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好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第3章 価値承認とは何か

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ep. 37 外見価値と内的価値

 ゼミ棟の屋上は、もう冬が近いというのに、風がやけに優しく吹いていた。夕暮れの朱が低いビルの隙間に沈みかけ、キャンパス全体を薄紅色に染めている。広曽木真は、手すりにもたれかかるようにして立ち、遠くで鳴る救急車のサイレンをぼんやりと聞いていた。未唯が横に立つ気配がしても、真はしばらく黙っていた。


 きょう一日は、価値承認について議論を重ねすぎて少し疲れていた。未唯は未唯で、昼休みに後輩から相談を受けていたらしく、いつもより静かな印象をまとっている。けれど、その沈黙は気まずさではなく、むしろいま語られるべき「価値」の余白のようにも感じられた。


「……外見って、価値になるのかね」


 真がぽつりと呟くと、未唯は細い首をかしげた。


「外見……?」


「たとえば、誰かを好きだって言うとき、きっかけのひとつとして“見た目が好みだった”とか、普通にあるだろ。俺は、君を見たとき――いや、これは告白したその瞬間の話になるけどさ――まず君の姿、雰囲気、話すときの眼の動き……そういう“見たもの”が確かに俺に働きかけていた。身体的魅力ってやつかな。これ、価値になるの?」


 未唯は少し考え、風で揺れる前髪を耳にかけた。


「うーん……価値“判断”としては成り立つと思う。でも、価値“承認”とはまた違う気がするんだよね」


「そこが分からないんだよ。俺が感じた“好き”の一部は、確かに君の外見に引っ張られていた部分があるのに、それが価値承認なのかどうか……どう整理すればいいのか分からない」


 未唯は、屋上の床をトン、と軽くつま先で蹴った。思考の癖が出たときの動きだ。


「外見価値って、私も昔からよく分からないんだよね。私、小柄で……そのせいで“かわいいね”とか言われることは多くて。でも、それって私自身のどこを見て言ってるんだろうって」


「外見を見て言ってるんじゃないの? 当たり前だけど」


「そうなんだけど、それって価値なのかなって。評価ではあるんだけど、価値承認とは違う気がして」


 真は「ふむ」と目を細めた。未唯の言っていることを理解しようとすると、どうしても哲学のページが脳裏に浮かぶ。


「価値判断自体は成立してるけど、それが“その人の本質とか人格への承認”とは限らないってことか」


「そう。むしろ、外見は偶然的で、私が努力して作ったわけでもない。だから、“かわいい”と言われても、その言葉が私の“内側”に触れてくる感じがしないの」


「なるほどな……」


 真は思わず横目で未唯を見つめた。彼女の横顔は夕日を受けてどこか寂しげに見えた。外見が偶然的だと言ったけれど、真にとってはその横顔そのものが彼女の価値を支える一つの断面のようにも思えた。


「じゃあ未唯。君にとっての“価値”って何?」


 未唯は少し黙り、手すりに両肘を置いた。


「うーんとね……私が考えてる“価値”ってね、もっと“その人が生きてきた時間の延長”みたいなものだと思う」


「時間?」


「そう。どんな家庭で育ったとか、どんな選択をしてきたとか、どんな痛みを知ってるとか、何を大切にしているとか……そういう、その人の歴史の積み重なり。外見はその表層だから、それだけでは価値の核に触れられない感じがするんだよね」


 真は驚いたように顔を上げた。


「……それってすごく、哲学的だね」


「そうかな? ただの感覚なんだけど」


「いや。カントの“人格的価値”をすごく直感的に捉えてる。人が生きてきた歴史こそが価値の所在だ、みたいな」


 未唯は意外そうに目を瞬かせた。


「そんなつもりなかったけど……でも、たしかに。外見って、ほとんど偶然でしょ? 遺伝とか、環境とか、あと少しの努力で変わる範囲もあるけど、根本的には与えられたものじゃない?」


「まあ、そうだな」


「だから、私……外見的な評価って、あんまり受け取れないんだよね。それは私じゃなくて、私の“表面”が褒められてるだけな気がして」


 真は頷きながら、ふと過去の自分の言動が胸のなかで引っかかるのを感じた。初めて未唯に惹かれた理由の一部に、確かに“見た目”があった。けれど、それを言葉にしたくなかったのは、おそらくその評価があまりにも薄っぺらく思えたからだ。


「じゃあ未唯。外見は価値じゃないってこと?」


「価値じゃないとは言わないよ。少なくとも、誰かにとっては大事な判断材料になるし。外見を重視することが悪いわけでもない。ただ……『価値承認』と言うとき、それは“その人の人格そのものを尊重している”って意味でしょ? だとしたら、外見だけでは足りない気がするの」


「外見は、“価値判断の材料の一つ”にすぎない……って感じか?」


「うん。そして価値承認は、その奥にある“生活史”や“選択”に触れたときに初めて成立する気がしてる」


 真の胸の奥で、ひとつの言葉がゆっくりと形になっていく。


「……じゃあ俺が君を好きだと言ったあの瞬間、俺は何を価値として見てたんだろう」


 未唯は小さく息を吸い、真の横顔を見た。


「それ、私も知りたい。真くんが見てる“私”って、どの部分なんだろうって」


 風が二人の間を抜けていく。夕日が薄れて、キャンパスは青と橙の境界線を漂っていた。


「最初は、たぶん外見だった。でも……」


 真はゆっくりと続けた。


「君が話すときの癖とか、言葉の選び方とか、質問の仕方とか……全部が“考える人間”って感じでさ。俺はその“考え方”に惹かれていった。外見よりもずっと深いところで」


 未唯は驚いたように目を見開き、それから少しだけ俯いた。


「……そんなふうに見られたこと、あんまりないかもしれない」


「だろうな。君は可愛いし、外見ばかり注目されただろ?」


「うん。でも、それは私の“時間”じゃないから……あんまり嬉しくなかった」


「でも俺は……君がこれまでどう生きて、どう考えてきたか、その“内側”を知るほど、もっと好きになったよ」


 その瞬間、未唯の表情がかすかに揺れた。ほんの一瞬、困ったような、照れたような、安心したような、複雑な光が瞳に宿った。真はそれを見逃さなかった。


「……価値承認って、そういうことなのかな」


 未唯は小さな声でそう呟いた。


 その声には、外見ではなく「内側」を照らす光が宿りはじめていた。

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