第7話:多田楓と初めての学級日誌
「おはよう、吉田くん!」
朝、登校して席に着くと、多田さんが声をかけてくれる。
「おはよう。……どうした? 元気だな?」
多田さんは教科書を見せてもらって以来、挨拶はしてくれるものの、いつになく声が大きいので首をかしげながら返事をした。
「そうかな? まあ、元気は元気だけど、あはは」
多田さんはあどけない笑みを浮かべてから。
「って、いやいや、そうじゃなくてね? あのね、今日私たち日直なんだってさ」
「おー、そうか……!」
黒板を見ると、『日直』の欄に『吉田 多田』と並んで縦書きに書かれている。
「並べて見ると、多田も吉田も『田』で終わる苗字だねー」
と、なんだか人懐っこい笑みを浮かべる多田さん。うん、そうだね。
「それで、昨日の日直だった吾妻くんに聞いたんだけど、仕事は、学級日誌と、黒板消しの2つだけだってさ」
「へえ、そうなんだ。どっちがいい?」
「どっちがいいって。一緒にやろうよ?」
「ああ……分かった」
なんか話の流れ的に分担するのかと思ったら、二人で両方やるらしい。まあ、黒板消しの方が若干面倒な感じもするしな。
「で、学級日誌って何書くんだ?」
「いやあ、それがね……! 見て欲しいんだ、これ!」
そう言いながら、多田さんは日誌を開いて俺に身を寄せてくる。
彼女の行動があまりに自然すぎて一瞬気が付かなかったが、一つのノートを同じ向きから二人で見ようという姿勢なので、妙に近い。
石鹸みたいな爽やかな匂いが鼻先をくすぐった。
「これ、昨日の日直のコメント! 『今日の感想』のところ、枠をはみ出して書かれてるんだよ! 吾妻くんが書いたんだって。すごいよねえ」
「へえ……」
おびただしい量の感想に、俺は若干引いていた。一日で何をこんなに思うんだ……。
「お。おれの力作見てくれてんの?」
すると、ちょうどその時、トイレかなんかから戻ってきたらしい吾妻が話しかけてくる。
「ああ、うん力作っていうか……。何でこんなに書いたんだよ。俺たちまで書かないといけなくなるだろ?」
俺が詰る視線を送ると、吾妻は「やれやれ」とハリウッド映画みたいに肩をすくめた。
「あのなー、吉田。学級日誌を書くタイミングが在学中に何回あると思う? 40人のクラス、2人1組で大体20日で一巡するよな? つまり月に1日程度しか回ってこないわけだ」
「ああ、うん……」
いや、そもそも『書きたいもの』みたいな前提で話してるのが意味不明なんだけど……。
「じゃあ、36回、だね?」
多田さんが嬉しそうに言うのに、吾妻は、ちっちっち、と指を振る。やめろ、ランダムで技が繰り出される。
「まず、毎年春休みと夏休みと冬休みと合わせて約2ヶ月は休みの期間があるだろ? 2ヶ月×3年で、6ヶ月は削られる」
「うんうん」
よくこんなに興味深そうに聞けるな、多田さん。
「しかも、3年生の3学期は丸々休みなんだ。これで、プラス3ヶ月削られる。まあ、削った春休みと冬休みと重複するところはあるけどとにかくだいたい9ヶ月くらいはおれらの高校生活から消失するわけだ」
「なるほど! つまり、27回しか学級日誌は書けないってことだね?」
「そういうことだ! 多田は理解が早いな」
「そんなあ、初めて言われたよ、えへへ……」
「生涯で27回だ。この先、どんなに頑張ってもおそらく、学級日誌を書く機会は訪れない」
27回も書ければ十分だけどな。
「だったら、一回一回、全身全霊で書くべきだと思わないか? こんな、青春を体現したような行為を、ないがしろにするもんじゃないだろ?」
「そうかも……!」「そうかなあ……」
吾妻の力説にそれぞれの回答を返す。まあ、感じ方は人それぞれか。
「ま、別に強要はしねーけどさ。おれは、高校生活を楽しみ尽くす覚悟だから!」
「青春部かなんかに入れよ……」
「そんなのあったら入るんだけどな。あはは、うける」
と吾妻が笑ったその時。
「えっ……!?」
教室の入口から声が聞こえた。
振り返ると、岩瀬礼奈がそこで愕然とした表情を浮かべていた。
「……?」
俺が怪訝な視線を向けているうちに、礼奈はカツカツとローファーを鳴らしながらこちらに近付いてくる。
「さ、3人は今、仲良くなったの?」
「な、仲良くって……?」
なんて肯定も否定もしづらい質問をしてくるんだ、こいつは。
「れ、礼奈ちゃん! あのね、吾妻くんが、すごいんだよ? 学級日誌、見て見て」
そう言いながら、多田さんが少し緊張した様子で、礼奈に学級日誌を見せる。
「え? 学級日誌? 吾妻君? けい……吉田君は?」
「吉田くん? 吉田くんと私は、今日の日直!」
「ああ、そうなんだ。これからか……」
なんだか少し安心したみたいな顔をしてから、学級日誌に視線を落とす。そして。
「へえ、たくさん書かれてて素敵だね」
と、謎にちょっと尊敬するみたいな眼差しで吾妻を見た。
「うおお、うおお……!?」
想像していた反応と違ったらしく吾妻が混乱している。俺もそう思う。
「それより、多田……楓さん」
「は、はい! ええ、名前覚えてくれたんだ……!」
感激した様子の多田さんに、ひょっとこみたいな変な顔をしながら礼奈が言った。
「えっと、その……。あたし、日直代わろうか?」