せ、玲の頭を優しく撫でる。
そこに隣の部屋にいた兵士が戻ってくると、女性はその場に立ち上がり兵士の方を向いた。
「これからこの子をどうするの?まさか基地に連れて帰るんじゃ……」
「それしかないよ、この子にはもう家族がいないんだ。僕達がどうにしかしないと……」
「もしBNの子だと知られたらどうするの?貴方まで殺されるかもしれないのよ」
兵士と女性はその後も話し合っていたが、女性は床に置いていた救急箱を手に取ると足早に部屋から出て行ってしまう
───それから次の日、玲は艦から降りる事になった、勿論他の兵士にバレないように助けてくれた青年と一緒にこっそりと。
艦から降りた場所は基地と言うより、民宿のような、そんな感じの小さな基地だった。
周りには荒野が広がっているだけで何もなく、この建物しか建っていない。
「ここが僕のいる基地だよ、とは言っても。数十人しかいない小さな所だけどね」
そう言って青年はすぐさま人目につかないように自分の部屋に向かう、幸い小さな基地で人が少ない為に通路で他の兵士と出くわす事は無かった。
安心して溜め息を吐いた後、部屋の鍵を開けて中に入ろうとした時、それを待っていたかのように向かい側の部屋の扉が開いた。
「中佐!?どうして貴方がこのような所に───」
───玲と青年はその中佐という男性にある一室へと連れて行かれる、そして男性は部屋の奥においてある椅子に座ると、横に並んでいる二人を凝視していた。
男性は黙ったままじっと青年を見つめており、沈黙が続く。すると青年は勇気を振り絞り口を開いた。
「僕が連れてきました……、目の前で家族を失った彼女を見捨てる事が出来なくて、それで……」
そう言って青年は悲しげな目で横にいる玲を見つめると、今度は鋭い眼つきで前を向いた。
「中佐、なぜNFは罪のない民間人を殺したのか。説明してください、民間人の安全が保障されていれば彼女を返していました、ですがあのような虐殺が行なわれていた場所に、この子を預ける事は出来ません!」
青年が自分の思いをぶつけると、今まで沈黙を保っていた男性がふと口を開く。
「軍において、上からの命令は絶対。その命令を逆らう者は……兵士失格だ」
青年は死も覚悟した、当然だ、軍に背きBNの民間人を助けてしまったのだから。
「僕はどんな罰でも受けます。軍を辞めても構いません……ですが、この子の安全だけは保障してくれませんか!?」
青年が深く頭を下げ、そして言い終えた後に頭を上げた時、男性が目の前に立っていた。
そして男性は拳を振り上げると、青年の顔面目掛け勢い良く振り下ろした。
青年の顔面を殴られた衝撃でその場に膝を着いて座り込んでしまい、殴られた顔を手で覆っている。
「甘ったれるなッ!」
青年は痛みに堪え我ならも必死に顔を上げると、今度は胸倉を掴まれ無理やり立たされる。
「助けておいて自分は軍を辞めるだと?お前が辞めるのは勝手だ、だが残されたこの子はどうなる。家族を失い一人残されたこの子はどうなる?」
「それは……」
「お前がこの子の命を助けたんだ、それならお前が責任を持て。
この子に『生きる辛さ』を教えたお前が、責任を持ってこの子に『生きる喜び』を教えろッ!……いいな?」
生きる辛さ……家族を殺された玲には生きる辛さがひしひしと伝わってきていた。
幼い心に突き刺さる針、いっそ、あの時死んでいれば楽だったのかもしれない。
そんな玲に生きる喜びを教えろと言われた青年は、最初は言葉の意味がわからなかったが、殴られて頬が腫れている顔が段々と笑顔に変わっていく。
「はい!ありがとうございます!!」
青年の言葉を聞くと男性は掴んでいた胸倉を放し、またゆっくりと自分の席に戻っていく。
「お嬢ちゃん、名前は?」
さっきとは打って変わって柔らかい表情で玲の名前を聞く男性、玲は青年にしがみ付きながら名前を呟いた。
「すくす……れい……」
「ふむ、良い名前だ。では玲、君は今日からNFの人間として生きていかなければならない。それでも構わないかね?」
家族を殺したNF、そのNFの人間にならなければならない。
幼い玲にはどうしていいかわからなかった、だがここで否定してしまえば、殺されるかもしれない……今の玲はただ言われた事に頷く事しか出来なかった。
────私はその基地にお世話になる事になった……。
その後部屋に戻って、私は大泣きしてた、悲しいのか、辛いのか、よくわからないけど……ただ無性に泣きたかったんだと思う……。
それから私はNFの人間として生きていく事になったけど、不安で不安でとても苦しかった。
次の日、助けてくれた兵士と中佐の人が、基地にいた他の兵士の人達に私の事を説明をしてくれて。
そしたら兵士の人達は皆わかってくれたの、皆怯えている私に優しく微笑んでくれて……。
その次の日から、私はその軍の食堂で働く事になった。料理を運んだり、食器を洗ったり……。
───「玲ちゃーん、お冷持ってきてくれなーい?」
「は、はい。いまもっていき───あっ!」
水が大量に入っているお冷を持った途端に手から滑り落としてしまい、容器が地面に落ちてしまう。
落とした衝撃で容器の蓋が開き、大量の水が床に広がってしまった。
急いで玲は雑巾を取りに行くと、床に広がる氷水を一生懸命雑巾で拭っていく。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!」
怒られると思い頭を下げて謝りながら震える手を動かし水を拭き取っていくと、食事をしていた兵士達も一緒になって布巾を取り、水を拭き取り始めた。
「ったく、お前が玲ちゃんにあんな重いもの取らせるからだろが」
「わ、わりぃ。玲ちゃんごめんね、俺が拭き取るからさ」
いそいそと二人の兵士が雑巾を使い氷水を拭き取っていくと、今度は女性の兵士が玲に近づき、玲の冷え切った両手をゆっくりと掴んだ。
「冷たい……玲ちゃん、ここは二人に任せてこっちに来て」
女性の兵士はそう言って冷たくなった玲の手を掴むと、足早にトイレに向かう。
その洗面所でまずは手を洗い、その横についてある乾燥機に手を入れた。
暖かい風が吹き込まれ、冷えていた手をやんわりと温め始める。
「え、えと。私がこぼしたのに。こんなところにいてもいいんですか……?」
「ん?気にしないでいいよー、玲ちゃんはまだ小さいから、それに玲ちゃん昼食とってないよね?一緒に食べよっか」
その後、手を洗い終え二人は仲良く食堂で昼食を食べていた。
食べている最中にも玲は皆に声を掛けられ、話し合い、笑い合い、長閑な雰囲気に包まれる。
玲の事情を、皆理解してくれていた。皆わかっていたのだ、あの作戦でBNの虐殺を見ていた彼等には。
家族を失った玲を見るたびに思い出す、自分達はこんな事がしたくて軍人になった訳ではない……。
玲は人気者だ、毎日毎日玲は働きながらも、皆が応援して、支えてくれて。
次第に玲の心も開いていくほどだった。たしかに家族を失った悲しみは残っている、だが皆が自分に構ってくれて、皆が笑ってくれているこの生活が、段々とその悲しみを薄め始めていた。
───それから月日の流れたある日、すっかり基地に馴染めてきた玲は毎日を幸せに暮らしていた。
自分の部屋も用意してもらい、玲は一人で寝る事も出来るようになっている。
今日も朝から朝食の準備をする為に用意してもらった服を着ようと着ている服を脱いだ時、あの玲を助けてくれた青年が突然部屋に入ってきた。
「玲ちゃん起きてる?今日の仕事は……って!ごめん!」
顔を赤らめながら青年は急いで後ろに振り返ると部屋から出て行こうとする。
だが見られた玲はきょとんとした表情で首をかしげながらも、用意していた服に着替え終わる。
「どうしたんですか?」
「え、ああ……えっと。今日の玲ちゃんの仕事は休みになったんだよ、だから今日は部屋でゆっくりしてていいから、それじゃ!」
何処となく焦るような、いつもとは何か違う。そんな感じの青年はそう言い残すと足早に部屋から立ち去ってしまう。
部屋でゆっくりしていい、と言われた玲はとりあえずその制服のまま机に向かうと、引き出しを開けて勉強道具を取り出す。
「さんすうしよーっと」
取り出したノートや筆箱には、可愛らしいお花の模様が描かれており、シャーペンを手に取ると算数の練習問題を少しずつ解いていく。
……それから何時間たっただろうか、長時間の勉強で少し疲れた玲がシャーペンを机に置いて椅子に座ったまま背伸びをすると、その体勢で壁に掛けられている時計を見る。
時計は12時を回っていた、朝食にパンを少し食べてからもう昼食の時間になっている、そう考えると次第にお腹も空腹になっていくのを感じた。
机の上に並んだ勉強道具を引き出しに仕舞い、部屋を出ようとした時、今度は女性が部屋の中に入ってきた。
「玲ちゃん、一緒に昼食食べに行こっか」
笑顔で手をさし伸ばしてくれる女性に、玲も笑顔を見せるとその手を掴み、仲良く食堂へと向かう。
そしてもうすぐ食堂に着くという頃に突然女性が足を止めると、ポケットから何やら帯のような物を取り出し始めた。
「ふふ、玲ちゃん。ちょーっといいかなー?」
「え、ええ?あの、これって……?」
玲はその帯で目隠しをされ歩き始めようとしたが、足元が覚束ない。
そんな玲の手を優しく握る女性は、玲をゆっくりと食堂まで向かわせる。
不安と緊張が胸中で渦巻く中、女性の足が止まると、玲の耳元でそっと囁いた。
「目隠しとっていいよ」
そう言われ恐る恐る帯に手を触れる玲、そして目隠しを取り外した時一斉にクラッカーの鳴り響く音が聞こえてきた。
「「玲ちゃん!誕生日おめでとう!!」」
目の前に広がる光景、いつも身近でお世話をしてくれる人達が頭にカラフルなコーンを乗せ、クラッカーを引いてくれていた。
壁や天井にはこの日の為に沢山の模様が飾られており、食堂の真ん中には巨大なケーキまで用意されている。
皆におめでとうと声を掛けられ、拍手をされる中、女性に手を引かれながらゆっくりとケーキの置いてある机まで歩いていく玲。
「玲ちゃんは今日で11歳だから、11本用意したよ、ささ、消して消してー」
白くて美味しそうなバースデーケーキ、その上には沢山の苺が並び、11本のロウソクが綺羅やかな火を灯していた。
玲が息を吹く掛けると、火は簡単に消え、周りから拍手が聞こえてくる。
食堂の机の上には豪華な料理が並び、兵士達がその料理を食べ始める。
女性が玲の為にケーキを切っていると、食事をしている兵士達の間からあの青年が現れた。
「どう?驚いた?玲ちゃんをビックリさせようと思って今まで隠してたんだけど……って、あっあれ?玲ちゃん?」
青年の登場に玲は俯くと、ぽろぽろと小さな涙を流し、床へと滴り落ちていく。
慌てた様子で青年が宥めようとした時、倒れるように玲が青年の胸元へ抱きついた。
そして玲は顔を上げると、目の前にいる青年と女性を見て口を開いた。
「ありがとう、おにいちゃん……おねえちゃん……」
それが今、玲に言える精一杯の感謝の言葉だった。
嬉しさの余り泣いてしまった玲に、皆が優しく笑いかける。
その日は皆とケーキを食べ、皆と遊び、皆と笑い、沢山の思い出が生まれた。
そしてこの日、玲の誕生日は幸せに包まれながら幕を閉じた。
───それから一週間後の事だった、玲はいつものように朝起きて食堂に向かおうとしていた時、いつもは寝ているはずの兵士達が起き、慌しく廊下を走っている。
いつもとは違う雰囲気に不安を感じかながらも玲が食堂に向かおうとした時、後ろからあの青年に呼び止められた。
「おはよう玲ちゃん、えっと……僕達は今から全員本部から出航した艦に乗ってある場所に行かなくちゃならないんだ。
本当急な話だよ、でも本部の命令だから……」
「え……あの、それじゃあわたしも……」
「ううん、玲ちゃんは連れて行けない。僕達が今から行く所はとても危険な場所なんだ。
でも大丈夫、一ヶ月もすれば僕達は帰って来るから。それまでお留守番出来るね……?」
その言葉に玲は大きく首を横に振った、それでも青年はじっと玲を見つめている。
「いや!わたしもいく、いきたい!ひとりに……ひとりにしないで……」
「ごめん……でも信じて、僕達は必ず帰って来る。約束だ」
青年は手を出すと、小指を立てて玲に近づける。でも玲は約束しようとしなかった。
「やだやだやだぁ!はなれたくない!ずっといっしょにいたい!」
「玲ちゃん、これでお別れじゃないんだよ?ほんの少し離れ離れになるだけ、勿論僕達だって辛いんだ、玲ちゃんとは離れたくないからね。……でも、皆を守る為に僕達は行かなくちゃならないんだ」
気付けば玲は涙を流し、ゆっくりと頷くと、青年は左手で玲の頭を優しく撫でた。
「さよならは言わないよ、またね、玲ちゃん」
玲の小指が青年の小指を優しく握り、約束を交わした。
突然で、本当に急な話だった。またいつもの毎日が続くと思っていた玲には、衝撃的で、辛くて、不安で……。
───玲は一人、基地の窓から兵士達を見送った。
基地にいた従業員と兵士は大きな荷物を持ち、全員本部から来た大きな戦艦に乗り込んでいく。
そして艦は発進し、この基地から遠ざかっていった。
ふと後ろに振り返っても、誰もいない。食堂の冷蔵庫の扉を開ければ食料はある。
今の時間帯、いつもは従業員の人と一緒に朝食を作っているはずなのに、その人すらいない。
やけに食堂が広く感じる、いつもは多くの人が来て賑わっている場所なのに。
それから玲の一人生活が始まった、まだ11歳という幼い子の、たった一人の生活。
そして一日が終わるたびにカレンダーに印を付け、皆の帰りを待った。
1週間、2週間、3週間……そして、とうとう明日が青年の言っていた一ヵ月後が来たのだ。
待ちに待った日、玲は朝早くから基地の入り口にある椅子に座り、皆の帰りを待った。
朝食を食べずにじっと待ち続ける玲、だが皆はまだ帰って来ない。
昼食を食べずにじっと待ち続ける玲、それでも皆は帰って来ない。
辺りが暗くなり、夜になっても、それでも玲は待ち続ける。
玲は諦めていない、皆やっと帰って来る、あの青年も、あの女性も、皆、皆。そしてまた始まる、いつもの楽しい生活が。
一ヶ月一人で生活した話しをすれば、皆が驚いてくれると思っていた、一人で食事を作り、一人でお風呂に入り、一人で寝れる。
どんな話をしようかと考えていたその時、突如入り口の扉が開き、外から何人もの兵士が入ってきた。
「おかえりなさ……ぃ───?」
笑顔で皆の元に駆け寄ろうとした玲、だが玲の笑顔は一瞬で消えた。
「だれ……?」
誰の顔もわからない、見覚えの無い兵士達が基地に入ってきていたのだ。
玲はすかさず物陰に隠れると、堂々と基地内に入っていく兵士達を見つめる。
一人一人大きな荷物を持つ兵士達は手に持っているカードを見ながら次々に部屋に入っていく。
そして荷物を置き終えた兵士達が部屋から出てくると、渋々どこかへ向かっていた。
恐る恐る玲がその後を追っていくと、全員が食堂に座り食事をとろうとしていたのだ。
数人の兵士が厨房に立ち、冷蔵庫の食料を使って料理をし始める。
玲はその様子を見ながら物陰から出ると、一歩ずつ食堂の椅子に座っている兵士達に近づいていった。
「あ、あの……」
玲がよそよそしく一人の兵士に声を掛けると、テーブルで雑談していた兵士達が一斉に玲の方に振り向く。
驚いたような様子で兵士達は玲を見ていたが、一人の兵士が口を開いた。
「は……?なんで、ガキがこの基地にいるんだ……?」
「わ、わたし。ここで働かせてもらってて……」
そう言うと兵士達が玲を横目で見ながらな何やら話し合う。
玲はこの基地でこっそりと働いていた為、玲に関してのデータは何処にも無い。
データの無い人間が何故基地にいるのか、兵士達はその事の関して話していると、その一人の兵士が玲に話しかけてきた。
「お前、親や兄弟はいるのか?」
「えっ、あ……もう……いません……」
そう言って俯いた玲を見て周りの兵士達は思わず笑みを浮かべた、口元だけ笑った奇妙な笑みを。
「へぇ、なんでこの基地にいるのか、説明できるか?」
「たすけてもらって、それで……」
「おいおいマジかよ、ここにいた連中やるじゃねーか」
兵士達は皆笑いながら嬉しそうに喋り始めるが、その意味は玲にはわからない。
未だ状況が掴めず不安な表情を見せる玲、一人の兵士が玲の腕を掴むと、無理やり自分の隣に座らし始めた。
玲の肩に手を回し、自分の体に密着させる兵士に、周りの兵士から野次が飛ぶ。
「うるせーよお前等!早いもん勝ちなんだよ、今日は絶対俺だからな」
兵士がそう言うと、肩に回された手は次第に玲の体を触り始め、徐々にその手が胸元へ近づいていく。
兵士達に怯え恐怖の余り声も出せない玲、ふと周りを見てみれば、皆目を光らせて玲を見ていた。
───食事を食べ終えた兵士、食器を片付ける事無く固まっている玲の腕を掴むと、足早に歩き出した。
「あの、どこにいくんですか……?」
「俺の部屋に決まってんじゃん」
「えっ……?」
そう言われて玲は足を止めようとした、何よりも怖かったのだ、この兵士が。
本当は皆が帰って来てくれるはずだった、だが来たのは別の兵士達。
今の玲には深く考える事が出来ず、混乱したように何も考える事が出来ない。
だが兵士の歩くスピードは早く、そして足が止まった時には、その兵士の部屋の前に来ていた。
「わたし、用事があるので!」
掴んでいる手を振り解こうとしても、幼い彼女に何が出来ようか。
連れて行かれるがままに部屋に入れられると、強引にベッドの上に押し飛ばされる。
「まさか人里は慣れたこんな基地で、こんな女の子を抱けるなんてなぁ……」
兵士は上着を脱ぐとその場に投げ捨て、ベッドの上で倒れている玲の腹の上に乗り、身動きを封じる。
「や、やめてください。じぶんの部屋に、帰らしてください……」
自分が今から何をされるのかわからない、それでも今この場が危険な事だけはわかる玲は目に涙を浮かべながらも必死にこの部屋から出ようと抵抗を試みる。
「勿論帰してやるよ、そん時は朝になってるけどな」
兵士は薄気味悪い笑みを浮かべながら玲の頬に手を伸ばすと、玲はその指に勢い良く噛み付いた。
「痛ッ!」
兵士が怯み腰を上げた時、すかさず玲はベッドから下りると、全力で部屋の入り口に向かって走り出す。
部屋の扉が開く、玲がそのまま自分の部屋に向かおうとした時、部屋の扉は目の前で閉まった。
服を引っ張られた玲は大きく後ろに転ぶと、容赦なく腹部に蹴りが入る。
「あっ!う、ぐ……」
「てめえ!ガキだからって調子乗ってんじゃねえぞ!」
床に倒れている玲の顔目掛け兵士は何度も殴りつける、玲は両手で必死に顔を守ろうとするが、顔や額には大きなアザが出来ていた。
「ごめんなさい!ごめんなさいぃ!」
泣き叫びながら謝り続ける玲を更に殴り続ける兵士は、嗚咽をしながら謝り続ける玲を再びベッドの上に連れて行く。
「じっとしてろよ、気持ちよくしてやるんだから。な?」
息遣いが荒くなった兵士は興奮を抑えきれず玲の服に手を出そうとした時、玲は涙目でその兵士を睨み、口を開いた。
「もうすぐ……もうすぐみんな、かえってくるんだもん……どうなっても、しらない、から……」
もうすぐ皆が帰って来る、助けてくれた青年が、治療してくれた女性が、いつも優しくしてくれた皆が、帰って来る。
その玲の言葉を聞いた兵士は唖然とした表情で固まっている。
だが兵士の表情は段々と笑いを堪えるようになり、そして我慢の限界が来た。
「っぷ……くく……っはは!あはははは!!」
その兵士の笑いを虚ろな目で見つめ続ける玲。
何故笑っているのか不思議でたまらない、それを見て玲はどんな苦痛や辛さにも耐えてみせると思った。
皆が帰ってきたら、また優しくしてもらえるから、今苦しくても皆が助けに来てくれるから。
そんな希望に満ち溢れた玲の思いに、ある一言が聞こえてきた。
「お前知らないの?この基地にいた人間、全員死んだぜ?」
「…………えっ───?」
玲の着ていた制服が力ずくで破られていく、皆に買ってもらった軍服が、ビリビリと音を立てて。
もう玲には抵抗する気力は残っていなかった、なすがままに遊ばれる肉体、玲、玲。
全てが、壊れた。