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野苺の実る頃  作者: 海乃野瑠
第1章-ビアンカ
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1-3

緊張していてあまり食べられなかった為か、それとも知らない部屋で少々怖かったからか、その夜は良く眠れなかった。


父親の城では隣の部屋にずっと乳母が寝起きしており、ビアンカが怖くないようにと夜は部屋の間の小さな扉を開け放していたのだ。


子供の頃から楽天家で無鉄砲な性格だったが想像力が逞しく、その所為か夜は悪夢を見て目を覚ますことが頻繁にあったのである。


3人いた兄弟が幼いうちに相次いで亡くなり、その後母親を病で失ってから特に、皆死んでしまって一人ぼっちになってしまう夢を見るのだ。


父親と新しい妻との間にできた息子は、現在騎士見習いとして親戚の城に勤めている。


そのうち騎士となった男は妻を迎えるだろう。


だから、ダ・ラ・テュルカ家の血は途絶えない。


そう分かっていても、何故か夢を見ることは避けられなかった。


だが、あの夜の天使様は脆い人間とは違い不死身に見えた。


美しい少年への憧れの気持ちもあったが、それよりもあの夜に感じた安堵の気持ちをもう一度感じたかった。


天使様の妻となったら一生不安になることはなくなるだろうと思えたのだ。


ビアンカはシーツの中で膝を抱えて丸くなった。


トクトクと自分の心臓の音が聞こえる。


こうすると落ち着くのだ。


母上も父上の所にお嫁に来た時はこんな気持ちだったの?


尋ねることもできないうちに母上は天に召されてしまった。


今は雲の上で本物の天使様達と一緒に暮しているのだ。


……………………………………………………………………………………


いつの間にか眠っていたらしい。


「お目覚めですか? 」


侍女の声にビアンカは目を擦りながらベッドから滑り降りた。


このベッドが高過ぎるっていうのもあるわ。


私は寝相が悪いからぐっすり眠っていたら絶対落っこちていたもの。


欠伸をしながら着替える。


侍女が雨戸を開くと明るい朝の光が澄んだ空気と共に入って来た。


開いた窓のガラス板に光が反射してキラキラ光っている。


ビアンカは大きく伸びをすると、侍女が水差しから平たい陶器の器に注いだ冷たい水で顔を洗った。


侍女の差し出す布で顔をゴシゴシ擦りながら思った。


ちゃんと目を覚まさなきゃ。


今日こそ天使様に会えるのだから……




父親に付き添われて向った大聖堂の門の前で、初めてビアンカは夫となる男の姿を見た。


馬から下りた男は手綱を召使に渡し二人の方に近付いて来た。


空色と白の衣装に身を包み羽飾りのついた洒落た帽子を被っている。


軍人らしく髪は耳の辺りで切られているが、全体的にすらりとして身軽そうだ。


ビアンカは慇懃な態度で父親に挨拶をする男を見ながら思った。


天使様は全然変っておられない。


どこで出会っても直ぐに分かっただろう。


少女は頬を染めてうっとりと彫刻のように調った男の顔を見上げた。


花婿は少しばかり面食らったような顔をしたが、直ぐに唇に微笑を浮かべるとビアンカに手を差し出した。


あの夜よりもずっと大きな手だった。


私の一生を預ける逞しい手……


その手を握りながら胸が苦しくなりそっと息を吐いた。


男が顔を覗きこむようにしたので、ビアンカは赤く染まった顔を上げて微笑んだ。


この人にどこまでもついて行く……


やがて助祭と聖歌隊の少年を従えた司祭が姿を現した。


司祭が聖水を二人に振りかけ、ラテン語で祈りの言葉を語り始めたが、ビアンカには何も見えず何も聞こえなかった。


彼女の頭にあるのはただ一人隣に並ぶ男だけだったのである。


あの夜のことがありありと目に浮かぶ。


あの時も山犬を退治してから、この方はこのように背筋をしゃんと伸ばして立っていた。


月明かりが美しい顔に陰を作って…………


…………………………………………………………………………………………………………


耳に入った男の声にハッとして辺りを見回すと丁度司祭がビアンカの方を向いたところだった。


「ビアンカ・ダ・ラ・テュルカ、汝は……」


肝心な時に気を失ってしまうんではないか、ちゃんと声が出せるかと心配で頭の中が空っぽになった。


司祭が口を噤むのを見て、震えながら少女は答えた。


「はい」


夫婦を祝福する祈りの言葉が続き、ビアンカ・ダ・ラ・テュルカはビアンカ・モンタルディとなった。




侍女に長い髪を梳ってもらい、手触りの良い絹でできた頭巾を被った娘はベッドの中に座っていた。


震える肩を自分自身で抱き締めながら、暗闇の中で花婿の訪れを待っていた。


だが、いくら待っても夫は部屋に現れなかった。


父親の城を出る前にエレナに言われたことを思い出してみる。


夫婦の間になされるべきことがなかった場合、それは白い結婚と呼ばれ離縁の原因になると聞いた。


まさか、私の顔を見て結婚したくなくなってしまったんじゃないのかしら?


あの夜から全然成長していないとでも思ったの?


聖堂の前で初めて顔を見たとき、どことなく余所余所しく感じたけどやはり嫌われてしまったのだろうか?


そう思うと段々不安になってきた。


急用でもできたのだろうか?


多分そうだろう。


そうに違いないわ!


今夜はそう思っていた方が良いだろう。


朝になったら旦那様を探して確かめてみよう。


好きな人と結婚したばかりなのに、離縁されてしまうなんてとんでもないわ。


ビアンカはそう決心するとベッドに身を横たえてシーツを顎まで引っ張った。


エレナに教わって丁寧に刺繍をしたシーツだ。


今夜はちゃんと眠らないと駄目だ。


ちゃんと眠って美しい顔でにっこり笑うのだ。


聖母様、どうか明日全てがうまくいきますように……


暗い部屋の中で乙女のままの花嫁は祈りの言葉を呟いた。




しかし、翌日起きてみると辺りは旅立つ人々の準備で騒がしかった。


ビアンカは父親に別れを告げた。


多分、この世で会うことは二度とないだろう。


悲しかったが、既に故郷の城に懐かしいものを沢山残してきたのだ。


「エレナに宜しくお伝えください。私は元気ですって。幸せになりますって」


少しばかり零れてしまった涙を掌で拭いながら、にっこり笑ってそう言った娘に父親は黙って頷いた。


見慣れた騎士達に守られ城を後にする父を暫く見送っていたビアンカは傍に控えていた侍女に尋ねた。


「ジョルジオ様は? 」


「戦場にお戻りに」


侍女の指差す方を見ると丁度夫が乗る馬を召使が引いて来たところだった。


慌ててそちらに駆け寄って既に馬に跨った男を見上げた。


「ジョルジオ様、どうかご無事で! 」


それだけ伝えるのが精一杯だった。


男は頷いて兜を被ると兵を従えて城門を出て行く。


運命は何て皮肉なのだろう?


結婚したのに一度も夫婦らしい会話もなく、今度はいつ会えるのかさえ分からない。


跳ね橋に響いていた蹄の音が聞こえなくなると、ビアンカは溜息を吐いて主塔の方に戻り始めた。


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