第107話 無能、有能
───日は沈み、赤城達のいる基地の周りは既に真っ暗な夜へと化していた。
東部軍事基地には僅かに残っていた電力で微かに灯りが点いているものの、廊下は薄暗く、格納庫内が一番明るく照らし出されている状態だった。
そんな薄暗い廊下を一人赤城は歩いていた、窓の外を見れば本来町の綺麗な灯りが見渡せるはずが、今では見る影もなく暗闇しか広がっていない。
その時、扉が開いたままのある一室から物音がしたのを聞き、赤城の足がその部屋の前で止まる。
部屋には一つも灯りが点いておらず、廊下の灯りが微かに室内を照らしているだけ。そんな薄暗い部屋の中に赤城は一歩足を踏み入れると、静かに一番奥の部屋に向かって歩いていく。
「ううぅ……ぼくは、どうしてぇ……」
部屋の奥にある寝室、そのベットの上で甲斐斗は咽び泣いていた。
今まで見たことのない甲斐斗の姿だったが、赤城は意を決して寝室に入った時、部屋の扉の横に立ててある黒剣の存在に気づいた。
薄気味悪い異様な黒い光が蠢き、まるで見ている者を惑わすかのようなその闇の深さに、赤城は無意識にその黒剣に手を伸ばしていた。
「触るなぁッ!!」
赤城の指先が剣に触れる前に、甲斐斗の言葉で目が覚めたかのように赤城は手を引き声のする方を向くと、ベットの上に座りこちらを睨みつける甲斐斗がいた。
ふと、赤城は甲斐斗と目が合うと、突然甲斐斗は俯き手を伸ばし出口の方に指差すと、先程と同じような大声を上げた。
「ぼくを見るなっ!でていけよ!早くでていけ!!」
目に涙を浮かべ、見つめられる事が気に入らないのか甲斐斗は声を荒げ赤城を部屋から出そうとするが、赤城は静かに甲斐斗を見つめたまま出て行こうとはしない。
「甲斐斗……」
それは、本当にあの甲斐斗なのかと疑う程弱々しい青年だった。
威厳も力も気迫も何も無い、一人涙を流し咽び泣く泣く姿は、何の力ないただの一人の男にすぎない。
赤城は甲斐斗の名を呟くとまた少しずつ歩き甲斐斗に近づいていく、それを見た甲斐斗は怯えるように身を引いてしまう。
決して目を合わせようとせず、真っ直ぐ近づいてくる赤城に対し甲斐斗は俯き赤城が近づいてくるのを怖がっていた。
そして赤城が甲斐斗の座っているベットの前に立つと、赤城は無言で甲斐斗の横に座り小さく息を吐いた。
「後悔しているのだろう?」
「えっ……」
赤城の呟いた言葉に甲斐斗は反応した、それは今自分が何で悩み、苦しんでいた事を見透かされていたからだ。
「あの時剣を振り下ろそうとした事に……違うか?」
そう言いながら赤城は甲斐斗の方に顔を向けるが、甲斐斗は赤城から顔をそらし目を合わせようとしない。
「二人っきりで話し合おう、大丈夫。私はお前を怖がってなどいない」
その言葉に甲斐斗は少し安心したのだろうか、赤城の方を見ることはないが甲斐斗は目に浮かぶ涙を拭い話しはじめた。
「ぼくは……怖がられて当然なんだ、あんな事言ったし、ぼくは本気であの子を殺そうとしていた……」
『あの子』、という言葉を聞いて赤城はすぐにミシェルの事を言ったのだと分かったが、何故ミシェルの名を呼ばないのか少し疑問に感じてしまう。
「最低だ……前もこんな事があったんだ、そして信じるって言ったのに……」
俯いたまま甲斐斗は黙ってしまう、赤城が何か言おうすると、甲斐斗はまた口を開き話始める。
「もう嫌だ。誰も救えないし、何も守れない……SVにいた彼女達だって……ぼくは誰一人守れなかった……」
まるで別人だ、普段は自分の事を「俺」と呼んでいる甲斐斗が、「僕」と言いいながら話をしているのだから。
一体、甲斐斗は何者なのだろうか……ふと赤城の脳裏に過ぎる様々な甲斐斗の姿。
己を最強と言い、魔法使いと言い、過去に帰り、世界を変えると言っている男。
しかし、そこには最強とは程遠い力しかなく、魔法も使えず、一人苦しみもがく青年しかいない。
それでも甲斐斗は今まで戦い、生き続けてきた。それまで様々な出会いや別れ、喜びや悲しみがあっただろう。
「甲斐斗、お前は私を救い守っているというのに……何を言っているんだ?」
赤城の言葉に甲斐斗は無言のまま何も言ってこない。
「それにお前は今まで数多くの人達を守り、救ってきただろう?全てお前の力だ」
「ぼくの、力か……」
「そうだ、そしてお前は直にERRORから人類を守り世界を救うだろう」
世界を救うだろう、なんて。きっと平和な世界で言った所でただの笑い話にしかならないだろう。
しかし今、この世界で生きる人々にとって『世界を救う』という言葉の重さは計り知れない。
「く……」
赤城の言葉に甲斐斗が反応する、まるで何かを堪えるかのように肩を震わせる甲斐斗だったが、突如顔を上げ赤城を見つめると口を開いた。
「くくく……お前、何言ってんの?」
強引に赤城の両肩を掴むとベットに押し倒し赤城との顔の距離を近づかせる甲斐斗、その赤く濁った黒い瞳で赤城を見つめ続ける。
「お前の望みは何だ?何故俺に近づく?」
先程の弱々しい甲斐斗から一変し、自分の事を『俺』と呼ぶいつもの甲斐斗に戻っていた。
「お前を知りたくなってな」
押し倒されても赤城は落ち着いた様子でいた、両肩を掴まれたままだが決して振り解こうともせずに会話を続けていく。
実際は両肩を掴む甲斐斗の力が尋常ではなく赤城は痛みを堪えながら必死に平静を装っていた。
「あっそ、だがなぁ赤城。俺を知った所で何も変わらんだろ?」
そう言うと甲斐斗は赤城の両肩から手を離すと、ベットの横に置いてある椅子を掴み赤城の目の前に置いた。
「世界が救われる訳でも無え、誰かを守れる訳でも無え。力になるわけでもなんでもねえ事だ」
そう言いながら椅子に座り赤城と面と向かう甲斐斗、もうその目に涙は無く濁った瞳を光らせ微かに笑みを浮かべているほどだ。
「それとも楽しいか?人の過去を興味本位で探るのは?」
「違うッ」
まるで自分が軽い気持ちで甲斐斗の事を知ろうとしているような発言に赤城は一言だけ力強く否定するものの、それを聞いてもなお甲斐斗は態度を変えようとしない。
「赤城、これ以上俺に関わるな」
「嫌だな」
「……は?」
思いもよらぬ赤城の言葉に呆気にとられる甲斐斗、すると赤城は徐に立ち上がると壁に掛けてある黒剣の方に向かうとそっと手を伸ばし黒剣に触れようとした。
「おまっ!?止めろ!!」
その赤城の行動にすぐさま甲斐斗は立ち上がり赤城を止めようと手を伸ばすが、赤城の指先は既に剣の寸前にまで近づいていた。
「何故だ?」
「その剣に触れたら終わりだ……死ぬぞ」
甲斐斗の表情は真剣そのものだが、何か焦るような表情を見てあえて赤城は強気の態度に出る。
「ふーん、本当かぁ?」
「く……頼む赤城、お願いだ……もうこれ以上俺に関わらないでくれ……ッ!」
そう言って赤城に手を伸ばす甲斐斗、赤城が剣を触れる事に明らかに恐れており、力ずくでも触れさせないつもりだ。
「これ以上お前には見て欲しくないんだ!!」
今にでも飛び掛りそうな甲斐斗を見て赤城は更に剣に近づくと、そっと剣に手を翳してみせる。
「最強としてのプライドか?なぁ甲斐斗、私は思うんだ。お前の事を一人でも理解してくれる人がいたら、きっとお前は前に進んでいける……とな」
───赤城の指先が剣に触れた途端、黒剣から発された黒い光が一瞬にして赤城を包み込むと、先程まで室内にいたはずがいつの間にか真っ暗な世界へと連れてこられていた。
「ここは……?」
見渡す限り闇が広がる世界、壁も天井も無い無の空間に一人取り残された赤城だが落ち着いた様子で事が始まるのを待とうと瞬きをした瞬間、無数の『風景』が赤城を囲んでいく。
先程まで暗闇に立っていたはずの赤城が、今では荒れ果てた町の中心に立ち呆然としている。
周りを見渡せば民間人と思われる人達が何かから逃げるかのように必死になって走り去っていく。
その光景はまるでERRORに襲撃された町のようだった、道路には建物が崩れ瓦礫が広がり、いたる所に人の死体が散乱。子供の泣き声や女性の悲鳴が町中に響くまさに地獄のような景色。
今まで平和に暮らしていた人達が命の危機を感じ恐怖するその様は、どこの世界とて変わりはしないのだろう。
ふと上を見上げれば何十機もの戦闘機が空を飛び、後ろに振り向けば銃を持った軍人が何列にも横に並び進軍してきていた。
兵士の後ろには戦車が列を作り、瓦礫や死体の上を走っていく。
『なんて有様だ……アルトニアエデンの町がこんな事になるなんて……!』
兵士達が赤城の横を通り過ぎていく時僅かに声が聞こえてくる、兵士達は皆銃を強く握り締めこの状況を作り出した元凶の元へと向かっていた。
『おい!大丈夫か!?しっかりするんだ!』
町のあちこちでは負傷した民間人が倒れ、軍人達は必死に応急処置をして助け出そうとしていく。
それは軍人だけではない、町の人達も互いに助け合いながらこの場から逃げようとしている。
また一人、負傷した民間人を見つけ軍人が近づいていくと、右手を負傷している箇所に翳した途端見る見る傷が癒えていくのが見えた。
「魔法……」
映し出されているこの世界が赤城達のいる世界ではない事はすぐに理解できた、そして魔法が存在する世界……つまりここは───。
『危ない!全員空に向かってシールドを張れッ!』
「っ!?」
兵士の声に慌てて空を見上げると、先程まで空を飛んでいたはずの戦闘機が次々に煙を上げて落ちてくるのが見えた。
兵士達はその上官の声に次々に右手を上げると、薄らと光を放つ透明な壁を頭上に張り巡らしていく。
落ちてくる機体の残骸はシールドに触れた途端爆発し破片が周囲に飛び散るものの、シールドの下にいた兵士達や民間人は無傷のままで済んでいた。
『なっ、何ぃ!?町に飛ばした戦闘機が10機全て撃墜された!?馬鹿言えッ!あれはA級の対魔戦兵器だぞ!?』
情報が入ってきたのだろうか、一人の軍人が無線機を片手に慌てた様子で震えていた。
が、次に聞こえてきた報告を聞いた途端その兵士の手から無線機が零れ落ちる。
そして赤城は遂に出会い見えてしまう、『最強』の存在を───。
戦闘機が落ち爆煙が辺りを飲み込んでいたがやがて晴れていくと共に見えてくる、一人の男……いや、一体の『魔神』が立っている事に。
全身を黒い甲冑で包むような格好をしており、身長は軽く2mを超えている。
全身の黒い鎧のような物は肉体そのものなのか、それともただ単に鎧を身に纏っているのだろうかわからない。目と思われる場所は赤い光を放ちじっと兵士達を見つめている。
人間の形に似た『魔神』。兵士達が進軍しようとしていた巨大な道の真ん中に一人立ち塞がったまま動こうとしない。
「これが……甲斐斗なのか……?」
赤城から見た魔神、まるで甲斐斗があの黒剣を自ら身に纏っているかのような姿に驚きを隠せない。
周りの兵士達も同様に驚きが隠せず困惑していた。自分達が今から殺すはずの目標が部隊の目の前に立っているのだから。
「何だこの気配っ……強大な存在は感じるが、甲斐斗からは何も感じられないだと……?」
それは『無』の領域。赤城にも分からない、最強と聞かされていた魔神から威圧や殺気が微塵も感じられないのだ。
『最強』を前にして死どころか恐怖すら感じない、兵士達も攻撃命令は下されているもののその魔神を見ても銃を構えるだけで引き金が引けなかった。
そう、魔神は余りにも大人しすぎた……町の各地で悲鳴が飛び交い人々が混乱しながら逃げていく状況だというのに、魔神は暴れる様子も力を振るう様子も一切見せない。
『こいつが……こいつがあの『魔神』!?全隊攻撃を開始ッ!奴の息の根を絶対に止めろぉッ!!』
その上官の命令に銃を構えていた兵士達が一斉に引き金を引いた、銃から放たれた弾丸は次々に魔神に命中していくが、魔神は避けようともせず浴びせられる弾丸の嵐をただただ身に受けていた。
だが魔神に放たれたのは銃弾だけではない、後方に待機していた戦車隊からの一斉放火が開始される。
放たれた砲弾は次々に魔神に命中し爆煙を上げる、すると今度は戦車隊の後方から杖を持った兵士達が前に出てくる。
次は魔道隊の集中砲火が始まる、杖の上部には宝石のように輝く物が埋め込まれており、魔道隊は枝を突き出すそれを魔神の方向へと向けると、枝の先端からは魔法陣が広がり一斉に光を放ちはじめた。
放たれた光は煙をも掻き消し魔神の立っていた場所へと次々に放出されていく。
『一旦攻撃を止めろ、奴がいるか確認するんだ!』
全部隊からの集中砲火に辺りはまた煙に包まれようとしていたが、魔道隊が枝を空へと翳すと、中に漂っていた煙が吹き飛ばされ一気に視界が良好になっていく。
魔神が立っていた辺りの煙も忽ち消えていき、その場にいた兵士達が息を呑みながら結果を待った。
───魔神は立っていた。……何事もなかったかのように、先程から立っている場所から一歩も動いていない。
跪いているのか?傷付いているのか?もう死んでいるのか?……全て違う。
魔神は立っている、跪きもせず、傷一つなく、赤く光る目をでじっとこちらを見たまま生きている。
その場にいた兵士達は皆、目の前の現実に何も言えず、ただ武器を構えて次の命令が来るのを待つのみ。
『全く……酷い有様だな』
その一言が耳に届いた時、既に彼等は魔神の前に現れていた。
白い軍服を身に纏い、腰には剣を着けた十人程の兵士達。
『アルトニアエデン本部直属の白騎隊!あなた方たちが援軍に来られたのですか!?』
今までこの場を指揮していた兵士が声を上げると、その白騎隊の隊長と思われる男が答え始めた。
『ああ、事の重大さは既に本部にも伝わっている。……それで、この者がその『魔神』と言われる者か……』
立ったまま動かない魔神を睨みつける男、白騎隊のメンバーが次々に鞘から剣を引き抜き構えてみせると、その男もまた鞘から剣を引き抜き魔神を睨みながら口を開いた。
『なるほど、情報通りたしかに人外だ。そして魔神と言われるだけの事はある……強いな』
僅かな時間で魔神の実力を理解したかのような発言、白騎隊は迂闊に近づく事無くじわじわ接近し距離を詰めていく。
『だが我々とて弱くはない───行くぞ』
男が一言呟いた瞬間、剣を構えていた白騎隊の兵士達が一斉に飛びかかろうと……思った。
「ん?」
これから激戦が繰り広げられるのかと思っていた赤城。だがそれは違った。
『ん?』
次々に兵士達が踏み出し魔神に剣を振り下ろそうと思った、が……誰一人一歩も足が前に出ない。
……というより、足が無い。いや、足どころか……既に首から下は無くなり消えていた。
ごとっ、と。自分の頭が地面に落ちてぶつかった音とその痛みが伝わってくる。
そして、その音は一度だけではない、音だけなら無数に聞こえてくる。ごと、ごと、ごと……と、何十もの頭が地面に落ちていく音が聞こえてきた。
「ぁ……ぁあ……っ……!」
悲鳴を上げたくても赤城は声が出せなかった、一体何が起きたのかもわからず、この目の前に広がる光景を目にして、何を考えれば良いのか───。
───全滅した。
ほんの一瞬の出来事……いや、その一瞬すら赤城や兵士達は理解できなかった。
もう何を思い何を願えばいい、気づけば自分たちは首だけの存在となり死んでいるのだから。
理解できずに意識が飛んで死ねば楽だろう、だがそうはいかなかった人間もいた。
転げ落ちた首から見える光景……ああ、想像絶する程恐ろしくおぞましいものだ。
そして死ぬ前の走馬灯とはほんの一瞬で見えるものだ、それぞれ兵士達は何を見たか。
……まさかこんな簡単に自分達が殺されるとは思っていなかっただろう。
戦車の中にいる兵士達もそうだ、何が起こったのか、何をされたのかもわからない。
装甲車の中にいて、車本体は何の異常も無いというのに自分たちの首から下が無くなっているのだから。
……その余りの非常識な光景に赤城が魔神から離れようと後方に一歩下がってしまう、すると後ろには誰かが立っており赤城は後ろにいる者に受け止められてしまう。
すぐに後ろに振り返ると、そこには赤い瞳を濁した甲斐斗が不適な笑みを浮かべながら見つめていた。
『俺を見たいんだろぉ?ほらぁ、もっと見ろよぉ!!』
そう言って甲斐斗は赤城の頭を掴むと強引に前に向かせた。
「うっ───!?」
前を向けば町の景色が変わっていた、そこに『魔神』はいないが、赤く濁った目で逃げ惑う人々の前に瞬時に現れる甲斐斗の姿があった。
『アひャヒャひャ!コの俺さマから逃ゲレるとデも?ひひヒャはハハはァッ!!』
両手は赤い血で塗られ、黒い影を漂わせ狂気を放つ甲斐斗の姿に逃げていた人達は震え上がっていた。
『地獄ニようコそォオおオオオォ!マズはコれダァッ!』
そう言って甲斐斗は指を軽く鳴らしてみせると、黒い輪が人々の手首や足首、胴体や首にと次々に付けられていく。
人々は黒い輪が自分たちの体に付けられているのを見て必死に外そうと試みるものの触れる事が出来ず、黒い輪を取り外すことができない。
『く、くそッ!なんなんだよお前!いい加減にしろよ!』
一人の男が腕を振り上げ甲斐斗に立ち向かおうとした、すると甲斐斗はそれを見てもう一度指を鳴らしてみせた。
一瞬にして男の首が飛ぶ、首から吹き出る血は周りにいた子供にかかると、それを見た母親は見せまいと我が子を守るように抱き締めた。
『ヤベ、一瞬デこロシちマっタ……マ、いイカ、ひゃひャヒャ!!』
そう言って甲斐斗はもう一度指を鳴らすと、周りの人々に付いている黒い輪が徐々に締まり始めた。
ある男性は手首の輪が、ある女性は腹部の輪が、ある子供は首の輪が───。
『止めてくれぇっ!いてえ゛、いでえ゛んだよぉおおお!ぁああああッ!』
男の右手は千切れ落ち、夥しい量の血が吹き出始める。
それを見て甲斐斗は大笑いしていた、最高だと言わんばかりの表情を浮かべ次々に体のあちこちがちぎれる人間達の悲鳴を聞いていく。
『お願いしますッ!この子だけは、この子だけは助けてくださいぃ!!』
一人の女性が我が子を抱かかえ甲斐斗の前に跪く、甲斐斗は首を傾けながら女性を見てみると、首に黒い輪が付けられている子供が目に見えた。
母親の胴体にも黒い輪が付けられ徐々に締まってきているものの、涙を流しながら必死に我が子を抱かかえ甲斐斗の元に来たのだ。
『マ、マ……苦、しぃ……ょ゛……』
少年の首に徐々に食い込んでいく黒い輪、顔色は既に青ざめており母親は我が子を見るたびに甲斐斗に頭を下げ続けた。
『ンー?ガキノ命が大セつカァ?じャア……』
甲斐斗は首をかしげたまま手を伸ばし一人の少女に指を指すと、不適な笑みを見せながら呟いた。
『アいツ殺セ』
簡単に言ってのけた甲斐斗だったが、母親は少女を一度見て首を大きく横に振ると甲斐斗を見つめながら口を開く。
『そんなっ!?無理です!!』
『アひャヒャ、ジャあオ前のガキは死ヌぜ?ドーせアノがキも死ヌんダ、ソれナラお前ガ殺シた方が良イんじゃネェ?』
甲斐斗の指差した少女の足首は黒い輪により切断されていたが、まだ息があり生きている。それに今から応急処置をすればまだ助かるかもしれない状態だった。
『ホらホラァ……早ク殺サナイと、大事ナ我ガ子が死ぬゼェ?』
我が子を守るために母親が取った決断、そして行動。足元に落ちているコンクリートの瓦礫を持つと、甲斐斗が指差した少女の方へと全力で走っていった。
「嘘だ……」
放心状態のまま赤城はその場に立ち尽くしていた。
あの甲斐斗が、これ程まで残酷な存在だったのか、これ程まで、冷酷で、人間とは思えぬ行動に、赤城の心は段々と黒く沈んでいく……。
そして母親は帰って来る、血塗れの瓦礫をその場に捨て、今にも死にそうな我が子を抱かかえて甲斐斗の目の前にまで寄ってきた。
『早ぐぅッ!!この子が死んじゃう゛でしょぉおッ!!?』
血眼になった母親を見て甲斐斗はヘラヘラ笑うと、面倒臭そうに自分の手を母親が抱きしめている子に伸ばした。
『アヒャひャ、ショーがネーなァ……ホレっ』
そう言って甲斐斗が指を鳴らした瞬間、子供の首に掛っていた輪が一瞬に縮まり子供の首を簡単に千切り落とした。
『?』
母親は思考が止まり動けず、首の無い我が子をただただ見つめている。
『……ヤベ、間違エた。アひャヒャヒャッ!!』
もう一度甲斐斗が指を鳴らすと、その場にいた人間達に取り付けた黒い輪が全て縮まり消えていく。
その場にいた人間達は皆殺された、それも痛みで苦しみ、恐怖で顔を引きつらせながらだ。
「う゛、うぅえ゛ぇ!……げほ、けほっ……!」
目の前に広がる光景に赤城は口元を手で抑えたものの、我慢しきれずその場に吐き散らしてしまう。
そして口元を拭った赤城は甲斐斗を……いや、甲斐斗の姿に似た存在を睨みつけた。
「違う、違う違う違うっ……お前は甲斐斗じゃない、甲斐斗じゃない!」
赤城は頭の中で何度も否定し続けた、今目の前にいるのが本当の甲斐斗ではないことを。
「魔神でもなければ甲斐斗でもない……お前は……『邪神』だ……ッ!」
『……せーカイだ!オメでとう赤城ィ!』
「なっ!?」
その瞬間、赤城の手足や首、そして胴体にあの黒い輪が次々についていく。
「あ、ああああっ!?」
外そうにも外せない、幾ら触ろうとしてもまるで実態が無いかのように触れられないのだ。
『アっひゃー、オ前なラここニ来てクレると思ったゼぇ!!』
徐々に黒い和が全身を締め付けていく、これは映像でも記憶でもなんでもない、現実だ。
「うぐぅ!が、か…はっ……」
肉体の限界などあっという間だった。黒い輪が緩む事も無く赤城の体を締め付け、それを見て『邪神』は楽しそうに笑っていた。
脳に酸素が行き渡らず意識が霞んでいく、だが激痛でまた呼び戻される、地獄のような苦しみ。
そしてまた一つの命が消えようとした時、赤城の目の前に黒剣を握り締めた甲斐斗が現れた。
もう赤城には声も出せないが、目の前に現れた甲斐斗が自分に何をしようとしているのかはかろうじで理解できた。
自分に黒剣を振り下ろす、その甲斐斗の姿を。
───「ばっか野郎!!だから危ないっつっただろッ!!」
赤城の両肩を掴み前後に揺らす甲斐斗、心配そうに表情を浮かべるものの怒ったような目付きで赤城を見つめていた。
「かい、と?……ん、私は……斬られたのでは……?」
「お前を斬るわけ無えだろ!お前の体に付いている黒い輪だけを斬ったんだよ」
……たしかに甲斐斗の剣は自分の体の中に入った、それは分かっていたが……剣は赤城の肉体をすり抜け赤城の体に付いていた黒い輪だけを断ち切っていた。
「心配させやがってぇ、だから触るなって言ったんだよぉ!」
一安心したのだろうか、甲斐斗はそのまま赤城を抱き締めると、赤城も安心したかのように甲斐斗に身を委ねる。
暖かい思いが伝わってくる……間違いない、今自分を抱き締めてくれている人が本当の『甲斐斗』だった。
『……あヒゃ?久シぶりダなァ、デも邪魔シてンジャねーヨー。一人グラい別ニ良イじゃネーカ?』
突如現れた甲斐斗に邪神は声をかけると、甲斐斗はゆっくりと赤城を離し邪神の方を向いた。
「よくねーよカスが、てめえ次に赤城に何かしたらわかってんだろうな?」
『アヒャひゃ!何だなんダァ~?お前もしかシテソいつに───』
その時、邪神が一瞬でその場から消えたと思うと、隣に建ってある高層ビルが破壊されていき崩壊しはじめる。
「っち、あいつも来ちまったか……」
非常事態に甲斐斗も不安の色を隠せない、赤城は何が起こっているのかわからなず甲斐斗の後方に隠れるように立っていた。
「か、甲斐斗。この世界は一体どうなってるんだ!?」
「お前は昔の俺の姿を見ていただけだ、が……『あいつ』がお前の侵入に気づいて遊びに来たんだろうな」
軽く説明する甲斐斗の言葉は、やはり今の赤城には理解に苦しんでしまう。
この世界は甲斐斗の心が作り出し、過去を赤城に見せようとした幻想の世界なのだろうか。
『アヒャひゃ!久々ジャねーカァ!元キそウだなァ!』
邪神の声が聞こえてくると、崩壊したビルの前方に建っている建物で面白そうに笑う邪神の姿がそこにあった。
そして先程まで邪神が立っていた場所には、あの全身黒い鎧を纏う『魔神』の姿があった。
一人喋りかける邪神だが、魔神は一切口を利くことなく邪神を見た後、前方にいる甲斐斗と赤城を見つめている。
すると魔神はふと視線の先を別の方に向ける、それにつられ邪神や甲斐斗もその方を向くと、建物のわき道から一人の少年が現れた。
『え……どうして皆ここにいるの?』
「なっ!?甲斐斗が二人!?」
その少年の姿に赤城が咄嗟に声を上げてしまう、脇道から現れたのは甲斐斗の姿だった……が、目の前にいる甲斐斗とは違いどこか弱々しく覇気を感じない。
『赤城さん?どうしてここに……』
「おいおい、『カイト』まで来ちまったかじゃねえかよ。あーややこしい!お前等一度に全員出てくるなよ!!」
半ば切れ気味の甲斐斗に、邪神はケラケラと笑い、魔神は無言、カイトは突然怒鳴られ戸惑っていた。
『ナーんだァ?殺シテ良イ奴じゃネーのカぁ?』
「お前からまず消えろ!一番邪魔だッ!」
そう言って甲斐斗は邪神に指差すと、邪神はケラケラと笑いながら甲斐斗に背を向ける。
『アヒャひゃ、ンじャまタ何カアったラ呼ンデくれェ。ヒャヒャヒャ───』
邪神はそういい残した後全身に纏う闇に覆いこまれ瞬く間に姿を消した。
「……最初から呼んでねえだろ」
邪神が消えると、今まで広がっていた世界が闇に包まれ消え一番最初の景色、全てが暗闇へと変わっていく。
「行ったか、やれやれ。後は……お前だ。悪いけど赤城はお前の相手をしに来た訳じゃねえんだ。すまんな」
両手を腰にあて溜め息を吐いた後甲斐斗が魔神にそう言うと、魔神もまた甲斐斗に背を向け一瞬でその場から姿を消す。
すると甲斐斗は赤城の手を握ると赤城を誘導するかのように一緒に闇の中を歩き始めた。
「さっさと帰るぞ、ここはお前の来る場所じゃねえ」
「ま、待て待て甲斐斗。今のは何だったんだ、これはっ、どういう事なんだ……?」
「お前は何も知らなくてもいい、黙って俺についてくればそれで問題無い」
そう言って甲斐斗は赤城の話しを聞こうとはせず、まるで出口へ向かうかのように途方も無い闇の中を歩き進んでいく。
すると赤城は強引に腕を振り払い甲斐斗から離れると、鋭い目付きで甲斐斗を睨み大声をあげた。
「いい加減説明したらどうなんだ甲斐斗!?これ以上、私にお前の謎だけを見せないでくれ……!」
「……説明、か」
その鋭い目付きとは裏腹に薄らと涙を浮かべる赤城を見て甲斐斗は小さな溜め息を吐くと、面倒そうに
頭を掻きながら一言呟いた。
「じゃあ……紹介してやるよ」
そう言って右に腕を伸ばし指を指すと、先程姿を消したはずの邪神がこちらを見つめながら立っていた。
「あいつがカイトの邪心から生み出された存在」
右腕を下ろし、次に左腕を伸ばし指を指すと今度はその場所にあの魔神が立っている。
「あいつがカイトの無心から生み出された存在」
そしてその右腕を自分の方に向け親指を立てると、自分を指差し甲斐斗は答えた。
「そして俺が。カイトの真心が生み出した存在だよ」
何処と無く寂しそうな表情を浮かべる甲斐斗、その言葉を聞き赤城は甲斐斗から目が放せない。
「生み出した、存在……」
「そう、つまり俺達三人は『元』じゃねえ。んで、元になる男が……」
甲斐斗が力強く腕を前方に向け指を指すが、その指先は赤城に向けられているものではなく、赤城の後方にいる一人の男に向けられたものだった。
「そこにいる奴。名前はカイト・スタルフ。馬鹿で弱虫、魔法も使えない落ちこぼれのガキだ」
赤城が後ろに振り返ると、そこには甲斐斗と同じ姿をした男、カイト・スタルフが立っていた。
見た目は同じ、しかしカイトの方はやや俯き加減で赤城と目を合わせようとしない。
「本当情けなるぐらい泣き虫でな、一人でよくめそめそ泣いてたねぇ」
そう言いながら甲斐斗はあの日、あの時の記憶を思い出していく。
最強の力を得た時の記憶を……。そしてその記憶は、この暗闇の空間にいる赤城の脳にも直接伝え、過去の出来事を見せていく。
……とある実験室で、何十人もの学者達がカメラを通して実験の様子を見つめていた。
窓一つ無いその実験室はとても広く壁や天井、床一面は全て黒色の石版で形成されていた。
そして巨大な陣の模様が部屋全体に描かれており、部屋の中心には一人の少女が倒れていた。
少女が倒れているすぐ側には一人の少年が座っている、少年の顔色は蒼白としており、無言で横になっている少女の体を揺すり続ける。
何度も何度も、けれど少女は一向に起きず、動かない。すると少年は少女の体を掴み引き寄せると、大粒の涙を流しながら震える両腕で力強く少女の体を抱き締めた。
少年は少女を呼び続ける、けれど反応はしない。
こんなにも暖かく、こんなにも綺麗で、美しく、優しい、掛け替えの無い大事で大切な少女が。
息をしておらず、心臓は止まり、死を迎え、もう動くことはない。
もうあの日のような生活が送れない……少年の、たった一つの生き甲斐は消えた。
たった一つの希望は消えた、たった一つの恵みは消えた、たった一つの癒しは消えた。
その少年にとってたった一つしかない『光』が消えてしまった。
「そしてそんなガキが、ある日手に入れちまったんだよ」
部屋中の黒い石版が一斉に黒い光を放つと、石版から黒い闇を放ち少年を覆っていく。
突如地震が研究員達を襲う、慌てふためき研究室にある機器に向かって何か操作を試みるものの、全ての装置は火花を散らし次々に破裂し壊れていく。
モニターに映し出されていたあらゆるゲージが限界値を超えると、突如研究室にあるモニターに映っている映像が全て切り替わり、闇の中に佇む一人の少年だった者を映し出した。
「最強の力をな」
赤城にも少年の姿が薄らと見えてくる、しかし周り漂う闇が邪魔し、更に段々と視界が掠れていく。
しかし、目に映る過去とは違い、その闇を見ていると今までの甲斐斗の過去が滲み出しているかのように映像となって様々な記憶が赤城の脳裏を駆け巡っていた。
「カイトが最強の力を手に入れた瞬間に俺達は生まれた。そのカイトの『心』の変化に応じてな。さ、帰るぞ。これ以上はお前の身も心も持たない───」
その甲斐斗の言葉を最後に、赤城の視界は突如闇に包まれた。
───目蓋を開けば薄暗い光はすぐに差し込んできた。
「よう」
目の前には甲斐斗が座っている、赤城が薄らと目を開けながらふと回りを見てみると、暗い空間ではなく、剣を触れる前の一室に戻ってきていた。
そして赤城は自分が剣を立て掛けていた壁を背にして座り込んでいるのに気づき、ようやく自分が元の世界に戻ってこれた事を認識する。
「まだ意識がハッキリしてないか、無理もねえ。ゆっくり休むことだな」
まだ虚ろな目をしている赤城に甲斐斗はそう言うと、赤城をベットに運ぼうと腕を伸ばした瞬間、突然赤城も腕を伸ばし甲斐斗を抱き締めた。
その余りにも思いがけない出来事に甲斐斗も驚きを見せ、赤城に抱き締められたまま何も言いだせず動けない。
「甲斐斗……」
耳元で名前を囁かれ緊張した面持ちの甲斐斗は黙って赤城の言葉を聞いていた。
「ありがとう……」
涙を流しながら囁いた赤城の一言に、甲斐斗も自然と自分の腕を赤城の体に回し抱き締めていた。
「おいおい、お前って奴は……」
今度はもっと力強く暖かい、二人は互いに抱き締めあい甲斐斗も赤城の耳元で囁き返した。
「……ありがとよ」
恐らく赤城は見てしまったのだろう、カイトが甲斐斗になる前までの記憶を。
不幸で退屈で、毎日が辛いのに、たった一つの光を見つめてきたカイトの小さな小さな思い出を。