第134話 経験、特別
───「カイト~、今日のお夕飯は何が食べたいー?」
久しぶりに聞いた姉さんの声。
リビングでテレビを見ていた僕はその声を聞いて台所の方を見ると、姉さんが冷蔵庫の中をじっくり見回していた。
「ビーフシチュー」
返す言葉は決まっていた。
僕は何が食べたいかと聞かれたらいつもこう言っている。
「もー、たまには別の料理も言っていいんだよ?お姉ちゃん料理の腕には自信があるんだから」
そんな事は言われなくても知っている。
姉さんの料理を不味いと思ったことも感じたことも一度たりともない。
「今日は肉じゃがにしまーす」
「材料あるなら作ってくれてもいいじゃん……」
「ルーがないから作れないの、買ってきてくれる?」
「それなら肉じゃがでいいよ」
時計を見れば18時、とてもじゃないが今から外に出て買い物に行く気分になれない。
温かい部屋でゆっくりまったりと姉さんと過ごしたい、生きている時間で唯一楽しい一時。
僕にとって最高の生き甲斐なのだから。
───……だった。だけどそんな時間は長く続かない。
姉さんは死に、気付けば灰色の世界が目の前に広がっている。
周りにいる人達は皆死んでいる、建物の瓦礫が辺りに散乱し、物音や人々の悲鳴が何一つ聞こえてこない。
皆はこんな世界を望んでいないのに、どうしてこんな世界にしたんだ……。
───「かいと!きょうはなにしてあそぶ?」
青髪の少女が笑顔で顔を覗かせる、その隣には赤髪の少女が立っていた。
俺の唯一の生き甲斐、桜の木の下、いつもの待ち合わせ場所で二人を待っていた。
よし、今日は何をして遊ぼうか。
───……だった。だけど、そんな時間は……。
血塗れの死体を抱かかえ、目の前には燃え盛る宮殿があった。
周りの美しい木々や草原も燃え、熱風が俺を襲う。
少なくとも俺は、こんな世界望んでいなかった。だから、なんでこんな世界に……。
───「これからよろしくね!甲斐斗!」
そう言って少女は俺の両手を握ってくれた、照れていた俺を横にいる『ユイ』はニコニコと嬉しそうに笑って見ている。
そうだな、たまには悪くない。こうやって皆で、そう、皆で楽しむ世界も……。
───……だった。
「甲斐斗!約束したよね……一緒に帰るって!」
綺麗なブロンドの髪が風で靡いている、涙をぽろぽろと流しながら少女は俺にそう言ってくれた。
短い間だったな、別に好きでお別れをする訳じゃない。
仕方ないんだよ、お前達を助けるにはこうするしかないじゃねえか……。
だから今回はまだ、マシなほう、だよな……だって、ほら……死んで……ないし……。
───死んでない?いや、死んでるだろう?
100年前、一緒にいた奴等は皆死んでるじゃねえか。しかも全員殺されたんだろう?
どうして死んだ、なんで殺されてるんだよ、嘘だろ?冗談だろ?そんな最後だったのか?
あの世界は、そんな人が死ぬような物騒な世界じゃないだろ。
そうだよ、あいつ等のいる世界は、暖かくて平和で優しくて、たしかに色々な事はあった、辛い事も悲しい事も沢山あったさ、それでも皆それを乗り越えていったじゃないか。
明るい、楽しい、優しい、素晴らしい、良い世界だ。
そんな平和な世界で和気藹々と暮らす、それで良かったじゃないか、なのに何でそんな世界になっちまったんだ?
100年後の世界?人間を食い千切る醜い化け物どもがうようよといる世界で、全世界の人類が死に絶えていき、今ではこの最後の世界の人間が絶滅寸前にまで来ているだと?
血みどろの世界がそんなに好きか?ああだこうだ言って、結局俺は、血みどろな世界が満更嫌いでもない?
いいや、俺にとって、幸せな、世界……それが……どうして?なんで……?
……俺、か?
俺……なのか……?
どうして俺なんだ?別に良いじゃないか、誰だって憧れるだろ?優しい世界で、一生を過ごしてみたいって。
例え世界が優しくなくても、せめて俺の回りにいる誰か、たった一人でいいんだ、俺に───。
駄目なのか?どうして駄目なんだ?俺だってそうだ、俺だって一人の人間だ、俺だって……。
俺から奪いとって……なんになる……もう……なにも……失いたくない……。
やっぱり……そういうことなのか……。
だから……。
……だから……俺は……最強……。
───「いと、さま……かいと、さま……!甲斐斗様!」
研究室の片隅で蹲る甲斐斗の肩を、唯は名前を呼び続けながら何度も揺らしていた。
その声に甲斐斗はゆっくりと目蓋を開けると、涙を流しながら唯がこちらに向かって喋りかけているのが分かった。
「甲斐斗様!しっかりしてください!甲斐斗様ぁ!」
「なんで……泣いてんの……」
「なんでって、だって甲斐斗様が幾ら呼びかけても反応がないですもの、それで私、心配になって……」
その唯の言葉に、甲斐斗の心は紙くずを丸めたかのように潰される。
湧き上がる様々な感情、苛立ち、怒り、困惑、混乱、動揺───。
何故唯が、自分にそこまでの温かい感情を抱くのか、優しい言葉を投げかけるのか、本気で理解できない。
だが、それでも甲斐斗は平然を装い鼻で笑ってのけるとゆっくりと立ち上がり目元の涙をふき取った。
「そりゃ寝てたら反応が無いに決まってるだろ。あーよく寝た、んじゃお前は料理の練習でも頑張ってろ」
机の上に置いてあった時計をチラ見して自分が意識を失う前から然程時間がたってないのを確認すると、甲斐斗は唯の方に振り向く事なく研究室を後にしようした。
しかし後ろから聞こえてきた唯の一言に、甲斐斗は足を止めてしまう。
「『助けて』……って、甲斐斗様は先程までずっと呟いていましたよ」
自分は、泣きながらそんな事を口走っていたのか……?
甲斐斗は唯の言葉に唇を噛み締め、止めていた足を中々前に出せず固まっていると、ふと自分の背中に唯が寄り添ってきたのが分かった。
温かく、唯の体の重みがゆっくりと自分に伝わってくる……甲斐斗はその心地を感じつつ自分の情けなさに腹が立ちはじめる。
「そうか」
甲斐斗はゆっくりと後ろに振り向くと、そこにはやはり目に涙を浮かべた唯が心配そうに甲斐斗を見つめている。
綺麗な白銀色の長髪、奇麗な瞳、整った顔立ち、薄らと膨らんでいる胸、柔らかそうな肌、美しく、そして可愛らしい少女が目の前にいる。
そしてその少女は今、自分を心配して涙を流していた。
(なんだ……コイツ……)
見つめれば見つめるほど湧き上がる苛立ちと不の感情、ふと脳裏に過る赤城やアビアの姿。
優しい言葉を掛けてくれるのは何故だ?どうして自分にそんな感情を抱く?
こいつは自分の何を知っていると言うのだ?何も知らない癖に心配している振りをしている。
どうせ心の中では何も感じてなどいない。魔法を使えるからといって少し持て囃しているだけだ。
……いや、考えすぎなのかもしれない、ただ単純な自惚れであり、自意識過剰なのだろう。
何も感じていなければ考えてもいないのではないか、きっとそうだろう、それこそ、その必要がないのだから。
何故なら彼女達にとってそれは普通であり当たり前であり、特別な事ではない。
特別な事ではないのだから……。
だから甲斐斗は思った。
きっとこの右手を彼女に近づけようとすれば彼女は不快になるだろう。
触れようとすれば避け、近づこうとすれば離れる。
自分は特別な存在でもなんでもない。
この気持ちを楽にするにはどうしたらいい?
自分を心配そうに見つめる振りをする彼女の顔面を殴れば気が済むか?
その場で押し倒し、服を引き裂き、無理やり犯し続ければ気が済むのか?
今すぐ殺せば、気が済むのか?
(俺は……何を考えてんだ……)
異常な感情を抱いてしまう自分に吐き気が込み上げてくる。
感情を爆発させて過ちを犯した事など数知れない、自分に優しく接してくれるミシェルに何度このような感情を抱いたことか。
結局、自分は恐れているだけなのかもしれない、失う恐怖を知っているからこそ、その不安を消す為にこんな異常な思考になるのだろう。
「まぁ俺にだって色々悩みはあるさ。飯食って寝たら大抵の事は忘れてるけど」
様々な思考が脳内を巡る中、相変わらず唯に見せる甲斐斗の表情は平然としていた。
「俺の事をそんなに心配してくれるなら今日の晩飯はとびっきり美味い飯を食わしてくれよ」
軽く笑ってみせた甲斐斗はそう言って唯の肩を軽く叩くと、唯は何か言いたそうに表情を揺らがせるものの、甲斐斗はそれに気付かない振りをしてさっさと研究室から出て行ってしまう。
そしてそのまま神楽の部屋を出ると、すぐ近くの壁にもたれ掛かり大きく深呼吸をしはじめた。
ふと、前に聞いた事のある赤城の言葉が脳裏を過った。
『お前の事を一人でも理解してくれる人がいたら、きっとお前は前に進んでいける……』
「理解、か……俺は、いつまで彷徨い続けるんだッ……ん?」
煙草の匂いがする。ふと甲斐斗が右を向けば、先程まで気を失っていたはずのダンが壁にもたれ掛かりながら一服していた。
「おっさん、煙草。一本くれないか?」
何気なく言ってみた甲斐斗、するとダンは無言で胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、そこから一本だけ煙草を差し出した。
「あんがと」
煙草を貰い口に銜えると、丁度良くダンがライターを差し出し火を点けてくれる。
そして甲斐斗は大きく吸い煙草の煙を肺の奥まで入れると、ゆっくりと口から大量の煙を吐き出した。
「不っ味……」
やはり何度吸っても不味いものは不味い。
元々煙草は嫌いであるが、この日は何故か煙草に興味を持ち吸ってしまった。
煙草を吸った所で何か気分が変わるものでなく、ましてや晴れることもない。
憂さ晴らしに吸ってみたのだとしたら、これではまるで子供のようだ。
「俺は変わらねえな……いや、変われないだけか……」
一人でぶつぶつと喋りながら軽く笑うと、不味い煙草を何度も吸い続ける。
「なあ。あんたにとって『幸せ』って何だ?」
こんな事を聞く自分が馬鹿馬鹿しいと思いつつ甲斐斗は軽く笑いながら聞いてみると、ダンは煙を吐いた後簡単に答えた。
「煙草を吸ってる時かな」
えらく単純な答えだが、甲斐斗的には熱心に幸せを語ってくるよりよっぽどマシだった。
気分を紛らわせるために言った言葉であり、意味なんて余りない。
だからこそこうやってグダグダとどうでもいい話題で話している。
「なんか悪いな、あんたの幸せを不味いって言って」
「構わねぇさ、他人の幸せを美味いと言う奴なんざそうはいねえ」
ダンの言葉が深く心の奥に突き刺さる。
幸せの定義、価値なんてものは千差万別であり、誰もが納得するものでもない。
そんな事言われなくも分かってる、人は皆違うのだから当たり前だ。
しかし言われてみないと気付かない点も多々ある、自分の幸せ、他人の幸せ……。
他人の幸せを本気で喜べるのか、どうか。
自分はどうだろうか?周りの人間が楽しいのを、周りの人間が幸せなのを、自分自身が本心で喜べているのだろうか───。
そういう事について今は考えたくもなければ話したくもない甲斐斗は、無言で煙草を味わう事しかできなかった。