第58話 想い、呆れ
───「ただいま」
そう言って俺は渋々自分の部屋へと帰って来た。
正直ミシェルに合わせる顔が無い、だからと言ってずっとミシェルと会わない訳にもいかない。
俺は抱かかえているレンを別の寝室へ運ぶと、灯りを点けずに薄暗い部屋のベッドにそっと寝かせる。
神楽の所へ運ぶのが得策だと思ったが、少しレンには気になる事がある。
「かいと、おかえり……」
後ろに振り向くと、体の半分を扉で隠しながら顔をひょっこり覗かせるミシェルがそこにいた。
やはりまだ俺の事を怖がっているのだろう、ん?頬と目がやや赤い。俺のいない間ずっと泣いていたのか?
「さっきは、ごめんなさ───」
ミシェルの口を封じるように俺は素早くミシェルを抱きしめる。謝らせてたまるか、謝るのは俺の方だろ。
「お前は悪くない、悪いのは俺だ。さっきはすまない、あんな酷い事をして」
そうだ、ミシェルは記憶が無いのかもしれない。だから不安なんだ、記憶の無い自分が。
それならゆっくり探していけばいい、生きていれば、何か手がかりを掴めるかもしれないしな。
俺は抱きしめるミシェルをそっと体から離すと、
俺は片足の膝を床に着け、騎士とかが忠誠を誓うようなよくあるカッコイイポーズをする。
「かいと?」
「俺に命令してくれ、ミシェルの喜ぶ事をしたい。何をしたらいい?」
最近俺はミシェルの喜ぶ顔を見ていない、笑顔を見せてくれ、ミシェル。
何を頼むかきっと悩むと思っていたが、ミシェルは悩む事無くすぐに口を開いた。
「さっきみたいに、だきしめて」
意外な答えだ、正直全く予想していなかった。
だがそれがミシェルの頼みなら、俺は仰せのままに実行しよう。
「ああ、わかった」
ミシェルを抱きしめると、柔らかくて暖かい感触が伝わってくる。
一人の女の子だ、俺が守らず、誰が守る。それにしてに本当に暖かい、温もりとはこういうのを言うんだな。
「よし、今日はもう晩いし。寝るか」
「うん!」
レンの寝ている寝室から出ると、俺とミシェルは別の寝室へと向かう。
そこでミシェルを寝かした俺は部屋にある椅子を持つと、レンの寝ている寝室へ戻った。
また起きて自殺でもされたら助けた意味が無いからな、起きるまでこーやって部屋の中で見張るしかないのさ。
───「ん……あ、れ。ここは……」
カーテンの隙間から朝日が射し込み、丁度その光がレンの顔を照らしていた。
「お、目が覚めたようだな」
起きた事に気が付いた俺は椅子から立ち上がると、起きたばかりのレンの元へ向かう。
するとレンは驚く様子も無く、冷静な顔をして俺の顔を見つめた。
「甲斐斗さん……お久しぶりです」
「ほお、俺の事覚えてるのか、久しぶりだな」
レンは小さく頷き、体を起こすと。視線を自分の足元に向ける。
「悩みがあるんだな、だから屋上から飛び降りようとしたんだろ?」
「……私、そんな事しようとしたんですね」
……やはり、と言える。
まるで操り人形のように手すりを乗り越え、光の無い虚ろな瞳で歩いていたレンは正気じゃない事ぐらいすぐにわかった。
だが、感情が全く無いと言えばそうじゃなかった。それはレンに聞いた方が早そうだ。
「憶えてないのか……お前は記憶の欠落が多過ぎる。そんな自分に疑問を抱き始めたんじゃないのか?」
俺の質問にレンは全く動かず、ただただ自分の足元を眺めているだけだ。
そんな態度に俺はもう一度質問を聞きなおそうとした時、突如レンが口を開く。
「記憶って、思い出なんです」
「ああ……そうだな」
「楽しかった思い出、辛かった思い出、沢山ありますし、生きていれば、沢山増えていくはずなんです。でも最近は……時が経てば経つ程、楽しかった思い出が、次から次へと消えていくんです……」
記憶の欠落、しかしこれも神楽が関係しているのだろうか。
たしか羅威達は神楽がレンの為に記憶を消したと聞いていたが、記憶の欠落も神楽が行なっているのか?
それなら何故レンを苦しめる、レンを助けに来ておいて、何故苦しみを与える。
「一生懸命思い出しても、辛い思い出や、悲しい思い出しか残ってない。目を閉じるたびに私の脳裏に映ってくる……そんなの、甲斐斗さんも嫌ですよね?思い出すたびに、過去の出来事を鮮明に思い出すんですよ……」
「まぁ、好きな奴はいねえな。それで、その苦しみから逃げる為に、気付いたら屋上に来てたって事か」
やれやれ、こんな時に気の利いた事を言えたらいいんだけどな、生憎俺はそういう達じゃない。
「神楽に頼んでみたらどうだ?もしかしたらお前の悩みを解決してくれるかもしれないぞ」
「あ……そうですよね、私には神楽さんがいたんでした。良かった、神楽さんが、いたんだ」
神楽の事も忘れかけているのか?これは重症だな、
俺も神楽や、赤城ともう一度話しがしたい。レンと一緒に神楽の元に行くとするか。
「よし、なら神楽の所に行くか」
レンは頷き、寝ていたベッドから降りると。そそくさと部屋から出て行く。
俺は別の寝室にいるミシェルの元に向かうと、ミシェルと一緒に部屋から出る。
流石にもう置いてけぼりはまずいからな。
───一人自分の部屋で紅茶を飲んでいる神楽、すると部屋の入り口の扉からインターホンの音と、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「神楽さん、ちょっといいですか……?」
おどおどと弱々しい態度のレンに神楽はすぐさま部屋の扉を開けると、部屋の中にレンを招き入れる。
そしてさっきまで自分の座っていたソファにレンを座らせると、キッチンに向かい新しいティーカップに紅茶を注いでいた。
「どうしたのレンちゃん。何か悩みでもあるのかしら」
紅茶の仄かな香りを楽しみながら紅茶を注ぎ終わると、それをレンの前の机の上にそっと置く。
「は、はい。その事何ですけど、最近私の頭の中が変で……」
その言葉にさっきまで紅茶を楽しんでいた神楽の表情は消え、眼つきが一瞬で変わる。
「変って、どういう風に?」
「記憶が曖昧で、所々記憶が抜け落ちてて、その……」
次の言葉が出る前に、レンは隣に座っていた神楽に抱きしめられ言葉が出せない。
「そう、それは怖い思いをしたわね。でも大丈夫、私が治してあげるから」
神楽の率直な暖かさと、愛されている事を身を持って知る事にレンの頬が染まる。
「お姉、ちゃん」
涙が出そうになるのを堪えながらもレンはその暖かさを実感している。
神楽は抱きしめていたレンをそっと離すと、ソファから立ち上がり、レンの右手を掴んで別室へと歩いていく。
ベッドと椅子が置いてあるだけの質素な部屋、だが神楽はその部屋の壁を2回叩くと、
人一人分の大きさの扉が現れ、地下へと続く階段が姿を見せる。
その階段を神楽は降りていく、レンも戸惑う様子もなく、慣れた感じで階段を下りている。
そして階段を下りた二人は部屋の奥にまで歩いていた時、後ろの方から何かが破壊される音が聞こえてきた。
驚いた様子で神楽が後ろに振り向くと、そこには黒剣を片手に階段を下りてきた甲斐斗の姿があった。
だがその甲斐斗もまた驚いた様子で部屋を見つめていた、広い研究所内、その奥にある三つのカプセル。
人一人は余裕で入れる程の巨大なカプセルには怪しげない色をした赤い液体が溜まっており、
そしてその中に赤城の姿、そして別のカプセルにはエリルの姿があった。
「赤城!?……てめぇ、ここで何の研究してるのか。洗いざらい喋ってもらおうじゃねえか」
剣を構え、今にでも飛びかかれる勢いを持つ甲斐斗。
「甲斐斗?どうしてここに、まさか……」
驚きの隠せない表情、神楽はレンに視線を向けると。レンの着ている軍服の襟元に手を当てる。
すると、そこから小さな発信機のような物が付けられており、それを手に取った神楽は足元に落とすとゆっくりと靴で潰す。
「姑息な真似をしてくれるわね」
「んな事知るか、それよりレン、お前は神楽に聞きたい事があったんじゃねえのか?」
甲斐斗の問いにレンは答えず、怯えた様子で神楽の後ろに隠れ、顔を覗かせながら甲斐斗を見つめていた。
「だ、誰ですか貴方……どうして私とお姉ちゃんの部屋にいるの……?」
「誰って、また忘れたのか?……もういい。とりあえず神楽、俺とゆっくりお話タイムといこうじゃねえか。まずは……赤城をどうするつもりだ」
「邪魔な記憶を消す、それだけよ」
神楽のその言葉に甲斐斗が反応する。邪魔な記憶、それを思い出させるのはあの時の記憶しか無い。
「言っておくけど、私は赤ちゃんの選択通り行動をしているだけ、これは彼女が決めた事なのよ」
「邪魔な記憶って、もしかしてあの時の記憶か」
「ええそうよ、貴方のせいで苦しめられた時の記憶を消さなければならなくなったのよ。全ては貴方の責任、貴方のせいで赤ちゃんは傷つき記憶を消さなければならなくなってしまった。傷ついた赤ちゃんに貴方は何が出来る?体も心も傷付きボロボロの彼女を、貴方は助けられるの?」
その問いに甲斐斗が答える前に神楽は回答を出した。
「答えは決まってる、そんな事絶対に無理。でも私なら、傷ついた赤ちゃんを助ける事が出来る。それでも貴方は私を止めようとするの?」
神楽からの止め処ない言葉を浴びせられるが、甲斐斗の表情は変わらず、じっと神楽を見ている。
「レンについても同じ事を言うのか?傷ついたレンを助けられるのは自分だけ、って」
「レンちゃんは心身共に深い傷を負ってるの、だから私がその傷を少しずつ治しているのよ」
赤城の事や、自分の記憶の事を話しているというのにレンは怯えた様子で神楽の後ろに寄り添っている。何も疑問に思わないその様子は、神楽を信じきっている為だろうか。
「最近レンの様子がおかしいのはお前も知ってるはず。何故だかわかるか?お前が無理やり記憶を消していく程、レンの脳には相当な負担がかかる、それぐらいの事学者ならわかるだろ?」
「今は負担がかかるかもしれない、でも私の研究が進めばそれも治せるようになるわ」
「俺は記憶を消す事が間違ってるとは思わない、だが正しいとも思わない。だからお前のしている事を否定はしない。たしかに記憶を消せば幸せな日々を送れる事もあるからな……」
まるで自分も記憶を消した事があるかのような台詞。
だが甲斐斗は握り締める剣の剣先を神楽に向けると、ゆっくりと口を開いた。
「だが消させねえ、負の連鎖を止める為にもな。話は終わりだ、死ね」
剣を振り上げ、一気に神楽の元へ飛びかかる甲斐斗。後は剣を振り下ろせば済むはずだった。
「やめて!お姉ちゃんを殺さないで!」
咄嗟に神楽の前に出てくると、両手を広げ神楽を守ろうとする。
その姿を見て甲斐斗は急いで足を止めると、また剣を構えなおす。
「レン!そこをどけ!お前はこの女にずっと記憶を弄られ続けて生きていくんだぞ!それで良いのか!?」
「私はお姉ちゃんと一緒なら何でもいいの!私からお姉ちゃんを奪わないで!!」
「そいつはお前の姉じゃねえ、お前には兄がいるだろ!羅威って名の!実の兄すら忘れたのかお前は!」
甲斐斗の怒号にたじろぐレン、やや首をかしげながら甲斐斗を見つめている。
どうやら兄の事の前に、羅威の事すら憶えてないらしい。
「お前は忘れて幸せかもしれねえ、だがな……忘れられた羅威はどうなるんだよ!」
「私は……そんな人知りません!!」
ハッキリと言い切ったレンの言葉に、甲斐斗の表情が変わる。
両手で握っていた剣は消え、力無く両手を下げると、自分の足元を見つめるように俯いた。
「ああ、そうかぁ……知らない、か。知らないなら、仕方無いな」
「馬鹿馬鹿しい、何気取ってんだよ俺は……もうお前等がどうなろうと俺の知ったこっちゃねーよ」
そう言って甲斐斗は後ろに振り向き、一歩ずつ階段の方へ向かう。
それを神楽とレンはじっと後ろ姿を見つめたまま動かない。
「あ、赤城……もういいか。好きにしとけ、じゃあな……」
甲斐斗はそう言い残すと階段を上っていき、姿を消す。
地下研究所から戻ってきた甲斐斗は入り口の横で壁にもたれ掛かりながら座っているミシェルの手をそっと引くと、
何も言わず神楽の部屋から出て行った。
研究所に残されたレンは神楽にしがみついて離そうとしない、そんなレンを神楽は優しく頭を撫でていく。
その時、研究所にある一台のモニターが警告表示へと切り替わり、警告内容が映し出されていく。
神楽はそれを横目で見て確認すると、そっとレンを体から離した。
「嫌な事も、怖い事も、すぐに消えるからね、レンちゃん」
そう言って神楽はポケットの中から小型の麻酔銃を取り出すと、その銃口をレンの首元に当てた。
「おやすみ」
───岩山が並ぶ荒野から見えるのはNF東部軍事基地、そこには5機の機体が立ち並んでいた。
『おい羅威、神威が負傷中だからってその状態で我雲を操作出来るのか?』
『任せろ、リハビリをしてきた成果を見せてやる。それより各自指示された場所で待機していてくれ』
穿真の通信に逸早く答える羅威だが、その操縦席は神威とは異なっている。
鬼神との戦闘で負傷した神威は予想以上に重傷の為に修理が間に合わなかったのだ。
『了解、幸運を祈るぜ』
羅威の指示に4機がそれぞれ指定された場所へ移動する、羅威の乗る我雲はその場で立ち止まり、誰かを待つかのようにその場で待機していた。
システムは全て調整済み、異常箇所0、万全の体制に万全の準備をしてきた。
羅威は二本の操縦桿を両手でそっと握ると、目を軽く閉じ、ゆっくりと深呼吸を済ませる。
そして目を開き、目の前に映る光景を見つめる。天候は曇り、空は黒い雲に覆われ嵐を予兆させた。
それでも羅威の心に曇りは無かった。
妹を、守る為、救う為に。
『迎えに来たぞ……玲』
葉野 香澄
実はクロノと学校の同期であり、その操縦技術はクロノとほぼ互角。
課せられた命令は絶対にこなそうとする程の完璧主義。