表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第4章 関心の偏りの謎

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/70

ep. 49 二つの理解のすれ違い

 その夜、真はアパートの机に向かい、ノートを大きく広げていた。無数の矢印と線が交差し、どこか神経回路のようになっている。彼が一度集中すると、文字は勝手に紙の上へと増殖していく。そのエネルギーは学者の卵というより、もはや「分析という行為そのものに取り憑かれた人間」に近かった。


「うーん……“注意の偏り”の因果って……こう……?」


 真は、今日の議論をもう一度ゼロから再構成していた。

 未唯の言葉──「現象として起こるだけ」という一言が、妙に引っかかる。

 彼にとって、説明できない現象は“負け”だった。

 なぜ自分の視線が未唯に向くのか、その因果を一つひとつ特定すること。それが“誠実さ”だとすら感じていた。


「視線の配分……注意資源の独占……情動の刺激……」


 独り言が止まらない。

 だが、それらの線をいくらつないでも、彼の視線が未唯に向く“決定的理由”だけは、どうしても特定できなかった。


 そこで、ふと脳裏に未唯の表情が映る。

 今日、はにかむように笑った、ほんの一瞬の横顔。


(やっぱり……あれだけは説明つかないんだよな)


 未唯の笑顔は、真の中で“因果”を裏切る存在になりつつあった。


 ──一方そのころ。


 未唯は、自室のベッドに腰掛けながら、今日の会話を思い返していた。

 手のひらには買ったばかりの小さなメモパッド。

 そこには、震える字でこう書き込まれている。


「“注意の偏りは、好きと関係あるのかな”」


 言葉にしてみると、途端に自信がなくなる。

 彼女にとって、感情も注意も、どちらも曖昧な霧のようなものだ。

 真のように分析できないし、理由を一つずつ検証することもできない。


「……なんで、真くんは……そんなに、私を見るんだろう」


 呟く声が、少し掠れていた。

 問いというより、戸惑いに近い。


 未唯にとって、誰かから向けられる注意は“負担”だった。

 子どものころから、母親の苦労を見ながら生きてきた。

 自分が誰かの視線を受けると、それが期待につながる。その期待に応えられない自分が責められる気がした。

 だから、真の視線の強さは、嬉しさと同時に、恐怖でもあった。


「……わからないよ。なんで、そんなに……」


 胸の奥がきゅっと縮む。

 しかし、嫌悪ではなかった。むしろ──


(……気づいていた。真くんの視線は……痛くなかった)


 それに気づいた瞬間、未唯はそっとペンを置いた。

 感情というものがわからない彼女にとって、この微細な体験は、ほとんど「事件」に近い。


 ──そして翌日。


 大学の中庭で向き合った二人は、いつものように自然と議論を始めた。

 しかし、その言葉の裏には、互いの“すれ違い”が静かに積み重なっていく。


「昨日の続きだけどさ。これ──注意資源の分配モデル作ってみた」


 真は誇らしそうにノートを広げる。


 未唯はしばらく沈黙し、やっと口を開いた。


「……真くんは、本当に……因果が、欲しいんだね」


「うん。当たり前だろ。だって、理由がなきゃ……」


 未唯は真の言葉にかぶせるように続けた。


「私は……理由が“ない”ってことも……あると思うの」


 真は一瞬、呼吸を忘れたように固まる。


「理由がない?……そんなの、ただの放棄だよ」


 未唯のまぶたがわずかに揺れた。


「放棄……じゃないよ。

 “わからないことを、そのままにする”っていう……態度も……あると思うの」


「でも、それじゃあ……理解できないじゃないか」


「……うん。理解できないよ。でもね……」


 未唯は小さく深呼吸をし、言葉の選び方を慎重に整える。


「真くんが……私へ向ける視線。

 あれは……“理由がある”って感じじゃないんだよ」


 その言葉に、真は息を飲んだ。


「どういう……意味?」


「うまく言えない……けど……

 私には、“結果としてそうなってる”って……そう感じるの」


 真の眉が困惑の形に歪む。


「現象として……起こるだけ、ってこと?」


「うん……。

 真くんが私を見るのは……“そうなってしまう”からで……

 その理由を一つに決めるのは……たぶん……違う気がするの」


 真は黙ってしまう。

 彼の中で、世界は因果律で成り立っている。

 何かが起これば、必ず理由がある。

 だから“結果だけがある”という考え方は、彼にとって世界の崩壊に近い。


「……それじゃ、俺の気持ちも、ただの現象だって言うの?」


 未唯は俯きながら、ゆっくり首を横に振る。


「違うよ……。

 “現象だから、美しい”んだよ、きっと」


 その一言は、真の中の何かを静かに叩いた。

 理性では理解できないが、胸の奥だけが反応する。

 理解と感覚が初めて分裂する瞬間だった。


 だが互いの世界は、まだ交わらない。

 すれ違いは終わらず、むしろ深まっていく。


 真は“理解できないこと”が苦しい。

 未唯は“理解しすぎようとする視線”が苦しい。


 二つの苦しさが、そっと並ぶ。

 寄り添いはしないが、確かに気配だけは触れ合っていた。


 ──そして、好きの構造へと至る最後の扉が、すぐ先に見え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ