第140話 錯誤、皆無
───BNの戦艦にある会議室で行われたEDP最後の作戦会議。
その後、神楽はミシェルを連れて自室に戻ろうとしたが、騎佐久に声をかけられ呼び止められていた。
「……」
騎佐久の親しそうに話しかけてきた態度とは裏腹に、神楽は興味ないような表情のまま横目で騎佐久を見た後、無言でミシェルの手を引き歩きはじめる。
「おいおい。無視することないだろ?」
苦笑いしながら騎佐久は神楽の横に並び歩き始めると、向かい側にいるミシェルが自分の顔をまじまじと見つめている事に気付き笑顔で手を振った。
「赤城にも会いたいな。君が治療しているって聞いたけど、自室にいるのかい?」
無言のまま歩き続ける神楽に騎佐久はそれからも話し続けるが、神楽は一切返事をせずに自室まで歩き続け、騎佐久もまた一人で喋りながらずっと横についてくる。
そしてとうとう神楽の部屋にまで着いてきた時、初めて神楽が口を開いた。
「私は貴方になに一つ用なんてないの。消えてくれない?」
馴れ馴れしく話しかけてくる騎佐久にうんざりしていた神楽がそう言って睨みつける。
「はぁ、分かった。今日は大人しく帰るよ、また来るからね」
そんな神楽の態度を見てどうやら騎佐久も観念したらしく、二人に背を向けるとひらひらと手を振りながら去っていく。
それを見た神楽はポケットから自室のカードキーを取り出し端末に通し扉を開け部屋に入っていく。
部屋に入った神楽はまるで安心したかのように溜め息を吐いた、そして赤城の様子を見に行こうとした直後、背後から妙な音が聞こえてきた。
咄嗟に後ろに振り向き確認してみると、自室の扉が完全に閉まる寸前に棒のような物が隙間に挟まれており、そして強引に扉を開け一人の男が無理やり中に入ってきた。
その男の顔に先程のような愛想の良い笑みなどはなく、どす黒い表情から見える鋭い眼に恐怖さえ感じてしまう。
「騎佐久、貴方───ッ!」
躊躇いはしなかった。神楽はいち早く懐に隠してある拳銃を抜き取り銃口を騎佐久に向け引き金を引いた。
拳銃、そして銃口が何処に向けられているのかを騎佐久は一瞬で見切ると、顔を大きく横に反らし回避を試みる。
その結果放たれた弾丸は騎佐久の頬を掠めるが致命傷にはならず、既に扉を開け部屋の中に入っていた騎佐久は踏み込むと一気に間合いを詰め神楽の持っている拳銃を蹴り飛ばした。
次の攻撃が来る───頭では分かっていたが神楽は咄嗟に動く事が出来ず騎佐久に腕を掴まれると、そのまま懐に入られ勢い良く床へと投げつけられてしまう。
「ぐっ、ぅ……!」
背負い投げをされ固い床の上に体を叩きつけられ全身に痛みが走る。
衝撃で眼鏡が飛んでしまい視界もぼやけてしまうが、騎佐久が直ぐ側で見下ろしているのがはっきりと分かった。
「遅い。昔の君なら簡単にあしらえたはずなのに、デスクワークばかりで実戦経験を積んでないから体が訛ってるみたいだね」
そう言って神楽の胸を力強く踏みつけると、苦しみもがく神楽を見つめながら更に力を籠めていく。
「あ゛っ、ぁぁぁッ!」
胸の痛みに神楽は苦痛に顔を歪ませ必死に抵抗しようとするが、騎佐久の足は神楽の胸を踏み躙りその激痛と圧迫されていく胸の息苦しさで思うように力が入らない。
「君にはいつも振り回されてばかりでうんざりしていたんだ。NFの切り札である羽衣を盗み、新種のERRORを作り、神のレジスタルを独り占め……いい加減にしてくれないか?」
騎佐久の口から出てきた言葉『レジスタル』本来であれば他世界の人間しか知らないはずの名前、それを何故知っているのか───神楽は苦痛に耐えつつ頭から疑問が離れない。
「どう、してっ……?」
「ああ、レジスタルの事か?俺だって色々と調べたのさ、あの鉱石についてね。そんな事より教えてくれないか?神のレジスタルを何処に隠してるのかを、さもないと……」
神楽から奪い取った拳銃を構える、その銃口の先にいたのは神楽ではなく、震え、怯えながら立ち竦んでいるミシェルに向けられていた。
「やめてっ!!」
「やめてだと?おいおい、君にとって今更子供一人の命なんて大したことないだろ。君の身勝手で何人の人間が死んでいったか理解してるのかい?いい加減自分のしている愚かさに気付いたらどうだ」
騎佐久がそう言葉を言い放った直後、部屋の入り口にある扉をばらばらに吹き飛ばし黒き大剣を手にした甲斐斗が颯爽と部屋に入ってきた。
神楽は胸を踏み躙られながら苦しそうに悶え、銃口を向けられたミシェルは目に涙を浮かべながら甲斐斗に助けを請うように見つめている。
最悪の状況だ。
最低最悪であるこの胸糞悪い状況に甲斐斗は全身を武者震いさせ、赤黒く濁った瞳が目の前にいる騎佐久を捉える。
「神楽、こいつ殺していいか?」
最終確認。何故このような状況になってしまったのか甲斐斗には事情が分からない。
だが今目の前で起こっている出来事を見て、甲斐斗がこのまま引き下がるはずがなかった。
殺していいのなら殺す。だが速攻で殺しはしない、最も辛く痛く苦しむ方法で殺さなければ気が済まない。
「甲斐斗、君はどちらが正義で悪なのか分からないか?NFの希望である羽衣をこの女が私物化しなければNFはBNに負ける事も無かった、羽衣を失う事がNFにとってどれだけ戦力を削られたか君達に分かるか?羽衣を失ったせいで多くの兵士達が戦場に行く事になり俺はそこで多くの部下を失った」
直ぐにでも飛び掛ってきそうな甲斐斗を前に騎佐久は冷静に話しかける、銃口をミシェルに向けたままの状況では迂闊に甲斐斗が近づけない事など分かりきっていた。
「それだけじゃない。東部軍事基地でERRORの細胞を用いた人体実験を行い、その結果東部はERRORに溢れ壊滅、多くの民間人がERRORによって虐殺された。更に人類の希望である神から出たレジスタルを奪い去る始末……こいつはもはや人類の敵だ」
人類の敵。そう騎佐久に言われても仕方ないのかもしれない。
現に神楽のしてきた事で多くの罪の無い人間が死んでいった。
直接手を下した訳ではないが、間接的に神楽は多くの人たちを殺めている。
騎佐久の言葉に神楽は何の反論もできないのがその証拠、神楽にも罪の意識は有り自覚はあった。
自分のしてきた事を言葉で聞き、気が付けば神楽は自分の目から涙が溢れている事に気付く。
情けない───自分───。
こんな自分を見て、甲斐斗は何を思うのか───神楽は考えたくも、聞きたくも無かった。
「だからなんだ?」
平然と、そして素っ気無い態度で甲斐斗は口を開く。
「俺の話しを聞いていたか?この女は……」
「お前の部下とか事情なんかどうでもいい。他人が何千何万何億何兆死のうがどうでもいい。俺はお前の世界の為に戦ってるわけじゃねえからな」
別に神楽の事を庇ってやろうと思って言っているわけではない。
これが甲斐斗の本心であり本音なので、騎佐久が幾ら訴えようが甲斐斗からしてみれば全く興味が無かった。
「それなら君は何の為に戦っているんだ?まさかこの女の為に、なんて戯言でも言うつもりか?」
「決まってるだろ、俺の為だよ」
来る───。
騎佐久の直感は正しかった。甲斐斗は喋り終えた直後に踏み込むと、剣を構えながら騎佐久目掛けて飛び込んでくる。
この狭い室内であの大剣を振り回されては幾ら騎佐久でも勝ち目はない。
だとすればこの場で生き残る方法はただ一つ、躊躇なく引き金を引くしかない。
騎佐久は甲斐斗を見つめたまま引き金を引く、しかしその拳銃の先にいるのは甲斐斗ではなくミシェルだった。
放たれた弾丸はミシェルの顔面目掛けて放たれる、そしてミシェルの額に当たる寸前に突き出された黒剣が盾になると、いとも簡単に弾丸を弾き飛ばす。
甲斐斗からミシェルまでは距離があった為、剣を握り締めた腕を限界まで延ばし体勢を崩してしまう。その隙を見て騎佐久は直ぐに破壊された部屋の出口に向かい通路に出ると、少し神楽の部屋から距離を置いた後すぐに振り返り拳銃を構えた。
通路に逃げた騎佐久は拳銃を構え甲斐斗が出てくるのひたすた待ち続ける。
あの男があれだけの挑発を受けたのだ、必ず甲斐斗はこの狭い通路に現れると騎佐久は読んでいた。
そしてその読みどおり、甲斐斗は黒き大剣を片手に通路に出てくると、剣を構えもせずにゆっくりと騎佐久に近づいていく。
その雰囲気は本当に人間なのかと疑いたくなる程の息苦しさを感じさせ、騎佐久は思わず引き金を引いてしまう。
すると甲斐斗は足を止める事なく片手を軽く振るっただけで簡単に黒剣で弾いてしまう。
漫画やアニメで良く見る光景を、まさか自分が目の前で見てしまうなどと。その現実離れした動きを呆気なくしてしまう甲斐斗を見て軽く笑みが込み上げる。
一発、二発、三発。幾ら撃とうが甲斐斗に弾が命中する事はなく、とうとう全ての弾を撃ち尽くした騎佐久は溜め息を吐いた。
「おっと弾が尽きてしまった。どうやら俺の負けのようだ」
弾の無い拳銃に価値など無く、騎佐久は拳銃を甲斐斗に向けて軽く放りなげる。
そんなガラクタを投げられても大した脅威でもなく、目障りなものを投げられた甲斐斗は再び黒剣で弾いた。
騎佐久のとった行動、それは意味の無い行為ではなかった。
拳銃を弾く為に振るった黒剣、その振るった一瞬だけ剣の影に騎佐久が隠れる。
そして次に騎佐久の姿を見た時には、既に甲斐斗の間合いの中に入ってきていた。
「ッ!!」
甲斐斗が騎佐久目掛け剣を振り下ろす。間一髪の所で回避に成功する騎佐久だが、余りの剣の振るう速さに回避に全力を使い次の攻撃に続ける動きが遅れてしまう。
振り下ろした剣はそのまま床にぶつかり、斬撃が通路に亀裂を走らせ粉砕していく。
「っ!?」
人間技とは到底思えないその威力に騎佐久は戸惑ってしまい、これ以上間合いにいれば確実に殺されると判断し攻撃に繋げるはずに踏み込んだ足の位置を変えると、迅速に甲斐斗から離れようとする。
だが間合いに獲物がいるに関わらず、甲斐斗が大人しく逃がしてくれるはずもない。
甲斐斗は振り下ろした剣を直ぐに横に向けて振り上げる。
僅かだがこのまま騎佐久が後ろに引けば黒剣の剣先が当たる事はないが、騎佐久は言い知れぬ危機感を感じると下がるのではなくその場にしゃがみ込んだ。
そしてふと後ろに少しだけ振り返ると、現実離れした光景に我が目を疑った。
振るった剣先の先にあった壁は、剣が振れていないにも関わらず切り裂かれ、亀裂を走らせていく。
あの時しゃんがんでいなければ、確実に騎佐久の首は斬り飛ばされていただろう、だがそれはそう遠くない未来だった。
何故なら敵を前に後ろの状況確認などして、目の前の敵が黙って見過ごすはずないからだ。
前を向けばそこにはもう、すぐ目の前に甲斐斗が立っており、騎佐久は思わず笑ってしまう。
「ふふっ、さすがと言った所だな……この人間離れした身体能力。神楽が興味を示すのも無理はない」
やはりこの男は他の人間とは決定的に何かが違う。
異質であり異端な存在、そんな男だからこそ、価値がある。
「君は知っているか?アステルが今乗っている機体に君とERRORの細胞が使われている事を」
急に話しかけられた甲斐斗はこのまま無視して騎佐久を黙らせてもよかったが、どこかで聞き覚えのある言葉に甲斐斗は以前神楽から聞いた話しを思い出した。
「俺の細胞……ああ、たしか前にそんな事言ってたな」
「何故だか分かるか?ただ単に君の細胞が優秀だからじゃない、君の細胞はERRORの侵食を受ける所か、抑制し逆に取り込み支配していくからだよッ!」
自分の細胞がERRORの細胞を抑制する。そんな話は今まで聞いた事もなく、知りもしない情報だった。
しかし考えてみれば、何故自分の乗る機体だけERRORに侵食されなかったのか、何故ERRORの細胞を利用した機体を設計する際に自分の細胞が必要になったのか、騎佐久の言った事が本当なら全て辻褄が合い納得できる。
「君も所詮神楽に利用さているだけなのさ。神楽が君に近づく理由が大体分かっただろ?あのERRORすら上回る進化を遂げられる君の細胞にレジスタルや魔法について熟知している君に近づけば、更に彼女は自分の研究を活かせるからなぁッ!」
それが神楽の本心であり、本当の狙い。
全て神楽の手のひらの上で踊らされていたにすぎない、騎佐久はそう確信していた。
「だから……なんだ?」
だが……ここにきて甲斐斗の心が騎佐久の言葉で揺さぶられる事はない。
話しは聞き漏らす事無く全て聞き、理解した。だが動揺もしなければ苦悩もしない。
「俺は神楽の全てを知ってるわけじゃない、だがそれはお前も同じなんだよ。お前は神楽をそういう見方で今まで見てきたんだろ?俺は違う、俺はお前とは正反対の見方で神楽を見てきた、それだけの違いだ」
言いたい事は言った。甲斐斗は握っていた黒剣をゆっくりと振り上げると、まずは右腕を削ぎ落とす為に剣を振り下ろした。
しかし振り下ろされた剣は騎佐久に振れる寸前に横の逸れ、黒剣の刃先が床を切り裂く。
「……神楽?」
甲斐斗は、自分の腕を力強く掴みながら俯いている神楽の名前を呼んでみる。
神楽は俯いたまま首を大きく横に振ると、涙で濡れた顔を上げてもう一度大きく首を横に振った。
「もう、いいの……」
何故だろう、いつも掛けている眼鏡がないせいなのか分からないが、今の目の前にいる神楽がいつもの神楽ではないような、まるで別人のように見える弱々しさに甲斐斗は歯痒い思いだった。
出来れば……見たくはなかった。いつも強気な態度で振る舞い、いつも一枚上手で余裕な態度をみせている彼女が、これ程まで変わってしまった姿など……。
これ以上神楽を見てしまえば、知ってしまえば、甲斐斗は───。
「騎佐久。貴方は昔私達を……親友だった伊達君を利用し、裏切ったわよね。貴方はそれを結果的に世界の為と思ってるでしょう。目的の為なら手段を選ばない……そんな貴方が、二度と私に説教なんてしないで」
それだけ言い捨て神楽は後ろに振り返り自室に帰るため歩きはじめる。
その後を追おうと甲斐斗が一歩足を前に踏み出すが、後ろに振り返り跪いている騎佐久を見下ろすと容赦ない言葉を浴びせた。
「次、視界に入ったら殺す」
もう二度と俺達の前に現れるな。そう言うかのように甲斐斗は睨みつけると、足早に神楽の元に向かい横に並ぶと、黒剣を手元から消して神楽と共に部屋に戻っていく。
そして神楽の部屋に二人が帰ってくると、神楽は後ろに振り向き甲斐斗の前に立った。
「甲斐斗……私……」
「今じゃなくていい。少し休め」
「……うん」
弱々しい返事をしたまま神楽は自室にある寝室に入っていく、甲斐斗はそれを見届けた後、壊れた入り口を見つめながら腕を組んだ。
「つい衝動で壊してしまったが、開けっ放しってのもなぁ……どうやって直そうか、これ」
扉の破片を拾いつつ散らかしてしまった部屋を片付けていく甲斐斗、別に神楽の事で特に悩んではいなかった。
人を疑いはじめるときりがない、そんな事はミシェルとの一件で分かりきっている事。
神楽の本心を知りたければ直接話し合う以外方法はない訳であり、それならいっそ考える事を止めればいい。
逃げる訳ではない、ただ少し時間が欲しいだけ。そう思いながら甲斐斗は一人部屋の片付けをしようとしたが、後ろから服を引っ張られるのを感じ振り向いてみると、心配そうな表情を浮かべたミシェルがじっと甲斐斗を見つめていた。
「ミシェル?どうした?」
「かぐらのそばにいてあげて……」
「え……?」
思いがけない言葉に固まってしまうが、ミシェルはもう一度服を引っ張ると強い口調で話し続ける。
「おねがい……」
「わ、分かった。分かったよ」
断る理由も無いので甲斐斗が神楽の寝室に行こうとした時、足元に神楽の眼鏡が落ちている事に気付き拾い上げた。
「か、神楽ー。入るぞー」
軽くノックをした後神楽の寝室に入るが、正直何を話せばいいかもよく考えていない為視線を軽く逸らしながら神楽の座っているベッドに近づいてく。
そしてふと視線を下げ神楽を見ると、いつも束ねている髪を下ろしブラウスのボタンを外して胸を曝け出した状態のまま、そっと自分の胸に手を当てていた。
そんな神楽の姿を見てしまい慌てながらすぐに視線を逸らそうとしたが、神楽の震える指先が触れている肌を見て思わず手に持っていた眼鏡を落としてしまう。
「お前っ、それ……ッ!」
胸元に指を当てている箇所、恐らく騎佐久に踏み躙られた所だろう。
内出血によって赤紫色の痣が広がっており、その痛々しい痣の痕を見て甲斐斗の感情が一気に激化していく。
「やっぱあいつ殺す。今すぐ殺す、待ってろ神楽あいつを八つ裂きにして直ぐに……ッ!」
騎佐久を殺す為その場からすぐに出て行こうとした甲斐斗だったが、神楽に左手を握られ足を止めてしまう。
神楽は何も喋らない。けれど甲斐斗の手を握り締めたまま部屋から出そうとせず、握られた甲斐斗もまたどうしていいか分からずじっと出口の方を見つめていた。
後ろに振り向けば神楽の裸を見てしまう為に身動きもとれず、甲斐斗はただ神楽が手を放してくれるのを待つことしか出来なかった。
「いいのよ、これ、で……っ」
何かを堪えるように苦しそうな神楽の声、その不自然な言葉の言い方に甲斐斗は不安になり振り向くと、神楽は左手の爪先を力強く胸に突きたて自ら傷つけていた。
まるで己の罪を刻み付けるかのようにその爪先に篭めた力は尋常ではなく、皮膚を裂き肉に食い込ませると傷口から真っ赤な血が滴り出していた。
「馬鹿!何してんだよッ!?」
今の神楽はおかしい。放っておけば何をしでかすか分からない為甲斐斗は神楽が自分を傷つけないよう直ぐに右手で神楽の左手首を掴み、更に左手で神楽の右手も掴むとそのまま身動きが取れないようにベッドに押し倒した。
「落ち着けって!あんな奴に言われた事なんか気にするなよ!」
押し倒された神楽は思ったより抵抗せず、ベッドの上で倒されたまま自分を見ている甲斐斗を無言のまま見つめていた。
何か言ってくるかと思えば神楽は再び黙ったまま何も喋らない。
神楽を見ていた甲斐斗も、ふと顔との距離が近い事に気付き少し離すが、そのせいで神楽の胸が視界に入り直ぐに顔を横に向け視線を逸らした。
「ねえ、どうして……?」
ポツリと呟く神楽の言葉に甲斐斗は顔を逸らしたまま話し始める。
「は……?なにがだよ」
「貴方は、私の事なんとも思わないの?」
「はぁ……?あの男がお前の行動で何人もの人が死んだって事か?それとも、お前が俺を利用する為に近づいたーとか言ってた事か?」
「全部よ……」
「じゃあ言うけど全部何とも思ってねえよ」
「疑わないの……?どうして?私には分からない……貴方だって心底私の事を見下しているんでしょ?それとも哀れな私に同情してくれるの?」
「あのな、あんな男が口出ししてきた所で俺がお前を疑うと思うか?信用しなくなると思うか?俺は少ない時間だけどお前と一緒に行動してきて、お前がどういう奴なのかぐらい少しは分かってるつもりだ。例えそれが偽りだろうが何だろうが、お前に抱いてる気持ちが変わることなんてねえよ」
「気持ち……?」
「え、いや、ほら。昨日言っただろ、幸せになってほしいって……なんか、今思うと顔から火が出る程恥ずかしい事言ってたなぁ俺……」
自分の言った発言に今更照れる甲斐斗、そんな甲斐斗を見ていて神楽は少しずつ安心していく。
『幸せになってほしい』───そう言ってくれる男は、少し不器用だが決して悪い男ではなく、自分の大切な人の為なら全力で行動し、守ってくれる。
嘘を吐かず偽りもない、いつも本心で素直に話してくれるその男に、神楽は少しずつだが心を開いていた。
「そう、じゃあ───」
神楽はそっと両手を上げると、腕を甲斐斗の首にかけそのまま抱き寄せる。
体が密着し甲斐斗は戸惑いと驚きで神楽の方を向いてしまうと、自分の唇に温かく柔らかい感触が伝わってきた。
体が緊張で完全に固まってしまいどうする事もできない。
呼吸を止め、自分でも分かるほど心臓の鼓動の激しさが伝わってくる。
目の前の神楽は目を瞑ったままだったが、ゆっくり目を開けていくと僅かに顔を離し、潤んだ瞳で見つめつつ囁いた。
「私を慰めて」