第173話 成長、前進
───痛い、苦しい、辛い。
ここが何処か、その感情を抱く甲斐斗には分かっている。
大切な人を失い、どうしようもない虚無感と苛立ちが甲斐斗を襲い、感情が上手くコントロールできなかった。
しかし今は違う。赤城の声を聞いていた甲斐斗の意識ははっきりしており、奮い立たされていた。
強くなりたい。
では強くなる為には何をしなければらないのか。
覚悟し、変わる事。
今のままでは甲斐斗は永遠に弱い自分に苦しめられ続ける。
弱い自分を逃げ場とし、傷付いた心を時間かけて治していく。
それは逃避に過ぎず、何にもならない。
恐れ、慄き、現実から目を背ける事がどれだけ無謀であり無駄な事なのか、甲斐斗には分かっていた。
だからこそ過去に縛られ続ける自分に終止符を打つ必要が有る、その方法はただ一つ───。
───赤城は、気が付けば自分が現実の世界へと戻ってきた事に気付いた。
自分の胸元には、苦しみ抗い続けるミシェルの姿が見え、赤城は闇に取り込まれそうになっていた機体を邪神から離そうと動かし始める。
機体を囲っていた闇は思った程強くはなく、容易く振りほどく事に成功、何とか機体を上空にまで上げる事が出来た。
「すまないミシェル、ありがとう」
ミシェルにどのような力が有るのか赤城には分からない、けれど自分達を守ってくれたのがミシェルだというのは言われなくても分かっている。
後ろからミシェルを抱き締めお礼の言葉を述べると、ミシェルは後ろに振り向き疲れた表情をしながらもにっこりと笑みを見せてくれた。
その笑顔に励まされ赤城もまた笑みを零すと、先程までと地上の様子が変化している事に気付く。
地上を取り囲む闇から、次々に取り込んでいたはずの機体やERRORを吐き出し続けていたのだ。
溢れかえるERRORと機体の山、そしてその中にはあの『デルタ』も存在していた。
デルタはまだ消えていない。そしてその機体を操縦するカイト・アステルも健在していた。
「よくも……よくもこの僕をぉオオオオオッ!!」
デルタは背部に魔方陣を展開させ、再び機体が覚醒を始め全力を発揮すると、発光する両腕を邪神に向けた。
両手には何重にも魔方陣が重なり合い、黒い火花を散らしながらエネルギーを溜めていく。
強力な一撃が放たれるのは言うまでもなく分かる、赤城は直ぐにデルタを止めようと攻撃を仕掛けようとしたが、デルタの矛先を向けられた魔神の様子が変化している事に気付いた。
背部を貫いていた黒剣が、まるで機体に取り込まれるかのように形を失っていくと、機体の表面を覆うように黒剣と同じ色の装甲が全身を纏い始めていく。
「俺は……変わらなきゃいけねえ……」
再び眼に光を宿す魔神。全身には黒く光る文字や模様が浮かび上がり、その光は周囲を漂っていた闇を掻き消していく。
「何度泣いても世界は変わらねえ……何度嘆いても世界は救われねえ……」
今まで世界を見てきて分かっていた。
世界とは無慈悲であり、人々の願いや意思だけで変化をする事など無い事を。
ではどうすれば世界を変えられるのか、必要なものはただ一つ、絶対的な『力』の存在。
そして、その絶対的な『力』を得るのに必要なものこそが人の願い、人の意思に他ならない。
魔神は黒剣を取り込み変貌した。もう邪神などという歪んだ存在ではなくなっていた。
「世界を変えるには、俺が変わらなきゃいけねえんだ」
過去に囚われ続けてはいけない。
未来の為に前に進むには、過去の呪縛を断ち切る必要があった。
「だから世界の為に、俺の未来の為に。消えてもらうぞ、『カイト』!!」
魔神の再誕。
全身を黒い剣で包んだかのような姿は、正に『魔神』そのものだった。
その魔神と甲斐斗の復活にアステルは焦りながらもデルタの攻撃の準備を終え、両手に籠められたエネルギーを放出する。
「消えろ消えろ消えろォオオオオオ!甲斐斗ォオオオオオオッ!!」
デルタの両腕から放たれた黒い波動は衝撃波で地面を抉りながら魔神へと一直線に突き進む。
すると魔神は右腕を前に突き出し、その腕を左手で握り締め身構えると、発動出来ないはずの『魔法』の使用を試みる。
「魔神、俺に力を貸せ……!」
甲斐斗は確信していた。自分は確かに魔法が使えない、だが『邪神』と『魔神』は違う、魔法の使用を制約されているのは本物の甲斐斗だけであって、その他の心の力は制約されていない。
だからこそ甲斐斗の命が危うくなった時、魔神、そして邪神の力が解放された。
「っつーか、力ずくでも利用させてもらうッ!」
今の魔神の動力源、それは甲斐斗の黒剣であると共に魔神の一部でもあるレジスタルに他ならない。
絶対に発動してみせる。というより、このまま魔法を発動出来なければデルタの一撃で完全に消えてしまう、甲斐斗は最後の望みを己の可能性に託し、呪文を発した
それは甲斐斗の魔法の中でも最強の威力を誇る魔法。
「発動しろ───『レジェンド・ゼロ』」
伝説を抹消するかの如く、その魔法は如何なる物質、物体、存在、その他を含め『全て』を無に還す魔法。
魔神の全身が黒く発光し夥しい量の魔力が溢れ、辺り一体の全てを震撼させていく。
そして右手から放たれた黒い閃光は、今まで発してきたどの魔法よりも異質な色をしていた。
黒色の魔法は空間を削り取りながらデルタへと突き進む、デルタの放たれた攻撃などいとも簡単に飲み込み、掻き消してしまう。
「うううっ!?」
その光景にアステルは眼を疑った、あのデルタの攻撃が全く通用しない。
瞬時にその場から退避し魔神の魔法を避けるデルタ、魔法に触れた大地と大気は無くなり、空間すら消えてなくなっていた。
消えた空間には宇宙のような黒い空間が蠢きながら存在しており、その空間に出来た無を埋め合わせるかのようにゆっくりと空間が広がり元の状態へと戻り始める。
直撃すれば完全消滅は免れない。アステルの額には思わず冷や汗が垂れるが、デルタは両手から黒い刃を伸ばすと、魔法を放った魔神の元へと向かう。
「何だよその力はっ!?僕が最強なんだぞ!?消えろ……僕の前から消えろぉおおおお!!」
声を荒げ向かってくるアステルに答えるかのように、魔神もまた何も無い空間からあの黒剣を瞬時に出してみせると、今までの機体性能を遥かに上回る速度で発進しはじめた。
「アステル、お前は俺の手で倒さなくちゃならねえ。でないと俺は前に進めないッ!」
互いの刃を交え高速で剣を打ち合うデルタと魔神。
デルタの高速移動にも魔神は反応し、互いは一歩も引かない戦闘を繰り広げていく。
「どうしてっ!?僕の方が強いのに……!」
今まで戦っていた甲斐斗の乗る機体とは全く違う。
デルタが一旦距離を置き無数の黒球を作り発射するが、魔神は全て剣で弾きながらデルタの元へと突き進む。もはや飛び道具では一秒でも魔神の動きを止められない。
「確かにお前は最強だった。だがな、最強って言うのは常に強くなり続けなきゃならねえんだよ。お前は小さな天辺に立って満足し、そして今、俺はお前を超えた。だからもうてめえは最強でも何でもねえ!」
魔神の黒剣がデルタの両腕を斬り飛ばすと、デルタは瞬時に魔神との距離を取り再生を試みる。
「ぼ、僕のデルタが……再生されない……!?」
切り落とされたデルタの両腕が再生される事は無く、アステルは動揺を隠せず切断された両腕の断面を見つめていた。
「俺の剣がそんな事許すと思ってるのか?俺の剣に斬られたんだ、お前の再生という能力を無にさせてもらったよ。どうだ?これが無心から生み出され無を司る『魔神』の力だ」
毅然とした態度で魔神がデルタの目の前に立ちはだかる。
もはや逃げ場など無く、両腕を失ったデルタが魔神に勝つ事は不可能だった。
「あぁ、あああぁぁっ!!嫌だ……嫌だァッ!!死にたくない……どうして、僕ばかり……どうしてぇ……」
圧倒的力の前に戦意喪失したアステルは両手で頭を抱え俯いてしまう。
立ったまま動かないデルタ。
もはや勝敗は決したが、デルタを見つめ続ける甲斐斗の脳裏にもう一人の自分の存在が浮かび上がった。
気付けば甲斐斗は再び暗い闇の空間に佇んでおり、目の前にはもう一人の自分である『カイト・スタルフ』が立っている。
「カイト、お前に一つ聞きたい事がある。俺達三つの心はあの時、姉さんが死んだ時に生まれた存在のはず。つまりお前が俺達の元になる存在だと思っていた、だが……それならお前は何者なんだ?」
以前まではカイト・スタルフの心が三つ分かれた化身が自分達だと甲斐斗は思っていた。
だがこの戦いで甲斐斗は己の心の有り方に疑問を感じ、その疑問を直接カイトにぶつけた。
「俺は過去に囚われ続ける弱い自分を消し、変わらなきゃならねえ。ただ、そうなるとお前の存在が邪魔でしかない。何か……おかしくないか?元々お前から生まれたはずの俺が、お前を消そうと思うこの感情……」
「それで良いんだよ、甲斐斗」
話を聞いていたカイトがそう言って微笑むと、甲斐斗の為に自らの秘密を明かし始める。
「そもそも、本物の甲斐斗は君であって僕じゃないんだ。僕は君の心の傷を受け、そして癒す為に人工的に作られた弱い心。それが僕、『カイト・スタルフ』なんだよ」
「何……だと……?」
信じられない言葉に甲斐斗が眼を見開き息を呑む。
元の存在であったはずのカイトは作り物で、実際は生み出されたとされる甲斐斗こそが本物である事が未だに信じられずにいた。
「ちょっと待て、過去で姉さんと暮らしていたのは間違いなくお前、『カイト』だっただろ!」
あの頃から自分の事を『僕』と言い、弱々しくも健気に生きていたカイト・スタルフ。
今みたいに自分を『俺』とは言わず、強気でもなければ実際に強くもなかった存在。
「甲斐斗、君は微かに思い出したはずだ。姉さんと暮らす前の、もう一つの記憶を」
「俺の、もう一つの記憶……?」
学生の頃の記憶ではない。もっと昔、もっと幼い頃の記憶。
だがそんな記憶を今更思い返した所で甲斐斗にはごく普通の記憶しか残されていない。
今までもそう、過去の事を思い貸しても平凡な記憶しか無かった……はずだった。
しかし今、甲斐斗の記憶にはある一つの記憶が蘇っていた。
元々存在していなかったが、アビアの力により見せられたあの時の記憶。
それは宮殿の中庭の花畑にいたミシェルとアビアを見ていた光景だったが、甲斐斗はここにきてあの記憶が自分自身の本物の記憶だという事に気付いてしまう。
「なッ、マジかよ……俺が元々ミシェル達と一緒にいた事が真実だというのか……?」
「多分ね。その方が自然だと思わない?君は何者かによって記憶を書き換えられたはずだ。それにアビアさんが無理やり君の記憶を引き出そうとした時があったよね。これでもう疑う余地はないはずだよ」
確かに、カイトの話しを聞けばこれまでの全ての辻褄が合う。
時折身に覚えの無い記憶が蘇る時があったが、あれが全て自分の本物の記憶だとすればこれまでの疑問も納得がいく。
「つまり、こうか……?元々幼い頃の俺は、ミシェル達と同じ世界にいたが。何らかの理由で『俺』は記憶を書き換えられ『僕』となり、アルトニアエデンの世界で暮らす事になった。だが……あの事件をきっかけに再び俺の心が蘇ったって訳か」
「恐らくね」
「だったら何故お前がそれを知っている、今まで隠してきたと言うのか?」
「それは違うよ。言ったよね、恐らくって。最初は『僕』こそが本物だと思っていた、そして自分の存在に何の疑問も抱いたことは無かった、けど……この世界で改めて自分を見て、そして時折見てきた古い記憶の映像で確信したんだ。僕が本物のカイトじゃないって」
そう言うとカイトは寂しそうに自分の右手を見つめる。
これはカイトが自分自身を納得させる為に言った事でもあった。
自分は作り物であり本物の存在ではない、そして自分が存在する事で甲斐斗の邪魔になっている事をカイトは知っている。
「誰が俺の記憶を書き換えたのか、分からないのか……?」
「僕には分からないよ。分かる事と言えば一つだけ、僕という存在が君にとっての心の弱さであり、痛みや辛さから守る為に用意された存在、逃げ場って事ぐらいかな……だから僕を消す事に躊躇わないでくれ、甲斐斗。これは君が強くなる為に必要な事なんだ、僕が居続ければいつまでも君は過去に囚われ、姉さんに固執し、弱る度に『僕』になってしまう。それじゃ駄目なんだ」
「……分かってる。俺が変わる事はお前にとっての望みでもあるからな」
今更甲斐斗の意思が揺るぐ事はない、それ所か今、はっきりと確信した。
ここで過去との因縁に決着をつけ、全てを終わらせる事に意味があるのだと。
「ありがとう、甲斐斗。それに僕、消える事は怖くないんだ。きっとあの世で姉さんに会えるから……。ごめんね、君に全てを背負わせて僕一人だけが消えるなんて……」
「いいじゃねえかそれで。お前はお前で幸せになれ、俺は俺で幸せになる。それだけだ、だろ?」
弱々しいカイトの前で甲斐斗は笑ってみせると、その笑みを見たカイトも微笑んで見せた。
「優しいね……それにやっぱり強いや、甲斐斗は」
「当たり前だ、俺は最強の男だからな」
そう言う甲斐斗の右手には、何時しか黒剣が握り締められていた。
互いが笑みを見せた後、甲斐斗はゆっくりと黒剣を構えていくと、現実の世界にいる甲斐斗が乗る機体、魔神もまた同じように剣を振り上げていく。
「さようなら、もう一人の僕」
「さよならだ、もう一人の俺」
夢の世界は消え、甲斐斗は魔神の操縦席で眼を見開くと、振り上げていた剣を更に高らかに振り上げた。
黒剣に凝縮されていく魔力、その矛先はデルタ、そして自分と似て非なる存在『カイト』。
「これで───終わりだあああああぁぁぁぁッ!!」
これから先、何があろうとも甲斐斗は立ち止まりはしない。
生きている限り何度でも抗い続けるだろう、何度でも戦い続けるだろう。
もう決めた事だ。弱い自分に縋りはしない、これからは自分の真心で全てを受け入れる。
己の強さの為、己の目的の為に、己の世界の為に───。
───振り下ろされた一撃はデルタを両断すると共に掻き消してしまう。
大地を粉砕し、空を漂っていた雲を裂き、世界が割れてしまいそうな強力な斬撃が遥か彼方にまで飛んでいく。
もう甲斐斗の目の前にカイトはいない。魔神の力で完全に消滅した。
その光景を見て甲斐斗の頬に一筋の涙が流れたが、甲斐斗は直ぐにその涙を拭ってみせる。
「甲斐斗!」
魔神の横に赤城の乗る天極鳥が降りてくると、甲斐斗と通信を繋ぎ姿を見せた。
「赤城、お前達のお陰で目が覚めた。ありがとな」
「礼など不要だ。お前も私に言葉を投げかけてくれたのだからな……それにしても、全く……お前が死んだと聞いた時は心配したんだぞ!この馬鹿者がっ……!」
目に涙を浮かべながら叱ってくる赤城を見て甲斐斗は軽い笑みを浮かべると、ミシェルもまた目に涙を浮かべ声をあげた。
「かいと!」
「ミシェルもありがとな、助かったよ。色々と迷惑をかけてすまなかった」
「ううん!かいとがぶじで、ほんとーによかった!」
まさか戦場でミシェルの笑みを見れるとは思っていなかった甲斐斗は、ミシェルに釣られて笑みを浮かべる。
だが、その笑みを消すかのように一体のERRORが地面に出来た穴からゆっくりと地上へと現れ始めた。
戦場にいた白義もまた魔神の横に並びERRORを見つめ、上空で待機していた龍とエラも地上に降りてくると、龍の背中に乗っていたエラが地面に降り姿を見せるERRORを見て呟いた。
「やはりお前だったか、全である存在から生まれてきた一というのは」
この世でエラだけが見覚えのある姿。
ERRORの姿は通信を通し愁、エリル、騎佐久。そして神楽とアビアにも確認できた。
『異常』の権化であり、この世の全てのERRORを統べる存在。
EDPは終わりを迎える。
だが、それは『人類による最後のEDP』ではなく、『ERRORによる最後のEDP』に他ならなかった。