捨てられ村娘は、最弱から最強へ――裏切りと愛が交差する勇者の旅
第1章 星紡ぎの少女
山と森に囲まれた小さな集落、ルーエ村。
王都から馬車で三日、魔獣もほとんど出ない平和な土地で、少女アーリアは今日も工房の奥で糸を紡いでいた。
「……あれ? また光ってる……?」
指先で撚ったばかりの銀白色の糸が、かすかに淡い光を帯びている。
まるで夜空の星屑を閉じ込めたように、静かにきらめいていた。
アーリアは慌てて糸を布で覆った。
「だめだめ……また変なの作っちゃうと、親方に怒られる……」
この光る糸は、彼女が“集中しすぎた時”にだけ生まれる。
理由は分からない。
教えられた通りに作っているだけなのに、なぜか普通の素材とは違うものになってしまうのだ。
アーリアは星紡ぎ師見習い。
星力を宿す素材を加工し、装飾品や道具を作る職人の卵だった。
もっとも、彼女自身は自分を「ただの田舎娘」だと思っている。
「失敗しないように……失敗しないように……」
小さく呟きながら、糸を織り機に通す。
今日の課題は、護符用の布を一枚仕上げること。
星紡ぎ師としては初歩中の初歩だ。
だが――。
カタン。
織り機が軽く鳴った瞬間、布全体がふわりと輝いた。
「え……?」
アーリアは目を瞬かせる。
布には細かな星模様のような光の筋が浮かび上がり、すぐに消えた。
「……また、やっちゃった……」
ため息をつく。
前にも似たようなことがあった。
作った手袋が異常に暖かくなったり、靴がやたら丈夫になったり。
だが、彼女はそれを「たまたま出来が良かっただけ」と思い込んでいた。
自分に特別な才能があるなんて、考えたこともない。
「よし……気を取り直して、仕上げよう」
そう言って、布を丁寧に畳んだ。
そこへ――。
「アーリア、まだ終わらないのか?」
工房の入口から、低い声が響く。
親方のガイドンだった。
灰色の髪を後ろで束ねた、理論派で厳格な職人だ。
「す、すみません! もうすぐです!」
アーリアは慌てて立ち上がる。
ガイドンは布を一瞥し、わずかに眉をひそめた。
「……妙だな」
「え?」
「この星力の流れ……安定しすぎている」
「そ、そうですか……?」
意味はよく分からない。
とりあえず、にこっと笑ってごまかす。
ガイドンはしばらく布を観察した後、小さく息を吐いた。
「……いや、いい。提出してこい」
「は、はい!」
アーリアは胸をなでおろした。
怒られなかった。それだけで十分だ。
工房を出ると、夕焼けが村を包んでいた。
赤と紫が混ざった空は、まるで巨大な宝石のようだった。
「今日もきれい……」
アーリアは空を見上げながら歩く。
この村が好きだった。
静かで、穏やかで、誰も競わない場所。
自分のような平凡な少女には、ちょうどいい。
――そう思っていた。
その時。
「……?」
倉庫の裏から、かすかな物音が聞こえた。
ぴちゃ。
ぴちゃ、と何かが動く音。
「……猫?」
恐る恐る近づく。
すると、木箱の陰で――奇妙な生き物がもぞもぞしていた。
スライムのようで、金属のようで、布のようでもある。
「な……なに、これ……?」
それは、箱の形に変形したり、また元に戻ったりしている。
――ミミックだった。
だが、アーリアはそんなことを知らない。
「迷子……?」
そっと近づくと、ミミックはぴたりと動きを止めた。
次の瞬間。
ぴょん。
小さく跳ねて、彼女の足元に転がってくる。
「えっ!? ちょ、ちょっと……!」
アーリアは慌ててしゃがみ込んだ。
ミミックは、まるで甘えるように身体を寄せてくる。
「……ついてくる気?」
不思議と怖くなかった。
むしろ――。
なぜか懐かしい感じがした。
「……仕方ないなぁ」
彼女は小さく笑った。
「今日はうちに来る?」
ミミックは、ぷるんと震えた。
それは、肯定の合図のようだった。
この小さな出会いが、
やがて王都を揺るがす運命の始まりになることを――
まだ、誰も知らなかった。
第2章 小さな同居人
ミミックと名付けるべきかどうかも分からないまま、アーリアはその不思議な生き物を抱えて家に戻った。
「……重くないのが不思議」
見た目は金属と布と粘体が混ざったようなのに、重さは羽のように軽い。
腕の中で、ぷるぷると震えている。
「寒いのかな……?」
アーリアは自分の上着を少しずらして包んでやった。
すると、ミミックは嬉しそうに小さく伸びた。
……ように見えた。
「反応あるんだ……かわいい」
自覚なしでとんでもない生物を拾ってきているが、本人は完全にペット感覚である。
自宅は工房の裏にある小さな木造家屋だ。
台所、寝室、作業机だけの質素な住まい。
「ここが私の家だよ」
床に下ろすと、ミミックはきょろきょろと周囲を見回した。
そして――。
ぽん。
小さな木箱に変形した。
「えっ」
次の瞬間、今度は椅子の形に。
「ちょ……ちょっと待って……!」
さらに棚、クッション、布切れと、次々姿を変える。
「すご……なにそれ……」
アーリアは呆然と見つめた。
だが怖さよりも、好奇心が勝つ。
「……便利かも」
この一言である。
ミミックはぴたりと止まり、また元のぷるんとした姿に戻った。
どうやら「椅子役」は却下されたらしい。
「ごめんごめん。無理させないよ」
そう言って、机の横に小さな布を敷く。
「ここ、どう?」
ミミックは、ゆっくりとその上に乗った。
満足そうだった。
その夜。
アーリアは作業机で、簡単な護符作りに取りかかっていた。
「今日の課題……ちゃんと復習しないと」
星糸を取り出し、慎重に編み込む。
すると――。
机の横で、ミミックがじっと見ていた。
「……見てて楽しい?」
ミミックは、ぴこっと揺れた。
「……たぶん、うんだね」
アーリアは微笑み、作業を続ける。
やがて、護符が完成した。
淡く、穏やかな光を放っている。
「……あれ? また?」
本来なら、こんなに安定した星力は出ないはずだった。
だが、今では少し慣れてしまっている。
その時。
ミミックが、そっと護符に触れた。
――ぱぁっ。
光が一段階、強くなった。
「えっ!?」
慌てて引き離す。
護符は、まるで生き物のように脈打っていた。
「……なにこれ……」
翌朝。
村の市場で、その護符を試した老婆が言った。
「これ、腰の痛みが消えたよ……!」
周囲がざわついた。
「普通の護符じゃないぞ……?」
「誰が作ったんだ?」
アーリアは、そっと後ずさった。
「……たまたまです……」
必死の言い訳。
だが、噂は広がっていく。
数日後。
工房に、一通の封書が届いた。
封蝋には王家の紋章。
「……え?」
ガイドンが開封し、目を見開いた。
「……王都からの招待状だ」
「お……王都!?」
アーリアは固まった。
平凡な村娘の人生に、
確実に異変が起き始めていた。
そしてその夜。
ミミックは、いつもより彼女の傍から離れなかった。
まるで――
これから訪れる嵐を、知っているかのように。
第三章:夜営と心の距離
森を抜けた一行がたどり着いたのは、小さな湖のほとりだった。 水面は夜の気配を映し込み、淡く揺れている。遠くで虫の声が響き、昼間の緊張とは別の静けさが広がっていた。
「今日はここで休もう」
ガイドンの一言で、全員がほっと息をつく。
ガバドンはすぐに薪を集めに行き、セシルは水を汲みに向かった。ミミールは荷物を広げ、簡易的な結界装置を設置し始める。
アーリアはその様子を眺めながら、焚き火の準備を手伝った。
「こうして見ると……みんなすごいな」
自然に役割分担ができていることに、改めて感心する。
やがて火が灯り、橙色の光が辺りを照らした。
パチパチと薪が弾ける音が、心地よく響く。
「はい、温かいよ」
セシルが差し出したのは、薬草を煮出したお茶だった。
「ありがとう」
両手で包み込むと、じんわりと温もりが伝わってくる。
今日の戦いの疲れが、少しずつ溶けていくようだった。
しばらくは他愛ない会話が続いた。
「昔さ、俺はこんな森で三日も迷ったことがあってな」
ガバドンの話に、皆が笑う。
「三日も!? よく生きてましたね」
ミミールが驚くと、ガバドンは胸を張った。
「気合だ!」
その単純さに、さらに笑いが起こる。
アーリアは、その輪の中にいる自分が少し不思議だった。
ほんの数日前まで、こんな時間を過ごすことなど想像もしていなかったのに。
ふと、焚き火の向こうでガイドンと目が合った。
彼は静かに微笑み、近くに腰を下ろす。
「……無理してないか?」
低い声で、そっと尋ねられた。
「え?」
「怖いだろ。初めての旅だ」
一瞬、言葉に詰まる。
本当は、怖い。 夜の森も、魔物も、先の見えない未来も。
でも――。
「……怖いです。でも、逃げたくない」
正直な気持ちだった。
「ここに来てから、初めて自分が生きてるって感じがして」
ガイドンは少し驚いたように目を見開き、やがて静かに頷いた。
「そうか。なら、俺たちが支える」
その言葉は、何よりも心強かった。
少し離れた場所では、ミミールが古い書物を広げていた。
「やはり、この地域には古代遺跡が存在する可能性が高いですね」
「遺跡?」
アーリアが聞き返す。
「ええ。異変の中心は、おそらくそこです」
セシルが不安そうに眉をひそめた。
「危なくないのかな……」
「危険はあるでしょう。しかし、放置すればもっと被害が広がる」
ミミールの言葉は冷静だった。
話を聞きながら、アーリアは胸の奥がざわつくのを感じた。
(私……ついていけるのかな)
そんな不安が、再び顔を出す。
夜も更け、空には満天の星が広がった。
湖面に映る光は、まるで別の世界のようだった。
アーリアは毛布にくるまりながら、星空を見上げる。
「……私ね」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「ずっと、何もない人生だと思ってた」
誰に向けたともなく発した言葉だったが、仲間たちは静かに耳を傾ける。
「毎日同じで、変わらなくて。それが安心だった」
「でも、どこか寂しかった」
焚き火の音だけが響く。
「今は……怖いけど、楽しい。初めて、未来が見える気がする」
セシルがそっと手を握った。
「アーリアは、ちゃんと強いよ」
「うん。俺もそう思う」
ガバドンが大きく頷く。
ミミールも微笑んだ。
「成長速度は、驚くほどです」
ガイドンは空を見上げながら言った。
「この旅は、きっと長くなる」
「だが……後悔はさせない」
その言葉に、アーリアの胸が熱くなる。
「……ありがとうございます」
涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえた。
この場所に、この仲間たちに出会えたこと。
それだけで、ここまで来た意味があった。
やがて交代で見張りを立て、皆は眠りについた。
アーリアは目を閉じながら、静かに誓う。
(私、もっと強くなる)
(この人たちと、一緒に最後まで行く)
湖畔の夜は、穏やかに更けていった。
この夜に生まれた絆は、やがて大きな運命へとつながっていく――。
第四章:試作品が呼ぶ奇跡
翌朝、湖畔には淡い霧が立ちこめていた。
冷たい空気が肌を刺し、アーリアは小さく身震いする。
「さ、出発だ」
ガイドンの声に促され、一行は再び歩き出した。
今日の目的地は、古い採掘場跡だった。 そこでは近頃、不自然な魔力反応が観測されているという。
山道は険しく、足場も不安定だった。
「気をつけろよ!」
ガバドンが先頭で声を張り上げる。
アーリアは必死に後を追いながら、胸の中で何度も深呼吸した。
(落ち着いて……大丈夫)
しばらく進むと、岩肌にぽっかりと空いた洞穴が見えてきた。
「ここですね」
ミミールが地図と照らし合わせて頷く。
洞穴の奥からは、かすかに青白い光が漏れていた。
「……不気味だな」
セシルが小さくつぶやく。
中へ入ると、壁には古代文字のような紋様が刻まれていた。
「これは……星導文字です」
ミミールの声が弾む。
「相当古い文明の遺構ですね」
アーリアは、その紋様に不思議な親しみを覚えた。
(……なんだろう。懐かしい)
胸の奥が、微かに熱を帯びる。
奥へ進むにつれ、魔力の濃度は高まっていった。
突然、足元の地面が崩れる。
「きゃっ!」
アーリアの体が宙に浮いた。
次の瞬間、誰かに腕をつかまれる。
「離すな!」
ガイドンだった。
ガバドンも加わり、なんとか引き上げる。
「大丈夫か?」
「……はい。ありがとうございます」
胸が激しく鼓動していた。
さらに奥へ進むと、広い空間に出た。
中央には、砕けた水晶装置の残骸が横たわっている。
「これが、異変の原因かもしれません」
ミミールが慎重に近づく。
だが次の瞬間、装置が不気味に光り始めた。
「来るぞ!」
洞窟全体が揺れ、魔物の群れが姿を現す。
再びミミックも現れ、姿を変えながら襲いかかってきた。
「数が多い!」
セシルが叫ぶ。
戦況は次第に不利になっていった。
ガバドンは傷を負い、ミミールも魔力を消耗している。
(このままじゃ……)
アーリアは必死に考えた。
そのとき、鞄の中に入れていた小さな道具が指に触れた。
――星糸紡ぎの試作品。
旅に出る前、趣味で作った護符だった。
(これ……使えるかな)
迷う暇はなかった。
アーリアは護符を取り出し、強く握りしめる。
「お願い……力を貸して」
心の奥から、何かがあふれ出す感覚がした。
護符が眩しく輝き始める。
「な、なんだ!?」
光は空間全体を包み込み、魔物たちの動きを封じた。
次々と霧散していく敵。
やがて、洞窟は静寂を取り戻した。
皆、呆然と立ち尽くす。
「……アーリア、今のは?」
セシルが震える声で尋ねる。
「わ、私にも分からない……」
護符は、灰のように崩れていた。
ミミールは目を輝かせる。
「信じられない……即席触媒で、あれほどの出力を」
ガイドンは静かに言った。
「偶然じゃない。君の力だ」
アーリアは戸惑った。
「そんな……私は、ただ……」
「それでもだ」
ガイドンの視線は真剣だった。
「君には、特別な才能がある」
ガバドンも笑う。
「命の恩人だな!」
セシルはそっと抱きしめた。
「すごいよ、アーリア……」
胸が熱くなり、言葉が出なかった。
(私が……みんなを守った?)
初めて実感する、自分の力。
それは誇らしくもあり、怖くもあった。
洞窟を出ると、朝霧はすっかり晴れていた。
青空の下、アーリアは小さく拳を握る。
(この力……ちゃんと向き合わなきゃ)
彼女の中で、新たな覚悟が芽生え始めていた。
第五章:才能の正体と研究者の眼
山道を下りながら、一行の間には不思議な沈黙が流れていた。
洞窟で起きた出来事が、あまりにも衝撃的だったからだ。
アーリアは俯きがちに歩きながら、何度も自分の手を見つめていた。
(あの光……本当に、私が?)
まだ実感が湧かない。
セシルは何度もこちらを気にするように視線を向けていたが、声はかけずにいた。
やがて、麓にある小さな休憩所にたどり着く。
「今日は、ここで体を休めよう」
ガイドンの判断だった。
簡素な石造りの建物は、かつて鉱夫たちが使っていたものらしい。
中には古びた机と椅子、そして小さな暖炉が残っていた。
ガバドンはすぐに荷物を下ろし、大きく伸びをする。
「あ〜、さすがに疲れたな!」
ミミールは壁際に本を並べ始め、セシルは包帯や薬草を準備していた。
「ガバドン、ちょっと見せて」
「おう」
戦闘で負った傷を、セシルが丁寧に処置していく。
その様子を見ながら、アーリアは申し訳なさそうに呟いた。
「……私が、もっと早く動けてたら……」
「違うよ」
セシルは即座に首を振った。
「最後に助けてくれたのは、アーリアだもん」
ガバドンも豪快に笑う。
「そうそう! 命拾いしたぜ!」
だが、ガイドンだけは黙ったまま、じっとアーリアを観察していた。
やがて、全員が落ち着いた頃。
「……少し、話をしよう」
彼が切り出した。
アーリアの胸が、きゅっと締めつけられる。
「さっきの現象についてだ」
暖炉の前に座り、ガイドンは静かに語り始めた。
「君が使った護符は、構造的には未完成だった」
「普通なら、あんな出力は出ない」
ミミールも頷く。
「理論上、不可能に近いですね」
「でも、実際に起きた」
ガイドンの視線が、まっすぐアーリアに向けられる。
「理由はひとつだ。君自身が、触媒になっている」
「……え?」
意味が分からず、目を瞬かせる。
「アーリアは、“星紡ぎ適合者”だ」
初めて聞く言葉だった。
「古代文献にだけ記されている存在で、物に魂のような力を宿せる人間だ」
「極めて希少で、ほとんど伝説扱いされている」
アーリアは息を呑んだ。
「そんな……私が?」
「信じられないよね」
セシルが優しく言う。
「でも……今日のは、説明がつく」
ミミールは興奮気味に続けた。
「あなたの感情と魔力が、素材と共鳴していました」
「まさに理想的な融合です」
褒められているはずなのに、アーリアの心は晴れなかった。
「……もし、それが本当なら」
「私、危ない存在なんじゃ……」
沈黙が落ちる。
ガイドンはゆっくりと首を振った。
「力は、使い方次第だ」
「問題は……狙われる可能性があることだ」
「狙われる?」
「今日の遺跡は、偶然じゃない」
「誰かが、意図的に動かしている」
その言葉に、全員の表情が引き締まった。
「ナシス……かもしれない」
ミミールが小さく呟く。
「裏で古代遺物を集めている人物です」
不穏な名前に、空気が重くなる。
アーリアは、ぎゅっと拳を握った。
「……私のせいで、みんなが危なくなるなら……」
「そんなこと言わないで」
セシルが強く言った。
「私たちは、仲間でしょ?」
ガバドンも頷く。
「今さら離れねぇよ」
ガイドンは、少しだけ笑った。
「君がいるから、ここまで来られた」
「これからもだ」
その言葉に、胸が熱くなる。
「……私、もっと学びたいです」
アーリアは顔を上げた。
「この力を、ちゃんと使えるようになりたい」
「誰かを守れるように」
ミミールは満足そうに頷く。
「では、私が基礎理論を教えましょう」
「俺は実戦を担当する」
ガイドンが続ける。
「よっしゃ、特訓だな!」
ガバドンが拳を鳴らす。
セシルは微笑んだ。
「無理はしないでね」
暖炉の火が、静かに揺れていた。
その光の中で、アーリアは確かに感じていた。
――自分は、もう一人じゃない。
才能と向き合う覚悟と、仲間の支え。
それが、彼女を次の運命へと導いていくのだった。
第6章 仲間の誓いと新たな旅立ち
夜明け前の森は、まだ薄い霧に包まれていた。 小鳥のさえずりも遠く、静寂だけが辺りを支配している。
アーリアは焚き火の前に座り、膝を抱えて空を見上げていた。 昨夜の戦い、そして自分の中で目覚めた力のことが、頭から離れなかったのだ。
「……私、本当にやっていけるのかな」
小さくつぶやいた声は、霧に溶けて消えた。
その背後から、足音が近づく。
「珍しいな。アーリアがこんなに早起きとは」
ミミールだった。柔らかな笑みを浮かべながら、隣に腰を下ろす。
「眠れなくて……」
「そりゃそうだよ。あんな力、急に出たら誰だって不安になる」
ミミールはそう言って、温かいお茶を差し出した。
湯気とともに広がる香りに、アーリアの肩の力が少し抜ける。
「……ありがとう」
二人の前に、やがて他の仲間たちも集まってきた。 ガイドン、ガバドン、セシル、ティファニー、ヴァリキラー。 そして、木箱の姿をしたミミックも、ぎこちなく並ぶ。
「よし、全員そろったな」
ガイドンが腕を組み、真剣な表情で口を開いた。
「俺たちは、これからナシスと本格的に向き合うことになる」
その名を聞いた瞬間、場の空気が引き締まった。
「今までは偶然と成り行きだった。でも、これからは違う」
ガイドンはアーリアを見つめる。
「お前の力は、この世界を左右する可能性がある。だからこそ――」
「無理にとは言わない」
セシルが静かに続けた。
「ここで別れる選択も、俺たちは尊重する」
仲間たちの視線が、一斉にアーリアに集まる。
胸が締めつけられた。
怖い。 不安だ。 失敗すれば、皆を巻き込んでしまうかもしれない。
それでも――。
これまで共に旅をしてきた日々が、脳裏に浮かんだ。 笑ったこと。 助け合ったこと。 ぶつかり合ったこと。
全部が、宝物だった。
アーリアは、ゆっくりと立ち上がった。
「……私、逃げたくない」
震えながらも、はっきりと言葉を紡ぐ。
「怖いし、自信もない。でも……みんなと一緒なら、前に進みたい」
ミミールが微笑んだ。
「それでこそ、アーリアだよ」
「俺は最初から覚悟決めてるぜ」
ガバドンが豪快に笑う。
「命かける価値のある旅だ」
ヴァリキラーは無言でうなずき、剣に手を置いた。
「私は、あなたの夢を最後まで見届けたいわ」
ティファニーの声は、優しく力強い。
「……ガチャン」
ミミックも小さく音を立て、賛同を示した。
ガイドンは深く息を吸い、拳を差し出した。
「じゃあ、誓おう」
「俺たちは――」
アーリアは、その拳に自分の手を重ねた。
次々と、仲間たちの手が重なる。
「最後まで、一緒に進む」
全員の声が重なった。
その瞬間、不思議な温かさが胸に広がった。
まるで、見えない絆が結ばれたようだった。
遠くで、朝日が昇り始める。
霧が晴れ、新しい一日が始まろうとしていた。
「行こう」
アーリアは前を見据える。
「ナシスを止めて、この世界を守るために」
こうして、彼女たちの本当の旅が、ここから始まったのだった。
第7章 闇に蠢く者
重苦しい空気が、地下神殿を包んでいた。
天井から垂れる黒い結晶が、不気味な光を放っている。 床には古代文字が刻まれ、淡く赤い魔力が脈打つように流れていた。
その中央に、一人の男が立っている。
ナシスだった。
長い外套をまとい、冷たい瞳で祭壇を見つめている。
「……時は満ちつつある」
低く、かすれた声が響く。
その背後で、影が揺らめいた。
「計画は順調です、ナシス様」
名もなき配下の男が、ひざまずいて報告する。
「各地の魔力結節点は、すでに七割が掌握されました」
「ふん……遅いな」
ナシスは鼻で笑った。
「だが、問題ない。最後に必要なのは――“鍵”だけだ」
彼は、宙に浮かぶ水晶球へと手を伸ばした。
そこに映し出されたのは、旅を続けるアーリアたちの姿だった。
「……見つけたぞ」
唇が歪む。
「運命に選ばれし娘よ」
一方その頃。
山道を進むアーリアたちは、穏やかな日差しの中を歩いていた。
「しかし、静かすぎないか?」
ガバドンが周囲を警戒する。
「確かに……魔物の気配が薄い」
ヴァリキラーも低くつぶやいた。
ミミールは地図を見ながら首をかしげる。
「この辺り、本来なら魔獣が多いはずなんだけど……」
アーリアは胸元を押さえた。
理由のわからない不安が、心に広がっていた。
「……誰かに、見られてる気がする」
「え?」
ティファニーが驚いて振り返る。
「気のせいじゃないと思う」
その瞬間――。
森の奥から、黒い霧が噴き出した。
「来るぞ!」
ガイドンの叫びと同時に、無数の影が現れる。
黒狼型の魔物、シャドウハウンドだった。
「こんな数……!」
セシルが息をのむ。
「囲まれる前に突破する!」
ヴァリキラーが剣を抜き、先頭に立つ。
アーリアも杖を構えた。
胸の奥で、あの力が静かに脈打つ。
「みんな……行くよ!」
光が走った。
大地から噴き上がる魔力が、アーリアの足元を包む。
土と風が渦となり、敵を押し返す。
「すごい……!」
ミミールが目を見開いた。
「でも、無理しすぎないで!」
ティファニーが叫ぶ。
戦いは激しさを増していった。
やがて、最後の魔物が消え去り、静寂が戻る。
「……はぁ、はぁ……」
アーリアは膝に手をついた。
「大丈夫か?」
ガイドンが肩を支える。
「うん……でも……」
アーリアは空を見上げた。
どこかで、何者かに見られている感覚が消えない。
地下神殿。
水晶球に映る戦いを見ながら、ナシスは満足げに笑った。
「……やはりな」
「彼女は、想定以上だ」
背後の影が問う。
「排除しますか?」
「いや……まだだ」
ナシスはゆっくりと首を振る。
「熟すまで待つ。力が完成した瞬間に――奪う」
瞳に、狂気の光が宿る。
「それこそが、最も美しい絶望だ」
闇の奥で、彼の笑い声が静かに響いた。
知らぬ間に、運命の歯車は大きく回り始めていたのだった。
第8章「届かなかった想い」
霧が立ちこめる渓谷に、剣と魔力の衝突音が響き渡っていた。
「くっ……!」
アーリアは息を切らしながら、剣を握り直した。
目の前には、黒い鎧に身を包んだヴァリキラーの姿がある。その背後では、ミミックが不気味に形を変えながら蠢いていた。
「油断するな!」
ガイドンが叫ぶ。
「こいつら……強すぎる……!」
セシルが歯を食いしばる。
これまでの戦いとは、明らかに違った。
本気で――殺しに来ている。
「ミミール、支援を!」
「もう限界だよ……でも、やるしかない!」
光の結界が張られるが、ヴァリキラーの一撃で容易く砕かれた。
地面が抉れ、砂煙が舞う。
「ははは……これが“希望の一団”か?」
ヴァリキラーは嘲るように笑った。
「思ったより、脆いな」
「……黙れ!」
アーリアは前に出た。
恐怖で足は震えている。
心臓は、今にも壊れそうだった。
それでも――
退くわけにはいかなかった。
「みんなを……守る……!」
剣に魔力を込め、突進する。
しかし。
「甘い!」
ヴァリキラーの拳が、正確にアーリアの腹部を捉えた。
「――っ!」
衝撃と共に、体が宙を舞う。
岩壁に叩きつけられ、視界が白く弾けた。
「アーリア!!」
ティファニーの悲鳴が響く。
呼吸が、うまくできない。
(……まだ……終われない……)
必死に立ち上がろうとするが、膝が笑って言うことを聞かなかった。
その様子を――
遠く離れた岩陰から、じっと見つめる影があった。
ナシス。
彼は静かに、戦場を見下ろしていた。
「……無茶をする」
その声には、わずかな震えが混じっていた。
――ふと、記憶が蘇る。
まだ、彼が“正義”を信じていた頃。
雨の日の路地裏。
傷だらけで倒れていた少年の前に、一人の少女が立っていた。
『大丈夫? 動ける?』
差し出された、小さな手。
それが――アーリアだった。
彼女は、名前も知らない少年に、ただ微笑んだ。
『無理しないでね』
それだけ言って、去っていった。
たった、それだけ。
けれど。
ナシスの世界は、その瞬間、変わった。
(……あの人みたいに、生きたい)
誰かを疑うことなく。
誰かを見捨てず。
真っ直ぐで。
眩しかった。
しかし――
現実は、残酷だった。
優しさは、何度も踏みにじられた。
信じた仲間は、死んだ。
助けた人間に、裏切られた。
(無理だった……俺には……)
理想は、砕け散った。
残ったのは、歪んだ決意だけ。
「……守るためには、壊すしかない」
ナシスはそう、自分に言い聞かせてきた。
再び視線を戦場に戻す。
アーリアは、まだ立ち上がろうとしていた。
血に染まりながら。
「……どうして……」
ナシスの胸が、痛んだ。
「お前だけは……そんな顔、しなくていいのに……」
一方、戦場では。
「終わりだ!」
ヴァリキラーが巨大な魔力を集める。
「まずい!」
ガバドンが叫ぶ。
「このままじゃ……!」
その瞬間。
「ミミール、最大出力!」
「無茶だよ!」
「いいから!!」
眩い光が爆発し、攻撃をわずかに逸らす。
だが――完全には防げない。
アーリアは、仲間の前に立った。
「私が……受ける……!」
「アーリア、やめろ!!」
しかし。
そのとき。
空気が、歪んだ。
黒い魔力が、ヴァリキラーの背後を貫く。
「――なっ!?」
敵は呻き声を上げ、地面に崩れ落ちた。
「……撤退だ」
低く、冷たい声。
ナシスだった。
「作戦はここまでだ」
ミミックも形を崩し、霧の中へ消える。
ヴァリキラーは悔しそうに歯を噛みしめながら、退いた。
戦場には、静寂が戻った。
「……助かった……?」
セシルが呟く。
アーリアは、崩れるように座り込んだ。
遠くの岩陰。
ナシスは、最後にもう一度だけ彼女を見た。
(……生きろ)
(どうか……この世界に、負けるな)
唇が、わずかに動く。
「……アーリア」
届かない声。
届かない想い。
彼は踵を返し、闇へと消えていった。
仲間たちは、互いに支え合いながら立ち上がる。
「……まだ、終わってないね」
ティファニーが微笑んだ。
「うん……でも」
アーリアは空を見上げる。
なぜか胸が、締めつけられるように痛かった。
――誰かに、見守られていたような。
そんな、不思議な感覚とともに。
第9章「交わらぬ心」
夜の森は、異様なほど静かだった。
風の音すら、遠慮しているかのように弱い。
「……この先、何かいる」
ミミールが小さく呟いた。
アーリアは頷き、剣を構える。
胸の奥に、嫌な予感が渦巻いていた。
「気を抜くな。7章の件、まだ終わってない」
ガイドンが低く言う。
一行は、慎重に奥へ進んだ。
すると――
開けた空間に、一人の男が立っていた。
黒衣。
銀色の仮面。
そして、圧倒的な魔力。
「……!」
空気が、一瞬で張り詰める。
「やっと来たか」
低く、静かな声。
「あなたは……」
アーリアは一歩前に出た。
「ナシスだ」
仮面の奥で、彼は微かに目を細めた。
「……あなたが、黒幕?」
「そうだ」
迷いのない答え。
セシルが息を呑む。
「そんな……」
「引き返せ。これ以上進めば、死ぬ」
ナシスは淡々と言った。
「……どうして?」
アーリアの声が震える。
「どうして、こんなことを……」
ナシスは沈黙した。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……守るためだ」
「何を?」
「この世界を」
「それは……壊すことなの?」
問いかけに、彼は答えなかった。
「アーリア」
初めて、彼は彼女の名を呼んだ。
「……え?」
驚きに、目を見開く。
「な、なんで私の名前を……?」
一瞬の沈黙。
「……調べただけだ」
嘘だった。
何度も、心の中で呼んできた名前。
「私たちは、止める」
アーリアは剣を構えた。
「あなたが正しくても……誰かを犠牲にするなら、私は許せない」
その言葉が、胸に突き刺さる。
(……変わらないな)
昔と同じ。
真っ直ぐで、優しくて。
残酷なほど、眩しい。
「……来い」
ナシスは仮面を押さえ、剣を抜いた。
次の瞬間。
魔力と剣が激突する。
閃光が走り、地面が砕ける。
「くっ……強い……!」
ガバドンが吹き飛ばされる。
「集中して!」
ティファニーが叫ぶ。
アーリアは必死に斬りかかる。
「あなた……本当は……!」
「黙れ!」
初めて、声が荒れた。
「俺は……戻れない……!」
剣が交錯する。
火花が散る。
「……どうしてそんなに、苦しそうなの」
彼女の一言に、動きが鈍る。
「……っ」
「悪い人には、見えないよ」
その瞬間。
胸の奥で、何かが崩れた。
(やめろ……そんな目で見るな……)
「俺は……敵だ……!」
強烈な衝撃波が放たれ、全員が吹き飛ぶ。
煙が立ちこめる。
ナシスは荒い息をついていた。
「……次に会う時は……本気で殺す」
そう言い残し、闇に溶ける。
静寂。
アーリアは、その場に立ち尽くしていた。
「……悲しい目、してた……」
誰にも聞こえない声で、呟いた。
胸の奥に、小さな違和感を抱えながら。
第10章「真実の影」
朝靄に包まれた廃都は、ひどく静まり返っていた。
崩れた塔。
割れた石畳。
かつて人が生きていた痕跡だけが、無言で残されている。
「……気味悪いね」
ミミールが小さく呟いた。
「敵の拠点が近いはずだ」
ガイドンは地図を睨んだ。
アーリアは、胸の奥に引っかかるものを感じていた。
(……また、この感じ)
理由のわからない、不安。
そして――懐かしさ。
「アーリア、大丈夫?」
ティファニーが覗き込む。
「うん……ちょっと考え事してただけ」
嘘だった。
あの仮面の男の声が、頭から離れない。
優しくて。
悲しそうで。
「……敵影だ!」
セシルの声で、全員が身構える。
現れたのは、数体の魔獣だった。
「一気に片づける!」
ガバドンが突っ込む。
激しい戦闘の末、魔獣は倒れた。
その瓦礫の中で。
「……これ」
アーリアは、落ちていた小さなペンダントを拾い上げた。
古びた銀色。
裏には、かすれた文字が刻まれている。
『N』
「……?」
胸が、妙にざわつく。
「それ、敵の物じゃない?」
ミミールが覗く。
「でも……なんだか……」
見覚えがある。
どこで?
いつ?
――思い出せない。
一方。
地下神殿の奥。
ナシスは膝をつき、荒く息をしていた。
「……こんなはずじゃ……」
胸を押さえる。
魔力の暴走が、止まらなくなってきていた。
(……近づきすぎた)
(あいつに……)
アーリアの顔が浮かぶ。
「……知られたら……終わりだ」
彼は、古い箱を開けた。
中には、一冊の手帳。
ボロボロになった、日記だった。
『今日は、また話しかけられなかった』
『でも、笑ってくれただけで嬉しかった』
『アーリアは、やっぱり眩しい』
ページをめくるたび、胸が締めつけられる。
「……馬鹿だな、俺は」
小さく笑う。
「まだ……捨てられないのか……」
その頃、アーリアたちは廃都の奥へ進んでいた。
「ねえ……」
アーリアがぽつりと口を開く。
「私、ナシスって人……どこかで会った気がするんだ」
「え?」
ティファニーが目を見開く。
「それ、フラグじゃない?」
ガバドンが冗談めかす。
「冗談じゃなくて……」
胸を押さえる。
「声とか……目とか……懐かしい感じがして……」
ガイドンは黙っていたが、眉をひそめていた。
(……偶然じゃないな)
夜。
一行は廃墟で野営していた。
焚き火が、静かに揺れる。
アーリアは、一人で外に出た。
月を見上げる。
「……誰なの……あなた……」
そのとき。
背後で、草が揺れた。
「……来るなって言っただろ」
低い声。
振り返ると、ナシスが立っていた。
「……ナシス……!」
心臓が跳ねる。
「どうして……ここに……」
「……話がある」
仮面越しの視線が、真っ直ぐ向けられる。
「次に会ったら……俺は……」
言葉が、詰まる。
「……俺は……」
風が吹き、仮面がわずかにずれた。
月明かりに照らされて――
見覚えのある、横顔。
アーリアの脳裏に、過去の記憶が閃いた。
雨の日。
倒れていた少年。
差し出した手。
「……え……?」
唇が、震える。
「……もしかして……」
ナシスは、目を見開いた。
「……っ!」
――その瞬間。
爆音が響き、煙が立ちこめた。
「アーリア!!」
仲間の声。
視界が遮られる。
煙が晴れたとき。
そこに、ナシスの姿はなかった。
ただ、銀のペンダントだけが落ちていた。
アーリアは、それを握りしめる。
「……ナシス……」
胸の奥で、何かが静かに崩れていった。
第11章「真実の名前」
夜明け前の空は、薄い藍色に染まっていた。
廃都の一角。
崩れた神殿跡に、アーリアたちは集まっていた。
「……これ、どう思う?」
アーリアは、銀のペンダントを差し出した。
中央には、かすれた“N”の文字。
「敵のリーダーの物だよね」
ミミールが言う。
「でも……アーリア、なんか変じゃない?」
ティファニーが心配そうに見る。
「……うん」
アーリアは、小さく頷いた。
「私……思い出したの」
雨の日の記憶。
倒れていた少年。
怯えた目。
小さく震えていた身体。
「昔、助けたことがある……気がする」
「え?」
セシルが声を上げる。
「その子……ナシスかもしれない」
沈黙が落ちた。
「……マジかよ」
ガバドンが呟く。
「だったら……」
ガイドンは険しい表情になる。
「なおさら、放っておけないな」
その時。
空気が、歪んだ。
黒い魔力が、神殿を包み込む。
「……やっぱり、ここにいたか」
聞き慣れた声。
振り返ると、柱の上にナシスが立っていた。
「……ナシス……!」
アーリアは一歩前に出る。
「……話、あるんでしょ?」
彼は沈黙したまま、ゆっくり降り立つ。
「……帰れ」
「帰らない」
即答だった。
「あなたに、聞きたいことがある」
ナシスは苦しそうに目を伏せた。
「……やめろ」
「昔……雨の日に……」
アーリアは震える声で続けた。
「路地裏で……倒れてた男の子……」
彼の肩が、びくりと揺れた。
「……それが……あなたなの?」
長い沈黙。
やがて。
「……そうだ」
低く、かすれた声。
仮面に手をかける。
「……もう……隠す意味もない」
ゆっくりと、それを外した。
現れたのは――
穏やかで、どこか懐かしい顔。
記憶の中の少年と、重なる。
「……やっぱり……」
アーリアの瞳が潤む。
「……どうして……」
ナシスは目を閉じた。
「……お前に、憧れた」
ぽつりと。
「……あの日から……ずっと」
仲間たちが息を呑む。
「……でも……無理だった」
声が震える。
「お前みたいに……強くなれなかった」
「ナシス……」
「信じた奴は死んだ。守った人間には裏切られた」
拳を握りしめる。
「……俺は……壊れたんだ」
アーリアは、一歩近づいた。
「……それでも……」
「来るな!」
叫び声。
「これ以上……近づくな……!」
魔力が暴走し、地面が砕ける。
「俺は……もう……戻れない……!」
「戻れるよ!」
アーリアは泣きながら叫んだ。
「一人で背負わなくていい!」
「……っ!」
「私……あなたを……見捨てない……!」
ナシスの瞳が、大きく揺れる。
長い間、押し殺してきた感情が溢れ出す。
「……なんで……今さら……」
膝をつく。
「……遅いんだよ……」
アーリアは、そっと手を伸ばした。
「……遅くない」
その瞬間。
空が、裂けた。
異様な魔力が、降り注ぐ。
「……しまった……」
ナシスが顔を歪める。
「……ヴァリキラー……」
闇の裂け目から、巨大な影が現れる。
「……お前らの茶番は終わりだ」
低く響く声。
ナシスは、アーリアの前に立った。
「……下がれ」
「ナシス……?」
「……今だけは……守る」
背中越しに、彼は呟いた。
「……昔みたいに」
剣を抜き、闇へ向かう。
アーリアは、その背中を見つめながら――
初めて気づいた。
彼が、ずっと一人で戦ってきたことを。
第12章「並んだ背中」
闇の裂け目から現れたヴァリキラーは、以前とは比べものにならないほど巨大だった。
全身を覆う黒い結晶。
歪んだ魔力が、大地を腐らせていく。
「……進化してやがる……」
ガバドンが息を呑む。
「下がって!」
ナシスが叫んだ。
瞬間、無数の闇の刃が降り注ぐ。
ナシスは結界を張り、仲間たちを守った。
「……っ、まだ……!」
膝が揺れる。
「ナシス!」
アーリアが駆け寄る。
「無理しないで!」
「……平気だ」
嘘だった。
限界は、とっくに超えている。
「……昔から……そうだよ」
アーリアは睨んだ。
「一人で抱え込むところ」
ナシスは言葉に詰まる。
「……知ってたのか……」
「今、知ったの」
ふっと、微笑む。
「だから……今度は一緒にやろ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
「……わかった」
二人は並んで立つ。
剣と魔力。
希望と後悔。
「……行くぞ」
「うん!」
同時に駆け出す。
ヴァリキラーの咆哮が響く。
「無駄だァァ!!」
巨大な腕が振り下ろされる。
「右から来る!」
ナシスが叫ぶ。
「了解!」
息がぴったり合う。
まるで、ずっと一緒に戦ってきたかのように。
「今だ、アーリア!」
「任せて!」
渾身の一撃。
だが――
結晶が砕けても、すぐ再生する。
「……しぶとい……」
「中核があるはず」
ナシスは目を細めた。
「胸部だ……!」
その瞬間。
ヴァリキラーが暴走した。
闇が爆発する。
「……っ!」
ナシスは、とっさにアーリアを突き飛ばした。
「ナシス!?」
爆風に飲み込まれる。
「……ばか……!」
アーリアは必死に駆け寄る。
瓦礫の中。
血を流しながら、ナシスは笑った。
「……無事か……」
「なんで……そんなこと……!」
涙がこぼれる。
「……約束したでしょ……一緒にって……!」
「……悪い……癖だな……」
苦しそうに息をする。
アーリアは、彼の手を強く握った。
「……もう……一人で死なせない」
その言葉に、ナシスの瞳が揺れた。
「……生きても……いいのか……俺は……」
「当たり前でしょ!」
叫ぶ。
「一緒に……未来、作るんだから!」
仲間たちも集まってくる。
「時間稼ぐ!」
ガイドンが前に出る。
「今だ、アーリア!」
ティファニーが叫ぶ。
「……行くよ、ナシス」
「……ああ」
二人は、再び立ち上がる。
最後の力を振り絞る。
「これで……終わりだ!」
光と闇が交差する。
剣が、中核を貫いた。
轟音とともに、ヴァリキラーは崩れ落ちる。
静寂。
戦いは、終わった。
アーリアは、崩れ落ちるナシスを支えた。
「……生きてる……?」
「……なんとか……な……」
弱々しい笑み。
「……並んで戦うの……悪くなかった……」
アーリアも、笑った。
「これからは……ずっと並ぶんだから」
彼は、目を閉じる。
「……ああ……」
初めて、心から安らいだ表情で。
第13章「砕けた誓い」
ヴァリキラーとの激戦から、三日が経った。
一行は、古代神殿の奥で傷を癒していた。
淡い光が差し込み、静かな時間が流れている。
「……やっと落ち着いたね」
ティファニーが微笑んだ。
「しばらくは大丈夫そうだな」
ガイドンも頷く。
ナシスは、壁にもたれながら目を閉じていた。
アーリアは、そっと隣に座る。
「……無理しないでね」
「……お前こそ」
小さく笑う。
穏やかな時間。
――そのはずだった。
突然。
神殿全体が、震えた。
「な、何!?」
セシルが叫ぶ。
床に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「……これは……召喚陣……!?」
ガイドンが顔色を変える。
「誰が……!?」
「……私だよ」
静かな声。
振り返ると――
ミミールが、そこに立っていた。
「……え?」
アーリアは言葉を失う。
「ミミール……?」
彼女は、穏やかに微笑んでいた。
だが、その瞳は氷のように冷たい。
「ごめんね……みんな」
「……どういうことだ」
ガイドンが前に出る。
「裏切り……なの?」
ミミールは小さく息を吐く。
「裏切りじゃないよ」
「……“回収”だよ」
魔法陣が、強く輝く。
空間が歪み、巨大な影が現れる。
「……紹介するね」
「この世界の“管理者”……」
「――ミミール・オリジン」
眩い光の中。
別の姿のミミールが現れた。
白銀の衣。
無機質な瞳。
「……世界は……失敗作だった」
冷たい声が響く。
「……修正が必要」
ナシスが歯を食いしばる。
「……全部……お前のせいか……!」
「そう」
淡々と頷く。
「あなたの絶望も……」
「アーリアの希望も……」
「全部、観測データ」
「……ふざけるな!!」
ナシスが叫ぶ。
暴走しかけた魔力を、アーリアが押さえる。
「ナシス……!」
「……また……操られてたのか……俺は……」
ミミールは視線を向けた。
「あなたは……優秀な被験体だった」
その言葉に、ナシスの顔が歪む。
「……殺す……」
「無理だよ」
管理者ミミールは、微笑んだ。
「この世界の“核”は、私」
「倒せば……全部消える」
空間が、崩れ始める。
「……選んで」
ミミールは、アーリアを見る。
「世界を壊すか」
「私を倒すか」
「……どちらも、あなたには重すぎる」
アーリアは、震える手を握りしめた。
「……そんなの……」
「選ばない」
真っ直ぐ見返す。
「私は……両方、守る」
ミミールは、初めて驚いた顔をした。
「……へえ」
「面白いね……アーリア」
光が爆発する。
全員が吹き飛ばされる。
視界が白く染まる中――
ナシスは、アーリアの手を掴んだ。
「……離すな……」
「離さない!」
崩れゆく神殿の中。
二人は、固く手を握り合っていた。
第14章「夜明け前に、君へ」
崩壊した神殿から、辛うじて脱出して一夜が明けようとしていた。
一行は、森の奥にある洞窟に身を潜めていた。
焚き火が、小さく揺れている。
誰も、よく眠れなかった。
明日は――最終決戦。
ミミールとの戦い。
世界の運命を賭けた戦い。
「……眠れないな」
ガイドンが呟く。
「当たり前でしょ」
ティファニーが苦笑する。
セシルとガバドンは、静かに剣の手入れをしていた。
ヴァリキラーは入口で見張りを続けている。
ミミールの結界は、すぐそこまで迫っていた。
アーリアは、洞窟の外に出ていた。
夜空を見上げる。
星が、やけに綺麗だった。
「……明日で……全部終わるんだね」
独り言。
「……終わらせるさ」
背後から、声。
ナシスだった。
「起きてたんだ」
「ああ」
並んで座る。
しばらく、沈黙。
風の音だけが響く。
「……なあ、アーリア」
「なに?」
ナシスは、拳を握りしめた。
「……もし」
「もし、明日……俺が死んだらさ」
「縁起でもないこと言わないで」
即答だった。
ナシスは、苦笑する。
「……言わせてくれ」
視線を逸らしながら、続けた。
「……俺は」
「ずっと……お前が好きだった」
空気が、止まる。
「……最初に会った時から」
「何も出来なくて」
「泣いてばかりで」
「でも……必死で前に進いてて」
「……眩しかった」
声が、震える。
「……俺は」
「お前のためなら」
「何でも出来た」
アーリアは、黙って聞いていた。
逃げなかった。
ナシスは、深く息を吸う。
「……答えはいらない」
「ただ……」
「伝えたかっただけだ」
「……後悔したくなかった」
そう言って、立ち上がろうとした瞬間。
アーリアは、彼の腕を掴んだ。
「……待って」
「ナシス」
真っ直ぐ、見つめる。
「……私ね」
「怖いよ」
「明日」
「全部失うかもしれないのが」
「……すごく」
涙が滲む。
「でも……」
「あなたが隣にいてくれるから」
「立っていられる」
ナシスは、息を呑んだ。
「……好き」
小さな声。
「……私も」
夜が、静かに包み込む。
「……え?」
「私も……ナシスが好き」
一瞬、理解できなかった。
「……ほ、本気か?」
「本気」
笑いながら、涙を拭う。
「ずっと、守ってくれたでしょ」
「私……ちゃんと見てたよ」
ナシスの目から、涙が溢れた。
「……ずるい……」
「こんな時に……」
「告白して……」
「……返事までもらって……」
「明日……死ねないじゃん……」
アーリアは、そっと手を握った。
「……死なないよ」
「一緒に、生きる」
二人は、額を合わせた。
遠くで、夜明けの光が滲む。
新しい朝が、近づいていた。
「……終わったらさ」
ナシスが呟く。
「どこか……静かな場所で……」
「一緒に暮らそう」
「……いいね」
アーリアは、微笑んだ。
「約束だよ」
焚き火が、最後の火花を散らした。
そして――
決戦の朝が、訪れる。
第15章「そして、君と生きていく」
夜明けと同時に、一行は動き出した。
ミミールの神殿は、黒い霧に包まれていた。
空は濁り、風は止まり、世界そのものが息を潜めているかのようだった。
「……ここが最後か」
ガイドンが呟く。
「終わらせよう」
セシルが頷く。
アーリアは、ナシスの手をそっと握った。
「一緒に、帰ろうね」
「ああ」
二人は微笑み合った。
◆ 最終結界
神殿の門には、巨大な結界が張られていた。
紫と黒の魔力が渦巻いている。
「この結界……普通じゃ破れないわ」
ティファニーが眉をひそめる。
「俺が行く」
ヴァリキラーが前に出る。
「この剣なら、道を開ける」
「無茶よ!」
ミミールが叫ぶ。
「無茶でも、やる」
ヴァリキラーは剣を掲げた。
白銀の光が爆発する。
――轟音。
結界が、砕け散った。
「今だ!」
一行は、神殿へ突入した。
◆ 黒幕・ミミール
最奥の祭壇。
そこに、ミミールは立っていた。
「……よく来たわね、愚かな英雄たち」
白い髪、冷たい瞳。
神の力を宿した存在。
「全部……あなたの仕業だったの?」
アーリアが問いかける。
「ええ」
ミミールは微笑む。
「世界は腐っている」
「だから、壊して、作り直すの」
「私が“神”になるために」
「そんなの……!」
ナシスが叫ぶ。
「誰かを踏み台にしていい理由にならない!」
「綺麗事よ」
ミミールの魔力が爆発した。
◆ 総力戦
戦いが始まった。
黒い魔獣が無数に湧き出す。
「ガバドン!」
「任せろ!」
盾で仲間を守る。
「セシル、援護!」
「了解!」
魔法が飛び交う。
「ティファニー!」
「今、回復する!」
光が広がる。
ヴァリキラーは前線で敵を薙ぎ払う。
だが――
「……強すぎる……!」
ミミールの一撃が、全員を吹き飛ばした。
崩れ落ちる仲間たち。
立っていたのは、アーリアとナシスだけだった。
◆ 二人の力
「……終わりね」
ミミールが笑う。
その時。
アーリアの胸が、光った。
――聖具の輝き。
仲間との絆。
祈り。
想い。
すべてが、力になる。
「……私たちは」
「一人じゃない!」
ナシスが叫ぶ。
二人の手が、重なる。
「――共鳴!」
光が、世界を包んだ。
七つの力が、一つになる。
巨大な光の剣が生まれる。
◆ 決着
「ば……馬鹿な……!」
ミミールが後退する。
「これが……人の力……?」
「そう」
アーリアは前に出た。
「誰かを想う力」
「未来を信じる力」
「それが、私たちの答え」
「ナシス!」
「ああ!」
二人は同時に振り下ろした。
「――希望斬!!」
閃光。
轟音。
闇が、消えた。
ミミールは、静かに崩れ落ちる。
「……もし……」
「違う世界だったら……」
「……友達に……なれたかもね……」
そう言い残し、消滅した。
◆ 平和
空は、青く戻った。
風が、吹き抜ける。
世界は、救われた。
「……生きてる?」
ガイドンが起き上がる。
「ええ……なんとか」
ティファニーが笑う。
「腹減った……」
ガバドンが呟く。
皆、笑った。
◆ エピローグ
半年後。
小さな町。
花畑のそばの家。
「おはよう、アーリア」
「おはよう、ナシス」
二人は並んで朝日を見る。
旅は終わった。
でも、人生は続く。
「ねえ」
アーリアが微笑む。
「私たち……幸せだね」
「ああ」
ナシスは手を握る。
「世界を救って」
「君と生きる」
「最高のエンディングだ」
風が、花を揺らした。
――物語は、ここで終わる。
そして。
新しい未来が、始まる。




