4話 秘境の村 10歳
春の光が村のあぜ道を照らしていた。
雪解け水が田の端にまだ少し残っているが、そこには、つくしや菜の花がそっと顔をのぞかせている。
朝の仕事を終えた村の子どもたちは、川沿いの小さな祠の前に自然と集まっていた。
「いただきます!」
フィーネの祖母が竹の葉に包んだ雑穀のおにぎりを、にこやかに手渡す。
ふかした芋と春野菜の味噌汁の湯気が、冷たい朝の空気にやわらかく溶けていった。
ガルディアは大きな手でおにぎりを頬張り、ラグナードは「うまい!」と無邪気な声を響かせる。
メルカニアは礼儀正しく祖母に頭を下げ、フィーネは残ったおかずを器用に分けて回った。
その輪の中には、小さな幸せが静かに満ちていた。
腹ごしらえが済むと、子どもたちは草の上にごろりと寝転がる。
春の陽ざしに目を細めれば、山桜の花びらが頬をくすぐった。
「なあ、今日もどうくつで秘密しようぜ!」
ラグナードが勢いよく手を掲げる。
「いいね!」とメルカニアが嬉しそうに返し、ガルディアもうなずく。
フィーネも微笑み、みんなで川沿いの小道を歩きはじめる。
マコテルノたちはもう十歳。
最近は村も豊作続きで、それぞれ自分の進む道のための学びも始まっていた。
だが、五人の胸の奥には、“冒険者になる”という幼い日の約束がまだ生きていた。
洞窟の中はひんやりとしていて、みんなで遊び、励まし合う時間は何よりの宝物だった。
山腹にぽっかりと開いた洞窟は、村人にとっては恐れられた場所だ。
誰も近づこうとはしなかったが、五人にとっては、そこが世界で一番大切な“秘密の基地”だった。
洞窟の入り口をくぐると、外の光が一気に消え、冷たい空気が肌にまとわりつく。
岩壁には不思議な紋様が浮かび、奥からはほんのり暖かい空気さえ感じる。
五人は一列になって、足音をひそめて奥へ進んでいく。
かつては恐怖で入れなかった暗闇も、いまでは迷いなく進めるようになっていた。
その先には、広い空間が静かに彼らを待っていた。
「かべをこわす!」
ガルディアが勢いよく叫ぶ。
まるで獣のように肩から洞窟の壁に体当たりを繰り返す。
ぶつかった衝撃に顔をしかめながらも、どこか心地よさを覚えている。
マコテルノが「壁にぶつかれば、体が強くなってみんなを守れるようになる」と静かに言ってくれた。
それがガルディアの胸の奥に小さな火をともしていた。
いつか、大切な人を守れる強い自分になりたい――そんな想いを、誰にも言えずに。
「うおおおっ!」
鈍い音が洞窟に響くが、壁はびくともしない。
それでも、痛みは不思議と消え、体の芯が温かくなっていく。
「どうだ、ガルディア?」
ラグナードはまるでハムスターのように暗い洞窟を駆け回り、時々天井近くから声をかけてくる。
ガルディアは肩で息をしながら、悔しそうに顔をしかめる。
「……だめだ、この壁、強すぎる。でも、いつか壊す。フィ……みんなを守る!」
「おい、今、“フィ”って言わなかったか?」
ラグナードが茶化すように笑い、さらに軽やかに走り回る。
真っ暗な中なのに、ラグナードはまるで何かを感じ取るように自在に動く。
小石の位置や空気の流れ、仲間の息遣いまでも敏感にキャッチしている。
ときには仲間のすぐ横を素早く駆け抜けて驚かせ、遊び心たっぷりに暗闇を楽しんでいた。
また、小石を拾い集めては袋に詰め、何度も壁に投げつける。
「ガルディアより先に壁を壊してやる――!」
誰にも言わない小さな対抗心が、彼の中で静かに燃えていた。
「よし、当たった!……くそ、壁かたいな……」
その声に仲間たちが笑顔を見せる。
メルカニアは壁のそばに立ち、両手を組む。
「今日は新しい魔法、試してみる!」
深呼吸して詠唱を始めると、青白い光が掌に集まり、火と氷の魔力が絡み合う。
「いくよ、これが私の“氷炎雷撃”!」
火花と氷柱、そして雷撃が同時に壁へと走る。
眩い閃光と轟音が洞窟に満ちるが、岩壁はびくともしない。
メルカニアは息をつき、しかし楽しげに笑った。
「ふぅ……やっぱり壁はかたい。でも、もっと強い魔法、考える!」
その瞳の奥には、まだ見ぬ挑戦へのきらめきがあった。
魔力が体を巡るごとに高揚し、新しい魔法が生まれる瞬間に思わず飛び跳ねそうになる。
マコテルノから「君は魔法の天才だよ」と言われている。
訓練すればどんな魔法も身につけられる――その言葉が彼女の自信になっていた。
フィーネは中央で両手を合わせ、金色の光をあふれさせる。
仲間たちの小さな傷や疲れをそっと包みこみ、「みんな、怪我はない?私、もっと回復できるよ」と優しい声をかける。
静かな声が、心と体に温もりを広げていった。
フィーネは自分に毒魔法をかけては解毒し、強化魔法の効き目も試していた。
新しい魔法の効果が見つかると、子どものように無邪気な笑顔を見せていた。
マコテルノは、洞窟の中央で木刀を構え、静かに立っていた。
身じろぎもせず、内なる力と向き合う。
その意識の深みから、不思議な力がふいに立ち上る。
仲間一人ひとりの気配を感じながら、さりげなくアドバイスを送り、できてもできなくても「すごいね」と静かに褒める。
みんなの成長を見守る彼の瞳には、温かさと誇り、そしてかすかな不安が揺れていた。
訓練の合間には、地面に布を広げて輪になり、昼食を取った。
真っ暗な中で食べるのはおもしろくて、宝探しのようだった。
「これ、甘いお芋だ!」
「食べたかったのに!」
そんな声が飛び交い、雑穀のおにぎりや山菜のスープを暗闇で分け合っては、みんなで笑い合う。
明かりも灯せるが、「暗闇で食べる方が楽しいし美味しい」とマコテルノが言って、それがすっかりお気に入りになっていた。
(僕の未来を救うには、魔王という強大な魔物を倒さなければならない。
でも、一人じゃ無理だ……みんなの力が必要なんだ。
だけど、みんなが死ぬかもしれない――それは正しいことなのか……
未来を変えないと、大切な人は救えない。
でも、みんなは僕が思っているよりずっと強くなった。
もっと強くできたら……この親友たちもきっと死なない!)
昼食の後は、再び訓練に戻る。
ガルディアが岩壁の前で姿勢を低くし、「今度こそ……!」と力を込めて頭突きをするが、壁はびくともしない。
「今日もぜんぜんダメだった……」
落ち込むガルディアに、ラグナードが肩を叩く。
「でも、ガルディアのぶつかり、前よりずっと強くなってるぞ!」
メルカニアも小さく頷く。「私も。新しい魔法、作れそう。」
フィーネは優しく微笑んで、「みんな強くなってるよ。わたし、ちゃんと分かる」と声をかけた。
マコテルノは皆の言葉を静かに聞きながら、「みんな強くなったけど、魔物はもっと強いよ。もっと頑張ろう」と静かに言う。
ラグナードは苦笑しながらも、「魔物は、そんなに強いのか……でも負けない」と決意をにじませる。
メルカニアは目を輝かせ、「私の新しい魔法があればだいじょうぶ!」と宣言する。
フィーネは「だいじょうぶ、わたしが治す」と、やわらかく微笑んだ。
ガルディアは真剣な顔で、「フ……みんなは僕がまもる」と小さく誓った。
そして、全員で手を重ねる。
「絶対、冒険者になる!」「うまい飯を食べる!」「肉を食べる!」「おやつも果物も!」
――誓いの言葉が洞窟の奥に響くと、壁の模様が淡い光を帯びて、暖かな風が五人の手をやさしく包み込んだ。
外に出れば、茜色の夕暮れが広がっている。
全員が笑顔で村への帰り道を歩き、家々の灯りと「おかえり!」という家族の声が出迎えてくれる。
夜、布団の中でマコテルノは天井を見上げた。
洞窟での訓練や仲間の笑顔、温かな会話が胸に浮かぶ。
(魔王を倒せるほど強くなったら、本当のことを話そう。そして謝ろう)
静かに目を閉じると、春の夜風がやさしく頬をなでていった。
十歳にして、彼らはすでに上級冒険者並みの力を手にしていた。
そして、マコテルノが心配するよりずっと、みんなは優しく、頼もしかった。