1話 世界の崩壊の始まりと『神来真古徒』16歳
高校一年生の神来真古徒は、その日もまたベッドに沈み込んでいた。
窓際から春の陽光がやわらかく差し込み、部屋には穏やかな空気が広がっている。
手にはリモコン。テレビ画面の先では、遠い国々の戦争や暴動、疫病、飢餓……まるで終末を思わせるニュースばかりが、ただ流れていく。
――またか。
自分の声も、どこか遠くで響く。他人事のように何度も同じ映像を見せられ、心は何も感じなくなっている。
――このまま、何も変わらない世界で終わるのかもしれない。
ほんのわずかに、そんな思いが胸の奥に沈んでいく。
──何か、他に面白いアニメでもやっていないかな。
現実から逃げるように、リモコンを手に取ってボタンを押そうとした――その瞬間、画面いっぱいに真紅の帯が走った。
“緊急速報”
冷たい文字が脳裏に突き刺さる。
……ただいま、大国が複数の核弾頭を発射したとの未確認情報が入りました――
――最近、こういう映画ばっかりだよな。
苦笑する自分がいる。しかし、その言葉とは裏腹に、胸の奥ではざわめきが止まらない。
次の瞬間、画面が突然暗転し、無機質な音声だけが響き始める。
これは現実です。核攻撃が始まっています。直ちに最寄りの防空壕、または地下施設へ避難してください。
窓の外、遠くの空が一瞬で真っ白に染まる。
――今の……何だ?
理屈じゃない。脳が告げている。これは“本物”だ。
反射的にベッドから飛び出し、玄関を駆け抜けて外へ出る。山村の空を見上げると、遥か遠くの都市の方角に、巨大なキノコ雲が立ち上っていた。
スマートフォンは、緊急速報と無数の映像で埋め尽くされている。焼け爛れる都市、逃げ惑う人々、砕け散る建物、響き渡る絶叫。
――これ、夢じゃない。現実だ。
村には混乱と絶望の叫びが渦巻いていた。
アメノミナカナ神社の洞窟へ逃げろ!
誰かの叫びが、脳内で反響するように響いた。
気づけば体が動いている。人々の群れに巻き込まれ、真古徒も神社の奥にある洞窟を目指して走り出していた。
老人たちは呆然と空を見上げ、子どもたちは泣き叫びながら家族にしがみついている。
洞窟の最奥、社の前では、村人たちが押し寄せ、ただ震えながら身を寄せ合っていた。
そのときだった――
真古徒の身体がふっと宙に浮いた感覚。音も光も、熱も、すべてが一瞬で消え去った。
(あれ、変だ、体が軽い、声が聞こえる……だれ……眠たい……天国)と脳は感じていた。
その場から、真古徒の姿は完全に消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように――
村人たちの記憶からも、彼の名も、顔も、すべてが消えていた。
神来真古徒がこの世から消え去ってから、洞窟の中ではもう一週間が過ぎていた。
神来家の家族も、真古徒という存在を思い出すことさえできない。
父――神来かみき 秀和ひでかずは、実直な性格で、いつものように社の神棚を丁寧に磨いていた。
……水穂も、母さんも、千紗も、大丈夫だろうか。皆の顔を思い浮かべるたびに、微かな笑みがこぼれる。
母の水穂みずほは、どこか楽天的な気質で、こんな状況でも家族を支え続けている。
……爆音はもう聞こえない。きっと、また普通の生活に戻れる。そう信じていたい。
祖母のハルは、若くして夫を亡くし、息子の秀和を女手一つで育ててきた。
――アメノミナカヌシ様、どうか、この命は差し出します。せめて子どもたちだけでもお救いください……。
妹の千紗ちさはまだ小学生で、悲壮感を知らず、周囲の子どもたちと遊んでいた。
……お兄ちゃん――あれ? 違った、健くん、一緒に遊ぼう!
千紗を見つめながら、水穂はそっとその頭を撫でる。
この小さな命を守りたい。母としての願いだけが、手に残っている。
この山村は人口も少なく、残っているのは高齢者とわずかな若者、そして小さな子どもたちだけ。
放射能の脅威、空を覆う灰色の雲、消えない恐怖――
それでも、人々はただ生きることを選び、洞窟の中に小さな希望を求め続けていた。
水と食料は三か月分しかない。それでも、いずれ外の世界に出る日がやってくる。
そんな中、唯一の希望となっていたのは、千紗たち子どもたちの無邪気な笑顔だった。
人類にとって最悪のシナリオが現実となり、世界中で多くの人々が血を流し、痛みに耐え、飢えと放射能に苦しみ、死よりも辛い現実に打ちひしがれていた。
人間はここまで愚かな存在なのか――
そんな思いが、どこか遠くで浮かんでは消えていく。
――だが、たとえたった一人でも、歴史が書き換えられたという事実は消えなかった。
ほんの小さな出来事でも、それが世界を変える力になる――そんな証なのかもしれない。
今、神来真古徒――すなわちマコテルノは、はるか太古の神話の時代に生まれ変わり、アメノミナカヌシの魂と入れ替わって、この世界の歴史を変えようとしている。