9話 はじめての魔物がり
そして、一話へと続く冒険者登録の場面に物語はつながっていく――その詳細はここでは割愛しよう。
この時代には、戸籍制度というものはまるで存在せず、大人として認められれば誰でも冒険者として登録できた。
もっとも、冒険者は誰もが憧れる華やかな職業ではない。
むしろ、まともに食べていけない者たちが、命を懸けて日々の糧を得るために選ぶ、最後の選択肢だった。
それでも、魔物を倒せば貴重な素材や財宝を得られることもあり、一攫千金を夢見る者は後を絶たなかった。
まさに、命を賭けた一世一代の大博打である。
人類と魔物は、遠い昔から終わりなき戦いを続けてきた。
国境線という曖昧な線引きの上で、主戦場はその狭間だった。
だが、十六年前――世界の各地の大きな町の近くに突如として“魔窟”が現れ、魔物たちは人類を直接滅ぼそうと新たな攻撃を開始した。
それは、ちょうど神来真古徒がマコテルノ(天之御中主神)としてこの世に生を受けた時と同じ頃の出来事だった。
ようやく王都の巨大な城壁にたどり着いたマコテルノたちは、その壮麗な壁を仰ぎ見て、しばし言葉を失っていた。
長い道のりを駆け抜けてきたせいで、みんなの顔には疲労の色が濃くにじんでいる。
だが、フィーネが最後の力を振り絞って魔法をかけてくれたおかげで、全員の体力も少し戻り、体についた汚れもきれいに落ちていた。
フィーネは、ガルディアが持っていた空っぽの保存食のカゴの中に、ちょこんと身を納めて座っている。
マコテルノは彼女にやさしく微笑みかけた。
「フィー、いつも本当にありがとう。君がいなければ、僕たちはここまでたどり着けなかったよ」
フィーネは恥ずかしそうにもじもじと答える。
「私にできるの、それくらいしかないし……」
他の仲間たちも、心からフィーネに感謝している様子だった。
ガルディアは、カゴとはいえフィーネを担げて、どこかうれしそうな顔をしている。
そのとき、ラグナードが王都の巨大な壁を見上げて目をまん丸にする。
「すげぇな、この壁! どんだけデカいし、どんだけ厚いんだよ……いっちょ殴ってみるか?」
フィーネは驚いて慌てて手を振る。
「だ、だめだよラグナード! もし壊れたら、王都に入れなくなっちゃう!」
ラグナードは明るく頭をかきながら笑った。
「冗談だってば。俺だって、さすがに壁を壊す気はねぇよ」
するとメルカニアが肩をすくめて、短く言う。
「まったく、あんたの冗談は分かりにくいのよ」
そんなやりとりの中、みんなは高くそびえる城壁を見上げ、村とはまったく違う世界に来たことを改めて実感していた。
近年、人口の多い都市近郊には次々と魔窟が現れ、そこから魔物があふれ出すようになっていた。そのため、王都の城壁は年々高く、分厚く築き直されていった。
人類は確実に危機のふちへと追い込まれていた。
けれど、ガルディアだけでなく、五人全員が空腹をこらえている。
マコテルノが淡々と声をかけた。
「急ごう。ギルドに行って、魔物を倒して、さっと稼ごう」
その一言に、みんなは無言でうなずき合い、人ごみを縫うようにして王都の中を駆け抜けていく。
不思議なことに、マコテルノは初めての土地のはずなのに、まるで見慣れた道のようにギルドの方角を指し示していた。
やがて、五人はギルドで貸し出された粗末な装備を身につけ、重い足取りで魔窟へと向かった。
ラグナードが心配そうにマコテルノに声をかける。
「なあ、テルノ。本当に魔物って強いのか? 正直、もう体力残ってないぞ……」
マコテルノは変わらぬ調子で答えた。
「この辺りの魔物は弱い。今日の分だけ稼いで、まずは宿と食事だ」
ラグナードは肩をすくめて苦笑いする。
「ま、飢え死にするよりはマシか……」
仲間たち四人は、魔物についての知識を何も持っていなかった。
秘境の村では魔物が姿を見せることもなく、大人たちでさえ“魔物”という言葉だけを知っているに過ぎなかった。
魔窟の周囲には、重装備の兵士たちが緊張した顔で警備に立っている。
直径二十メートルほどの巨大な穴が地面に口を開け、年々少しずつ広がっているという。
マコテルノたちは、重苦しい空気の中、魔窟の内部へと足を踏み入れる。
足を踏み入れた先には、どこか見覚えのある光景――かつて遊び回った洞窟を思わせる空間が広がっていた。
ただ、今はあの温かな安らぎの気配は消え、重くよどんだ不穏さだけが漂っている。
魔窟の内部は意外なほど明るく、探索済みのエリアは魔法の光で照らされていた。
漆黒の岩壁が淡く光を反射し、無骨な岩がいくつも転がっている。その様子はどこか幻想的で、神秘的な空気が満ちていた。
フィーネがぽつりと声をもらす。
「……きれい」
メルカニアも目を細めて感心した。
「想像より、ずっときれいだわ」
マコテルノは、まるで見慣れた道のように迷いなく進む。仲間たちも緊張した表情でその背中を追いかける。
ラグナードがきょろきょろと周囲を見回しつつ尋ねた。
「なあテルノ、どこに向かってるんだ?」
マコテルノは落ち着いた声で返す。
「ゴブリン狩りがいいかな。数も多いし、最初はすぐに狩れるはず。でも……見た目は醜いけど、人の形をしているから、最初は少し気が引けるかもしれない」
「これからは、人型の魔物も増えてくる。見た目に惑わされると危ないよ。慣れておいた方がいい。だから……ゴブリンにしよう」
しばらく進むと道が分岐した。マコテルノは迷いなく一つの道を選んで進んでいく。
メルカニアが不思議そうに首をかしげる。
「このあたり、魔物が全然いないわね。どうして?」
マコテルノの表情が一瞬だけ曇る。
「今は魔窟の“成長期”だから、浅い階層にはあまり魔物が出ないんだ。でも、成長が終わると一気にあふれ出す。今もはぐれ魔物は出てくるから、出口では兵士が見張ってると思う」
ラグナードがあきれ半分で笑う。
「お前……なんでそんなに詳しいんだよ。変わってるな、ほんと」
フィーネがやさしくフォローする。
「でも、テルノくんがいるから、私たちきっと大丈夫だと思うよ」
ラグナードが拳を握って気合いを入れる。
「よし、初めての魔物狩りだ! 細かいこと考えず、さっさといくぞ!」
そして、五人はついにゴブリンがあふれるエリアへと足を踏み入れた。
遠目に見れば、どこか子供のような背丈だが、近づけばその姿はまさに醜悪だった。
小さな牙が下顎から突き出し、皮膚は腫瘍のようなこぶで覆われて、薄汚れた緑色に変色している。ぶよぶよと揺れる腹は、見る者をぞっとさせる不気味さだった。
初めてゴブリンの姿を目にした者は、誰もが驚きと恐怖に表情をこわばらせる。
粗末な布をまとい、手には石の斧を握っている。奇怪な声をあげながら群れとなって這いずり回るその姿は、人の心にじわじわと嫌悪を広げていく。
だが実際は、剣と盾さえあれば誰でも倒せる弱い魔物だ。ただ、数が多いので危険ではある。
マコテルノの仲間たちも例外ではなかった。
ゴブリンの群れを初めて見たとき、みんな腰が引けて、顔にはげんなりとした色が浮かぶ。
フィーネは思わずガルディアの背に隠れる。
だが、そのガルディア自身も怯えていた。恐怖で赤い瞳がいっそう光り、口元が引きつり――誰が見ても近寄りがたい、恐ろしい顔になっていた。
ガルディアは、怯えると顔が険しくなり、体からも不思議な威圧感があふれ出てしまうという、ちょっと困った性質を持っていた。