煙草と白
周囲を白いもので囲われた、文字通り真っ白な世界。
そこに充満する消毒薬の匂いと、其れに混じる紫煙の独特な香りが何ともアンバランスなのだが、もう慣れてしまった。
無機質な世界は彼女を麻痺させる。
いや、彼もか。
「先生って、律儀」
ぽつりと彼女はつぶやいた。
彼が窓を開けて煙草を吸うので、剥き出しの肩はすっかり冷えている。それでも彼はこうして煙草を吸う時だけはベッドの奥にある小さな窓を開けるのだった。
寒さに思わず身じろぎする。洗いざらしの清潔なシーツが直に肌に触れる、このゴワゴワとした感じが彼女は好きだ。
この感触だけが、ここで感じるものごとで唯一正常だという気がしている。
「可笑しいか、」
彼は無表情で窓辺に立っている。
彼女はベッドに沈みながらその整った横顔に見惚れるばかりだ。
「いえ。そこが先生らしいところ」
ふふ、と彼女は笑うと目を閉じた。
しかしそれを彼は見逃さない。
「服を着なさい」
「誰も来ないもの。あと少しだけ、」
「駄目だ。約束しただろう」
彼女はむくれたが、渋々起き上がった。シーツにくるまったまま床に散乱した制服を拾い上げる。
「先生って意地悪だわ」
「ああ」
「どうせ何とも思ってないんでしょう」
「そうだ」
彼女は手早く制服を着てベッドの端に腰掛ける。スプリングがギシ、と軋む音がやけに大きく聞こえた。
それから暫く思案していたようだが、はあ、と大きく溜息をつく。かと思ったら急に大人びた表情になって、真っ直ぐに彼を見据えた。
「でも、いいの。もう」
彼は相変わらず窓の外に視線を投げたまま紫煙を吐き出していた。
気にせずに、そのまま話し続ける。
「いつかさようならしなきゃいけないって分かってたから。それが今日なだけ」
彼女はすっと立ち上がった。彼の目の前で止まり、見上げる。
アンニュイな顔をじっと見つめても、表情は読めなかった。
「ずっと、先生が何考えてるのか分からないままだった」
それでも彼女は淡く微笑む。
彼はこちらを見てくれないけれど。いや、微かに彼の双眸に色が浮かんだと思ったのは、勘違いなのだろうか。
彼は何も語らない。
「さようなら、先生」
そうして彼女は出て行った。この白い世界から。
部屋に残るかすかな彼女の匂いだけが、すべてを物語っていた。