7話 ゴブリン
ようやく王都の巨大な城壁にたどり着いた五人。
その壮麗な壁を見上げて、誰もが一瞬言葉を忘れていた。
長い道のりを駆け抜けてきたせいで、疲労が顔に色濃くにじんでいる。
けれど、フィーネが最後の力を振り絞ってかけてくれた魔法で、みんなの体力も少し戻り、体についた汚れもきれいに落ちていた。
フィーネはガルディアの持っていた空っぽの保存食カゴの中に、ちょこんと身を納めている。
マコテルノは彼女にやさしく微笑む。(フィー、ありがとう。君がいてくれたから、ここまで来られた)
フィーネはもじもじしながらも、心の奥で呟く。(私にできるの、それくらいしかないし……)
ほかの仲間も、心からフィーネに感謝していた。
ガルディアはカゴごとフィーネを担げたことに、なぜか少しうれしそうな顔をしている。
そのとき、ラグナードが壁を見上げて目を丸くする。
(すげぇな、この壁……どんだけデカいし、どんだけ厚いんだよ。いっちょ殴ってみるか?)
フィーネは慌てて、ラグナードの方に体を乗り出す。
(だ、だめだよラグナード! もし壊れたら、王都に入れなくなっちゃう!)
ラグナードは明るく頭をかきながら笑う。(冗談だってば。俺だって、さすがに壁を壊す気はねぇよ)
メルカニアが肩をすくめ、短く心のなかでつぶやく。(まったく、あんたの冗談は分かりにくいのよ)
高くそびえる城壁を見上げ、みんなの心に、村とはまったく違う世界へやって来たという実感がじんわりと広がっていく。
近年、人口の多い都市近郊には次々と魔窟が出現し、そこから魔物があふれ出していた。
そのため、王都の城壁は年々高く、分厚く築き直されてきた。
人類は、確実に危機のふちに追い込まれている――その現実が、五人の胸にもずしりと落ちてくる。
*
ギルドの大きな扉の前に、五人は並んで立つ。
(ここまで来れた……)
だが、その扉は、すでに勢いよく開かれていた。
誰よりも先に声を上げたのはラグナード。
(おい、テルノ! 夢にまで見た冒険者登録だぞ!)
興奮を抑えきれず、石造りの壁を両手で叩きながらはしゃぎ回るラグナード。
(すげえよな、この建物! 全部石だぜ! 俺たちの村なんて、石の家ひとつもなかったのに!)
その姿を見て、四人はそろってジト目。
(――みんなで一緒に扉を開けたかったのに)
マコテルノの心に、ちょっとした悔しさがにじむ。
ラグナードはそんな空気にまったく気づかず、ひとりでギルドの受付まで走っていってしまう。
メルカニアは小声で呪文を唱え始めていたが、マコテルノが軽く手を添えて止める。
(みんな、行こう)
その意識が伝わり、全員で顔を見合わせ、一斉にギルドの受付へ駆けていく。
この時代には、戸籍制度はない。
「大人」と見なされれば誰でも冒険者として登録できる。
もっとも、それは誰もが憧れるような華やかな職業ではない。
命を賭けて糧を得る、最後の選択肢。
それでも、魔物を倒せば貴重な素材や財宝が手に入ることもある。
一攫千金を夢見る者は後を絶たなかった。
人類と魔物は、遠い昔から、終わりなき戦いを続けてきた。
国境線という曖昧な線引きの上で、主戦場は常にその狭間にあった。
(ここが、俺たちの新しいスタートだ)
マコテルノの心に、静かな決意が浮かんでいた。
ギルドも、冒険者が簡単に倒されては困る。
だから見習い冒険者には、装備が無料で貸与されていた。
討伐が許される魔物も、ごく限られた種類に限定されている。
(……とはいえ、緊張は隠せないな)
五人は、初めて魔物と戦うという現実に、内心で緊張の色を深めていた。
マコテルノは魔物の特性や魔窟の構造にも熟知している。(問題ない――)と心のなかで判断しつつも、今は五人全員が空腹をこらえている。
(回復魔法は万能じゃない。体のエネルギーを無理やり引き出すだけ。もう残りがなければ、フィーネだって魔法は使えない)
やがて、五人は重い足取りで、魔窟の入口へと歩を進める。
フィーネも魔法の余力を残していなかった。
(ここからは、気力と連携が頼りだ)
そのとき、ラグナードが不安そうな顔でマコテルノに問いかけてきた。
(なあ、テルノ。魔物って、どれぐらい強ぇんだ? ……正直、もう空腹で死にそうだぞ……)
マコテルノは皆を安心させようと、明るい声で返す。
(このあたりの魔物は弱いから、今日は必要なぶんだけ倒して、まずは飯と宿にしよう)
そのひと言が、みんなの心に少しだけ活力を戻す。
ラグナードは気合いを入れ直す。
(よし、さっさと倒して、うまいもんでも食いに行こうぜ!)
仲間たちは顔を見合わせ、再び軽快に足を速める。
(魔窟へ――)
そしてついに、彼らはゴブリンたちがうごめくエリアへと足を踏み入れた。
遠目には、どこか子供のような背丈。
近づけば、その姿は醜悪だった。
小さな牙が下顎から突き出し、腫瘍のようなこぶで皮膚は覆われ、薄汚れた緑色。
ぶよぶよと揺れる腹が、不気味さを一層際立たせている。
粗末な布切れに石の斧を持ち、奇怪な声で群れをなす。
その光景は、本能的な嫌悪感を呼び起こす。
みんなの腰が引け、顔にはげんなりした色が浮かぶ。
フィーネは思わずガルディアの背に隠れる。(怖い……でも大丈夫)
だが、そのガルディアも内心では怯えている。
恐怖で赤い瞳がぎらつき、口元はひきつり……
その結果、誰が見ても近寄りがたい“恐ろしい顔”に変わってしまっていた。
(やばい……怖い……けど、守らなきゃ)
ガルディアには、“怯えると顔が険しくなり、体から異様な威圧感を放ってしまう”という困った性質があった。
みんなが無意識に彼を“怖い”と思う理由の一つだ。
そんな仲間たちを見て、マコテルノは心の中で語りかける。
(これから人型の魔物も出てくるし、見た目で油断しないように、ゴブリンで慣れておこう)