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好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第4章 関心の偏りの謎

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ep. 46 偏りは因果か、現象か

 未唯は、学食の窓側に座り、箸を持ったまましばらく動かなかった。曇りガラス越しに見える空がひどく白く、光そのものに輪郭がないように見える日だった。


「さっきの話、もう少し聞かせてほしい」


 そう言いながら、真は向かいの席にトレイを置いた。ペンネームのように奇妙な苗字の男――広曽木真は、合理的な分析にすぐ走る癖がある。だが今日は、その癖がわずかにためらいを帯びていた。彼自身、話す内容が未唯の胸にどんな影を落とすか、薄く察していたのだろう。


「偏りが起こる原因、って話?」


「うん」


 未唯はスープを一口すする。味はあるのに、味を飲んでいないような気がした。こういう感じは昔からある。何かを噛みながら、噛めていないような違和感。真が彼女を見るときの視線にも、似たような“実体のなさ”を感じてしまうことがある。


「真くんは、偏りには“因果”があるって思ってるんでしょ?」


「まぁ、ある程度はね。条件が重なって、それが心理的な重力みたいなものをつくって、注意が引き寄せられる。そんな感じ」


「重力……」


 未唯は小さく繰り返し、その比喩を掌の上で転がすように眺めた。


「じゃあ、たとえば私の声の高さとか、話すテンポとか、そういうのが真くんの条件因になってる可能性があるってこと?」


「あるよ。もちろん。外見や声だけじゃなくて、価値観も、タイミングも、偶然の位置関係も、いろんなものが混ざり合って……」


 真はそこまで言って、少し肩を落とした。


「シンプルな原因なんてないんだ。偏りってのは、要素が重なってできる“結果”であって……たったひとつの理由を掴もうとすると、逆に見失う」


 未唯は頷きかけて、ふと首を振る。


「でもね、私は逆なんだよ」


「逆?」


「私は“原因”が重要じゃなくて、“現象”そのものの方が気になっちゃう。偏りが“起こってしまっている”という事実の方」


「それは……どういう意味?」


 未唯は箸を置き、小さく息を吸い込んだ。


「真くんが私を見るとき、そこには“理由”があるって、真くんは説明しようとする。たとえば《声が落ち着く》とか《話し方が自然に耳に残る》とか、そういう細かい因果の積み重ね」


「うん。僕はそう考える」


「でもね、私には“見られているという現象そのもの”が、理由より先に来るの。つまりね……」


 彼女は自分の胸のあたりをそっと押さえた。


「理由は後づけにしか感じられないの。“見られている”という事実の方が先にあって、それがどんな原因であれ、私の感覚には遅れてくる」


「……現象が先か」


「そう。私は“視線という現象”をまず体験してしまう。それは私の意思じゃ止められないし、真くんの因果の説明を聞いても、ああそうだったんだ、って後から理解するしかない」


 真は顎に指を添えたまま、しばらく動かなかった。


 真は「理解しよう」とする。

 未唯は「体験してしまう」。

 根本的な方向の違いが、丁寧に、しかし確実に姿を現し始めていた。


「じゃあ、未唯の中では、僕がどうして君を見ているのかって……あんまり関係ないの?」


「関係ない、ってわけじゃないよ」


 未唯はそこで少し微笑んだ。それは自分でも気づかないうちに表情に現れてしまった、珍しい種類の笑顔だった。


「真くんがどうして私を見るのか。それを聞くのは好き。でも、私がまず受け取るのは“見られているという状態”なんだよ」


「状態、か……」


 真はスプーンを回しながら考え込む。


「僕は因果から考える。君は現象から考える。つまり……」


「つまり?」


「同じ偏りでも、入口が違うってことか」


 未唯は静かに頷く。


「私は、“説明されないまま起こってしまうこと”が、ちょっと怖い。理由がわからない偏りは、コントロールできないから。たとえば……」


 そこで未唯は少し黙り、窓の外に目を向けた。淡い光が、彼女の頬に薄い影を落とす。


「たとえば、小さい頃からずっと母の視線だけを追っていたこと。あれも私にとっての“偏り”だった。でもその理由は、ずっとわからなかった。ただ、そうしてしまう現象が、止められなかった」


 真は動きを止めた。

 未唯が家庭の話を自分から出すのは珍しい。

 そこには、偏りが“現象として起こる恐怖”の原型があった。


「偏りが因果だってわかっていたら、私はもっと安心できたかもしれない。でもね……」


 未唯は真の目を見た。


「私はたぶん、“偏りとは現象である”って、どこかで思ってしまってる。理由が後から来るの。だから、真くんの偏りにも……少し怖さはあるんだよ」


「僕の偏りが、怖い?」


「うん。だって、理由がわからないうちは、どう扱ったらいいのか、わからないから」


 その言葉に真はゆっくり息を吐き、机に置いた自分の手を見つめた。


(僕の“注意の偏り”が、未唯にとっては現象として迫っている……)


 真の胸に、淡い罪悪感とも焦燥ともつかないものが生まれる。

 偏りは、真にとっては「理解しようとする問題」だが、未唯にとっては「突然起こる出来事」なのだ。


 未唯は少し寂しそうに笑った。


「でもね、真くんの説明を聞くと、ちょっとだけ救われる気がするの。偏りにも“仕組み”があるんだよって言われると、現象の暴力性みたいなものが薄まる気がするから」


「現象の暴力性……?」


「うん。“起こってしまう”って、ときどきすごく残酷なんだよ。嬉しいときもあるけど……怖いときもある」


 真は胸の奥がぎゅっと締まるような感覚を覚えた。


「じゃあ、僕が偏りの因果を整理して説明するのは……未唯には役に立ってる?」


「うん。すごく」


 未唯は、ほんの少し目を伏せて続けた。


「真くんが、私の現象の怖さを、言葉でほどいてくれてるみたいで」


 その一言で、真の偏りはさらに深まった。


(僕が彼女を見てしまう理由の一部は……こうしてまた、増えていくのかもしれない)


 窓の外の光が揺れる。

 未唯の髪が揺れる。

 説明できるもの、できないもの、その境界がゆっくりと曖昧になっていく。


 偏りは因果なのか、現象なのか。

 その答えは、まだ二人の間では定まっていない。


 けれどその曖昧さそのものが、真の注意を未唯へとさらに傾けていくのだった。

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