8話 ゴブリン 2
ラグナードとメルカニアの瞳には、まだ不安が揺れていたが、少しずつ呼吸が落ち着きを取り戻しつつあった。
(大丈夫。みんなならやれる――)
マコテルノは、仲間たちに心を伝えるように、穏やかに口を開いた。
(魔物は人間や動物と違って、心も感情もない。剣や斧が勝手に動いているだけなんだ。魔窟核が生み出した現象でしかない。ただの出来事だ。さっと倒して、ご飯を食べよう)
言葉が終わるやいなや、マコテルノの体は自然に反応し、剣を抜き放ってゴブリンの群れへ駆け込んでいた。
土を蹴る感触、剣閃が一閃ごとに光り、次々とゴブリンを斬り倒す。その一つひとつを、脳が鮮明に映し出していく。
(俺が一番乗りだっ!)
ラグナードの叫びが鼓膜を震わせる。すぐさま彼の体は、マコテルノの背中を追い、敵の中に溶け込んだ。
メルカニアの声もすぐに追いかけてくる。
(いいえ、私が一番乗りよ)
彼女は脳内で術式を描き、後方から高威力の魔法を瞬時に放った。炎の奔流がゴブリンの群れを焼き払う。
(――決めるなら今)
フィーネとガルディアは一歩引いた位置から、その光景を見つめていた。
フィーネはガルディアの横で、小さく拳を握る。(大丈夫、一緒に行こう)
その手がそっとガルディアの手を包むと、ガルディアの心に熱が広がる。恐怖が徐々に後退し、代わりに勇気が膨らんでいく。
(……フィーネ、ありがとう。君の言葉だけで、こんなにも強くなれるなんて)
内気なガルディアは、伝えたい想いを胸に抱えたまま、一歩前に踏み出した。顔から恐怖が消え、代わりに穏やかな笑みが浮かぶ。
次の瞬間、巨大な体がゴブリンの群れに飛び込み、嵐のように敵を蹴散らしていく。
(――俺も、やれる)
仲間たちの動きが脳内に鮮明に伝わる。ラグナードの剣撃、メルカニアの魔法、マコテルノの戦術、フィーネのやさしさ――全てが心の中で響き合っていた。
結局、フィーネの出番はなかった。
ガルディアが圧倒的な力で敵を一掃したのだ。
数百体のゴブリンは瞬く間に塵と化し、次々と湧き出してくる敵すら、五人の前ではただの影でしかなかった。
(すごい……本当に僕たちは強くなったんだ)
周囲には、多くの初級冒険者たちが集まり始めていた。
魔法の炸裂音、衝撃の爆音が響き渡り、どよめきが広がる。
(何が起こってる? ……俺たちの動き、見えてるのか?)
冒険者たちの視線、戸惑い、驚愕、羨望――そのすべてを、五人の誰もが肌で感じていた。
(見習い冒険者の装備なのに……あいつら、本当に人間か?)
「フィー、魔核を集めて」
マコテルノの合図が脳内に響く。
フィーネは無言でうなずき、ガルディアが持つ大きな袋へ、次々と魔核を回収していった。
すると、地面に転がっていた魔核が、フィーネの一念でふわりと宙を舞い、ガルディアの大きな袋に次々と収まっていく。(……みんなの働きが、これだけの成果に)
周囲から冒険者たちのささやきが聞こえる。
(……あんな魔法、普通は見たことがない。いや、最上位でも無理じゃないか?)
マコテルノは無意識に仲間たちを視線で呼び寄せた。口調は穏やかだが、脳内は急ぎの指令を発していた。
(もう十分。これだけあれば、今日の食事代も宿代もまかなえる。これ以上は不要――次の人に譲ろう)
自然な動作で歩き出す。
仲間たちも何も言わずについてくる。五人の横一列――空腹と達成感と、そのどこか異様な威圧感が周囲の空気を変えていた。
(……巻き込まれたくない。死ぬかもしれない。そんな声が脳の片隅をかすめる)
ガルディア以外も、飢えで無表情になっているだけなのに――外からは何か危険な存在に見えている。そのことに自覚すらなかった。
「もう、むり、ぜったいしぬ……」
誰かの弱音が、群衆の後ろから聞こえてきた。
五人は空腹のまま、ギルドを目指して雑踏を縫うように進む。
ギルドの受付に戻ると、まだ登録から二時間も経っていない。
受付の女性が警戒を滲ませた表情で迎える。(何か問題が?――という雰囲気)
ガルディアは、黙って大袋をドンとテーブルに置いた。
(換金を)
職員が袋を覗き込んだ瞬間、驚愕が受付内に走る。
「全部、ゴブリンの魔核……?」
次々と職員が集まり、魔法でカウントを始める。袋が光に包まれると、正確な個数が読み上げられた。
「千二百六十八個、あります!」
その数にギルド全体がざわつく。
中年の男性職員が、場をおさめるように前へ出る。
五人を順に見て、丁寧に問う。
「さっき登録したばかりの見習い冒険者で、間違いないな?」
ラグナードが自信に満ちた声を響かせる。
「もちろん、俺たちだぜ!」
すぐに、マコテルノも真剣な表情で訴える。
「僕たち、強い方です。一般冒険者として、どこでも行けるようにしてください」
場の空気が一瞬、氷のように張り詰める。
(――この異常な現実、受け入れるしかない)
やがて中年男性が笑みを浮かべてうなずく。
「君たちがそれでいいなら、問題はない。これからも期待している」
王都では魔物の発生が急増している。優秀な冒険者は、どんな異質でも歓迎されていた。
金色に輝く新しい指輪が五人の前に差し出される。
(――一般冒険者の証)
王都に到着して、わずか二時間足らず。五人は“見習い”から“一般”へと、一気に昇格した。
(でも、これはただの序章――)
マコテルノの内面には、焦りと決意が同時に渦巻く。
(魔王を倒し、この地球に訪れる破滅を必ず変えてみせる)
──
※補足
冒険者ギルドには大まかなランク分けが存在する。最初は誰もが「見習い」から始まり、実績によって「初級」「中級」「一般」と昇格できる。一般ランクになれば、あらゆる依頼や狩場に制限なく挑めるのが、この世界の常識だった。