第108話 質問、接点
───「失った記憶を取り戻す方法?」
夜も更けた頃、東部軍事基地にある自室に戻っていた神楽は一人考え事に更ける中、一冊の本を手にした愁が部屋に訪れていた。
そして愁の言葉を聞くと椅子に座ったまま神楽は腕を組み愁に視線を向け、愁は手に持っていた本を神楽の机の上に置き言葉を続けた。
「はい。ミシェルと甲斐斗さんの過去には必ず接点があるはずです。しかし二人はそれを覚えていない……消えた記憶を取り戻せばミシェルと甲斐斗さんとの関係がわかるかもしれません」
「こんな時間に何かと思ったら……豪い自信ね。二人の過去に接点があると考える理由はあるのかしら?」
「この本のページを捲ってみてください。そして宮殿の正門に描かれている物を見てもらえばわかります」
神楽が机の上に置かれた本を手に取ると愁に言われた通り数ページ捲ってみる、するとそこには巨大な宮殿の正面が描かれており、見覚えのある剣の絵が刻まれた門が目に入った。
「これって甲斐斗の剣じゃない。それにこの宮殿に描かれている模様って、神にも描かれてたわよね。これをどこで手に入れたの?」
「アビアさんが落としていったんです……と言っても、俺に拾わせる為わざとだとは思いますけどね」
「ふぅん、あの子がね」
アビアの名前を聞いてから神楽の表情がどうも疑り深くなると、今度は一ページ一ページしっかり見つめながら捲っていく。
「後で甲斐斗さんにも見てもらおうと思っているのですが、その前にミシェルにもこの本の見せたいんです。たしかミシェルは神楽さんが連れて行きましたよね、今どこにいますか?」
「こんな晩いのに無理よ、今寝てるんだから。また明日に……あら」
神楽がそう言いながら次のページを捲ろうとした時、眠たそうな表情で目元を擦りながら隣の部屋から歩いてくるミシェルを見て言葉をとめてしまう。
神楽の視線に気づき愁が振り返ってみると、思ったとおりミシェルが起きてこちらを見つめながら立っていた。
「ほん……」
眠たそうにミシェルが一言そう呟いた、愁は驚いた様子を見せ神楽が手に持っている本に視線を向ける。
「やはりミシェルは何か知っているみたいだ。すいません神楽さん、今すぐミシェルに見てもらいますね」
そう言って神楽が読んでいる本を簡単に取り上げてしまう。そんな愁の態度に神楽は不満を漏らすが、既に愁は神楽に背を向けミシェルに本を手渡していた。
「ちょっと、いきなり渡したと思ったら取り上げるなんて失礼じゃない?それに今すぐ見せなくたっていいじゃない」
「たしかに神楽さんの言う事もわかりますが……どうミシェル、何か見覚えはあるかい?」
「ありがとう……」
手渡された本を両手で受け取りミシェルはお礼を言うと、本を開くことなくまた先程の部屋に戻っていってしまう。
「え……えっ?ミシェル?」
ミシェルの戻っていった部屋に急いで愁が入ると、既にミシェルはベットの上ですやすやと寝息をたてながら眠りについていた。
両手でしっかりと本を抱き締める様子を見てとても大事で大切な物なのはわかるが、今のミシェルから無理やり本を奪おうとは思えなかった。
すると先程の部屋からくすくすと神楽の笑い声が聞こえ、今度は落ち着いた様子で自分のもといた部屋に戻っていく。
「あらあら、寝ぼけたミシェルちゃんに持っていかれちゃったようね。今日は貴方だって疲れてるでしょ?もう休みなさい」
そう言って神楽は小さなあくびをした後、着ていた白衣を壁に掛けてあるハンガーに掛け、電灯の明かりを少し暗くしてからミシェルの寝ている部屋に歩いていく。
「二人の記憶とさっきの本についての話しはまた明日しましょ。それじゃおやすみ」
「あ、はい。おやすみなさい……」
重要で重大な話しをしたはずの愁だったが、神楽に軽くあしらわれるだけで結局何の情報もミシェルから聞き出す事は出来なかった。
とは言うものの、部屋の壁に掛けられている時計を見れば既に零時を超えており、生き残った兵士達も皆体力を使い果たし寝ている為戦場に行ってまともに起きているのは愁ぐらいである。
このまま部屋にいても仕方なく愁は部屋を出て行くと、当てもなく通路を歩いていく。
「休みなさい。か……」
神楽はそう言ってくれたが、今の愁に休息など必要無い。神楽に会いに行く前に愁は既に休息をとっており、今の愁の体調は良好、最高の健康状態になっていた。
ただそれが、たった数十分眠っていただけで起こった事については未だに愁は考えていた。
不思議な力が体の傷を治し、疲労を消して体力を回復させていた事についてこれもレジスタル、魔法の影響なのだろうと思っているが、不思議な事に眠気すら感じなくなっている。
薄暗い通路を歩いていく愁、ふと窓ガラスの割れた窓の外を見てみると、夜空には三日月が昇っており薄らぐい電灯の灯りより明るく自分を照らしていた。
その月を見た後、愁はふと近くにある階段を上り始める。そして最上階まで上りきると静かで物音一つ無い屋上に出てきていた。
そして静かに、大きく深呼吸して夜空を見上げ耳を済ませた。
誰もいない。暗くて静かで、ひんやりと冷えた風が自分の体を擦り抜けていく、ベットの上で寝るより今の愁にはとても心地良い感覚だ。
このままずっとこの場に立ち止まり夜風を受けていたい……そう思って目蓋を閉じようとした時、突然後ろから声をかけられた。
「あの、こんな時間にどうしたんですか?」
突如声を掛けられ咄嗟に愁が後ろに振り向くと、そこには腰に剣を掛けたあの少年ロアが立っていた。
「君はたしかロア……だったよね。突然後ろから声掛けられたからびっくりしたよ」
「ご、ごめん。別に驚かそうとしたわけじゃないんだけど、こんな時間に人が来るなんて思ってなくてね」
ロアがそう言っていると後ろから龍がゆっくりと近づきロアの背後で立ち止まった。
「大丈夫だよマルス、英雄の愁さんだった」
笑いかけながらロアは龍に話すと、龍は広げていた翼を閉じ愁を見つめていた。
睨んでいるわけではなく見つめている状態、愁は龍の視線に得に悪い気持ちはしないが、まるで自分の心を見透かすかのような瞳の美しさにふと視線を龍から少年に戻した。
「えーっと、俺が英雄?」
「だって今日の戦いで勝利できたのは貴方のお陰だよ。たった一人でERRORを倒した英雄じゃないか」
「それは違うよ」
冷たく切り捨てるような愁の言葉は簡単にロアの口を止めた。
「ERRORと戦ってきた人達全員が英雄なんだ。それに俺一人で倒したわけでもないからね」
その後はまたいつものように優しい表情に戻っており、愁のその態度と言葉を聞いたロアは少し俯くと後ろに立っている龍に寄り添いもたれかかった。
「やっぱりすごいや」
顔を上げ龍を見つめながらロアは一言呟くと、もう一度愁をの方を見つめて再び口を開く。
「この世界で戦ってる人達は皆とても強い。本当にすごいし、羨ましい……」
単に力が強いだけではない、揺るがない信念を持ち世界の為人類の為に戦う人達を見てきたロアには苦しい程理解できた。
ERRORとの戦いで生き残ったSVの兵士は僅か数人、艦内で出会ったあの女性、シャイラも死んだことを伝えられ、ロアは酷く後悔していた。
あの時何故助けに行かなかったのか。行こうと思えば行けたはずなのに、死ぬのが怖くてすぐにでもあの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
一人の女性は愛する人を助ける為にたった一人でERRORと立ち向かっていった。
一人の男性は世界を守る為にたった一人で強大なERRORに抗い、そして勝利を収めた。
一人の女性は世界を救う為に自らの身を犠牲にしても任務を真っ当した。
一人の男性は皆の為に、そして自分の為に己の力を発揮し尊い命を守った。
「でも僕は……僕は何もしてない。ただ逃げ続けることしかしてない……そんな僕の生きる意味は何だろう、ただ死ぬのが怖いから生き続けてるだけでさ……。この世を生きていくだけの価値ある人間じゃないよね……」
今までずっと逃げてきた、自分の元いた世界からもERRORから逃げ出し、最後の望みをかけてこの人類最後の世界に辿り着いた少年ロア。
だが彼はこの世界に来てもERRORとの戦いを選ばなかった。周りがERRORとの戦いの最中、一人自分の身を心配して震え続ける日々。
安心できた日など一日もない、いつもの心の奥底でERRORに怯え毎日を生きてきたのだから。
そんな傷心しているロアを見ていて愁の表情から次第に優しい表情は消えていた。
そして愁は目を瞑りながら首を小さく横に振ると、目を開け真っ直ぐとロアを見つめ返す。
「ロア、命に価値なんてつけちゃいけないよ……それに戦うことが全てじゃない。戦う力は正しいことに使われるとも限らないんだ」
罪は、一生背負い続けなくてはならない。
幾ら自分が強い力を得ようと、その力で人類を救ったとしても。
罪が消えることはない、罪から逃れることはできない、他人が自分を許しても、自分が自分を許しても。決して消えることはない。
昔からの親友、そして大切な仲間彩野を踏み潰し。親友の妹、玲を自らの拳で殺した。
そんな自分が英雄?こんな自分が真の強さか?……わからない。
悔やめば悔むほど後悔できる、だが後悔した所で罪は消えない。
懺悔しても、人を救っても、不幸になろうとも、幸せになろうとも、何をしても。罪は消えない。
「それでも選ばなければいけなくて、それでも進まなければならなくなった時に、俺は戦いを選んだ。それだけだよ。だから君が選べばそれで良いんだ。例えどの選択をして後悔することになろうとも、自分に嘘をついてはいけない。君が選択し、君が選んだ道をゆっくりとでもいい、進んでいけばいい」
今の自分がまさにそうだ、だから今を迷い、悩み苦しむロアの姿を見て愁はそっと手を伸ばすと、更に一言ロアに言葉をかけた。
「それと、君は一人じゃない。それも忘れないでね」
勇敢で逞しい愁、そんな愁が今自分に手を伸ばしてくれるのを見てロアは自分の意思で手を伸ばすと愁の手を掴み握手を交わす。
「愁さん……ありがとう!ありがとうございます!」
目に涙を浮かべながら今度は両手で愁の手を力強く握り締め、何度も頭を下げはじめた。
「あ、いやぁ。うん、ははは……」
まさかお礼の言葉を言われる思っていなかった愁にとっては少し照れくさいものの、ロアの苦しみを少しでも取り除けたと思うと安心して笑みが零れる。
「決めました!僕も愁さんと一緒にあのロボットに乗ってERRORと戦いますッ!」
「……えっ?」
顔を上げ笑顔でそう言い放ったロア。最初は何を言われたのか理解できず表情が固まっていたが、ようやく理解した時更にロアが愁に詰め寄りってくる。
「もう逃げない!僕は戦う!だから僕に残っているロボットを使わせてください!操縦方法も教えてください!」
突然の頼みとロアの気迫に押されて1歩後ずさりしてしまう愁、更に詰め寄っていくロア、すると後方に立っていた龍が首を伸ばすと鼻先でロアの肩をつついた。
「マルス……心配してくれてありがとう。でも僕は変わりたいんだ、だからマルスには今から進んでいく僕を応援してほしい、背中を押されて歩くだけの人生はもう終わりさ!」
ロアのやる気に満ち溢れた表情に偽りはない、いつもERRORに震え怯えていたロアが、今は自分の力で運命に抗おうとしている。
龍から見ればそれはとても久しい姿だった、幼き頃見せてくれていた勇敢な剣士の姿。
ロアの言葉を聞き終えた龍は突如二枚の巨大な翼を大きく広げると、長い首を空高く突き上げ口を開けると、遠吠えあげ夜空を切り裂くように辺りに響いていく。
静かな夜に響くその龍の遠吠えはとても耳に心地よく入り、決して騒がしいものではなかった。
「素晴らしいな」
その時、一人の女性の声が闇夜から聞こえてくると、まるで闇の中から現れたかのように一人の女性が愁とロアの方へと歩いてきていた。
軍服を身に纏い赤紫色の髪を靡かせる女性、それは紛れも無く女性の姿をしたERROR、エラだった。
「これが人間か。我々には無く、人間に有るもの。とても素晴らしい」
そう言いながらエラは二人に近づいていくと、ロアの後方にいた龍が翼を広げると牙をむき出し低い唸り声を上げながらエラは睨みつける。
「警戒というのをしなくていい。私は見届けるだけだ、お前達に直接手出しはしない」
そう言われて簡単にエラの言葉を信じるわけにはいかず、愁もロアも警戒しながら真剣な面持ちでエラの方を向き黙って言葉を聞いていた。
「人間、昨日のEDPでの戦いは全て見せてもらった。『魔法』というのはとても奇妙な力だな、とても興味深い。人間に有るものに対して反応するその『力』。是非もっと見たいものだ」
オリジナルのERRORに圧倒的力で勝利した真・アストロス・アギト、それは紛れも無く『魔法』の力で手に入れた勝利。
愁が魔力を手にする前、あの時の状況を見ていれば間違いなくERRORが勝利していただろう。
しかしその予想を簡単に打ち砕いた『魔法』の力にエラは興味を示していた。
伊達武蔵、彼は魔力を持たない人間だったにも関わらず他の人々より『強い』。
そんな人間がこの世に存在していた関わらず、今度はアレほどの『力』を扱う『強い』人間が存在する。
見たい、知りたい、得たい。人間の力、人間の可能性、人間にあって自分達にない強さを。
「そうですか……見るのは貴方の勝手です。好きにしてください、行こうロア」
エラの言葉を聞き終えると愁は素っ気無く言葉を返しエラに向けて背を向けて歩き始める。
「え?あ、うん……」
まるでエラの姿を見たくないかのような、そんな感じの愁を見てロアも愁の後に続くと一緒に屋内に入ろうとした時、エラは無表情のまま愁に突き刺すような口調で口を開いた。
「人間、私が憎いのか?」
そのエラの一言に愁は足を止めてしまった、しかし後ろを振り向く事なく黙ったまま立ち尽くしている。
「私はあの艦内にずっといたのだからな。お前達の仲間が次々にERRORに殺されていく姿も見させてもらった」
そう、あの時エラはアリス達のいる艦内にずっと残っており、ERRORに抗い抵抗する兵士達の最後の姿をじっと見つめていた。
それはとても呆気ないものだった、侵入してきた赤い蛭のようなERRORに忽ち兵士達は飲み込まれ、寄生されていく。
人間の原型を留めることなく化物へと変わり果てる嘗ての人間、アリスもその内の一人になろうしていたが、シャイラの手によってそれは阻止された。
「そうそう、その中に二人、お前の親しき仲であった女もいた。不思議だった、これから死ぬというのに二人の顔には笑みというものがあって、そしてとても安らかな表情を浮かべて抱き締めあっていた」
不思議なものだった、ERRORが迫ってくるのを見た人間の表情を見慣れていたエラ。
ほとんどの人間達は恐怖で顔を引きつらせ絶叫しながら死んでいく、それなのに何故か、アリスとシャイラだけはそんな死に方をしなかった。
「アリス……シャイラさん……」
親しき仲、二人の女性……その二つですぐにエラがアリスとシャイラのことを言っているのがわかり愁は小声で二人の名を無意識に呟いていた。
「人間にとって死とは最大の恐怖のはずだ。しかしあの女達は恐怖に怯えてなどいなかった、まるであの男と同じだ」
死は生物にとって最大の恐怖のはず。それなのに死を恐れない生物が存在することにエラは未だに理解に苦しんでいる。
「それなのに何故だ?私にとってそんな人間が手榴弾を互いの体に挟み自爆する姿はとても印象的だった。肉片が辺りに飛び散り頭部が私の足元に転がってきたんだが、その女の表情は───」
「やめろォッ!!」
後ろに振り返り一心不乱な愁の声を聞きエラは続きを話すのを止めると、愁はエラを睨みつけながら更に言葉を続ける。
一瞬でも想像してしまった、血塗れの艦内で二人が抱き合い、最後の時を迎えるアリスとシャイラの姿を。
「もう、それ以上喋るな」
「前から思っていたのだが、その怒りという感情はとても素晴らしいな。きっとそれも魔法を扱うにおいて何かしら意味があるのだろう?」
「黙れ。お前は見届けるだけだ、だから俺達の仲間を殺しもしないが助けもしない、それだけのことだったんだろう?だったら黙って最後まで見ていればいい」
自分の内から込み上げてくる怒りを抑える愁、助けなかったERRORを憎む気持ちが全くないと言えば嘘になる。
だがそれ以上に助けられなかった自分の情けなさが腹立たしく思う一番の原因だった。
無意識に拳を強く握り締め、真っ直ぐ睨むようにエラを見つめる愁。そんな愁を見ていてもエラは何とも思っていないかのように表情を変えず愁を見ていた。
が……一粒の涙がその目から零れ落ちると、エラはその場に跪き俯いてしまう。
「すまない……」
涙を流しながらもエラは顔を上げ愁に謝った、しかしその表情はいつもと変わらず無表情のままだ。
その思いがけない言葉に愁も唖然とすると、先程まで湧いていた怒りが薄れ自然と拳を緩めていた。
「お前達人間から見れば、今の私は最低最悪の存在だな」
「……わかりません。俺と貴方の考え方が違うように、俺達人間と貴方達ERRORは全く違う生物だ。俺達人間の常識は通用しないし、貴方達がどのような生物で、どのような思考の持ち主なのかもわからない。……わかろうとしないだけかもしれませんが」
ERRORの常識とは何か。ERRORから見て人間はどうのように見えているのか。
人を利用し人を殺し人を消していく、ERRORがそこまでして人間を殺す理由が未だにハッキリしない。
人の命を奪う事を、ERRORは何とも思わない。まるで雑草を引き抜いていくかのように何の感情も持たずに淡々と処理していく。
「ただ……俺が見てきた中で人の命が消えた時に涙を流したERRORは貴方だけだ。貴方は他のERRORと違うのかもしれない。しかしそれが答えであるかどうかはまだ俺にはわからない」
唯一人間とのコミュニケーションが取れるエラ。人間を知り、そして伝わった、安易に人間を殺してはいけないと。
人間の姿は生物として素晴らしい反応ばかりだ。感情豊かで好奇心旺盛、何十億人もいながら一人一人が別々の意思を持ち活動する。
それが生物。それなのに自分たちERRORは何なのか、ただただ人間を殺すためだけ活動している。
これが本当に生物なのか、生物本来の姿はこうではないはずだ。そこに疑問を持ったからこそエラは今人々と同じ目線に立って活動している。
「俺達人間を見たいなら好きなだけ見ていてください、様々な人間がいるはずですから」
それだけ言い残してこの場から去ろうとエラに背を向ける愁、それを見てエラは手を伸ばし声を掛けた。
「魅剣愁。私に……人間を教えてくれないか?」
その問いかけに愁は振り向くことなく、エラに向かって一言問いかけた。
「それじゃあ、俺にERRORを教えられますか?」
愁の言葉をきいた時。はっ、と口を半開きに開けて驚いた様子すると、愁は見てもいないのにそんなエラの様子が思い浮かんだ。
「冗談ですよ。俺は別にERRORに興味はありません。でも貴方には興味があります。また今度何か話しでもしましょう、それじゃ」
今の愁からは既にエラを憎む気持ちは消えていた。
彼女は人類にとって敵ではない、人間を……生物を理解しようとする唯一の存在だ。
だからこそエラに委ねなければならない、この先の人類の行く末を見つめ続ける存在を。
愁とロアが屋上から立ち去った後、エラは一人夜風に当たりながら真っ暗な外の景色を見ていたが、ふと後ろに振り向き上を見上げると、屋上にある一本のアンテナの上に一人の女性が立っていた。
───「お話はおわったかなー?」
見下すように優越した笑みをしながらアビアはエラを見つめ、対してエラは然程驚いた様子も見せずアビアに視線を向けた。
「前から考えていたんだが、お前は……人間か?」
他の人間とは何かが違う。アビアもまた魔力を持ち魔法を扱える存在だが、今まで見てきた人間とは違い異様な気配を感じていた。
いつも笑い楽しそうにしているアビア、この女性から『恐怖』や『焦り』といった感情がまるで感じられない。
ERRORを前にしても驚きもせずにこうして平然と話している。
「すごいおばかさんだね。人間がわからないのに、アビアが言ったってわかるわけないじゃん」
そう言うとアビアの手に握られたナイフの刃が月の光に照らされると、エラは簡単にその後の展開を予想した。
「その刃物でこの肉体を切り刻む気か。好きにしろ、仮の肉体など幾らでも復元、再生できる。私を殺した所で私は消えない」
恐らく今アビアはエラを殺しにきたのだろう、理由はわからないが好きにすればいい。
ここで反抗してアビアと戦ってもエラにとっては何のメリットもないのだから。
……エラはそう思うものの、もしこれが人間の立場ならどうなるのかふと考えてみた。
苦痛、そして死を恐怖し感情に大きな変化が出るに違いない、が。やはり今のエラには何も感情が湧かなかい。
「ふーん。それじゃ、好きにするね」
そう言ってニヤリと笑みを見せた途端、アビアの周囲に次々に青白い光を放つナイフが現れ始める。
「魔法か」
魔法により具現化されたナイフ、一度この身で受けておくのも悪くない。一斉に無数のナイフがエラに向かってとんでくるものの、エラは避ける素振りを見せる事無く無数のナイフをその身に浴びた。
次々にナイフの刃が自分の腕や足、体に突き刺さる……だが、ナイフの突き刺さる箇所からは痛みなどが一切感じられない。
光る刃はたしかに身に突き刺さってはいるが痛み所か傷一つついておらず、出血すらおきていない。
「なん、だっ……こ……ぇ……?」
舌が上手く回らない、体を動かそうとするも指先すら微動だに出来ず、完全に体が固まり動けなくなっている。
今までに体感した事のない感覚に表情を変えないエラも動揺の色を隠せず必死に体を動かそうと手足に力を入れるものの全く動かない。
そしてふとアビアがエラの目の前に着地すると、右手に持っていた一本の青白い光を放つナイフを振り上げ躊躇無くナイフの刃先をエラの胸元に突き刺した。
「ばぁーか」
いつもの笑みを浮かべながらアビアは一言呟くが、その瞳はいつもと違い月夜のような青白い輝きを見せている。
そしてアビアはエラの胸元に突き刺したナイフをまるで扉の鍵を開けるかのようにゆっくりと捻ると、突き刺された箇所から青白い光が放たれはじめた。
その瞬間、エラの脳裏を今まで憶えてきていた知識や情報が駆け巡り始める。その情報量は膨大かつ精密だが、まるで吸い取られるかのように『全て』の情報が胸元に突き刺されたナイフを伝わりアビアが流れている感覚がしていた。
今まで見てきたもの、感じてきたこと、憶えてきたこと……それだけではない、自分という存在すらも一つの情報として見られている。
「へぇー、誕生してまだ1年もたってないのにこの世界について色々調べたんだねー」
そう言ってアビアはエラの胸元から突き刺していたナイフを引き抜くと、エラの体に突き刺さっていた無数のナイフも消えてなくなっていく。
それでもエラの体には全く力が入らず、膝から崩れ落ちる前のめりに倒れてしまい起き上がることもできなかった。
「女……お前には見えたはずだ……私達の存在理由、そして、どう生まれてきたかが……私は……いや、お前は何者なんだ……?」
「あったま悪いなーもー。だからさっきも言ったよねー。貴方にはわからない、理解することもできない存在。それが人間ってことなんだけど」
「私が、人間を理解できないっ……?どういうことだ、私は少しずつだが人間を理解してきている……」
「ふーん、あっそーどーでもいい。ただアビアの邪魔だけはしないでねー。特に、甲斐斗には指一本触れないでね」
面倒くさそうにアビアはエラから視線を逸らすと、やる事も済んだので一人基地の中に戻ろうとする。
「何故お前は私の情報を見た?お前は何を企んでいるんだ……?」
倒れたままアビアは微かに声を出し最後まで問い続けるが、アビアの方はそんなエラを横目で見つめつまらなさそうに言葉をかける。
「別に、アビアはただ甲斐斗と一緒にいたいだけ。ERRORとかどーでもいい」
───アビアが屋上から去った後、あれから何分たったのか、エラはようやく自力で立ち上がれるまでに回復し一人屋上で外の景色を眺めていた。
とは言っても、ただ荒野が広がっているだけの何もない場所を見つめているだけで、とても見ていられる程の景色というものでもない。
そんな殺風景を一人見つめていたエラは、ふと自分の口元を指先で触れると自分が無意識に笑みを浮かべていることに初めて気づいた。
「ふふっ、そうか。これが、感情か……私はまた一つ、得たのか……」
ペタペタと手の平で何度も自分の顔に触れて確かめていくエラ。
「おもしろい……」
しかし、目を見開き薄らと笑みを浮かべながら呟くその表情は、純粋な笑みとは程遠いものだった。