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好きがわからない君へ告白したら、カント倫理学でフラれました。 ――それでも僕たちは、自律から始まる恋を続けていく  作者: 目田 不識(めた・ふしき)
第1章 未唯という“現象”

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ep. 15 真の観察 ― 彼女の沈黙の向こう側にあるもの

 未唯と話した帰り道、広曽木真はゆっくりと歩きながら、

 彼女の言葉一つひとつを反芻していた。


(「優しいのか……分からない」

 あの言葉、本気だったな)


 未唯の声は震えてはいなかった。

 嘘をついているようにも見えなかった。


 ただ、本当に分からないのだ。

 “嬉しい”“好き”“快い”“嫌だ”

 そうした感情の区別が、彼女には曖昧なのだと伝わった。


(どうしてそんなふうに育ったんだろう)


 理由は分からない。

 けれど、彼女の沈黙には“拒絶”とは違う重さがあった。


 たとえるなら、

 人に触れられたことのない楽器のようだった。


 音はある。

 響きもある。

 ただ、誰も弾き方を教えてくれなかった。


(だから……慎重になるんだ)


 真は歩きながら、深く息をついた。


 昨日は勢いで告白したけれど、

 今思えばかなり無謀だった。


(……ちゃんと向き合わなきゃ)


 彼女は“知らない”のだ。

 恋愛ではなく、人との距離の取り方そのものを。


 それを責めるのは間違っている。

 押しつけるのも違う。


(昨日の俺……どうかしてたな)


 告白して、断られて、落ち込んで。

 その夜は世界が終わるように思えた。


 だが今は違う。


(未唯の「分からない」って……拒絶じゃなかったんだ)


 それが分かっただけで、真の胸の奥の痛みは

 少しだけ融けていった。


***


 真は自宅に戻ると、

 テーブルにノートを広げて思考を整理し始めた。


 未唯との会話は、哲学の講義より濃密だ。

 感情を論理で捉えようとする未唯の在り方は、

 真にとって新鮮だった。


(……分からないことを、分からないと言える人って、すごい)


 多くの人は“好き”を感覚で語る。

 「気づいたら好きになってた」

 「なんとなく一緒にいたい」

 「ドキドキする」


 その曖昧さを未唯は許容しない。


(そこが……たまらなく惹かれる)


 未唯は感情を曖昧なまま持ち歩くことを嫌う。

 だから“言語化”しようとする。

 「分からない」は、彼女にとって誠実な答えだ。


(なんで俺……未唯が気になるんだろう)


 問いを書き出す。


■なぜ未唯が気になるのか?


 理由は、一つではない。


・声が好き

・仕草が好き

・笑う瞬間が好き

・真剣に本を読む姿が好き

・議論の時の鋭さが好き


 だがそれだけではない。


 真はペンを止め、深く考えた。


(未唯は……俺に“定義”を求めてくる)


 あれほど誠実に真正面から感情と向き合う人を、

 真は今まで知らなかった。


(逃げないんだよな……未唯は)


 自分の弱さからも、知らないことからも、

 未唯は逃げない。


 それが真には美しく見えた。


(これが……価値承認、ってことか?)


 以前、真は“好き”の構造を説明した。

 価値承認、快、関心の偏り、利他的配慮。


 その理論を、今あらためて自分に適用してみる。


*価値承認:未唯の誠実さ、自律性に強く惹かれている

*快:彼女と話しているとき、心が落ち着く

*関心の偏り:気づくと彼女のことばかり考えている

*利他的配慮:彼女に無理をさせたくない、守りたい


(……全部揃ってるな)


 こうして整理してみると、

 未唯への好意は合理的に説明がついた。


(合理的に説明できるのに……

 どうして好きはこんなにも苦しいんだろう)


 真は鼻で笑った。


 理論があっても、人間の心は単純ではない。

 説明できたからといって、痛みが消えるわけでもない。


 ただ——


(未唯が言った「分からない」は……

 俺の痛みを否定してなかった)


 それが、何よりの救いだった。


***


 ベッドに横になって天井を見つめていると、

 未唯の表情が何度も浮かんだ。


 あの少し影のある眼差し。

 細く白い指がページをめくる動き。

 言葉に困ったときに唇を噛む癖。


 どれも、真にはたまらなかった。


(好きだな……やっぱり)


 でも、焦ってはいけない。

 そう思い直す。


 未唯は、真とは違う。

 感情の扱い方が違う。


 真は“好き”を即座に肯定し、

 踏み込もうとする。


 一方、未唯は慎重だ。

 理解できないものには近づかず、

 分からないものには距離を置く。


(近づきすぎたら……たぶん、逃げる)


 そう確信できた。


(なら……俺がやるべきは、

 追いかけることじゃなくて、

 並んで歩くことだ)


 結論をノートに書く。


■未唯を追わない。

 未唯の歩幅に合わせる。


(これが……俺の“義務”かもしれないな)


 義務という言葉を使ってみて、自分で笑った。


(いや、違うだろ……

 義務って言うほど立派なもんじゃない)


 ただ、そうした方がうまくいく気がした。

 未唯のためにも、自分のためにも。


(こういうのって……恋なのかな)


 自問した瞬間、胸の奥が柔らかく痛んだ。


(……ああ、そうだ。

 俺は、未唯のことが好きだ)


 言葉にしたとたん、心の輪郭がはっきりした。


 昨日よりも、今日の方が。

 断られた後よりも、話した後の方が。


(好きが……増えてる)


 そんな馬鹿みたいな事実に、顔が熱くなる。


***


 夜も遅くなってきた頃、スマホが震えた。


「明日、少し話せますか?」


 未唯からのメッセージだった。


 真は息を止めた。


(……これは、前進なのか?

 それともただの確認なのか?)


 未唯は、自分の感情が揺れたとき、

 必ず“確認”しようとする人間だ。


(でも……それでもいい)


 会いたい。

 話したい。

 未唯がそう思ってくれたことが、ただ嬉しかった。


「もちろん。何時でもいいよ」


 そう返信してから、真はスマホを胸に置いた。


(明日……何を話すんだろう)


 想像すると心臓が跳ねる。

 でも不思議と、昨日ほど不安ではない。


(今日は……少しだけ、未唯に近づけた気がした)


 その気持ちのまま、ゆっくりと目を閉じた。


 その夜の夢に、未唯は出てこなかった。

 だが、寝る前に感じた温かさだけは、

 朝までずっと胸に残っていた。

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