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野苺の実る頃  作者: 海乃野瑠
第1章-ビアンカ
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「何と美しい花嫁でしょう!! 」


花嫁が中庭に姿を現すと辺りには感嘆の溜息が漏れた。


ある者は前掛けを目に押し当てている。


「姫様、末永くお幸せに!!! 」


乳母のエレナの声にビアンカは目を潤ませ女の首に抱きつくと、子供の頃のように皺の寄った柔らかな頬に接吻した。


金糸で刺繍を施し宝石をあしらった豪華な婚礼衣装に身を包んだビアンカは城の騎士の手を借りて馬上の人となった。


栗色の髪は綺麗に梳られて背中に流れ、頭の周りには薔薇と蔦で作った花輪が巻かれている。


先頭には紋章を入れた旗を掲げる兵にラッパを吹き鳴らす小姓が進み、その後から20人の騎士に守られた城主とその娘が続く。


一行は城門を出ると堀に架かる跳ね橋に蹄の音を轟かせ、城下町を並足で進んだ。


町の外れの城壁を越えると野苺の実る森を抜け、速足に切り替えて湖の傍にあるモンタルディの領地を目指した。


既に花嫁の荷物は婚礼祝いの葡萄酒の樽などと一緒に馬で5日かかる嫁入り先に届けられている。


ビアンカは馬に揺られながら辺りを見回した。


ここにはもう二度と来ることはないだろう。


住み慣れた城もよく散歩をした庭園も、苺狩りをした森も既に私の家ではないのだ。


さようなら、さようなら、懐かしい私の故郷。


もうすぐ私はモンタルディ家のものとなる。


愛する天使様の妻となるのだ。


木漏れ日に染まった花嫁は美しかった。


まるで御伽噺の姫君のように……




モンタルディの領地に向う途中、幾つかの町を通る。


そのうちゴシック風の教会が有名な比較的に大きなラッカの町には、モンタルディ家からの迎えの者が待機していた。


執事のパオロ・ケッザと名乗った尖った顎鬚を生やし額が禿げ上がった男は、服を泥で汚さぬように裾を絡げて頼りなげに立っている花嫁を不躾に頭から爪先までジロジロ見るとやっとビアンカの父親の方を向いた。


「公爵様が十字軍時代に共に剣を合わせて戦った仲とは言え、何故若様が公の亡き後もう何年も交際のなかったダ・ラ・テュルカ家の娘を嫁に迎えたいと強く望んだのか腑に落ちなかったのですが」


男は薄い唇を綻ばせた。


「確かにこのような美しい花嫁は見たことがありません。若様はご令嬢の類稀な美貌を耳にしたのでございましょう」


その夜、一行はその町に宿泊しモンタルディの支配下にあるロベルテ家のもてなしを受けた。


「花婿からの贈り物です。これは当家に伝わる指輪です」


そう言って蓋を開いた小箱を差し出したのは花婿の従姉だという女性で、道中ビアンカの世話を焼いてくれるとのことだ。


指輪は大きなルビーを小粒のダイアモンドが囲む豪華なもので、ビアンカの細い指には些か不似合いだった。


「そのうちお似合いになるようになりますよ」


バルバラという名のその女は指輪を元の小箱にしまいながら項垂れた娘を慰めるようにそう言った。


背が高く赤みがかった金髪を流行の形に結い上げ洒落た帽子を被り、胸元の開いた葡萄酒のような濃い赤の衣装を身に着けた女は美しかった。


彼女だったらあの指輪もさぞかし似合うだろうと思われる。


ビアンカは女に見えないように横を向いてそっと溜息を吐いた。


でも、天使様が美しいと思ってくださるなら、別に他の人には子供っぽく見えても構やしないわ!




馬は石を器用に避けながら山道を歩いて行く。


辺りは明るい緑色に包まれているが聳え立つ岩肌は青く頂上には雪が見えた。


時折、鳶が旋回する空は晴れ渡り、遠くの方にいくつか羊のような雲が浮かんでいる。


夏の日差しが眩しくてビアンカは頭の被り物を目の辺りまで引っ張った。


羊飼いの少女のように雀斑だらけにでもなったら大変だ。


本当のことを言うと、ビアンカ自身は日焼けしても一向に構わなかった。


それどころか窮屈な花嫁衣裳など脱ぎ捨てて、野菊の咲く野原を裸足で駆け回りたかった。


だが、男の人は日に当たらぬ白い肌を好むと言う。


誰にも太陽さえにも見せたことのない透き通るような青白い肌を。


その為に修道院にいる時から毎朝、特別に作られた乳液を顔や手に塗っていたのだ。


五日目の午後になって、やっと一行は湖の辺の町に着いた。


灰色の城壁には蔦が纏わり、門の両側には黒いスレート板で葺いた尖り屋根のついた塔が建っている。


鋭い穂先のついた槍を交差させた門番が執事の一言で槍を立てて両脇に避けた。


ダ・ラ・テュルカの城下町やラッカよりもずっと大きな町だった。


石畳が敷き詰められた道は広かったがどことなく殺風景だ。


そこまで来ると執事に同行してきたモンタルディの兵は一足先に花嫁の到着を知らせに城に向かった。


大聖堂の鐘が鳴っている。


何世紀か前の建物にゴシック式の尖塔が付け加えられ、正面の門も数年前に修復したばかりの美しい教会だ。


厳かな鐘の音を聞きながらビアンカはヴェールをそっと上げて辺りを見回した。


木の茂る丘の上に続く城壁は上の部分が鋸型になっており、木々の間から聳え立つ城の塔が見えた。


城には聖堂前の広場からぐるっと回って細い石畳の道を上って行かなくてはならない。


飾りをつけた花嫁の馬は先頭の旗を掲げた兵に続いて坂道に足を踏み入れた。




「こちらが奥方様の部屋となります」


案内された部屋には風呂が用意されていた。


「直ぐに湯浴みの用意をしますので」


ビアンカ付きになった侍女はそう言うと召使に湯を運ばせた。


天井が高い薄暗い部屋だ。


枯れた薔薇の花と蝋の匂いがする。


床はかなりの金をかけたと思われる寄木細工で作られている。


窓には珍しいことに色の違う小さな菱形のガラス板がはめ込んであった。


高く細いベッドにはずっしりとしたくすんだ緑色のビロードの天蓋がついている。


ベッドの足元には実家から既に届いている見慣れた長持ちがあった。


更に奥には小さな暖炉がある。


その他には自分の部屋にあったような彫刻を施した戸棚と礼拝用の低い机と安楽椅子があるだけだ。


ビアンカは荷物の中から母親の形見の金の十字架を取り出すと、ベッドの頭の所にかけてくれるように侍女に頼んだ。


自分の部屋に飾ってあった花や聖母様の絵や小さなタペストリーを持ってくれば良かったと悔やんだが仕方がない。


この城では部屋を飾り付けたりはしないのだろうか?


明日になったら花を摘んできて飾ればいいわ。


侍女に手伝ってもらい服を脱いだビアンカは暖かい湯の中に手足を伸ばした。


数日間の疲れが溶けるように湯の中に流れ出て行く感じがする。


木のささくれが皮膚を傷つけることのないように目の細かい麻の布を敷いた風呂桶には、柑橘類の皮が浮かべられよい香りが漂っている。


風呂から上がると、新しい肌着の上からモンタルディ家からもらった生地で作らせた衣装を身に纏った。


長い髪は侍女が梳り、一本の長い三つ編みにして背中に垂らした。


仕上げに金糸の刺繍をした髪飾りが額に巻かれた。


そして、ビアンカは侍女に付き添われ皆の待つ広間へと、松明を持つ召使の後から狭い螺旋階段を降りて行った。




広間には既に大勢の者が白いテーブルクロスを掛けたテーブルを囲んでいた。


「ああ、美しい花嫁さんだ」


中央に腰を下ろしていた白い髭の老人が席を立ち、気後れしているビアンカの傍に来た。


そして強い訛りで花婿の叔父だと自己紹介すると娘の腕を取り自分の隣の席に案内した。


反対側に座っている父親がビアンカの顔を見て頷いた。


初めは次から次へと目の前に現れ挨拶をする者達に会釈を返すのが精一杯だったのだが、そのうちにやっと広間の様子が見えてきた。


天井の高い広間の壁は松明の光に明るく照らし出される豪華なタペストリーに覆われているが、床は土のままで上に藁が敷いてある。


よく躾けられた猟犬が何匹かテーブルの下で客が与える骨を齧っていた。


テーブルの後ろには水差しを持った小姓が控え、杯が空になると怒鳴られる前に素早く葡萄酒を注ぐ。


目の前の大きな皿には子豚や鴨の丸焼きが油を滴らせており、客は皆それぞれ自分のナイフで好みの部分を取り分けていた。


そっと葡萄酒を口に含みながらビアンカは辺りを見回すが、父親以外に知っている顔はなかった。


天使様はどこにいるのかしら?


花婿のいない結婚式とは妙なものだと思っていると隣の男が説明してくれた。


所々方言を交えた言葉は聞き取りにくかったが大体の意味は理解できた。


花婿は戦場にいる為、今夜はこの席には出ることができないが、明日には戻って来て予定通り大聖堂で式を挙げられるとのことだった。


では、明日にならないと天使様には会えないの。


がっかりしたが、同時に少しばかりホッとしていた。


だって、こんなに大勢の人がいて皆私のことを見ていて、その上天使様までいたらどうにかなってしまっていただろうから。


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