5.スライムは第二王子擁立派を壊滅させた(上)
「私が暗黒の森から戻って、もう十五年だぞ……」
私は騎士団の王都砦にある、騎士団長の執務室にいた。
王宮から戻った私は、軽く頭をふり、大きなため息をついた。
青い騎士服の首元をくつろげ、長い髪をきつく結んでいた黒いリボンを弛める。
なんだか少しだけ息苦しさが和らいだような気がした。
久しぶりに王宮に顔を出したら、私を見つけた宰相が駆けてきた。
「王太子殿下、あの時は申し訳ありませんでしたっ!」
宰相は私に、スライムの死に対する許しを乞うてきた。石造りの城の、赤い絨毯に倒れ込むようにして。
なんのつもりなのだ。うっとうしい。あれからもう十五年だぞ。いくらなんでも大袈裟すぎるだろう。
宰相や騎士団の者たちは、私が許すと言っても信じないし、黙っていると私に復讐されると騒ぐ。……彼らは実に面倒な存在となっていた。
「泣きたいのは、この私だというのに……」
私は胸から下げている革袋から、一枚の銅貨を取り出した。
我が友の亡骸は、私の体温が移って、ほんのり温かかった。
「名前くらい、つけてやればよかったな……」
この十五年、もう何度、悔やんだか知れない。
捨てられた子供の身では、スライムになにをしてやることもできないと思っていたが、名前をつけてやることならばできたはずだ。
私にとっては、あの者はどこにでもいるスライムではなかったのだから……。
見た目はただのスライムだった。『旅立ちの村』の周辺には、まったく同じ容姿の者たちが大勢いる。
だから、私に取り入ろうとする者たちが、捕まえたスライムを鳥かごに入れて連れてくることが頻繁にあった。
「このスライムはどうでしょう?」
こんなセリフと共に、何匹のスライムを見せられたことだろう。
私はただのスライムが好きなわけではなく、特定のただ一匹のスライムが好きなのだ。
それがわからない者たちに、用などないというのに……。
「騎士団長」
執務室の外で私を呼ぶ声がした。
「副団長か。どうした?」
「前の騎士団長が王立病院をまた抜け出しました。探しに行ってきます」
「ああ、頼む」
副団長が駆け去る足音が聞こえた。
私が騎士団長になる前は、あの副団長が長いこと騎士団長代理を勤めていた。
副団長が騎士団長になれば良かったのだ。
「騎士団長はいつか絶対に元気になって、我々の元に戻って来てくれます!」
などと、いつまでも言い続けていないで……。
私はふたたびため息をついた。
前の騎士団長は、『森に捨てられた子供が、ずっと抱きしめて辛い日々を耐えてきた、大事なお友達』を蹴り殺してしまったために、精神を病んでしまっていた。
「こいつじゃない! こいつも違う! こいつでもない!」
前の騎士団長は長いこと、もはやこの世に存在しない私のスライムを探して、『旅立ちの村』の周辺を徘徊している。
私だって悲しい。この世のどこかにあの者が存在するならば、私が探し出してやりたい。
前の騎士団長を殺したいと思うことだって、何度もあった。
だが、彼に悪気はなかった。
彼らを連れてきた宰相にだって、スライムを殺す気などなかった。
私は怒りも悲しみも、持って行き場がなかった。
私が彼らを責めるのは、不当なのではないかと思ったのだ。
私はスライムを思って泣く時は、人に隠れてこっそり泣いた。
怒りが抑えられない時には、学んだ魔法を鍛錬場で乱れ打ちしたり、城のまわりを走って発散した。
こんな私を立派だと言う者もあった。
なにが立派なものか!
私は賢すぎて、逆に愚かだ。