3.スライムは我が友である(上)
私が暗黒の森に捨てられて、二年と少したった頃だった。
私は住まいである洞窟の前で、ただの棒切れを握って、日課としている剣術の稽古をしていた。
我が友であるスライムは、切り株の上で私を応援してくれていた。
ダークエルフが「おい、ベルナール! 大変だ!」と叫びながら駆けてきた。
「森が包囲されている! 逃げろ、ベルナール!」
ダークエルフは私の腕をつかんで引っ張った。
私はまず状況を確認することにした。
ダークエルフはひどく慌てており、なにをどうするか冷静に判断できそうもない。
「包囲しているのは誰なんだ?」
「王都から騎士団とかいう連中がやって来たんだ!」
剣やレイピア、弓矢を装備した騎馬隊が来たということか。
おそらく槍は持ってきていないだろう。木々の間で戦うのに、あの長さはあまり適していない。
「包囲というと、森全体を囲んでいるのか? 人数はわかるか?」
「なんか大勢いる!」
うん、知っていた。お前たちはモンスターだ。数なんて訊かれたって、よくわからないよな。私の質問の仕方が悪かった。
「今、その騎士団はどこにいて、どの道からこちらに来ているんだ?」
「森の入口から普通に来ている! 話している場合じゃない! 早く逃げるんだ!」
ダークエルフは私の腕を強く引いた。
こいつは包囲についてもよく知らないようだ。『森が包囲されている』というのは、森全体が囲まれているという意味だ。
騎士団が森の入口から入って来ていると言うならば、囲まれているわけではないだろう。
本当に包囲されていたら、空に逃げるしかない。さすがにダークエルフも有翼のモンスターを呼ぶくらい……。どうだろう……。できないかもしれない……。
「ダークエルフ、森のみんなを集めてくれ」
私は殺されたくない。
森の友たちも守らなければならない。
「おお、そうだな! みんなで戦えばいいよな!」
私は戦うなどとは一言も言っていないのだが……。
ダークエルフはダークドラゴンの住処の方へと走って行った。
ダークドラゴンを呼んできてくれるのだろう。
ダークエルフはかつては普通のエルフだったが、人間に故郷の村を焼かれて闇に落ちたらしい。長い旅の末にこの暗黒の森にやって来て、故郷の村と少し似たところのある、この森に住むことにしたと言っていた。
騎士団が森に火を放ったら、まずダークエルフを気絶させるなどして、制圧しなければならないだろう。
あの者は弓矢だけで、騎士団どころか付近の村と王都も壊滅させられる。
まあ……、たったの五歳である私には、ダークエルフを制圧するなど無理だがな……。
できたとして、ダークエルフの気を引くくらいだろう。
いざとなったら、試しに転んでギャンギャン泣いてみるか……。
そんなことで怒り狂ったダークエルフが、我に返るとも思えないのだが……。
「さて、どうするかな」
私はスライムを見た。スライムは、切り株の上できりっとした顔をしている。
スライムはどうやら戦う気らしく、いつもより高くジャンプしてみせてくれた。
こいつは人の言葉もあまりわかっていない。ピーピーとしか鳴けない、小鳥みたいな存在だ。
私は首から下げていた『命のメダル』を外した。母上が亡くなる寸前に、私と兄に授けてくれた、死を免れることのできるアイテムだった。
母上がご自分でこのアイテムを使って、生き残ってくれたら良かったのだ、と何度も思った。
母上は毒を長期にわたって盛られて、病気になったような状態になっていた。『命のメダル』では、病死のような緩やかに至る死は、免れられないのだろう。だから、母上は、私たちにこの『命のメダル』を授けてくれたのだろうがな……。
私は我が一番の友に、母の形見である『命のメダル』を授けることにした。
だが、スライムには首がない……。
「お前だけは生き延びるのだ」
と言いながら、私が自らその首に『命のメダル』をかけてやるという、熱き友情がほとばしる状況となるはずが……。
「もうお別れかもしれないから、これを持っているんだぞ」
私はスライムのプルプルした水色の身体の上に、『命のメダル』を置いた。『命のメダル』はスライムの内部に取り込まれた。水色の身体の内側に、薄っすら『命のメダル』が見えている。
「ピーピーピピー!」
スライムが体当たりしてきた。
私は素早くキャッチして、スライムを抱きしめた。
プレゼントがもらえて喜んでいるのだろう。
スライムは洞窟に隠しても、私と遊びたくて出てきてしまうかもしれない。私が言い聞かせたところで、理解する知能もない単純なモンスターだからな。
スライムはいつも元気に伸び縮みしたり、飛び跳ねたり、ピーピー鳴いて、私にまとわりついてくる。
ダークエルフはこいつが私の友になりたがっているなどと、夢見がちなことを言っていた。このスライムに、友などというものを理解する力があるとは思えないが……。
スライムに友が理解できずとも、私が理解しているから良いのだ。
この者は、このままで充分に愛おしい。
「私と共に来るか?」
このスライムは我が命だ。この暗黒の森に捨てられてから、今日まで生き抜けたのは、このスライムの尽力が計り知れないほどに大きかった。
スライムは衣食住について、役に立つことはなかった。そのような知能を持ち合わせていないのだから当然だ。
だがな、人というのは、衣食住だけでは生きられないのだ。
飛んだり跳ねたりといった単純な動作しかできない、このスライムが私になぜか懐いてくれたからこそ、私は生きてこられた。
スライムをなでたり、抱きしめたり。
どうせわからないだろう思いながらも、スライムに話を聞いてもらったり……。
共に長くすごしていると、情もわくというものだ。
「ピーピー!」
この小さく弱きモンスターは、己が死ぬかもしれないことを理解していないのだろう。元気に飛び跳ねてみせてくれた。
哀れで悲しく、だからこそ、余計に愛おしい……。
スライムと一緒ならば、死の国に至るまでの道行きも、それほど辛くはないだろう。
願わくば、誰か……、私の死体には、このスライムの死後の姿である銅貨一枚を握らせてほしい……。
たとえ王都の中央広場で、我が死体が晒し者にされようと、このスライムが共にあってくれるなら、私はその屈辱に耐え抜けるだろう。