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好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第6章 好きの因果

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ep. 64 内的条件(価値観・歴史)

 翌週の月曜、研究棟の一階ロビーは、朝の講義を終えた学生たちのざわめきで満ちていた。俺と未唯は、相変わらず「好きとは何か」についての議論を続けていた。だが今日のテーマは、外的な契機ではなく、もっと深いところに沈んでいる「内的条件」についてだった。


「真くんは、好きの“原因”を外側に探しすぎてる気がするよ」


 未唯は、椅子に小さく腰かけながらそう言った。足を揃えて鞄を膝にのせ、指先でチャックの金具を軽く弾いている。その癖は、彼女が考えごとをしているときにいつも見せるものだった。


「外側じゃないなら、どこにあるんだ?」


「中だよ。真くん自身の、価値観とか、経験とか、歴史とか。そういう“真くんを形づくってきたもの”が好きに影響してるんじゃないかな」


「俺の価値観が……?」


 言われて、言葉に詰まった。俺はずっと「未唯の良さ」を説明しようとしていた。外見だとか、声だとか、考え方だとか、受け答えの仕方だとか。

 たしかにそれらは“外側”だ。でも、それがどうして俺にとって快になるのか、その深部にある「俺の枠組み」については、ほとんど考えてこなかった。


「俺の価値観って、そんなに好きに影響するか?」


「するよ。だって、価値判断って主観の構造と結びついてるでしょ? 真くんはいつも“未唯がどうこう”って言うけど、そこにはきっと“真くんがどういう人か”が必ず映ってるんだよ」


「俺がどういう人か、ね……」


 言い返せなかった。

 言われてみれば当たり前のことなのに、俺はそれを見ようとしていなかった。俺は未唯に惹かれた“理由”を、未唯の側にばかり求めていた。でも、好きになるという現象が「主観と対象の関係」である以上、主観の側を無視したまま原因を探るなんて、ありえない話なのだ。


「たとえばね」


 未唯は少し考えてから、控えめな声で続けた。


「真くんって、人の弱さとか孤独にすごく敏感だよね。たぶんそれって、真くん自身が……ううん、これは勝手な推測だから違ってたらごめんね」


「言ってみて」


「真くんも、誰かに理解されたいって強く思ってきたんじゃないかな。だから、理解されずに孤独を抱えてる人に自然と心が向く……とか」


 胸の奥が軽く震えた気がした。

 図星だったのかもしれない。

 いや、違う。ただの推測にすぎない。……そう切り捨てようとしたのに、どうしてか、否定の言葉が喉に引っかかった。


「俺が……理解されたい、か」


「違ったらいいんだけど。でも、そういう“価値観”とか“願望”とか“歴史”が、好きっていう現象に影響することって、十分ありえるよ」


「……確かに」


 俺の父は強くて、正しくて、恐ろしく支配的だった。

 家庭を守るという名目のもとに、家の空気は父の基準で動いていた。

 母はいつも穏やかに笑っていたが、その笑顔が本物なのかどうか、俺は子どもながらに疑った。


 ――父のようにはなりたくなかった。

 ――でも、母のように言葉を飲み込むのも嫌だった。


 そんな二つの否定から生まれた俺の人格が、未唯を見るときの“基準”になっているのかもしれない。


「……俺は、未唯の“自分の言葉で話す感じ”が好きなんだよ」


「うん」


「言い方悪いけど……ごまかさないじゃん。自分の弱さも曖昧さも隠さないで、ちゃんと見せようとする。それが……なんか、すげぇいいと思ったんだ」


 未唯は目を丸くし、次の瞬間、ほんの少しだけ頬が赤くなった。


「……それって、価値承認にも近いけど、もっと深いところの話だね」


「深い?」


「うん。真くんのなかに“誠実さを大事にする価値観”があるってことだよ。自分がそうありたいって願いとか、そうでないと苦しくなるっていう歴史がある……そういう内的な条件が、私の言葉の出し方とか態度に結びついて、快に変わったんじゃないかな」


 “快に変わった”。

 その言葉が妙に刺さった。


「つまり俺が未唯を好きになった理由は、未唯の態度そのものじゃなくて……」


「うん。“真くんがどういう価値観を持ってきたか”が関係してるってこと」


「……俺の歴史の方に、原因があるわけだ」


「そう。外的条件はきっかけにすぎないよ」


 そう言って微笑む未唯は、まるで俺の内側に潜む迷路の地図を見せてくれる案内人のようだった。


 俺はずっと、好きの原因を対象側から計量しようとしていた。「外的な契機」を並べて、その数値を足したり引いたりするみたいに。でも、未唯の言葉で気づかされた。


 好きは、対象の属性×俺の価値観の構造

 ――その重なりの結果、生まれてくる。


 単純な足し算じゃない。

 複雑な関数のような、関係的な現象だ。


「未唯は……どうなんだ? 俺のどんなところに価値を感じてる?」


 未唯は少し口をつぐんだ。その沈黙は、答えを避けるためではなく、言葉を探している沈黙だった。


「……まだ、うまく言語化できないんだ。でもね、“真くんが誰かを理解しようとする姿勢”だけは……すごく、いいと思う」


 胸の奥がふっと温かくなった。

 それは嬉しさという単純な快楽ではなく、自分の内側を認めてもらえたことで生じる、深いところが満たされる感覚だった。


「その価値認識って……俺の歴史とも関係ある?」


「あると思う。誰にだって、他人の価値を判断する基準は、過去の経験や環境の影響を受けて形成されていくものだから」


「じゃあ、好きって……俺の一部なんだな」


「うん。“好き”って、対象そのもの以上に“自分自身”なんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、全身のどこかが軽く震えた。

 好きとは対象の魅力ではなく、主体の構造が生み出す現象。

 それはまさに、価値承認と快と関心の偏りが結びつくポイントだった。


 好きの因果を探す旅は、対象の分析では終わらない。

 内的条件――自分の価値観と歴史の奥深くまで潜らなければ、好きの核心には触れられない。


「未唯」


「なぁに?」


「……俺、自分のこともっと見ないとダメだな」


「うん。でも、真くんは見ようとしてるよ。それが大事」


 未唯はそう言うと、控えめに微笑んだ。その笑顔は、俺が惹かれた“外的な魅力”とまったく同時に、俺が自分の歴史を映し込んでしまう“内的な反射”でもあった。


 好きの因果は単一ではない。

 外側と内側、そのすべてが絡み合う。

 その真実を、未唯との会話が少しずつ照らし出していく。

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