ep. 67 関係性の役割
関係が、感情の形を変える。
そんな当たり前の事実を、俺はずっと見ないふりをしてきた。好きという現象を因果に還元するためには、外的な情報、内的な歴史、偶発的な出来事……すべての要素をリストアップすればいい、そう思っていたからだ。ロジカルに整理し、線でつなげば「発生理由」が割り出せると信じていた。
でも未唯は、俺のノートを見て、静かに首を振った。
「真くん、それは“要素”であって、まだ“関係”じゃないんだよ」
その一言が、俺のモデルを根本から揺るがせた。
要素は点だ。関係は線だ。
俺は点をいくら集めても、線が勝手にできるとは限らないことをわかっていなかった。
「関係が変わると、同じ点でも意味が変わる。
……それが、好きの正体にすごく近い気がする」
未唯がそう言った時、教室の窓際で風がカーテンを揺らしていた。なんでもない午後だったのに、妙に記憶に残っている。
俺は聞き返した。
「関係って……たとえば俺と未唯の、今の距離とか、そういうやつ?」
「うん。でも距離だけじゃない。
“どう見ているか”“どう見られているか”“どう振る舞っているか”“どう振る舞われているか”……全部が小さな線になるんだよ」
「線……」
俺はノートに三角形を描き、その三点に 外的条件、内的条件、偶発性 と書いた。その三点を結ぶ線に“関係性”とメモする。
しかし書いてみても、いまいちピンとこない。
「それって……結局、依存とか、相性とか、そういう話じゃないのか?」
「そう見えるけど、違うよ。もっと“構造”的なんだと思う」
「構造?」
「うん。真くんはわたしのことを“美しいと思った”“声が好きだと思った”“価値観が合いそうだと思った”って言ってたよね。
でも、それらは全部、わたしという“点”に対する評価でしょ?」
「まあ……そうだな」
「だけど、そこに“わたしと真くんがどう関わっているか”っていう線が引かれると、同じ評価でも意味が変わるの。
たとえば、“美しい”はただの観察だけど、それを“守りたい”に変換するのは関係性だよ」
一瞬、息が止まった。
未唯は俺の目を見つめたまま続けた。
「関係性が“価値づけ”を変えるの。
そして価値づけが変わると、快も変わる。
だから、関係は好きの因果に直結するんだよ」
俺は、ようやく理解し始めていた。
俺が未唯を好きになった理由は、未唯という“点”が魅力的だったからではない。
点としての未唯の魅力は、他の誰に対しても“魅力”として成立した可能性がある。しかし、俺にとって特別に変化したのは「俺と未唯の間に結ばれた関係」という“線”のせいだ。
「関係とは……相互作用ってことか?」
「うん。わたしたちは関係によって変わり続けるから。
それが恋の“動的”な部分だと思うんだよ」
動的な部分――そのフレーズが妙に胸に刺さった。
俺はいつも、好きという感情を“静的”なものとして扱っていた。
しかし未唯の言う通りなら、好きは常に変化し続ける動的現象であって、原因も固定されず、結果も固定されない。
「じゃあ、関係が変われば……好きも変わる?」
「変わるよ。もちろん。
たとえば、真くんがわたしに冷たくしたら、わたしはきっと今より真くんを遠ざける。
でも真くんが優しくしてくれたら、わたしは真くんを見る“視線の深さ”が少し変わるかもしれない」
「視線の……深さ?」
「うん。
価値ってね、『対象がどうあるか』じゃなくて、『わたしにどう触れてくるか』なんだ。
そして“触れ方”は関係によって変わるから、価値も変わるの」
俺は言葉を失った。
因果関係を明確にしようと必死だった俺は、原因としての未唯ばかり探していた。
だが未唯は、“相互性”という視点から好きの核心に迫ろうとしていた。
「つまり……俺が未唯を好きになったのは、未唯が変えた“俺自身”のせいだってことか?」
「近いと思うよ。
好きって、相手そのものだけじゃなくて、“相手といる自分”にも向けられるものだから」
相手といる自分――その言葉も強烈だった。
「じゃあ未唯は……俺といるとどうなるんだ?」
「……それは、まだわからないよ」
未唯は視線をそらした。
その頬が、ほんのり赤く染まっていた。
俺は胸の中に、小さな熱が灯るのを感じた。
もしかしたら、この“変化”こそが関係性の作用なのかもしれない。
未唯の中に、ほんの少しでも俺という点から線が伸び始めている――そんな予感がした。
「好きの因果を探しても、たどり着けない理由はね、
好きが“関係の生成”そのものだからだと思うよ」
未唯は静かに言う。
「点を見つめていたら、線は永遠に見えないよ。
好きは……点ではなく線でできているから」
その夜、俺は初めて、未唯との“線”を意識した。
関係があるからこそ、未唯は俺に特別な意味を与えていた。
その事実を理解した瞬間、胸の奥でゆっくりと何かが解けていくような感覚がした。




