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好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第6章 好きの因果

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ep. 63 外的条件:見た目・声・偶然

 未唯の部屋で契機(Momente)の話を続けているうちに、部屋に差し込む午後の光が少しずつ傾き始めた。俺は床に広げたノートにペンを置き、ふと思いついた疑問を口にした。


「……その、さ。契機って言うけど、外からの条件ってどこまで含まれるんだろうな。たとえば、見た目とか、声とか。もっと言えば、今日みたいに“たまたま”講義が被って話す機会があった──そういう偶然まで含めるのか?」


 未唯は膝を抱えて座り直し、俺の方を向いた。


「真くんは、見た目が好きになる原因だと思ってるの?」


「原因……とまでは言い切れないけど、ゼロじゃないよな。俺が未唯に最初に目を向けたのは、たぶんシンプルに綺麗だと思ったからだし」


 未唯は頬を少し赤くしながら、視線を逸らした。


「……そういうの、あんまり言わないでほしいって前に言ったよ?」


「言った。でも、あれは俺の中の“事実”なんだ。好きってのは、価値認識や関心の偏りみたいな内側の構造だけじゃなくて、そもそも“目が向いた”って瞬間から始まるんじゃないかと思って」


 未唯は黙っていたが、否定しない。その沈黙が、考えている証拠だ。


 俺は続けた。


「見た目ってさ、人間の感覚器に直接作用する要素じゃん。顔立ち、雰囲気、立ち居振る舞い。声のトーンや話す速度なんかもそうだ。そういう外側の刺激がきっかけになることを、全部切り離すのは無理だと思うんだよ」


「でも、それって……理性的な好きとは言えないんじゃない?」


 未唯の声は少し硬い。倫理学専攻らしい反応だと思った。


「理性的じゃない。でもさ、人間ってそもそも完全に理性的に好きになるわけじゃないだろ?“偶然”っていう外的な契機も、結局は好きの成立に組み込まれてる」


「……偶然?」


「たとえば、俺たちが同じ大学の、同じ学科で、同じ授業を取ってなかったら……俺はきっと未唯の名前も知らなかった」


「……うん」


「講義の後ろの席が一つ空いてたから俺がそこへ座って、未唯が資料を落として、それを拾ったのが最初だった。あれだって偶然だし……未唯があの時、黒いカーディガンじゃなくて赤いパーカー着てたら、俺は気づかなかったかもしれない」


 未唯は眉をひそめた。


「赤だったら気づかないって、どういうこと?」


「いや……黒に比べて、あんまり似合わない気がするから」


「似合うとか似合わないとか、そんなの……」


 顔を赤らめる未唯。こういう反応を見ると、俺はああ、やっぱり俺はこの子が好きなんだと実感する。


「でもさ、それくらい偶然的で外的なものなんだよ。最初の“注意の偏り”って。そこから内側の価値とか関係性が形成されるにしても、出発点は“外側”なんだ」


「真くんは……好きって、内面じゃなくて外見から始まるって言いたいの?」


「いや、そうじゃない。外見から始まる“場合もある”ってだけ。逆に言うと、外見が全く関係ない好きなんて、現実には存在しにくいんじゃないかって」


「……存在しにくい、か」


「たとえば、声。未唯の声って、落ち着いてて、ちょっと硬い感じがするけど、その硬さがすごくいい。授業で意見言ってるときの、あの真面目な響き。あれが俺の注意を奪ってるのは間違いない」


「声……?」


「未唯は自覚ないと思うけど、声の質は相当でかい要素だぞ」


「……そんなの、考えたことなかった」


 未唯は自分の喉元に触れ、小さく咳払いをした。


「俺、最初に未唯のことを綺麗だと思ったのは確かだけど、それだけじゃなかったんだよ。あの声で“あ、それは違うと思います”って真剣に言われた瞬間、なんていうか……注意を完全に持っていかれた。あの一瞬が、俺にとっての“外的契機”だった」


「……真くんって、意外と細かいところ見てるんだね」


「合理的に整理するのが癖だからな。細かいところから全体像を組むというか」


「でも、それだと……偶然は好きの原因になるの?」


「原因って言うと違う気がする。好きの“素材”だな。偶然という素材が、価値判断とか生活史の理解とか、そういう内側の要素と重なることで、好きが形成される」


「……素材」


「そう。料理で例えると、見た目や声は“食材”。価値承認や関係性は“調理”。偶然は“タイミング”。この三つがそろわないと、一皿として完成しない」


「……なんか、すごくわかりやすい」


「だろ?」


 未唯は少し笑った。その笑顔を見た瞬間、俺はまた注意を奪われた気がして、胸の奥が熱くなる。


 未唯はしばらく黙り、それから小さく呟いた。


「……でもね、真くん。わたしは、好きの理由が外見や偶然に依存するのが、少し怖いの」


「怖い?」


「だって……もし違う日、違う服、違う場所だったら、わたしたちは出会っていなかったんでしょ? そう思うと、“この関係は偶然の産物なのかな”って不安になる」


 俺はしばらく言葉が出なかった。確かにその不安は理解できる。でも、それは逆に言えば──偶然がもたらした価値の大きさを示すものでもある。


「未唯」


「……なに?」


「偶然で始まったからこそ、大事なんだよ。偶然のままだったら関係は続かない。偶然を“関係”に変えるのは、内側の判断とか、行為の積み重ねとか……そういう必然の部分だ。だからもう、偶然は出発点でしかない」


 未唯は少しだけ目を見開き、そして自分の膝を握りしめた。その手が、かすかに震えていた。


「……真くんは、偶然を肯定するんだね」


「肯定する。というか、偶然を否定するのは、好きの成立を半分否定することになる」


「……半分?」


「だって、未唯を見た瞬間の“綺麗だ”って感覚を全部切り捨てるのは、不誠実だろ? それも俺の一部なんだから」


 未唯は小さく息を吸い、吐いた。


「……わたしはまだ、その感覚の扱い方がよくわからない。でも……真くんがそう言うなら、そういう考え方もあるのかもしれないって思えるよ」


 俺は反射的に微笑んだ。


「それで十分だよ。好きは“原因”じゃなくて、“条件の重なり”なんだ。見た目、声、偶然──全部が、好きの入り口になりうる。どれもが否定できないし、どれか一つで決まるわけでもない」


「……入り口か」


「そう。入り口。まだ何も始まってない場所。でも、そこがなかったら何も始まらない」


 未唯は目を伏せたまま、小さく呟いた。


「……わたしにも、真くんを“綺麗だな”とか“声が好きだな”って思う日が来るのかな」


 その言葉に、胸の奥が強く脈打った。


「来るよ。たぶん。ゆっくりだけど」


「……そうだったらいいな」


 その瞬間、俺の中でまたひとつ、“外的契機”が静かに積み重なった気がした。


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