表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第2章 快楽の形式と内容

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/70

ep. 25 好きの多義性

* * *


翌日の夜、大学の帰り道。

キャンパスから駅へ続く並木道に、淡い街灯がぽつぽつと落ちていた。


僕は歩きながら、今日こそ話すべきだと腹を決めていた。


昨日の“注意の偏り”を未唯がどう受け止めたのか──

その続きを、今日のうちに確かめたかった。


駅前に着くと、ベンチに座る未唯の姿があった。

膝にノートを広げて、何かを書いている。


まるで、言葉によって自分の感情を整えようとしているようだった。


僕が近づくと、未唯はゆっくり気づいて顔を上げる。


「……真くん。」


声が少しだけ驚いていて、

少しだけ予期していたようにも聞こえた。


「帰り、一緒に歩いていい?」


未唯は数秒間の沈黙のあとで、小さく頷いた。


* * *


並木道に戻ると、木々の影が歩道を網のように覆っている。

その影の合間で、僕は切り出した。


「昨日の続きなんだけど……

 “好き”って、単純じゃないよね。」


未唯はすぐに返事をしなかった。


影の上を歩くたびに、彼女の髪の先が光と闇の境目で揺れた。


「……“好き”の話、そんなに続けたいの?」


「続けたい。

 僕だけが話したいんじゃなくて、

 未唯自身が“避けている感情”の輪郭を、

 一度ちゃんと一緒に見ておきたい。」


未唯は立ち止まった。


「……避けてなんかいない。」


「避けてるよ。」


未唯は眉を寄せた。

でも、否定の強さの中に焦りが混ざっていた。


僕は続ける。


「好きって、一つの意味じゃ言い表せないんだ。

 快もあるし、価値もあるし、尊敬もあるし、

 関心の偏りもあるし、依存も、承認欲求も……

 全部“好き”の名前で呼ばれる。」


未唯の目が揺れた。


「……そんなふうに混ぜこぜにするから、

 “好き”って言葉が嫌いなの。」


「嫌いなのは、“曖昧さ”の方でしょ?」


未唯は返事をしなかった。

図星だったからだ。


* * *


「未唯さ、好きって聞くと……

 “恋愛感情”だけを思い浮かべてるよね?」


「……それ以外に何があるの?」


「僕は、未唯のこと“好き”だけど、

 恋愛だけで説明できる感情じゃないよ。」


未唯の呼吸が止まる。


そして、目が僕に吸い寄せられるように向く。


「……真くん……

 そういう簡単に言える言葉じゃないよ。」


「簡単じゃないから言ってる。」


「……わたし、真くんを恋愛的に好きだなんて思ってないよ。」


「知ってるよ。

 でも、“好き”ってその一つだけじゃないって言いたいんだ。」


僕は歩き出しながら続けた。


「たとえば──

 未唯と話すと、思考の速度が一段階上がる。

 この現象そのものは、恋愛じゃ説明できないよね。」


未唯は少しだけ目を丸くした。


「……そんなこと、わたし何もしてないのに。」


「してるよ。

 未唯の論理の芯が、僕の思考を刺激してるんだよ。」


未唯の耳がわずかに赤くなった。


彼女にとって、

“自分の価値が他人の思考を動かしている”という感覚は、

むしろ恋愛よりもずっと心を揺らす。


未唯は囁くように言った。


「……じゃあ、それも“好き”なの?」


「そう。

 “尊敬としての好き”って言える。」


未唯はゆっくり視線を落とす。


「……他には?」


「未唯の話は、毎回僕の価値判断を揺さぶる。

 『自律とは何か』『道徳法則とは何か』

 そういう根本を考え直させられる。」


「……わたし、揺さぶってるつもりなんてないよ。」


「でも、揺さぶられてるんだよ。

 これは“認識的刺激としての好き”だと思ってる。」


未唯は歩みを止めて、

手すりに指先を置いた。


「……わたしには、そんな価値ないよ。」


「あるよ。」


断言すると、未唯は顔を上げた。


その目が、昨日より強く揺れていた。


* * *


「それにさ、

 未唯といると、感情の起伏が大きくなる。」


「……それは“好き”じゃなくて、不安定なだけ。」


「違うよ。

 “情動的影響としての好き”って言える。」


未唯は困惑したように目を見開いた。


「好きって……そんなに種類あるの……?」


「むしろ、種類がない“好き”なんて存在しないよ。」


未唯は息を呑む。


僕は静かに言った。


「だからね、未唯の『真くんのこと恋愛的に好きじゃない』って言葉は、

 全体のうちの一種類について語ってるだけで……

 他の“好き”を否定したことにはならない。」


未唯は戸惑いの色を濃くした。


「……わたし、そんなふうに考えたこと、一度もない……」


「未唯が“好き”を嫌うのは、

 『恋愛だけのことば』だと思いこんでるから。」


未唯は黙る。


その沈黙には、拒絶でも拒否でもなく、

“理解したいけれど理解が追いつかない”という躊躇があった。


* * *


駅のホームまで来た頃、未唯は小さくつぶやいた。


「……じゃあさ。」


「うん。」


「真くんの言う“好き”の中で、

 わたしが持ってる可能性のある種類って……どれ?」


僕は少し微笑んだ。


この質問こそ、今日の核心だ。


「未唯自身は否定したいかもしれないけど──」


未唯が息を呑む。


「昨日の“注意の偏り”は、

 “関心としての好き”のはじまりだと思う。」


未唯は目を見開いた。


「……わ、わたし……そんなつもりない……」


「ないよね。

 でも“現象”って、つもりと関係なく起きる。」


未唯は唇をかんだ。


「……それって、恋愛とは違う?」


「違う。

 恋愛の前に生まれる、もっと曖昧で、もっと繊細な“好き”だよ。」


未唯の目が揺れる。


戸惑いと、拒絶と、理解と、

その全部が混じった複雑な揺れ。


「……そんなの、知らなかった。」


「未唯の中に、昨日少しだけ現れたんだと思う。」


未唯は視線を落とし、

小さく首を振った。


「……わたし……どうすればいいの?」


「何もしなくていいよ。

 ただ、起こった現象を拒まずに、観察するだけ。」


未唯は僕を見つめた。


長い沈黙のあと、

ゆっくり言った。


「……そんなにわたしのこと……

 ちゃんと見てるんだね。」


「うん。ずっと。」


未唯は頬を赤くして、視線をそらした。


* * *


電車が到着し、扉が開く。


乗り込む直前、未唯は振り返って言った。


「……好きって……

 そんなに一つじゃなかったんだね。」


その言葉は、自分に向けての呟きであり、

僕に向けた応答でもあった。


扉が閉まり、電車が動き出す。


未唯はまだ揺れていた。

でもその揺れは、拒絶ではなく──


“好きという概念の多義性”を受け入れ始めた揺れだった。


そしてそれは、

彼女の世界の輪郭が変わる第一歩でもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ