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山奥の風呂屋

作者: 砂川

 夢で見た話を脚色して物語にしました

 俺の名前は田中昇。

 赤城第4中学校に通う中学三年生だ。

 日々刻苦研鑽し、一角の人間になろうと自分なりに励んでいる。

 性格は真面目……と自分では思っているが、どうやら第三者の評判はそうでもなく、よく言えば剽軽(ひょうきん)者、悪く言えば厄介者と思われているらしい。友人から面と向かってそう言われたのだから、自分としても認めるしかない。


 ただ好奇心の強さと、何事においても見栄を張りたがる点は衆目と一致するところである。

 それが俺自身それが悪いとは思わないが、あの時体験した説明しがたい不可思議な出来事は、この性格が原因であることは明らかだ。


 あの山奥の不思議な風呂屋で体験した、一歩間違えればこの世からいなくなっていたかもしれないあの出来事は……。



「なあ昇知ってるか? 山奥にある風呂屋の話」

 全ては友人佐藤博のこの一言から始まった。

 坊主頭でひょろ長い見た目の博は、とにかく噂好きで、女子の会話にも割って入り、日々噂の収集に勤しんでいる。まるでこの村で未知がある事が許せないといった風だ。


 ただし、その内容はくだらないの一語にすぎる。

 曰く、山の空を謎の飛行物体が飛んだだの、何もないところから音楽が聞こえただの、熊さえ殺せる村一番の男が突如消えただの……。


 そんな話ばかりしているものだから、同級生男子からは呆れられ、女子からも軽薄な奴だと陰でバカにされていた。

 しかし、俺も俺で好奇心の塊ではあるから、与太話と分かっていても自分が知らないことがあるというのは、博同様どうにもいけ好かない。

 そんなもので、俺ぐらいしか邪険に扱わず話を聞く人間もいないため、博は何か情報を仕入れるたびに、()()()()に俺に話を振っていた。


 今回の事もその一例だ。


「知らん」


 俺は自分でわかるほど、はっきり、にべもなく答える。

 いついかなる時でも知らないと答えるのは屈辱だ。博相手でも気分がいいものではない。だがそれ以上に、虚言を弄する事が耐えられない。

 

 俺の反応に博はにんまりと笑った。

 美男子どころか三文役者然とした博がこんな顔をすると、腹が立つよりおかしくなる。馬鹿にしてはいても、博を嫌っている人間はこの学校にはいないだろう。


「ははは、昇でも知らないか。これは重畳(ちょうじょう)。俺も話す価値がある」

「毎度のことながら前置きが長すぎる。とっとと本題を話してくれ。いつまでもお前しか知らないというのは座りが悪い」

「それはすまん。実は山奥にけったいな風呂屋があってな。誰が何の目的で建てたか知らんが、いきなりその場に現れたのだ。これは噂などではなく事実だ。俺も実際に現場に行ってその風呂屋を見てきたのだからな」

「ふむふむ」

「それで、だ。実はその風呂屋、現実の世界とは全く違う世界とつながっていて、一度そちらに行ったら、もう二度と帰ってこられないらしい」

「なんともまたありきたりな怪談だな……」

 俺はため息を吐いた。


 博の噂話にはこういう怪談話が多い。何か俺を怖がらせようとする意図すら感じられる。

 そしてそういう話の半分以上は、()()に窮した博の作り話だ。


 俺はこの話もそのあたりだろうと内心決めつけていた。


 俺のあからさまな態度から察した博は、気分を害し、右腕を上げながら反論する。


「お前出鱈目だと疑ってるな! この噂はいつものやつと違い、情報の出所がはっきりしているんだぞ」

「つまりいつもの話はお前発の虚構というわけか」

「う……、こ、ここでそういう揚げ足を取るな! この噂は俺が作った物ではなく、あの樹利亜(じゅりあ)婆さんから聞いた話だ!」

「いよいよ胡散臭いな……」

 残念ながら博が教えてくれた情報提供者は、信頼を補強してくれる人間ではなかった。


 樹利亜婆さんとは町はずれに住む、変人としか言いようがない老婆で、昔はそれでもなかなかの美人だったらしい。ただ村の人間とは全く馴染もうとせず、若い頃から硝子板を指でこすってぶつぶつと言っている変わり者だった。それでもやはり見た目はいいので、村の誰それに娶られたのだが、その旦那との仲は結局死別するまで悪く、子供もできず、今でも相変わらずわけのわからないことをしていた。


 そんな婆さんの話を真に受ける男なんて、この村では博ぐらいだろう。


 しかしここで話を終わらせてもつまらない。


 放課後の今は手持無沙汰で、暇つぶしにはもってこいの話ではある。


「分かった。お前の話が真実だと仮定しよう。それで、お前はその風呂屋に実際入ったのか?」

「いや、それは……」

 博は言葉を濁す。


 これだ。


 怪談話が好きな割に博は度胸がない。

 もし目の前に敵がいてぶん殴ってやるぐらいの気概があれば、博もこうも馬鹿にはされなかっただろう。


「……その、俺にも色々都合があってな。そこでぜひ昇御大(おんたい)に噂が本当かどうか確認してほしいと……」

「そういう流れか」

 今回の話はいつものように話す事が目的だったわけではなく、俺に確認を頼むためのものだったらしい。

 なんとも他人まかせで情けない男だ。長年の友人ながら悲しくなってくる。


 本音を言えば、頭のおかしい年寄りのくだらない妄想なんぞ調べる価値などないと思っていた。

 しかし、怪談の舞台が風呂屋と言うのは何とも諧謔(しゃれ)が利いている。ただの風呂屋にせよ本物であるにせよ、せっかくならひとっ風呂浴びるのも悪くないと思い、博に詳しい場所を聞き、俺はさっそく行ってみることにした。


 村は四方を山に囲まれており、一口に山奥といっても、まずどの山の山奥か知らなければならない。中には俺のような小僧では登れないほど険峻な山もあり、命がけの入浴もあり得る。

 だが幸いにも博が教えてくれた山は低山で、小1時間ほど歩けば女子供の脚でも十分に到着できる所だった。


  俺は気が競っていた分、1時間どころか30分強ほどで話にあった風呂屋に到着する。


 確かに博の言うとおり、この風呂屋は尋常ではなかった。


 周りは鬱蒼とした木々に囲まれているのに、風呂屋だけ煌々と明るく、その存在感をこれでもかと主張している。森の中でこれだけ明るければ虫が寄ってきそうなものだが、白い風呂屋の壁には何故か虫一匹へばりついていない。


 また風呂屋には電線が通っておらず、この光源がなんなのかいまいち分からない。

 常識的に考えれば、自家発電で電灯をつけているのだろうが、電灯らしきものも見えず、まるで建物そのものが光っているかのようだ。


 噂の審議は置いておいて、確かに尋常の風呂屋ではない。

 この現代に非科学的と分かっていても、俺は狐狸(こり)の仕業を疑った。


「……しかし虎穴に入らずんば虎子を得ず、だな」

 (もっと)も、手に入る虎児など、せいぜい小僧のちっぽけな自尊心ぐらいだが。


 ――そうと分かってはいたが、臆病風に吹かれる自分が何よりも許せず、俺は意を決して風呂屋の暖簾をくぐる。


 風呂屋は一般的な日本家屋のそれと違い、石積み……ではなく漆喰で作られた物のような気がした。少なくとも瓦屋根は見られない。「ゆ」の暖簾だけがそこが風呂屋であることの証明で、それ以外でここが風呂屋だと判断する要素は皆無と言って良かった。


 中に入ると、これまた初めて見る光景が広がる。

 内装は全てが白く、片側には何の目的で作られたのか皆目分からない壁一面の鏡が設えてあった。さらに番台はなく、風呂への入り口は一本道で、男女の区別はない。とはいえ、こんな所の風呂、まともな女なら決して入ろうとはしないだろう。

 ここに来るのは俺や博のようなもの好きぐらいで、実際にひと風呂浴びようとまで考えるのは俺ぐらいだ。


 しかし困った。

 番台がなければ料金の払いようがない。

 土間の玄関を抜けると普通風呂屋には番台があるものだが、ここにあるのは鏡とだだっ広い部屋だけなのだ。


 まさかここまで手の込んだ風呂屋を作っておいて、ロハ(ただ)ということもないだろう。

 とはいえ、料金表もなく店番もいないのだから、いくら払えばいいのかすら分からない。


 仕方なく俺は勝手に風呂に入ることにし、後で請求された時に払えばいいと居直ることにした。


 外からは想像できないほど長い廊下を歩き、突き当りまで進むと脱衣場に到着した。


 それにしてもこの風呂屋は息苦しい。

 白い壁は清潔感はあるが、それ以上に圧迫感がすごい。どうせ廊下で脱ぐ阿呆もいないのだから、窓を作るなり絵を飾るなりすればいいのにと、門外漢の俺ですら思った。


 脱衣所も相変わらず真っ白で目がくらむような場所だったが、服をしまう笊はあり、そのうちの1つが、俺のような物見遊山の変わり者が他にもいることを教えてくれた。


「よう、お前も来たのか」

「隆にぃ!」

 風呂から出てきたのは幼馴染の隆にぃこと山鹿隆だった。

 俺と3つほどしか変わらないが村一番の豪傑で、猟友団の副団長を務めている。脱衣所の壁に立てかけてあった狙撃銃の腕も百発百中で、今まで多くの獲物を狩ってきた。全てが博とは真逆で、俺も含めた村中の尊敬を集めている。


「隆にぃも噂を確かめに?」

「噂? 何のことだ?」

 隆にぃは不思議そうな顔をした。

 そこで俺が博から聞いたことを話すと、隆にぃらしく豪快に笑った。


「なるほど! お前がこんなところまで来たのはそれが理由か! だが俺は違うぞ。俺の理由はあれだ」

 そう言って隆にぃが指示した先には、2歳ぐらいの素っ裸のいがぐり坊主がいた。

 もちろん俺はこの坊主が誰か知っている。


「うちの(せがれ)と山奥で遊んでやってたら泥だらけになってな。このまま帰れば嫁に何を言われるか分からん。そんなとき風呂屋の暖簾を見つけてしめた! と思ったわけよ」

「鬼の山鹿も嫁さんには形無しですか」

「言ってろ。お前も所帯を持てばわかるさ。さて、博の下らん噂話はどうでもいいが、あまり遅くなると嫁さんに怒鳴られるからな。俺は先に帰るが、ここのお湯はけったいな建物の割になかなか良かったぞ」

 そう言って隆にぃこは2歳の我が子を抱え、手をひらひらと振りながら玄関に向かって歩いて行った。


 俺は少し考えてから着ている服をすべて脱ぎ、脱衣所の先にある浴室へ入る。


 木戸を開けた先にある風呂はなかなかの広さだった。

 こちらも珍しい漆喰づくりで少し違和感はある。


 俺はかけ湯をしてから湯船に浸かった。

 お湯の良し悪しが分かるほど温泉に入り慣れてはいないが、まあ悪くはない湯だった。温度もちょうどいい。蛇口からこんこんと熱湯が流れている。


 それから備え付けの石鹸で体を洗い、頭から思い切り湯をかぶった後再び湯船に浸かる。


 今のところ別の世界に行きそうな気配は欠片もない。隆にぃの言う通り、なんてことはない風呂だ。


 風呂を出た後家から持ってきた手ぬぐいで体を拭き、服を着てさて脱衣場を出ようかと思ったやさき、俺はあることに気付いた。


「……またかぁ」


 脱衣所の片隅に狙撃銃が残されていた。

 考えるまでもなくこれは隆にぃの銃だ。優秀な戦士である隆にぃではあるが、それ以外の部分は適当でかなり大さっぱだ。こうして銃を忘れることも珍しくはない。


 以前拾った子供がいたずらで何発が撃っていたことがあったが、その時は頭から血が出るほど殴られていた。責任の大半は本人にあるのに、このあたりの理不尽さはいかにも隆にぃだ。


 俺はまたあの時の子供のような被害者がまた出ないよう銃を手に取り、隆にぃの家まで持っていくことにした。


 幸いにも隆にぃは風呂屋を出た直後で、その背中を見つけることができた。


 しかしこの時の俺は全く気付いていなかった。


 隆にぃが着ていた服が今まで見たこともないものだったことに。


 そして何より、風呂屋の構造上正面しか出入口がないのに、背中は斜め前に見えたことに。


 この時の俺はそれに気づかないほど焦っていた。ただ頭の中には銃を渡すことしかなかった。


 何の疑問もいだかず斜め前の出口から風呂屋を出た俺は、少し前にいた隆にぃと思われる人間の肩を叩く。

 その誰かが振り向いて、俺はようやく自分の間違いに気付いた。


『……誰?』


 顔の知らない他人同士、全く同じ台詞を言った。

 見たこともない服を着ていた誰かは、服だけでなく顔も全く心当たりがなく、色白で、隆にぃとは正反対の生気の感じられない中年の優男だった。


 俺は勘違いしたことに素直に謝罪しようとしたが、その男は俺の顔ではなく銃を見てあからさまに取り乱す。

 男のくせに「ひぃ!」とか「助けて!」とか叫び、足を引っかけながらその場から逃げようとした。


 そんな対応をされると、さすがに初対面とはいえ癇に障る。

 反射的に追いかけかけたが、今は銃を隆にぃに渡すのが先決と、男をそのまま見過ごすことにした。


 それに、男の逃げた先は村の方角だったので、いずれ会うだろうという算段もあった。


 男に逃げられてから、俺は村の方に向かって山を下る。まさかこの時間になって再び子供連れで、山遊びを再開したという事もあるまい。


 数分ぐらい歩いた頃だろうか。

 呑気な俺はようやくそこで異変に気付いた。


 最初に気になったのは臭いだ。ありていに言えば臭い。何の臭いかは判断できないが、今まで体験した事のない悪臭が、辺りに漂っていた。


 また、空の色もおかしい。

 同じ夕焼け空ではあるが、俺が風呂屋に入る前の空より明らかに煙っていた。あれでは星も満足に見られないだろう。


 俺はいったん立ち止まり、自分の身に起きたことをについて考える。こういう時、無駄に歩き回る方が寿命を縮めるものだ。


 少し考えて俺はようやく今の事態と、博の与太話が頭の中で結びついた。そして先ほどの存在しないはずの風呂屋に出口に関しても、この時ようやく思い至る。


 図らずも、俺は博の話が出任せでないことを身をもって証明してしまった。

 二度と戻れないという、別の世界に俺は来てしまったのである。


 さてこれからどうしようと思案するも、博の話が本当なら打つ手はない。

 それでも元に戻る手立てはあるのではと風呂屋に戻ろうかと思ったが、俺の中の悪い虫が、それではつまらないと囁いた。


 よしんば村に戻ることができても、別の世界に言ったなど誰が信じてくれるか。

 その証拠を持ち帰らなければ、博と同じ扱いを受けるのは火を見るよりも明らかだぞ――と。


 無駄な自尊心と無駄な冒険心の塊だった俺は、その囁きに抗しきれず、考えを改めてそのまま山を下りることにした。


 何より今手元には隆にぃの銃がある。

 弾も入っているし、ある程度の事はこれで何とかできるという自負もあった。


 意を決した俺は、銃を構えながら山を下っていく。

 臭いも空も違っていたが、歩いている道は元の世界の道とほぼ同じで、山で遭難するようなことはなかった。


 やたら杉が多い事を除けば、景色はかなり似ていたと言える。


 そう思っていた俺の目の前に、元の世界では見たこともない面妖な何かがあった。

 それは道のわきにある巨大な金属の直方体で、硝子の窓のようなものがあり、何の意味があるのか電灯が爛々と灯っている。

 また硝子窓の中には色鮮やかな缶があり、とにかく派手で用途不明な物体であった。


 俺は銃を構えながらそれに近づく。

 これを持ち帰れば俺が別の世界にいた証明にはなっただろうが、残念ながらもって帰れる大きさではなかった。


 色々観察してみたが、どうにもそれはただの装飾品だったらしく、俺はさらに先を進むことにした。


 元の世界なら学校が見えてくる距離まで進むと、本来学校があるはずだった場所には、廃墟のような建物があった。


 その建物も風呂屋のような漆喰の建物で、どれだけの材料が使われたか分かったものではない。おそらく自重に耐えきれずに崩壊したのだろう。


 ただ夜露をしのぐことぐらいは出来そうだったので、俺は慎重に入り口と思しき所から中に入る。


 建物の中も外同様総漆喰で、俺は感心しながら内部を捜索していた。木造の学校とは大違いだ。


 しばらく歩いていると、目の前に明かりが見えた。この頃になると時刻はもう夜で、室内では灯りがないとほぼ何も見えない。


 俺は少し考えてから、その明かりの元に近づく。明かりがあるという事は人がいる事、先ほどの男は逃げてしまったが、この世界の人間と交流を持つのも悪くないと。


 今思うとこの時の俺は、本当に無鉄砲が過ぎた。まるで何でもできる神様になったかのような気分だった。

 それほど隆にぃの銃は気を大きくさせたのだろう。


 明かりの先には数人の男女がいた。

 彼らは一様に訳の分からない服を着て明かりを煌々と焚き、棒の先につけた硝子板を使って何やら騒いでいた。暗がりにいる俺は彼らには見えないが、俺からは彼らが良く見え、誰もが酒を飲んでいるのも分かった。


 もし戦いになれば多勢に無勢、ひょっとしたら何か武器を持っているかもしれない。

 俺は無警戒に話しかけるのをやめ、とりあえず話を聞いて様子を窺おうと物陰に隠れて耳をそばだてる。


 幸いにも全員酒で気が大きくなったのか声が大きく、何を言っているのかよく分かった。


「――さて、ここが噂の廃墟ですが……うわーマジこえー。さすが県内最怖スポットだけあるわ~。え~マジやべえ感じぷんぷんしてます」

「見て見てサブいぼー。マジヤバくない? てーかヒールはいてこなきゃよかった」

「えーっと、なんだったっけ。あ、そうそう、ここは昔銃を持ったシリアルキラーが、生徒を殺しまくったって噂の学校です。中には攫われて二度と戻ってこなかった女の子もいるって話です」

「俺達はほら、こうしてビールで体清めてるしプロだから、まあどんと来いってやつっスけどね、あー未だチャンネル登録と高評価押して無い人はヨロで」


 ……意味は全く分からないが、酔っぱらいの無意味な与太話だろうと俺は判断した。

 羽目を外しすぎたのなら、けったいな格好も、生気のない顔も説明がつく。逃げ去った男も彼らの仲間の1人なのだろう。


 彼らが持っている棒のついた硝子板は珍しそうだったので、奪って証明にしてやろうかとも思ったが、よく見れば樹利亜婆さんが持っていたものと同じで、説得力はなさそうだった。


 だからといってこのまま引き返すのも、逃げたようで業腹(ごうはら)だ。

 先ほど逃げた男もそうだったが、話は通じるようなので、俺はとりあえず彼らに話しかけてみることにした。

 多勢に無勢でも酔っぱらいが相手なら話は別だ。戦って勝てそうな相手なら、そこまで恐れることもない。それに俺は会話から見聞を広めるのも悪くないと思い始めていた。


「そこの方々、ちょっとよろしいか?」


「え、あ、ええ!?」


 俺が明かりが届くところまで姿を見せる話しかけると、彼らは茫然としていた。


「あ……あ……噂の……その恰好……」


 1人が俺の事を指さし、相変わらず訳の分からないことを言う。

 俺としても初対面の人間に、いきなり指を差されるというのはあまりいい気分ではない。


 俺はお返しとばかりに、冗談半分に銃口を向けてやった。


 銃を向けるという脅しはこちらの世界でも有効だったようで、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 さすがにここまで簡単に逃げ出すとは想像だにしていなかった俺は、慌てて靴のせいで逃げられなかった女を1人を捕まえる。

 何が原因なのか、それとも元々別の怪物が化けていたのか女の顔が溶け始め、黒い涙を流し始めた。


 俺は咄嗟に銃で女を撃ちそうになったが、最後の最後でそれを耐える。


 この世界の人間は俺の世界の人間とは違う。見た目がおかしいからと言って、いきなり殺すのは野蛮だ。文明人のする事ではない、と。


 もしこれが隆にぃあたりの昔の人間だったら、問答無用で殺していただろう。俺のような好奇心が強く、理性的な人間であったことが女にとって幸いだった。


 ……元を正せば、そういう人間でなければここまで来なかったのだが。


「助けてください助けてください、ナンマン()()()ナンマン()()()


 女はその場にしゃがみ込み、俺に向かって手を合わせ命乞いのようなことをする。

 ナンマンタブンというのはおそらく南無阿弥陀仏のことだろう。世界は違えど仏教徒であることは同じらしい。俺は妙なところでお釈迦様の威光を思い知らされた。


 命乞いと分かればこちらもいつまでも銃口を向けるわけにもいかない。

 何よりこれでは弱い者いじめをしているようで、男らしくない。

 俺は構えを解き、敵意がないことを示す。


「信じられないかもしれないが、俺は別の世界から来た。危害を加える気はない。ここはどこでどんな所か教えてくれればそれでいい」

 俺の言葉に仏教徒の女らしき奴は茫然としていた。まあ顔以外は女そのものだから女でいいだろう。


 自他共に短気と認めている俺がいい加減苛立ち始めた頃、ようやく女は口を開く。


「え……あ……ここは群馬県富士見市で……あ、アタシらユーチューバーでオバケが出るって噂の廃墟に撮影に……」


「富士見市!?」


 女の言葉に俺は愕然とした。

 見た目や住んでいる生物が違っていても、住所は元の世界と全く同じだったのだ。


 よくよく考えてみれば、このあたりの連中とは言葉が通じている。冷静に考えれば、これだけでも摩訶不思議な話だ。


 俺が改めて考えだしていると、外からけたたましい警報が聞こえてきた。


「け、警察だ!」


 女は喜びの感情をあらわにした。

 どうやらこの世界では、警報と同時に警官が現れるものらしい。


 俺は女を残し、すぐにその場から去ることにした。

 この世界では身元を証明できない。その状況で警官に見つかっては面倒だ。最悪、何の抗弁もできずに牢屋にぶち込まれしまう。

 この世界の警官がどう言うものかまではわからないが、最悪の状況を考えて行動すべきだろう。ここは全員顔見知りの暢気な田舎の村ではないのだ。


 俺は騒ぎ出す女を尻目に、廃墟を後にする。

 去り際、この世界の警官を見たが、やはり俺が知っている警官とは全く違っていた。何の意味があるのか、上から下まで紺色の背広で、警官というよりは役所の人間という風だ。

 向かう際に乗ってきた車もまた奇天烈で、白と黒の鯨幕のような変わった形をしていた。


 あの車を奪えば確実に別の世界に行った証明になっただろうが、さすがに大きすぎ、何より運転技術のない俺には動かすことなどどだい無理な話であった。

 その代わり、俺は女からある物を失敬した。車と比べるとだいぶ説得力に欠けるが、俺の世界では見られないものだ。


 廃墟を出た俺はこのまま先へ進み、村を見るか、風呂屋に戻って元の世界に戻る方法を探すかの選択を迫られた。


 本音を言えばこの世界をもっと探検してみたかった。やはり俺のような無鉄砲にはこの刺激はたまらない。


 しかし、この銃を借りっぱなしでいるというのも、なんとも収まりが悪い。まるで隆にぃから今まで受けた恩を、仇で返す薄情者になったような気さえした。


 そこで俺はいったん風呂屋に戻り、元の世界に戻れたらそのまま銃を隆にぃに返す、それが叶わなければこの世界を気が済むまで探検するという方針を立てた。


 風呂屋に戻ると、俺以外まだ誰もおらず、閑散としていた。

 辺り一面の真っ暗闇である分、明るさもより際立つ。


 俺は銃を構えながら慎重に進み、いつ狐狸妖怪の類が出てきても対処できるようにした。

 玄関を抜けると、元の世界と同じように湯船に繋がる長い廊下がある。番台もない。この世界の風呂屋の構造も元の世界とほぼ同じだ。


 唯一明らかに違っていたのは鏡の位置だ。

 それが元の世界とは反対にあったのだ。


 ……いや、違う、これは鏡ではない。


 ただ向こうの世界が見えているだけの枠だ。

 まさかその先に全く同じ風呂屋があるとは思わず、鏡だと思い込んでいた。


 違う、それも違う!


 確かに初めて風呂屋に入った時は、向こうに俺の姿があり、ただの大きいだけの鏡だった。

 それが何かの拍子で、鏡から枠になったのだ。


 俺は意を決して枠の先へと、元の世界と思われる場所へと進む。


 この世界に来た時同様、枠をくぐる瞬間、全く、何の感触もなく、あっさり通ることができた。

 通り終えた俺はすぐに振り替える。


 そこには深刻そうな表情をした俺自身がいた。

 別の世界の俺かと思い、反射的に銃を構える。


 それと同時に向こうの俺も銃を構えた。


 そして笑う。

 何のことはない。

 枠がまた元の鏡に戻ったのだ。

 触って確認したが、指はその先に進まず、冷たい鏡の感触を伝えた。


 以上が俺が体験した山の風呂屋での出来事だ。

 元の世界に戻ってきたことは、風呂屋を出てからの臭いですぐにわかった。

 その後、銃は平謝りする隆にぃに返し、遅い帰りに親父から目から火が出るほど殴られ、それでも楽しいと思える一日を過ごして寝た。



「――というのが俺が体験した話だ」

 俺は本来博がするような不可思議な体験談を博に聞かせた。


 俺が話し終えるまで、博は一切口を挟まず聞いていた。

 おしゃべりな博がここまで真剣に話を聞くのも珍しい。普段の授業からこの態度をしていれば、教師に理不尽に怒鳴られることもなかっただろう。


 博は話を聞き終えてもすぐには口を開かなかった。

 俺の話を反芻するように、腕を組んでじっくり考えている。


「……あの風呂屋はもうないんだよな」

「ああ、ない」

 絞り出すような博の言葉に俺は即答する。


 翌日、試しにあの風呂屋に再び行ってみたが、もう影も形もなかった。


 あの風呂屋は村一番の豪邸ほどの広さがあった。それが残骸すらなく消えるなど、どう考えても人の力ではない。

 あの風呂屋を利用していたのは俺と博にぃ以外にもいたので、少なくともその点に関しては村人の誰もが認める怪異となった。


「それで、それが戦利品と」

「ああ」

 またしても俺は即答する。

 答えた俺の掌にはあの女からくすねた四角い厚紙があった。


 そこには信じられないぐらい精巧なあの女の写真に、緑色の線と細かい字が書かれている。

 字の方は問題なく読めたが、意味が分からない個所も多々あった。

 重要なのは写真の方で、これほどよくできた写真はついぞ見たことがなく、別の世界に行った証明になると思いくすねたのだが、今思うと小さいし、そこまでのものではなかった気がする。

 実際、隆にぃにこれを見せた時も、変わった玩具だなと笑われただけだった。


 しかし博には思うところがあるのか、真剣な表情で俺からそれを受け取ると、(ため)(すが)めつ観察する。

 この変わり者の着眼点は、俺のような凡人とは全く違うのかもしれない。


 ややもして博は言った。


「昇、今年は西暦何年だ?」


「知らん。そもそも()()()()()()()()?」


「西暦は西洋で使っている年号だ。俺達にとっては今年は皇紀2684年だが、西()()()()()()()()()()()()()()。あと、住所も書かれているが、この住所はおそらく俺達の世界でも存在する場所だ」


「なんだと!? つまりあれは別の世界のようで、ここと同じ世界とでもいうのか!?」


「お前の話を聞いた限り、さすがに瓜二つとは到底言えないだろう。ただ、非常に似つかわしい世界ではあるようだ」


「そうか……。結局なんとも不可思議な話ではあったな。いまだに狐狸の類に化かされたとしか思えん。だが、そうだな……」


 俺は何とはなしに教室の窓から校庭を見る。  


 校庭では下級生の日課の軍事訓練が行われ、下級生が銃剣を突き刺す訓練をしていた。上級生になると実弾を使った射撃が中心になるので、この訓練はあまりしない。

 ただそのへっぴり腰を見ていると、かつての自分を見ているようで笑いそうになる。


 そして校門には、かつて隆にぃが打ち取った敵兵士(えもの)の頭蓋骨が晒されていた。


 これは村の誇りだ。


 通学の度にこれを見せられるので、学生は皆隆にぃに逆らう事が出来ない。

 おっちょこちょいで適当でも、武勲を上げれば誰で英雄になれる。


 ()()()()()()()()()()()()()


「……あの世界の人間は誰も彼も青白くて生気に乏しく、英雄になれそうなやつなんぞ1人も見かけなかったな。物は興味深いが人間はつまらん連中ばかりだった」


 あの世界で出会った連中は、揃いも揃って愚にもつかない腰抜けばかりだった。

 俺のような小僧でさえ、その気になれば天下を取れそうでさえあった。


 そんな事を考えながら、俺はこの()()()()()()()()()()現実の世界の風を肌で感じていた……。


                                           了

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