タトゥー
都内の大学へ通う沙耶は同じ大学の友人の紹介で莉里という女性と知り合った。
莉里は沙耶とは別の大学に通っていたが、同い年でしかも同じミュージシャンのファンであることが分かり、ライブに一緒に行くようになり次第に仲良くなっていった。
それからは2人だけで買い物や食事に行くことも度々あり、いつのまにか親友とも言える間柄になっていた。
ただ沙耶は莉里に対して一つだけどうしても気になることがあった。
それはどんなに暑い日でも長袖を着けていることだった。夏で40度近い気温の日でも莉里は必ず手首まである長袖を着ていた。
最初は日焼け対策のためかと思った。他にも日焼けを気にして肌が露出しない服装を着る子もいたため、それほど気にはしていなかった。
だが、一度食事をしている際に莉里が飲み物を溢して袖がびっしょりと濡れたことがあったが、その際も頑なに袖を捲くることがなかった。
沙耶はそれがずっと気になっていて、ある日それとなく莉里に長袖のことを聞いてみた。
最初は戸惑うように苦笑していた莉里だったが、しばらく悩んだ後に沙耶ならば教えてもいいかと理由を話してくれた。
「わかった。沙耶だから教えるけど、実は手首にタトゥーを入れているの。それを人に見られたくないから隠しているの」
いまどき、タトゥーを入れている人は少なくないが、莉里はタトゥーを入れるようなタイプには見えなかったので沙耶は少しだけ驚いた。
左腕の袖をめくってタトゥーを見せてもらう。
たしかにタトゥーは手首の少し上に彫られていた。直径は10センチくらいで、よく見かける”ある形”を三つに重ね合わせたようなデザインをしていた。ちょっと不思議なデザインだった。
沙耶は疑問に思ったことを口にした。
「普通、タトゥーってファッションのためにするんじゃないの。それを隠したら意味がないよね」
すると莉里は再び苦笑して、首を2、3度横に振った。
「このタトゥーはそういうものじゃない。これは呪い返しのためのタトゥーなの」
それには沙耶は激しく困惑した。
なにかの冗談だと思って笑おうと思ったが、顔が引きつり笑顔がうまく作れない。
「冗談でしょ…呪い返し…?なにそれ」
莉里は真剣な顔で沙耶を見た。
「変だよねやっぱり。人に言うと変なヤツと思われるだろうから、こうして長袖で隠しているの」
そして袖を直して再びタトゥーを見えない様に隠した。
沙耶は莉里の真剣な顔を見て冗談ではないことはわかった。
「呪い返しってなんなの、莉里が呪われているってことなの」
莉里は深く頷いた。
「そう、私は呪われていたの」
莉里には高校時代に仲の良い千夏というクラスメイトの女の子がいた。
あるとき莉里は突然に千夏から相談を受けた。
諒太という同じ高校に通う同学年の男の子のことが好きになったから告白しようと思っていると。
莉里は千夏からその話を聞いてとても困った。
実は莉里は千夏には内緒にしていたが、以前から諒太と付き合っていたからだ。
そこで正直に話せば良かったが、莉里は千夏がどういう反応するのかが怖く、その場では事実を話すことができなかった。
後日、千夏は諒太に告白をした。だが結果は当然フラれた。
しかもそこで諒太から莉里と付き合っている事実を千夏は聞かされる。
そんなことがあったことを諒太からあとで教えられた莉里は、千夏に諒太と付き合っていることを言わなかったことを激しく後悔した。
だが、今更後悔しても遅い。明日学校で謝ろうと莉里は決めた。
翌日、莉里は学校で千夏と会った。
千夏は意外にも普段通りの様子だった。
特に変わった様子もなくいつも通りに明るく友人たちと笑って話している。
莉里はもしかしたら千夏は怒っていないかもと思いながら、他の友人たちがいないタイミングを見計らって千夏に話しかけて諒太のことを謝った。
すると千夏は下を向いて黙り込んでしまった。
不安気に千夏を見ていると、千夏がゆっくりと顔を上げた。その顔はさきほどまでとは異なり、何の感情も読み取れない冷たい表情をしていた。
「謝らなくてもいいよ、何をしても絶対に許さないから。私のこと馬鹿だと思ってたでしょ。笑ってたんでしょ。自分の彼氏に告白しようとしている私のことを」
莉里は必死に弁明したが、千夏には一切聞き入れてもらえなかった。
それから莉里と千夏は疎遠になってしまい、学校で会っても話すことも目を合わすこともなくなった。
それからしばらくして莉里の周りで変なことが起こり始めた。
何もないところで躓いて転び足を怪我したり、何気なく振れたガラス窓が急に割れて手を切って怪我をしたこともあった。
また夜寝ていると、誰かがそばにいる気配で目が覚めることが度々あり、常に寝不足になっていた。そのせいで体調が良くない日が続いていた。
またそれまでは喧嘩したこともなかった諒太と些細な事で喧嘩するようになり、ついには別れてしまった。
悪いことばかりがあって塞込んでいる莉里に、心配したクラスメイトで友人の佳織が話しかけてきた。佳織は千夏とも友人で比較的仲が良い。
莉里は最近自分の身の回りで変なことばかり起こることを佳織に話した。
すると佳織は言いづらそうにしながらも思い当たることがあると言う。
莉里は藁にもすがる思いで教えてほしいと懇願した。
すると佳織は、私が教えたということは誰にも言わないでと前置きをしてから話してくれた。
「莉里は千夏を怒らせるようなことをしたでしょ。千夏は莉里に呪いをかけたって言っていた」
呪い......その言葉に莉里は最初ピンと来るものがなかった。漫画や小説などの架空の話では良く出てくるワードだったが、実際に自分の身に呪いというものが関係してくることがあるなど想像もしたことがなかった。
「ねぇ、呪いってなんなの」
「千夏はネットで呪いをかけることが出来るという人と知り合ったみたい。その人は彫師らしくてタトゥーで呪いをかけるらしいの」
「タトゥー......」
「そう、自分の身体に呪いたい相手の名前とある形をタトゥーで彫るらしいの。私はそのタトゥーを見せてもらったけど、千夏が入れたタトゥーには莉里の名前が書いてあった」
莉里はそれを聞いて涙が溢れてきて止まらなかった。たしかに千夏には酷いことをしたかもしれない。それでも、自分の体にタトゥーを彫ってまで私のことを呪おうなんて。千夏のあまりの執念深さに莉里は恐怖に慄くだけだった。
それからも莉里には不幸な出来事が続いた。それは徐々にエスカレートしてきており、命の危険を感じることもあった。そのため莉里も限界に達しつつあった。
莉里はその時点でも本当に呪いなんていうものがあるのか半信半疑だったが、とりあえず千夏に直接呪いをやめてもらうように話をすることにした。
だが、そんな莉里を見て千夏は高らかに笑った。
「呪いのこと誰から聞いたの?まあ別にそれはどうでもいいか。悪いけど呪いをやめるのは無理ね」
「どうしてなの。諒太のことは謝るからもう許して」
千夏は左腕に彫られたタトゥーを莉里に見せながら言った。
「この呪い、呪った相手が死ぬまでは解けないんだって。だから私にももうどうすることもできないの、残念だけど」
そう言って千夏は再び笑った。
莉里は絶望の中、必死にネットで呪いについて調べた。
やがて千夏のタトゥーからどのような呪いかがわかってきた。
どうやら中南米に住むある部族に、昔から伝わる呪いの方法らしかった。
そして呪われた人が死ぬ以外にもう一つだけ呪いを解く方法があることがわかった。
それこそが呪い返しだった。
沙耶は莉里の話があまりにも現実離れしていたため、そんなことが本当にあるのか信じられない気持ちだった。
だが、そんな沙耶の様子に構わず莉里はいたって平然と話を続ける。
「呪いを解くもう一つの方法は、呪った本人、つまり千夏が死ぬってことだった」
「そんな......そんなの酷い」
沙耶はショックを隠せない。
「しょうがないじゃない。そうしないと私が死んじゃうんだよ。そもそも先にやったのは千夏の方だし。自業自得よ」
そう言って莉里は笑った。
「でもだからと言って直接莉里に何かをするようなことは流石にできそうもなかった。だから私は千夏にタトゥーを彫った彫師を見つけて、千夏と同じようにタトゥーを彫ってもらったの。呪いのタトゥーを。これが呪い返し」
そういって再び見せたタトゥーをよく見ると、タトゥーの真ん中に小さく人の名前が彫ってあるのがわかる。
「でもこれだとお互いがお互いに呪いをかけあっているってことでしょ」
「そうだね」
「ならどっちかが先に死ぬかはわからないってことでしょ」
「私もそう思って彫師の人に聞いたの。そしたらいい方法があるって教えてくれたの。ただ料金は倍も取られたけど」
そう言って、莉里は再び笑った。
そして莉里は右腕の袖もめくった。そこには左腕とまったく同じタトゥーがあった。
「このタトゥーのおかげで私への呪いは解けたの」