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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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糸 ~呪い返し~

作者: 不動坊多喜
掲載日:2026/02/23

 玄関のドアが開く音がした。荒々しく荷物を下ろす音がそれに続く。そして、ドアが勝手に閉まる時の大きな音。

「ああ、疲れた」

 母の声には、いつものような張りがなかった。

 台所で水を飲んでいた僕は、気になって顔を出した。

 母は、上がりかまちに座り込んだまま、左手で右の肩をもんだり、右腕を回したりしている。どんな重い物を買ったのだろう?

「お帰り。荷物、運ぼうか?」

 声をかけると、振り向いて力なく微笑んだ。

「助かるわぁ」

 廊下に出て、買い物袋を下げる。驚くほど、軽い。

 僕は、振り返って母の背中を見つめ直した。そして、気づいた。

 細い、細い糸が、右肩から伸びている。

 赤黒い色は、呪いだ。


「ここ座ってよ。マッサージしてあげる」

 食卓の椅子に母を座らせ、肩をもむ。仕上げに糸をはずし、左手の人さし指に巻き付ける。

「あー。すっとした」

 伸びをする母に尋ねる。

「何か、嫌なことあったんじゃない。そんな顔してるよ」

「分かる?」

 そう言って話し始めた。


「ほら、雨が降ってきたから、傘をさしたのね。そしたら、丁度人が来て」

「当たったの?」

「そう。振り返ったとたん」

「相手は、けがしたの?」

「それはない。けど、傘が壊れたの。それで、近くのコンビニで新しいのを買って弁償したんだけどね……。死んだ方がいいんじゃない、って言われて」

「傘が壊れただけで?」

「そう。道の真ん中で周囲の確認もせず傘を開くような大人は、死んだ方がいいんじゃない、って。ものすごい勢いで、何度も」

「言い返さなかったの」

「だって、悪いのはこっちだし。ビックリしたけどね。死んだ方がいいんじゃないなんて、あんなに簡単に言えるって、どんな育ち方をしたのかって思うと、可哀相になって」

 自分に呪いをかけた相手に同情して、どうなの? って言いたい。が、それが母だ。この鈍感さと強さのおかげで、肩こり程度ですんでいる。気の弱い人なら、この程度の呪いでも本当に死んでしまう。


 それにしても、どんな奴だろう。

 母に呪いをかけた奴をこのまま済ます気はなかった。

「そういや、僕も欲しいものあったんだ。ちょっと出てくる」

「雨、まだ降ってるよ」

「大丈夫。周囲に気をつけます」


 人さし指を立てたまま、左手で傘を持つ。細い糸を切らないよう右手でつまみ、指に巻き付けながら辿る。

 僕は、人が口にした言葉が色として見える力を持っている。

 呪いの言葉は、ほぼ、赤黒い色をしている。思いが強いほど粘着力があって、かけられた人にへばりつく。

 しかし、こんな風に糸を引くのは、あまり見たことがない。よほどしつこい性格なのだろう。


 交差点のコンビニ前に男はまだいた。母が買った五〇〇円の白いビニール傘を右手に、左手のスマホを見つめている。

 男に近づいたとき、僕は本気で驚いた。たくさんの糸が四方八方に広がっていたからだ。まるで蜘蛛の巣だ。そして男は、巣の真ん中で虫を待つ蜘蛛だ。

 僕は母のように親切な人間ではない。けれど、思ってしまった。

 こんなに簡単に人に呪いをかけられるなんて、どんな人生を送ってきたのだろうかと。

 この男は、自分の吐き出す呪いに気づいていない。自分の発する言葉の重大さに気づいていない。だから、簡単に人を呪う言葉を口にできる。


 僕は、男から少し離れて、糸を集めながら周りを歩いた。右手でつまんで、引っ張って切る。それを左手で握り込む。束ねると、それらは結構な太さになった。

 一つ一つの呪いは細くて小さい。けれど、束になるとどうだろう。

 左手薬指に巻き付けてあった糸を解き、束ねた糸を一つにまとめる。そして、男に声をかけた。

「失礼、背中に糸くずがついてますよ」

「あーん?」

 くちびるを歪めるようにして、男が振り返る。

「あ、動かないで。取りますよ」

 何もない背中をはたき、糸の端を貼り付ける。束が背中にぶら下がる。

「取れましたよ。お気をつけて」

「はーん」

 ありがとうとも言えない男は、スマホを見ながら信号を待つ。その言葉があれば、態度があれば、僕の行動や気持ちが変わったかも知れない。

 けれど、無かった。

 だから、僕が後悔の念に駆られることもないだろう。


 僕はコンビニに入り、レジに並んだ。

 唐揚げを注文し、お金を払い、出口に向かう。自動扉が開くと同時に、男の声が飛び込んできた。

「死んだ方がいいんじゃない」

 隣で信号待ちしていた女性の傘の先が、男に当たったようだ。女の人が怯えたように男を見上げている。見下すように、男はもう一度、呪いの言葉を口にする。

「死んだ方がいいんじゃない」

 束ねた糸が、共鳴する。

『死んだ方がいいんじゃない』

 その言葉は、男にも聞こえたようだ。顔を上げ、振り返った。その背中を、共鳴した糸が引っ張る。男が、背中から道路に倒れ込んだ。

 信号はまだ赤。急ブレーキの音。女性の悲鳴。人々のざわめき。ワンコインの白い傘が、赤い弧を引いて止まる。

 そんなすべてに背を向ける。


「思った以上に早かったな」

 まだ熱い唐揚げを一つ口に放り込み、言葉と一緒に噛み締めた。


 お読みくださり、ありがとうございます。評価、感想等、よろしくお願いします。

 その昔、雨の日、人を見送り、振り返った拍子にぶつかった相手の傘を壊してしまいました。「死んだ方が良いんじゃない」と何度も言われ、どんな育ち方をしたのかと本気で可哀相に思いました。しかーし、時がたつとだんだん腹が立ってきて、小説の中で呪い返ししちゃいました。人間の心は、マジ、ホラーです。神様、こんな私をお許しください。

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