第55話 清、濁
───「ちょっと沁みるかもしれないけど、我慢してね」
微かに匂うアルコールの香り、医務室ならではの香りと言えるが、ここは医務室ではない。
ここはレンの部屋、医務室には重傷の患者が何人も運び込まれており、俺達の入る所など何処にも無い。
レンはアルコールの滲みこんだガーゼをピンセットで摘まむと、それをミシェルの傷ついた顔や腕に当てていく、
ミシェルは痛みを堪えているのだろう、目を瞑って必死に事が過ぎるのを待っていた。
……こうなったのも全て俺のせいだ。俺が側にいてやらなかったからミシェルをこんな危険な目に遭わせてしまった。
ミシェルは……俺を恨んではないのだろうか、肝心な時に助けてくれない俺を、生きる喜びや楽しさを教えると言った俺を。
結局俺は何もしてやる事が出来てないんじゃないのか?所詮俺はそれだけの男でしかないのか?
「はい終わり」
レンはそう言って救急箱に薬品を仕舞うと、救急箱の蓋を閉めて自分の部屋の棚に戻しに向かう。
ミシェルのおでこにはテープでガーゼが貼られていたが、ミシェルはいつもの様に帽子を深く被るとおでこの怪我が見えなくなった。
「ミシェル、大丈夫か?他に怪我は……」
軽く頷いてくれたミシェル、見た所目立った外傷は無いが。ミシェルはどこか痛みに耐えているような気がしてならない。
俺はそんなミシェルの姿を見て更に知らされた、いや、教えられたのだろうか。自分の無力さを。
ミシェルの目の前で片足だけ膝ずいた俺を見て、二人は何を思うのだろうか。
「ミシェル、全て俺のせいだ。本当にすまなかった……」
少なくとも、俺がミシェルの側に入ればこうなる事も無かったはずだ。
あの時俺はミシェルの安全より戦いを選んだ。それは紛れも無く俺の過ち……。
憎まれる事をしたんだ。殴られても構わない、怒られても構わない。ミシェルには俺を殴る権利も、怒る権利もある。
跪きいた俺の目線はミシェルより少し下だが、俺とミシェルは互いに見つめあい視線をそらさない。
するとミシェルは右手をゆっくりと上に上げる、俺は直感で頬を叩かれると思い目蓋を閉じてしまう。
さあ殴れ、殴ってくれ、そして俺の眼を覚ましてくれ、ミシェル。
その時、頬ではなく頭を叩かれた……叩かれたのか?軽く手を当てられたような感覚だ、それに……俺の頭を撫でている?
目を開くと思った通り、ミシェルは俺をその小さな手で左右にゆっくりと撫でていた。
「ミシェル……どうして……?」
俺には理解出来ない、何故今俺の頭を撫でる。
「どうして?」
俺の言葉に首を傾げるミシェル、すると頭を撫でるのを止めて今度は跪く俺に抱き付いてきた。
抱きついているミシェルの顔は見えないが、俺には笑顔に思えた。
「ありがとう!」
「えっ?」
笑っている。
ミシェルの顔できていた傷を見てわかる、絶対に酷い事をされたに違いない。
それなのに、何故笑っていられる?何故守ってやれなかった俺を憎まないんだ?
「かいと、たすけてくれて、ありがとう!」
おいおい、今度はお礼の言葉を俺に言ってくれるのかよ。何か、調子狂うな……。
ミシェルは俺が助けてくれた事に感謝していた。
俺が思っていた以上にミシェルは純粋で、無垢な心なんだと改めて知らされる。
俺にとっては眩しすぎる存在、ミシェルにとって俺は、俺は……。
「ありがとう、ミシェル」
抱きついていたミシェルをそっと体から離すと、俺はゆっくりと立ち上がった。
「俺にはまだ謝らなければならない人がいる、今からその人の所へ行ってくるから、ここで待っていてくれ。
大丈夫、すぐに戻ってくる。それまで……レン、すまない。ミシェルを任せられるか?」
「え、あ……はい、私なら構いませんけど」
「ありがとう、すぐに戻る」
部屋から出た俺の足は止まることなく目的地へと向かう。次に行く場所は既に決まっている。
赤城のいる医務室、神楽の研究所らしき所だ。あの部屋に行って俺は赤城にも謝らなければならない。
俺が部屋に向かっていると通路では兵士達が慌しく走りすぎていく。
あの男、この基地で散々暴れまわったらしいが、人間の体をあれ程まで綺麗に切るのは正直不可能だ。
なのにそれをやってみせた、となると。あつはこの世界の人間じゃない、他世界の人間、それも魔法が使える人間か?
それならこの状況にも説明がつく、力の無い人間が幾ら戦おうと勝てるはずがない。
しかし、魔力があるのなら何故俺にミシェルを渡したんだ。魔法が使えるのであれば簡単に防ぐ事が出来たはず。
アビア、それにあの男。厄介な連中が増えたな……って、アビアはもう死んだか。
奴の機体が使っていた武器も気になる、時には剣、時には盾、時には銃と、様々な武器に変化していた。
あんな反則地味た事しやがって…・・・・それと、ミシェルを奪うのなら何か目的があってのはず。
っと、考え事をしていたら俺は既に目的地へとついていた。それにしても、普段使わない頭を使うと疲れるな。
俺は無言で部屋に入ると、部屋の中央のソファで横になっている神楽が真っ先に視界に映った。
寝ているのだろうか、部屋の扉が開いたのに全く反応しない。
「おい、寝てるのか?赤城の手術はどうなったんだ」
「……出て行ってくれる?」
何だ、起きてるのか。まぁ起きてると思ったから俺も声を掛けたんだけど。
「来て早々それは無いだろ、赤城はどうなったんだ?」
「手術は成功、命に別状は無いわよ」
相変わらず神楽は横たわったまま、手術で疲れているのかもしれないな。
「そうか、良かった……赤城が無事で。それで今赤城は何処にいるんだ?」
「奥の部屋で寝てるわよ」
奥の部屋……と言われても、どこの部屋かわからない。
俺の予想だと多分手術室だった所の横の部屋だと思う、大抵そうだろう。
赤城に会って話しをしなければならないが、今は寝ているのなら仕方がない、赤城が起きた時にゆっくり話しを聞かせてもらおう。
「ちょっと様子見に行ってもいいか?」
「ダメよ」
何気なく言った言葉に神楽は即答で答えた、拒否という形で。
「別に良いだろ、起こさないから。な?」
「絶対にダメ。今すぐここから出て行ってちょうだい」
おいおい、別に良いだろそれぐらい。コイツは相当俺を嫌ってやがるな。
「どうして駄目何だよ、理由を言え。納得したら帰る」
「邪魔だからよ、はいおしまい、言ったんだから出て行ってくれるかしら」
「納得はしてない、てか赤城を助けたのに俺は邪魔扱いかよ」
「助けた?何馬鹿な事言ってるの?全て貴方のせいってことがわからない?」
……たしかに俺がミシェルを赤城に渡さなければ、こうなる事は未然に防げたかもしれない。
だから何なんだ、過去を悔いるより俺には未来の為にやる事が山ほどある。
ここの兵士が死んだのは何故か、俺のせいか?違うだろ、俺が殺したんじゃあるまいし。
雑魚に興味は無い、力の無い人間が死ぬのは戦場でも何処でも辺り前だろ。
「赤城を危ない目に遭わしたのは俺のせいだ、それは悪いと思っている。だから俺は赤城に謝りたいんだ」
「……馬鹿の相手は疲れるだけどね。もう出てって、出て行かないと警備の人呼ぶわよ?」
ソファに横たわっていた神楽が徐に起き上がると、ポケットの中から小型の機械を取り出した。
やれやれ、もういい。この女がいない時にまた赤城に会いに行けばいい、今は一旦戻るか。
「ったく、戻ればいいんだろ」
後ろに振り返ればすぐ出口、数歩足を前に出せば簡単に部屋から出て行ける。
俺は渋々この部屋から出て行こうとした時、後ろから何かが倒れたような落ちたような・・・そんな物音が聞こえた。
赤城が起きたんじゃないか?って、言う前に、神楽は物音のした部屋へと入っていく。
よし、俺も行こう。と、そんな風に軽い気持ちで俺は奥の部屋へと続く扉を開けた。
だが視界に入ってきたのは、そんな軽い気持ちで見れるものでは無い光景が飛び込んできた。
「赤城?」
大丈夫か?等と声を掛けれる状況では無い、ベッドで体を起こしている赤城を神楽が半ば強引に抱きしめていた。
その抱きしめられている赤城の体が見るからに震えているが、恐怖で震えているのか?俺には恐怖より怒りで震えているようにも見える。
体を動かそうとしていた赤城だったが、徐々に体の動きが止まってくる、すると神楽は右手をポケットの中に入れると、小さな拳銃に似た形の装置を取り出した。
「良い子だから、ね。今は休みましょ……私が何とかするから……」
その装置の先端をそっと赤城の首元に当てると、引き金を引く神楽、それと同時に赤城の体の力が突然抜けていくのがわかる。
眠らせたのか……?神楽は抱きしめていた赤城をそっと体から離すと、優しくベッドに寝かせる。
その時見えた赤城の頬には、涙の流れた後が一瞬だけ見えた。
……何故赤城が怒りに震えて泣いている、あの男に怪我を負わされたからか?ミシェルを守る事が出来なかったからか?
違う、その二つを踏まえたとしても、後一つ何かがある。
思い出してみろ、俺が赤城を助け出した時の赤城の状況、状態を……。
「っ……」
唇を噛み締め、自然と自分の表情が固まっていくのがわかった。俺は……気づくのが遅すぎた。
それと同時に憎しみと怒りの感情が何処からとも無く湧き上がってくる、自分への無念さと、赤城に対しての罪悪感。
神楽は寝静まっている赤城の頬にそっと手を当てながら呟いた。
「だから言ったでしょ……貴方は邪魔だって、出てって。そして二度とあの子の前に姿を見せないで」
今の俺に拒否権は無い、否定する権利も無い、俺は黙って後ろに振り返ると赤城の寝ている部屋から出て行く。
そして足を止める事無く俺は神楽のいた部屋から出て行った、これ程まで自分の愚かさを味わされる体験は久しぶりだ……。
なら俺は、復讐という形で罪を償う……これは俺の償い方、俺が唯一まともにできる償い方かもしれない。
───「その傷どーしたのー?」
「何でもない。それと今は一人でいたいんだ、出て行ってくれないか?アビア」
鏡に向き合い、自分の首を見つめている青年、その青年の後ろには桃色の髪を伸ばす女性が立っている。
「機嫌悪そーだねー、私シャワー浴びてくる」
血塗れの服を着た女性はそう言い残すと部屋から出て行く、
それを確認した青年は突然拳を振り上げ目の前の鏡に目掛け振り下ろす。
鏡は割れ、破片が飛び散るが、破片が青年に触れる前に全ての破片が空中で停止すると、再び一枚の鏡に戻り元の状態に戻る。
「屈辱だよ、こんな傷を体に刻まれるなんて……」
振り下ろした青年の手からは血が流れるが、もう一方の手で傷口に触れると、その傷は瞬く間に完治した。
今度は自分の首元についている傷口に手を当てるが、その傷が治る事はない。
青年の顔に突然笑みが浮かぶ、何かを思いついたその表情は余裕に満ち溢れていた。
アルトニアエデン
SVの暮らしていた世界、アルトニアエデンの文明レベルは遥にこの世界を超えているものの。
材料はSVが下りた世界の物の使用している為に完全な機体を開発する事が出来ない。
アルトニアエデンはERRORによって滅亡させられたが、その期間はわずか1年だったという。
ちなみに甲斐斗も元はこの世界の住人だった。