泥と僕
僕は結局意味がないんじゃないかと思った。それによって僕の心を守ることはできたが、同時に少し、落胆した。
小雨が降ったり止んだりしている。楽しみにしていた運動会が開催されるかどうか不安な気持ちだった。遠くから祖父母が来ていたから、もし延期になったら申し訳ないなと思った。
運動会の日はみんな家から体操着で登校する。僕は自分の部屋で体操着に着替え、折れ曲がった帽子をかぶった。僕はその適度にボロボロになった帽子がかっこいいと思っていた。
下から母の呼ぶ声が聞こえ、僕は一階に降りた。体操着を家の中で着ることなんてめったになかったから、アニメの中の登場人物になったような気分で、いつもよりゆっくり階段を下りた。
リビングに入るとみんな朝食の準備をしていた。そこには祖父母もいて不思議な気分になった。とにかく色んなことがいつもと違った。
体操着のまま玄関を出ると、気持ちよかった。半袖短パンに、帽子をかぶって登校することにワクワクした。鼻から思い切り息を吸うと、少し冷たい雨の空気が、肺に充満して思わず目を閉じてしまう。
メインイベントである、各クラスから足の速い人が選ばれ行われる、リレー競争が始まった。僕も二年生のときに一度選ばれたことがあったけど、それ以降はいつも次点でだめだった。
リレーが始まる少し前から雨が降り出しており、曇天の中でスターターピストルの銃声が空高く響いた。
今年は全体的に紅組のほうが強くて、リレーもすぐに大きくリードを許してしまう。途中巻き返しかけたが、やはりだめだった。
終盤に差し掛かると、同じ学年の白組の友達がバトンを受け取った。怪我をしてしまった六年生の代わりに、その友達がアンカーを務めた。
バトンを受け取ると彼はすごい勢いで走り始めた。もう紅組に追いつくことは難しかったが、彼は必死の形相で、長い髪の毛を乱しながら、手を大きく振り、体を大きくつかって走っていた。
アンカーはトラックを一周走る。彼はバトンを受け取ってから、僕のいる第三コーナー付近まで懸命に走ってきた。しかし第三コーナーの途中に彼は、ぬかるんだ地面に足を滑らせ、大きく転んでしまった。そこで僕は歯を食いしばりながら、「頑張れ」と心の中で呟いた。そして彼がかっこいいと思い、強く嫉妬した。
彼は周囲の悲鳴とともに立ち上がり、すぐにゴールに向かって走り始めた。彼の体操着は泥に塗れ、顔や髪の毛も汚れていた。
なぜ僕がそこに立っていないのだろう。僕はそう思った。僕は脇役だ。僕もあちら側の人間になりたいと思った。僕が女の子だったら絶対彼を好きになってしまうだろうだなんて考えて、心が苦しくなった。
雨が降ったり止んだりしながら、運動会は無事に終了した。今はみんな、夏の暑さに四苦八苦している。先生は国語の教科書を開きながら授業をしているが、あまりにも簡単で僕は退屈だった。
あれから二ヶ月ほど経過したが、僕を含めだれも運動会のことなど話題に挙げなかった。二ヶ月どころか、運動会の休み明けでさえ、話題に挙げる人は少なかったし、僕がひどく心を打たれた彼のことを気にしている人はいないように見えた。
僕自身も運動会のことなどもうどうでもよかったし、彼に対して強く抱いた感動と嫉妬心は、もうどこかへと消えていた。それで僕は安心と虚しさを覚えた。
そして僕はどうすればいいんだと思った。強く心が惹かれる瞬間があっても、すぐに忘れてしまう。じゃあもし僕がすごいことを成し遂げて、みんなの注目を集めても、すぐにそれは消え去ってしまうのだろうか。人々の心に感動を与え続け、みんなを惹きつけ続けることはできないのだろうか。僕はずっとみんなの関心が欲しいと思った。
僕は思いを巡らせるのを止めて、先生が書いている黒板に目を戻した。




