15話 ケーキ 2
マコテルノたちは、田舎者丸出しの服を脱ぎ、初めて少しおしゃれな服に着替えた。
そして王都の通りを、周囲を興味深そうに見渡しながら、ゆっくりと歩いていた。
ケーキ屋の場所は、宿の主人から教わっていたはずだった。
だが、なぜかマコテルノは、その正しい道筋をうまくたどれなかった。
メルカニアが軽く眉を上げて言った。
「テルノ、まだ着かないの?」
フィーネは歩きながら、ふと立ち止まり、優しい声でつぶやいた。
「ここ、きれい……」
いつの間にか一行は、大通りから外れた桜並木の道に迷い込んでいた。
秘境の村にも桜はあったが、これほど見事に整えられた並木道は初めてだった。
メルカニアも静かに息をのむ。
「本当に綺麗ね……」
ラグナードとガルディアも感心したように辺りを見渡しながら、声をそろえる。
「やっぱり王都は違うな。こんな場所があるんだな」
そんな彼らの様子を見つめながら、マコテルノはひとり、(どうして……神の声が湧いてこない……?)と内心で強い焦りを覚えていた。
いつもなら、“どこに行けばいいか”という感覚が、自然と体の奥から湧き上がってくる。
だが今回は、まったく何も感じなかった。
――実のところ、マコテルノはかなりの方向音痴だった。
(また逆に歩いてるのかもしれない……でも、みんなに言い出せない)
目的地に向かって歩き出すたび、なぜかほぼ真逆の方角へ進んでしまうのだ。
それでも、これまでは「皆を導いてきた」という確かな自負があった。
だからこそ、(きっと大丈夫だ、神の声がそのうち湧いてくる)と、心の奥底で信じていた。
そんな空気のなか、ラグナードが両手を頭の後ろに組み、のんびりした調子で言った。
「なあ、テルノ。……こんな場所にケーキ屋があるわけねーだろ?」
そこは王都の城壁の上――高い塔の展望台から街を一望できる、見晴らしの良い場所だった。
眼下に広がる街は、美しく整った区画の中に多くの人々が行き交い、活気に満ちていた。
遠くの山々は新緑に染まり、ところどころに山桜が咲いている。
青空には白い雲が浮かび、頬を撫でる風はどこまでも清々しかった。
マコテルノが塔の上から指を差した。神の声の澄んだ響きで言う。
「僕たちの村は向こうにある」
心の奥底から迷いのない指示が湧いていた。
仲間たちはその方向を眺めながら、自然と――秘境の村に居る家族たちのことを思い出していた。
(みんな、元気にしてるかな……)
(今年も、豊作だといいけどな)
(他の子どもたちは、どうしてるんだろうな……)
そんな心の声が、春風に乗って、ゆったりと交わされていく。
そして、ふと両親のことを思い出すと、皆の目には自然と涙が浮かんでいた。
マコテルノもまた、この世界で大切に育ててくれた両親のことを思い出し、(うぅ……親父……おふくろ……会いたいよ……!)と心の中では号泣していた。
――しかし、この“ポンコツの神の器”は、泣いているに涙すら出てこない。
無表情のまま、まるで神のように迷いのない顔で、秘境の村の方角を皆と並んで見つめていた。
そんな中、二人の少女――メルカニアとフィーネは、街行く人々の視線を一身に集めていた。
その美しさと可憐さに、王都の人々は思わず足を止め、息を呑むほどだった。
そして、その隣でラグナードとガルディアは、それぞれの胸の中で何度も繰り返していた。
(綺麗すぎる……)
(可愛すぎる……)
皆、それぞれが家族に思いを伝えられたのか、どこか安心した表情を浮かべていた。
そんな中、メルカニアが少し目を吊り上げて、鋭く問いかけてきた。
「……で、テルノ? ケーキ屋はどこなの? どう考えても、ここにはないでしょ?」
その一言に、マコテルノ――神来 真古徒の心は激しく揺れていた。
(……やばい。どうしよう。完全に困った……)
しかし、神の器たるその顔は、一切動揺を見せない。
むしろ、(我に間違いなどあるはずがない)と言わんばかりの、完璧な自信に満ちた表情だった。
マコテルノはゆっくりとメルカニアの方を向き、神の如き響きの声で、いつものように言い訳を口にした。
「……いや、ちょっと寄り道しただけさ。ケーキ屋に行く前に……みんなに綺麗な景色を見せたくてね。喜んでくれて、よかった」
話すときは相手の目をしっかり見る――
それは、神主の父・神来かみき 秀和ひでかずの教えだった。
実際のところ、マコテルノはかなりの方向音痴だ。
――だが、なぜか運だけは良い。
学生時代――神来かみき 真古徒まことだった頃も、友人たちからよく言われていた。
「なんか、真古徒について行くと、変なところに行くけど……最終的には当たりだよな」
「結局、いちばん面白い場所にたどり着くんだよな」
道を間違えても、目的地を見失っても、なぜか“より良い場所”にたどり着いてしまう。
そんな幸運が、彼のこれまでの日々では何度か繰り返されていた。
まったく見当違いの場所に行き、みんなから呆れられることもあるのだが。
さらに、自分の方向音痴を知られたくないという些細な感情から、彼はいつもそれらしい言い訳をしていた。
だが、その言い訳さえも、なぜか的を射ていることが多かったのである。
――そして今回も、その“神の助け”は、また違う形で舞い降りてきた。
崖の上から王都を一望していたガルディアが、唐突に口を開いた。
「……あそこに、ケーキ屋の看板がある」
その声に、全員がぱっと振り返る。
確かに、見下ろした先の通りには、宿の主人が言っていた通りの店名と、
かわいらしいケーキ屋の看板が小さく掲げられている。
ガルディアの鋭い視力と、常に周囲を警戒する性格が、この発見へとつながったのだった。
「すごい……本当にあった!」
「さすがテルノ!」
「やっぱテルノについていけば間違いないな!」
「俺たち、これからもお前の言うこと信じていくわ!」
仲間たちが一斉にマコテルノを賞賛しはじめる。
マコテルノの、神々しいほど整った顔は微動だにしない。
……だが、(実際には何もしていない自分が褒められるの、ちょっと気まずいな)と内心で少し気まずさを感じていた。
そして、正直に申し訳なさそうに言った。
「いや……そんなつもりじゃなかったんだけど。ケーキ屋、見つかってよかった」
その様子を見たフィーネが、ほんの少し頬を緩めて言った。
「テルノって、いつも謙遜するんだから」
マコテルノは、また道を間違えてしまうのではという不安があったので、
ラグナードの方を向き、みんなを連れて行ってくれるように頼んだ。
それを受けたラグナードは、にっと笑って応えた。
「おう、俺に任せろ!」
そう言って、彼は仲間の先頭に立ち、みんなと一緒に城壁の階段を駆け下りていった。
そしてついに――無事に、ケーキ屋にたどり着くことができた。
その店で出されたケーキは、想像以上に美味しかった。
見た目も可愛くて、ふわりと香る甘い匂いが春の空気に溶けていく。
「おいしい……」
「こっちのも食べてみろよ、すっげえクリーム!」
みんなの表情が、いつの間にか自然と笑顔になっていた。
そんな中、フィーネが笑いながら元気に言った。
「今日は……ほんとうに、いい一日だったね。これも、テルノのおかげかな」
皆も強くうなずいていた。
マコテルノは、ぽつりと呟いた。
「……マクドナルド、あったらよかったのに」
神の器らしく整ったその顔は、相変わらず揺らぎもせず、ケーキを食べていた。
五聖だと気づかれると面倒なので、ガルディアはクラシックハットの帽子をかぶり、色眼鏡をつけていた。なかなかの男前だった。怖がった顔になっても。