弁論部合宿の紀行文
Start Up
朝、自転車で家を出て、池袋駅へとひた走る。家を出た時間が予定より10分ほど遅れたので、遅刻をしてしまうかも知れない、と不安だったからだ。駐輪場に自転車を止めた頃には、全身に汗をかいていた。
池袋駅から山手線で新宿駅へ。そこから更に甲府駅へと向かうのだが、乗るべき電車の発車時刻の45分前には既にホームに着いてしまった。いくらなんでも早過ぎではなかろうか。遅刻するかとも思ったが、どうやら杞憂だったらしい。
今回の合宿の目的は、文化祭で発表する予定である〈石橋湛山〉、彼の育った街である甲府へと赴き、彼についての様々なことを調べに行くというものである。
武田信玄像と甲府城址
そこから更に一時間半ほどで甲府駅に到着。まずは甲府駅南口から徒歩数分のところにある武田信玄像を見てから、同じく徒歩数分のところにある甲府城址を見学。その昔大火で焼けてしまったとのことで、残っていたのは石垣などのみだった。しかし、一番高い場所から見た景色はとても素晴らしいものだった。
山梨平和ミュージアムと石橋湛山記念館
その後昼食を食べてから山梨平和ミュージアム(石橋湛山記念館)に向かい、見学。今回の合宿のメインイベントその1である。ここは一階部分が山梨平和ミュージアム、二階部分が石橋湛山記念館と分かれている。まず一階部分を見学した。そこには、旧日本軍のヘルメットや甲府爆撃時に残されていた焼夷弾の残骸、本物の弾丸や弾帯などの様々な展示品や、〈甲府大空襲の被害者名簿〉や〈戦略爆撃の歴史〉等のパネルなど、とても興味深い展示が多数あった。館長の浅川さんという方が解説をして下さった。
その後、一通り見て回った後、階段を上って二階部分の石橋湛山記念館へと向かう。そこでも浅川さんが解説をして下さった。石橋湛山記念館の方には、湛山の幼少期の写真や彼の中学校時代の作文、東洋経済新報という雑誌(現在も「週刊東洋経済」という名前で続いている)に掲載された彼の書いた文等がパネルになって掲示されていた。湛山の子供時代のエピソードなど、今まで知らなかった細かな資料がたくさんあった。
甲府第一高等学校
今回のメインイベントその2。この甲府第一高等学校はその昔、山梨県尋常中学校と言い、石橋湛山が学生の当時に通っていた学校だ。小学校を本来より飛び級で四年早く卒業した湛山は、この山梨県尋常中学校へと進学した。一年次と四年次の二回落第し、七年かかって同校を卒業している。この合計二年の落第がきっかけで、湛山は彼が;卒業する前年に赴任してきた大島正健校長(札幌農学校にて直々にクラーク博士の教えを受けた一人)と出会い、湛山は「大島校長に会うことにより、クラーク博士の話を聞き、なるほど真の教師とはかくあるものかと感動した」と述べている。
さて、甲府第一高等学校に到着すると、その学校のOBであり同窓会長である大西さんが出迎えてくれた。そして、大西さんの案内で甲府第一高等学校を見学して廻った。資料室へと案内してもらい、そこで石橋湛山の全集や旧山梨尋常中学校時代からあった欄干部分(改築の際に外されてしまったとのこと)を見せてもらったり、校長室へと案内してもらって、旧山梨尋常中学校時代からの歴代の校長の肖像画(20〜30枚ぐらいあった気がする)や高名な画家(卒業生)の手による大きな水墨画風の鯉の絵など、校長室にあった様々なものを見せていただいた。その後視聴覚室へと案内してもらった。そこには、歴代の卒業生の中でも特に有名になった人たちに関するパネルが掲示されていた。石橋湛山はもちろんのこと、「日本の地下鉄の父」と呼ばれる早川徳次、東京タワーや通天閣などを設計した建築家の内藤多仲など、合計で15枚ほどあった。そこで石橋湛山についての様々な話を大西さんから伺った。1日目の行程終了。
長遠寺
朝ホテルを出てまず最初に向かったのは、青年期を湛山が過ごしたという長遠寺。朝九時ぐらいだったからか、人も殆どいない。静かだ。境内から見て右側に南アルプス山脈が見え、景色も良好であった。境内から外れて少し横道に逸れると、石橋湛山に関する石碑があった。ここから甲府まで10kmほど離れており、湛山は甲府中学校時代、毎日この距離を通っていたことになる。徒歩で毎日10kmというのは、かなり大変なことだと思った。
山梨県立美術館
その後、どうせ甲府まで来たのだからと、山梨県立博物館へ。「種をまく人」や「落ち穂拾い」等、ミレーの絵画を数多く擁する美術館である。そこで2時間ほど過ごした。ちょうど企画展「ムーミンと仲間たち―作家トーべ・ヤンソンからのおくりもの―」をやっていたので、それも楽しんだ。
山梨平和ミュージアム(二回目)
再び山梨平和ミュージアムへ。石橋湛山について前日メモしきれなかった部分を追加でメモしたりした。受付のおじさんにまた来たの?みたいな顔をされたのも良い思い出。
Ending
甲府駅から行きとは逆に新宿駅へ。そこそこ空いていたので先輩と2人並んで腰掛けることが出来た。そして、特筆する事もなく帰宅した。